父殺し


※父親を殺した主
※死ネタ
※暗い



患者のうめき声で目が覚める。血や煤で薄汚くなってしまった野戦病院。戦場の地獄を見てきた者達が、今ここでゆっくり衰弱し、それでも死に抗っている。いや、死んだ方がましな者もいるだろう。戦争はとても不利な状況で、昨日に決死隊を組織するという令が下された。みょうじは、それに参加する。当たり前のように人が死ぬ世界。感覚が麻痺して、「今日は何人分の躰を集められた?」とか、「もうあの隊に飯を食えるやつはいないから、配給はしなくていいんだな?」とか、そんな会話がされている。
白襷隊は言うなれば特攻であり、死ぬ前提の戦いである。もちろんわかっている、死ぬことに恐怖はまだ、ない。だが、みょうじは最後に自分の抱えているものをどこかに吐き出したかった。己の罪について。

「尾形」

地べたで相変わらず銃の手入れをしている。隣に座り込めば、尾形は腰を浮かせ場所をずれた。今ここに、耳の聞こえる者はほとんど居ない。

「なあ、俺が死ぬ前に話を聞いてくれないか」

尾形はコクリと頷いた。まあ、手入れながらでもいいか、とみょうじは思う。

「この前休みを貰って、故郷の東京に帰った時のことだ。俺は父を殺した」



みょうじの父は酷い人だった。あちこちで女と寝て、子を成し、本妻であるみょうじの母は愛想をつかして何もかも捨て、消えた。親の愛に飢えていたみょうじは、父親に縋るしかなく、言うことはなんでも聞いた。それが長い間、長い間―――続いた。

「でもこの間、殺してきた。はは、お前なら無闇矢鱈と言い触らすことも無いだろうと話してるんだ。それに、俺は明日死ぬだろうから」
「捕まらなかったのか」
「ああ、都心から離れた辺鄙な土地だったから。山小屋で殺してきたんだからそうそう見つからん」

尾形は正気で話を聞いている。やっぱり、こいつに話してよかった。

「まあ殺すまでは良かったんだ。だけど死ぬ直前、俺の父親はなんて言ったと思う?」
「……」
「“愛している”、とさ。ふざけているだろう?」

尾形は手を止めて、聞き入っているようだった。黒い双眸とみょうじの視線が交わる。早く続きを聞かせろ、と言っているような。

「その一言で、呪われた、と思った。罪悪感が湧くのを感じて、そこかしこ掻き毟りたくなった。なあ、尾形。俺はどうすれば良かったんだ」
「……俺も、母を殺している」

その一言を出すのに、尾形はどれだけ熟考したろう。そうか、お前も親を殺していたか。と、距離が一気に縮まったような気がして、みょうじの頬の筋肉が緩んだ。尾形は目線を下げて、銃の鈍く光る鉄を眺めている。
どうすればよかったか、に対する答は成されていない。まあ、それでも構わない。もう明日には、なにもかも消えて無くなるのだから。

「聞いてくれてありがとう。これで心置き無く死ねる」

翌日、同胞の亡骸に囲まれながらみょうじは息絶えた。



――――そんなこともあったな、と考える。あれから時が経ち、俺は父親を殺さんとしているところだった。

「出来損ないの倅じゃ。呪われろ」

これが呪いか?それにしては、どうにも負け惜しみのような語り口だ。祝福の下ったあいつと、下ることの無い自分にどうしようも無い差を感じて、つい笑みが浮かんでしまう。罪悪感は微塵も生まれない。欠けた人間である己は、ついぞ正しくなれる機会を永久に喪った。ああ、ただ、もし己が最後に愛の言葉を賜っていたら。どうしていただろうか。
父が事切れる。自らの腹に刃を突き立てたよう見せかけ、そそくさとその場を後にした。あいつの言葉を反芻する。「“なあ、尾形、俺はどうすればよかったんだ?”」あいつはあの世で答えを見つけられたのか?




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