蝶に見ゆる


※尾形同期主
主を造反仲間に加えたい尾形
日露戦争直後


戦争を終えての慰労休暇に、(みな)二週間程度貰ったのだが、故郷へ帰ることの無い尾形は只々退屈なばかりである。尾形は河川敷に来ていたが、何故其処に居るのかというと、みょうじが連れ出したからだった。生活に必要な買い出し、掃除、他なにもかも全て終えてしまい、退屈で仕方なかった尾形は二つ返事で了承したのである。
明るく晴れた爽やかな日。喪服を纏う人々が列を成して歩いている。長い長い葬列だ。日露戦争で死んだ同胞達を弔う儀式だ。其れを、遠目から眺め続ける。木陰に座って、眺めている。だが眺めているのはみょうじだけで、尾形はみょうじの顔を見つめているのだった。

「本当に必要な犠牲ならいい。でも、必要のない犠牲があまりにも多すぎる。」
「理不尽と戦争は同義だろう」

世の中は理不尽で溢れているのに。なんて愚かな。ぬるい考えを続けていては、世界かみょうじ、どちらが先に潰れてしまうかなど明白だ。しかし、そんな脆い考え方をするみょうじのことがなんだか面白くて、尾形は胸がチクッとした。それは尾形が過去に愛を知っていたことを証明する印だった。
もし、聯隊からの造反にみょうじを誘えば、どうなるだろうか。みょうじが仲間に加わるなら、退屈はしないだろう。きっと、金塊のために理不尽に死ぬ者が大勢現れる。それと対峙した時、みょうじは何を想うだろうか。
葬列は尚も長い行列を成し、途切れるという事を知らぬ様子である。みょうじが様々な事柄について語り続けるのを、尾形は黙って聴いている。しかし、流石に退屈に思えて1つ欠伸をすれば、みょうじは気を抜かれたように黙ってしまった。静かになればなるほど、遠くの足音、すすり泣く声が殊更大きく聞こえるようである。
ひら、と白いモノが尾形の傍らを過ぎた。

「尾形、そこの蝶、何だっけか……」
「紋白蝶」
「ああ……」

「死者の魂って本当なんだろうかね」

みょうじがそんな事をポツリ、呟いた。蝶は死者の象徴、という話である。途端尾形はうんざりした心持ちになって、もう目で追うのは辞めてしまった。

「本当なら、辺りが蝶で溢れちまうだろ。」
「ハハ、違いない。」

頭に浮かぶのは、花沢勇作の屈託ない笑顔。それを振り払う様に尾形は瞬きした。

「……みょうじ。お前、除隊後どうする」
「それなんだが、全く当てが無いんだよ。」
「俺がこれからやることに、ついて来いと云ったら、お前はついて来るか?」

蝶に向けていた眼が此方を向いた。美しい眼だった。己とは違う、と。尾形は思う。

「何をする気なんだ?」
「……」
「そんな、(だんま)りをするほどには、いけない事なのか?」

澄んだ目で見つめられ、尾形は仄暗い気持ちを思う。いけないことかと聞かれれば、きっとそうだろう。しかしまあ、本部を裏切る訳では無い。ただ、その美しい眼に、己の何もかも悟られてしまう気がして、消し去ってやりたいと思った。それは、勇作に感じた言い様のない感情と図らずも同一である。

「俺は聯隊を抜ける」
「ん?お前、今年も残り続けるんじゃ無かったのか」
「脱走するということだ。鶴見中尉とは敵対する」

ああ、驚いたその顔。しかし次の瞬間にはもう真面目な何時もの顔に戻って。

「お前、そんなの、……死んでしまうかもしれないんだぞ。」

どんな言葉が出るかと思ったら。身を案ずる言葉に尾形は拍子抜けて、ふっと口角が上がってしまった。お前のそんな、弱きを助く精神。理不尽を忌避する思考。嫌いじゃないぞ、なんて、口に出すことはしなかったが。利用できるだけ利用して、気が済んだらこの手で殺してあげよう。と、尾形は決心するのだった。ああ、また紋白蝶が飛んでいる。


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