綺麗なままでいたいの

 ――あ、ダメだ。
 そう思ったのは、知らない女の人と並んで歩いている蘭を偶然見かけたからだった。
 浮気じゃないのは知ってる。事前にこの日にこういう人と仕事で一緒にいる、断りたかったけど無理だったって教えてもらったから。それに頑張ってねと見送ったのは私だから。
 蘭が私のところに帰ってきてくれるのも知ってるし、何より今まで見かけたことが無かったから大丈夫だったんだと遅すぎる自覚をした。


「ただいまぁ」
「おかえり」

 間延びした声で呟いた蘭は、気だるそうにネクタイを緩めてジャケットをソファの背にかけた。そしてテーブルの上に置かれたソレを視界に捉えて、何コレ、と低い声で問うた。
 寝室に戻って部屋着に着替えようとしていた蘭は方向を転換して私の隣に腰を下ろす。そしてソレを見ながら横目で私の姿を捉えたまま再度何コレ、と聞いてきた。

「……拳銃」
「見ればわかるんだよな〜。どっから手に入れた?」
「……蘭の、部屋」
「……隠してたはずだけど?」
「掃除してるのは私だよ」

 蘭がコレを厳重に保管して私の手の届かないところに置いているのは以前から知っていた。だけど彼が部屋に置いている以上、私が手にする機会なんていくらでもある。こればっかりは家に置いていた蘭の落ち度だ。

 蘭はソレを手に取って軽く遊びながら、それで、と一言置く。

「何しようとしてた?」
「……蘭に、お願いしようとしてた」
「何を?」
「コレで、私の事殺してくれないかなって」

 澱みなく言葉を紡いだ私に、蘭が威嚇するような声を呼吸に混ぜて呟く。
 私は真っ直ぐに蘭を見つめて同じ言葉を繰り返した。

「急にどうした?」
「今日、仕事中の蘭を見かけたの」
「……浮気じゃねーぞ」
「うん、わかってる。わかってるけど、」

 ここで言葉の止まった私に、蘭がうん、と続きを促した。
 あまり人を待つことをしない蘭がこうやって私の言葉を待ってくれているのが愛されている証なことを知ってる。殺して欲しいと変な願いを言っても捨てずに話を聞こうとしてくれてるのが、私が何より愛されている証なんだと、知ってる。

 知っているけど、それとこれとは話が別だった。
 これは、私の気持ち問題でしかない。

「若かった」
「二十五だとよ」
「綺麗だった」
「そーか?」
「かわいかった」
「……そうか?」

 私はさ、と呟いて、視線を落として、蘭の手の中に違和感なく収まっているソレを見つめる。
 蘭は、相槌を零さなかった。

「歳をとって、ヨボヨボのおばあちゃんになって、でも、それでも蘭の隣にいるんだろうなぁって思うの」
「……オウ」
「それは幸せな事だと思うし、それを望んでる私が居るんだけど、でも、なんか」

 目を伏せて、自分の感情を言葉に整理する。
 絶対におばあちゃんになるまで生きているなんてわからない世界に身を置いているのはわかってるけど、蘭は出来る限り私を守ろうとしてくれているのを知っている。だからきっと、運が良ければ二人揃っておじいちゃんとおばあちゃんにだってなれる。

 でも、

「おばあちゃんになった私を、蘭に見て欲しくないなあ、って」

 蘭の瞳に映る私は、いつだって綺麗なままで居たい。
 女の人と並んで歩く姿を見て思ったのは、つまりそういう事だった。

 これからはどれだけ努力をしたって歳をとっていくし、それに従って綺麗なままで居ることなんて出来なくなってくる。それは人間だから仕方がないこと。

「だからそうなる前に、綺麗なままで死にたいな、って」
「もしオレが今、オマエを殺さなきゃどうするつもり?」
「……考えてなかったけど、たぶん、自分で殺すよ」
「絶対?」
「ぜったい」

 例え今死ななかったとして。でも一度生まれてしまった気持ちは中々消すことが出来ないから私はこれから暫く死にたくてたまらなくなると思う。もし気持ちが消えたとして、でもそれはふとした瞬間にやってくると思う。

 ただ死ぬのじゃ意味が無いの。綺麗な姿で死ななければ意味が無いの。最期の姿を蘭に見られなきゃ、意味ないの。

 らん、と私の口が動く。ぴくりと反応した蘭はその奥に悲しさを宿していた。
 人を戸惑いなく殺せる人が、たった一人の女を殺すのを戸惑って、悲しんでいる。

 だけどごめんね、私の気持ちはきっと変わらないから。

「……わかった、いーよ」
「ほんと?」
「ん。今更やめろとか言うなよ」
「言わない。言うわけないよ。ねえ、蘭、ありがとう」

 スイッチを押した時のような軽い音がする。蘭がソレを持ち上げて、私の頭に押し当てた。
 もう片方の手で私を引き寄せたかと思えば唇が重なった。やさしく、一度だけ。

 ドラマか、小説か。はたまた漫画か。どれかは忘れたけれど、別れのキスは涙の味がすると言っていたのを思い出す。でも私たちの最期のキスはそんな味しなかった。だってどちらも泣いていないもの。

 さよなら、蘭。
 どうか、今の私をずっと覚えていてね。

「オマエはさ、いつだって綺麗だよ」