夢なんて無かった。見ることが許されなかったと言った方が正しいだろう。
父は夢という蒙昧が大嫌いだった。現実に即して生きるならば、夢なぞ見る道理もないと吐き捨てる男だった。
目の前にひとりの夢見る少女がいる。
既存の体制の崩壊、神の凋落、その先にこそ人の世が来たる。耳障りの良い言葉を並べながら、それが為に生み出される犠牲を厭わないせりふとは裏腹に少女の声は震えていた。
怖くて仕方がないのだろう、当然だ。未だあどけなさの残る年端もいかぬ少女なのだから。
不意に少女と義妹の姿が重なる。
毅然として前を向く彼女とは対照的な、線の細く儚げで、俯いてばかりの可哀想な義妹。
自分でもよくわからないが、義妹のあの何もかもを諦めたような表情が脳裏に焼きついて離れなかった。
生家を離れ望まぬ環境に身を置いてでも、いずれ傲慢な父の期待に押し潰されてしまうその日まで。
この、虫唾が走るような家の為に生涯を捧げねばならない。
獣の紋章をその身に宿す、ただそれだけの理由で父に見初められたことを妬ましく思った日もあった。だが、それ以上に、憐れでならないのだ。
義兄らしいことなど何一つ出来ない俺だけれど、せめて彼女の内懐が寧静であれと願うことは、俺の独り善がりだろうか。
「…っ、ナマエ殿?聞いておられますか?」
「……義妹のことを考えておりました」
「な…!」
顔を赤くして怒りを露わにする少女は、やはり年相応の幼さを帯びている。はっとしてそっぽを向くところも、耳がまだ少し赤いところも、正直次代の皇帝にはとても似つかわしくない。
「…私とて、紋章は憎い。しかし、私は紋章が無ければ今以上に惨めな暮らしを強いられていたでしょう…存在すら許されなかったかもしれない」
「貴方の家の事情は確かに複雑だけれど
…フォドラではありがちな話よ。残念ながら、その異常性を論じる者は少ないわ」
「誠に貴方が教団に仇なすならば、同盟は…父であろうと静観というわけにはいきますまい」
そうなればきっとマリアンヌは選ばねばならない。父によって歪められた道を歩むか否か。
あんなにも弱々しい子に、そんな過酷な選択ができるだろうか?
そしてそのとき、俺は。あの子のために、一体なにができるだろうか。
「今すぐに返事が欲しいとは言わないわ。ただ、私は一人でも多くの同志が欲しい…この世界を改革するだけの強かな力を持った、同志が」
「…私にはなんの力もありませんよ。ご期待には添えないと思いますがね」
力無く呟いた俺の声は、去りゆく少女の踵の音に掻き消された。
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