Love me tender
(優しく愛して)
オールマイトこと八木俊典は感傷に浸っていた。つい先日まで蒸し暑かった季節は瞬く間に過ぎ去り、空を見あげれば秋の気配を感じさせるグラデーションが美しく広がっている。
(今年も1年が早い)
歳をとるとは怖いものだ。
以前は5年、10年先が楽しみでならなかった。思い描いた平和が保たれた世の中、某TV番組にも出演するくらいの余裕もあった。それがあの日を境に変わってしまった。
「...冷えてきたな」
母校で後継を探してみてはどうか。
それは思いもよらぬ提案だった。ヒーローの名門、雄英高校の根津校長からの申し出に私は少し胸の奥がチクリと傷んだ。
別にヒーロー番付の1位に君臨し続けたい訳ではない。ただ、恐ろしかったのだ。自身の衰えが想像以上に早いのが怖かった。
(避けては通れぬ道だ、お師匠がそうしてくれたように)
オールマイトは誰もいない事務所でパンプアップしたマッスルフォームから骨ばったトゥルーフォームへと蒸気を上げて変化させた。ここで過ごすのもあと少し。雄英高校で教鞭をとる事にした為、この事務所は数週間後にはたたむのである。胸ポケットからカードキーを取り出し、施錠し退出した。入口の警備員に挨拶をし、スーツの端からのぞく時計をみやる。時刻は21時02分を回ったところ。
「ここに寄るのもあと少しか」
カランカラン、と音を立てオールマイトは扉を開く。キャンドルが照らす落ち着いたウッド調のインテリアに囲まれたバー。ここには若い頃、よくサーナイトアイとミーティングがてら来たものだ。
「こんばんは」
マスターに挨拶をし自身が勝手に決めた特等席の方向に視線をやった。細長いバーのカウンター右奥。ナイトアイと決別してからはよく1人で物思いにふけりたい時は大体その席と決めていた。
お世辞でもこのバーはそこまで賑わない。しかしこの落ち着いた雰囲気が公人としての私を私人に戻してくれるいい居場所だった。
通い始めて今までその席に座れなかったことは無い。
(あれ、珍しい)
私がその特等席と呼んでいる場所には、先客がいた。
明るいブラウンアッシュをセンターで分けたボブヘアー。横顔だけでも整った顔立ちを感じさせる凛とした女性。決してグラマーな訳では無いのに、セクシーだと思った。
私の視線に気づいたのか彼女はこちらに首を傾けた。
「...どこかで会ったことあります?」
口角だけを上げパッチリとしたアーモンドアイで私を見つめる彼女に、私はどこか既視感を覚えた。それは、彼女もだったらしい。
「不思議だな、私もどこかで会ったような気がするんだ」
「あら、じゃあ会ってるのかもしれないわね」
「この辺に住んでるのかい?」
深く考えもせず容易にかけてしまったこの言葉が彼女の警戒心を煽ってしまったらしい。端正な眉がピクリと動いた。
「...新手のナンパかしら?」
「No!誤解だよ、ガフッ」
焦って否定した流れで咳き込んでしまった私に彼女は笑いながらふわっと右手を隣の椅子に置いた。
「冗談よ、隣、良かったらどうぞ?」
「わるいね」
「立ち話もなんだし」
彼女は自身をみょうじと名乗った。私は八木と答えた。初対面にも関わらず、既視感を覚えたみょうじさんからはオリエンタルな甘さが漂っていた。
セクシーなのに気取らない。この話し方、この瞳、この長いまつ毛に何故私は気づかなかったのだろう。
これは純粋さや素直さを忘れてしまった遠回りを繰り返す大人のお話。
遅れてしまった恋をやり直す、2人のストーリー。
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