Mithuba

 Number.001
 えんぴつを走らせる音が好きだ。
 手についた真っ黒な痕を洗いながら駄弁るのが好きだ。
 ページを捲る微かな音が集まった図書室が好きだ。
 大きな音を立てたら、図書室の先生に怒られるあのスリルが好きだ。
 お友達と怒られ、顔を見合わせて笑いあうあの感じが好きだ。
 食堂でお友達と顔を見合わせて食事をする、あのひと時がたまらなく好きだ。
「おめでとう、光葉くん」
   だから、これはきっと、なにかの間違いだ。
 一生懸命に勉強をするうちに皆がどんどん大きくなっていく。

 お友達を、友と呼ぶことができないボクが嫌いだ。
 先生の言葉に言い返せないボクが嫌いだ。
 察してくださいと、願うことしかできないボクが嫌いだ。
「好きな子を選んでね」
 本当のことを言えないボクが嫌いだ。

 誰にも選ばれなかった子を、譲ってもらった。
 自慢げにボクを見上げる子。
 不安そうな顔のボクを見ても、励ましてくるいい子。
 助けてほしいのも、助かりたいのも全部ボクで、誰も察してくれない。

ボクは旅になんて行きたくなかったんだよ

 なんて言えたら、どんなに良かったか。● ● ● 故郷であるコガネシティを離れ、何度も車の中で寝泊まりを繰り返しながら学校のあるキキョウシティのトレーナーズスクールへ向かう。ズックを脱いで窓の景色を食い入るように見た。
 コガネシティと違う風景。見慣れないポケモンの数々。ビルの上高く止まっているポケモンが、瓦屋根のすぐ傍にいる。この町の人からすれば日常の風景を、鼻を鳴らして見入った。
「あの 塔は なに?」
「あれはマダツボミの塔だよ」
 「時間もあるから行ってみよう」と、宿の駐車場にレンタカーを停めた父がそう言った。
 短い足で何度も躓きそうになりながらも父が言った〈マダツボミの塔〉へ向かう。塔の中に入ると、ぐらぐらと高い柱が揺れていた。ぐねぐねと揺れる柱を見、怖くなって叫んだ。
「くずれちゃうよ!」
 早く逃げようと、涙目になって母のズボンを引っ張った。母は「あらあら」と、微笑ましそうに笑いボクを抱き上げる。中々離れようとしない2人を見、泣き出してしまうボクを見て2人はようやく塔の外へ出た。
 入口付近でボクを宥める2人。そんな2人を見て塔の管理者が近づいてきた。お祭りの時ぐらいでしか着ないお着物を着たツルッツルの人。

  未 知 と の 遭 遇  


 ボクを抱きかかえる母に顔を埋めた。
「どうかなさいました?」
「塔が崩れると怖がってしまったんです」
 「今はそれよりも人見知りが発動していますね」と、続けた母。未知なる人は、母の返答に納得し「ぼく、ぼく」と、柔らかく話しかけてくる。
「こんにちは、ぼく。今、いくつかお坊さんに教えてくれるかい?」
 手を突き出す。それを見たお坊さんは「5つか。おしえてくれて、ありがとう」と、穏やかに返した。気になって顔を上げると目がないお坊さんの顔を見てまた母の肩に顔を埋めた。
「おやおや、怖がらせてしまったかな」
 足音と声の大きさで離れていったことを理解した。
「いえいえ、泣き止んでくれたので大助かりです。ありがとうございます」
 ボクを抱きかかえ直した母が、頭を撫でた。ゆっくりと、あったかい大きな手。
「観光の方ですか?」
「息子の送迎です。4月からこの町のトレーナーズスクールに通えることになりまして」
「それは、それは……! それなら、ご子息とは縁がありそうですね」
 その話を聞いて、ふと顔をあげた。目がないお坊さんは口元を緩ませてボクに丸くて赤いものを見せる。
「ポケモンはお好きですか?」
「ポケモンというよりかは、勉強が楽しいんだと思います」
「知識の吸収を楽しいと思える。素晴らしい才能です。ぼく、きみが良いのなら今からわたしがこの〈マダツボミの塔〉が崩れない理由を簡単に説明しよう」
「!」
 パッと顔をあげた行為を、答えと捉えた目のないお坊さんは、丸くて赤いものを投げる。猫のようにそれを追いかけ、2つに裂ける様を見た。白い光線から徐々に形作られるシルエット。
 どうしてその形状で立っているのかわからない、不思議な生物がそこにいた。避けた丸い物の名前を知っている。
「もんすたーぼーる!」
 きらきらと、目を輝かせて見知らぬポケモンを見下ろす。
「この子の名前は、マダツボミ。この塔の名前の由来になったポケモンです」
 紐みたいにゆらゆらと揺れる頼りない体。体の細さに似合わない程、大きな逆さ壺のような顔。ポケモンって不思議。どうして前や後ろに倒れずに立っていられるのだろう?
「この塔がどうして崩れないのかは、この子たちがどうして立っていられるのかと同じぐらいふかーい謎があるんです」
「おめめのない おぼうさんも わからないの」
「あ、これ糸目です。のっぺらぼうじゃないので今のうちに修正してください」
 両手を使って目のあるあたりを開くように手を動かす。確かに見える黒い目。
 急に現れた目玉が怖いとまた母にしがみついた。糸目のお坊さんは「怖がらせてしまったようで、申し訳ない」と言いながらも、口で「シクシクシク」と、泣き真似まで始める。
「え、あ……う。その」
「ふふふ。気にするのなら、学び舎でのお休みの日にでも遊びに来てくださいな。ここでのわたしの話し相手はマダツボミぐらいでして」
 くすくすと笑った狐目のお坊さんは、そう言ってボクの頭に手を伸ばした。優しく優しく、撫でる。不思議な手だ。
「良かったわね、光葉。あなたをここの寮に置いていくのは少しだけ寂しかったのよ」
「遊び場が増えるのはいいことだ。その場所での約束事をきちんと守って遊びなさい」

 夜。大きな敷布団を並べて3人で眠った。
 お母さんのほうに寄るボクを見て、お父さんは寂しそうな声で「わたしの所には来てくれないのか」と、ボクが寝付くまで頭を撫でてくれた。● ● ● 真新しい制服を着、2年間お世話になる学び舎の土を踏んだ。
 入学式は盛大に行われ、在校生代表と新入生代表が互いに祝辞をあげる。皆の真似をして拍手を。入学式と書かれた看板には長蛇の列が作られ、皆が記念撮影をしていた。
「光葉。寂しくなったらいつでも電話してきなさい」
「うん」
「光葉。寮母さんのいうことは、しっかり聞くのよ。わからないことがあれば先生に質問しなさい」
「うん」
 お母さんは少し言葉に詰まりながらも、ボクに話しかける。肩に乗せられた手が少しだけ痛い。お母さんはボクに怒っているのだろうか? 不安になって、父の方を見れば父は穏やかに笑ってボクの頭を撫でた。

 自分の名前が張り付けられた机。皆、お友達なんだろうか? 楽しそうにお喋りをしている。ボクも、お喋りがしたいな。
「ねえねえ」
「!」
 後ろの子が、ツンツンと背中を突っついてきた。ビクッと背を震わせながらも振り向くと次は頬っぺたに指が刺さった。きょとんと眼を丸くしていると彼は楽しそうに咲って「ぼくの名前はミナト! きみは?」と、自己紹介をした。
 お喋りができる……! ボクは目を輝かせて、「光葉……! 光葉っていうの、ミナトくん」と、挨拶を返した。

 狐仙コセン
・マダツボミの塔で知り合ったお坊さん。
・本名よりもあだ名が好き。
・「お坊さんと呼んでください」と、あだ名を進める変わり者。

 水翔ミナト
・トレーナーズスクールでの初のお友達