耳に囁く
※主は尾形の幼馴染
※過去捏造注意
※甘め
「お前、耳が聞こえなくなったのか」
「ああ、尾形か……無様な格好を晒してしまったな」
包帯グルグル巻きで朗らかに笑うやつがあるか、と尾形は思った。鼓膜が破れたとは聞いていたが、それ以外にもこれだけの怪我をしていることは聞かされていなかった。
戦場で耳が聞こえないというのは致命的だ。身体もボロボロ、骨はいくつも折れていて、前線には暫く出れないだろう。人を庇って己自身が傷つくとは、馬鹿らしい。幼い頃からずっとこんな調子だった。人が崖から落ちそうになった時も。幼子を助ける為炎に飛び込んだ時も。その助ける姿にいつも虫唾が走っていた。何故自分自身の為に生きないのか、と。
尾形はその出生故、無償の愛に弱かった。母に目を向けてもらうには、父親を彷彿とさせる行動を取るしかない。あんこう鍋を食べること。その似通っているらしいという顔をよく見せること。行動の対価が愛だった。しかし見返りのないみょうじの行動は、尾形を幾度も困惑させた。理解のできないもの、得体の知れないものは恐ろしい。殺してやろうか、と何度も思ったが、それ以上に幼い頃から刷り込まれたこの感覚が、無性に心地よかった。
みょうじは、怪我で血を沢山失っているのに、震える手で鉛筆と手帳を差し出してきた。言いたいことがあるならこれに書いてくれという顔だ。
「わざわざ紙に書くような話はない」
「……書いてくれないか、なんて云ってるんだ」
「……」
無言でつき返せば、みょうじは困ったような顔をした。尾形の言葉は、いま何一つ届いていないのだ。
「酷い姿だ」
「……」
「危うく死ぬところだったとは。」
「尾形……なにを言ってるんだ」
「他人に愛想を振りまきすぎだ、お前は」
「……」
不安げな目と暗い目が交差する。
「ううッ」
みょうじは脱力したように顔を伏せる。目眩でも起こったのかもしれない。尾形は鉛筆と手帳を取って、「ネテシマエ」と記した。
「さっきの言葉も、紙に……」
みょうじはそう言って、眠った。四肢、首が脱力している。その身体も、意識も、自分ではない誰かに奪われそうになっていたのだ、と思うと尾形は酷く腹が立った。普通でないこの感情が、人を想うものであるのだと、尾形は未だに理解できていない。しかし無意識のうち、行動には現れるのだった。
□
しっとりした感触に気づき、みょうじが目を開けると尾形が身体を清めてくれている。病院の者がやるだろうに、一体何故なのか。と問いたかったものの、声が出ているのかいないのか、未だにはっきりと判別することはできない。
「尾形」
彼がこちらを向いた。なんとか声は出ているらしい。尾形はふ、と目を細めて、清拭を再開した。あちこちの折れた骨がじくりと傷んで息を吐けば、気遣うような手つきでみょうじはまた拭かれる。
「(手拭い、水……茨城にいた頃は、夏にお互い水浴びをして遊んだものだったなあ)」
いやに優しい手つきがくすぐったく、布を握る手に触れれば、尾形はその手を取り、口づけをした。……うん?
「尾形、いま」
指先、甲、手首と順番に啄まれて、みょうじの顔に熱が集まる。
「おまえ、何をしているんだ」
「……」
「(いや、訊ねたところで耳の効かない今の俺にはなにも聞こえないのか。)」
一体こいつは、とみょうじがそんなことを考えていたら尾形の顔が降りてきて、唇にやわいものが触れる。ふにゅふにゅと乾いた感触が続いて、次に唇を舐められた。
「乾いてるな」
「お……尾形」
みょうじはおかしいと思いつつ、しかし嫌な気持ちはなかったし、跳ね除けるような元気もなく、どうすることもできなかった。尾形と良い雰囲気になることは幾度かあったものの、直接的な行動は無かった故に、驚いてしまう。再度口付けられて、ぬるりとしたものが入ってきた。尾形の舌が口内を滑り回る。歯の裏を舐められて、ぞぞっ、と背筋に快感を覚えた。
「ふ、……んん」
意識がどろどろ溶けていく。耳が聞こえなければ聞こえないなりに、接触した時の感覚が強く伝わって堪らない。長く快楽が続いて、唇が離れる頃にはもうふやけるほどだった。
「また百之助って呼んでくれ」
ひゃくのすけ。と尾形はゆっくり口をパクパクさせて、ああ名前で呼んで欲しいのか?と考えた。
「ひゃくのすけ……」
「また他人のことを庇うようなら、仕方がないから殺してやるよ……」
尾形は目を弓のようにして笑っている。息が上がり、みょうじはまた目眩を起こして気を失った。病人に意地悪しすぎたな、と尾形は思った。その身体をすっかり吹き終えて、布団を被せてやる。これだけ表現すれば、もう自ら死にに行くような真似はしなくなるだろう。そうであってくれればいいが、と考える。尾形は再びみょうじが目覚めるまでそばに居続けた。