第三交渉
夜の22時から始まったドラマに、ちょうど最近増えた依頼人である茨が出ていた。主人公の弟役というポジションをスマートにこなしている彼は、事務仕事だけでなくこうやって芸能仕事もあっさりとやってのけているのだろう。主人公にとっては少し生意気な、インテリ系の雰囲気を持った弟役はずいぶんとはまり役である。
そういえばこの前サービス利用があった時、ドラマの話っぽい内容の電話をしていた気がする。となまえは逡巡した。台本が変わったのなら新しいのをデータで先に…などと言っていたのが聞こえたのでこのドラマのことだったのだろう。
なまえは自室で結局そのドラマを最後まで見てしまった。すでに三話だったので二話見逃しているが話はなんとなく理解できたから次の週も見られそうである。
しっかり者の弟が主人公である仕事人間である女性の恋や仕事を呆れつつからかいつつ応援するような物語のようだ。彼は高校を卒業したばかりだというので学ラン姿は全然浮いておらず、むしろ似合っている。
しっかり者役を演じる茨を見て、なまえは思わず頬を緩ませる。現実世界の彼は確かに仕事は良く出来るけれど、自分の事となるとぞんざい極まりない。
けれど最近はなまえにサービスを頼むのが一週間に一度くらいの頻度になったからか、少し人間らしい生活を送れているのでは。となんとなく誇らしい気持ちになる。何回もアピールをした甲斐があったのかつい先日から料理のサービスも利用してくれるようになったので、なまえも少しほっとしてしまった。確かに依頼人の中にはドラマの中のヒロインの様に人間生活が疎かなOLもいるのだけれど、彼はなまえの抱える依頼人の中でトップを争う『人間生活の下手な人間』なのである。
なまえは明日の仕事の予定をもう一度確認すべく、兄が作った事務所の専用アプリを開いた。明日はちょうど茨が予約を入れてきていたはずだ。いつもの洗濯業務と、それから料理の作り置きである。彼の場合ご飯を炊く暇も無い…というよりも食事に興味がないようなので、なまえが行った時にご飯をまとめて炊いて一食分に分けて冷凍したりと、やることも多いので少しばかり気合いが必要である。
今までは恐らく信用されていなかったのか合い鍵を預けてくれることはなかったのだが、先日から鍵を預けるサービスも利用してくれることになった。ようやく信頼を勝ち取れたようでなまえは嬉しい。懐かない猫を手懐けたような、ちょっとした優越感である。
「明日は何作ろうかな〜…」
母から教えてもらっているレシピをざっと見ながら、明日の仕事はまずスーパーに行って買い物をする所から、なんてシュミレートしながらその日は眠ったのだった。
次の日、スーパーで茨が提示した予算ぴったりに材料の買い物をしてから鍵を開けてマンションに入った。初日は少し不審がっていた警備員の人とも仲良くなったので、軽く会釈してからエレベーターに乗って、無人の彼の家に入る。相変わらず洗濯機の前は使用済みの洗濯物が置いてあったが、茨なりに気を使ってくれているのかシャツと色物、下着を分けて置いてくれるようになった。別に分けるところから始める事になまえ自身は抵抗感などないのだけれど、彼は大いにあるようである。
洗濯物第一段を回している間に、なまえは作り置きの料理をしようとキッチンに移動した。初めてこの家に来た時を思い返すと調理家電なんてほとんどなかったような気がするが、もしかしたらこのサービスを利用する為に買い揃えたのだろうか。電子レンジやオーブンはもちろん、フライパンや鍋、おたまやフライ返しなんていう調理器具もすべて揃っており、しかもちゃんとしたブランドのもののようで、まるで料理研究家の家みたいになっている。
「さて、やるかぁ」
手を洗って、まずは炊飯器でお米を炊く。五号炊きの少し大きな炊飯器をセットして吸水させる。後々一食分ずつ冷凍出来るようにしておくのと、今日の夕飯用におにぎりも握っておくつもりだ。
彼の場合、常備菜を沢山作ってしまっても食べる時間がなく痛ませてしまう事を懸念していたので、作るものも冷凍可能な物と、冷蔵の品はせいぜい2、3日分にしておく。まだ味の好みがわからないので、色んな味付けのものを作ってついでに好みのリサーチも兼ねるべく材料をどんどん切り出していった。
調理のサービス依頼を受けた時、好きな食べ物を聞いたら「栄養補助食品です」と言われてしまった。まさかの答えに思わず沈黙してしまった記憶も新しい。
とりあえず和、洋、中の味付けの常備菜を準備したり洗濯物を乾燥機に入れたりと黙々と仕事をしている内に約束の時間が近づきつつあった。シャツのアイロンを掛けて、あら熱をとったご飯を冷凍庫に入れれば終わりだ。今日の夕飯として食べてもらえるようにお弁当も作っておいたので今日の食事はこれで済ませてもらえばいいだろう。
アイロンを掛けよう、という所で玄関が開く音がした。茨が帰ってきたようなので玄関に出迎えに行く。
「七種さん。お帰りなさい」
「お疲れさまです」
脱いだジャケットを腕にひっかけて、さながら仕事帰りのサラリーマンのような出で立ちの彼はサービスを利用し始めた初期の頃とは違いだいぶ自然体になりつつあるけれど、何か言語化出来ずにどこに吐き出していい物やらわからない不満を口の中で排出しきれないまま、誤魔化しているような印象を受けた。自分自身でサービスを利用することを決めておきながらもう一人の自分がそれを不本意と捉えているのかもしれない。難儀な話だと、なまえは思う。
「お疲れさまです。お食事すぐ準備できますがいかがしますか?」
なまえは何気なくそう言っただけなのに、やはり茨は怪訝な顔をする。それもサービス内なのか、ということだろうかと察して、あえて自分から口にした。
「あ、大丈夫ですよ。時間内ですのでサービスの範囲内です。実はもう今日分のお弁当を作ってしまったので、温めるだけですから」
「懸念したのはそこではないのですが……腹は減りました」
「そうですか。ではお夕食の準備もしますね」
いつも通り何か言いたげな茨を残して、なまえはキッチンに戻ると小型の鍋で簡単に味噌汁を作ってから、冷蔵庫に入れていた使い捨てのお弁当箱を取り出し温めた。折角なので食器に移し替えてダイニングテーブルに置いておけば、Tシャツにジャージ姿の茨がちょうど姿を現した。髪を束ねていると少し幼くなる。
「はい、お口に合えばいいですけれど」
「……弁当だったのでは?」
「味気ないかと思って移し替えました。食器も洗って帰りますから大丈夫です」
「いえ、そこをつっこんだわけではなく……」
「どうぞ召し上がってください。私洗濯してますので。あ、今日着てらしたシャツは次回洗濯しますのでぜひ予約お願いしますね」
「人の話を……」
セールストークはつっこまれたら終わりである。なまえはさっさと会話を終わらせると残った仕事に取り組んだ。大量のYシャツにアイロンをかけ、その内一枚の袖口のボタンが取れ掛かっているのを見つけてそれだけリビングに持ってきた。もしもの時の為にと持っている小さな裁縫セットを取り出して、ちくちくとやり始めた。
「何を?」
「袖のボタン取れ掛かっていたので」
「すみませんそんな事まで」
茨が気まずそうに顔をしかめたが、これも業務範囲内だと答えることにした。大した手間ではないので気にせずボタンを繕うと、アイロンをかけて洗濯業務を終了させる。ちらりと時計を見ると残り15分ほどだった。ちょうど茨が食事を終えてキッチンに食器を片づけていたのでそれを引き受けついでに、なまえは聞きたかったことを口にした。
「どれが一番お好みの味でした?」
「ごちそうさまです……どれも美味しかったですよ」
欲しい答えはそれじゃない。となまえは首を振った。茨が首を傾げる。
「あの、七種さん。お仕事には情報収集って大事じゃないですか。マーケティング的な」
「はぁ、そうですね」
「なのでその答えは不適切です。私は七種さんがどういう味付けが好みか情報収集がしたいんです。顧客の情報を掴むのも、ビジネスにおいて大切なことではありませんか?」
茨がずれてもいない眼鏡を直した。なまえは畳みかけるように言う。本来顧客にはこんなこと決して言わないが、茨にはこの方がわかりやすく効果があると、そう思ったのだ。
「べつに、作って頂いてるのですからなんでも食べますよ。食にそこまで強い好みありませんし、栄養が効率的に摂取できるならそれに越したことありません」
「……」
なんて手応えのない。となまえは一瞬ため息を吐きそうになったが、ぐっと耐えた。大事なリピーターであり、日和が紹介してくれた顧客だ。ここで信頼感を損なうわけにも、そして中途半端な仕事をする訳にもいかないと踏んで、なまえは作戦を変えた。
「では、今日のメニューに入ってたチーズの卵焼きとナスのみぞれ和え、どちらかと言えばどちらが好みですか?これは私の仕事の一環です。ご協力お願いします」
仕事の一環と言ってようやく理解してくれたのか、茨は一瞬顔を歪めつつも一度考えるように視線を外し、小さな声で呟いた。
「……その二つですと後者、ですかねぇ」
「なるほど。ありがとうございます」
会話はここまでにして、さっさと食器を洗ってその日の業務を終えた。最後の方妙に素っ気なかったのは、きっと本人にしかわからない謎の葛藤でもしているのだろう。日和から話を聞くに他者の力を借りることに抵抗のあるタイプではないというが、自身の領域に他者が入ることを嫌がる傾向にあるのは十分理解している。それでもギリギリ我慢してなまえのサービスを利用し、不本意と捉えながらも助かっている、と言った所だろうか。
「なんか、かわいい所あるなぁ……」
なまえはスマホのメモ欄に今日の日付と『ナスのみぞれ和え』とメモした。これを繰り返して、茨自身すらも知らない食の好みを暴いていこうという算段だ。
少しずつ相手を知って、サービスに昇華させていく。この仕事の楽しい所を一番くすぐってくる七種茨という男の予約を、なまえがいつしか楽しみに待つようになっていたのである。
次の日、一週間後の利用予約が茨から入っていた。備考欄には『なすのみぞれ和え調理希望』と書かれている。
「かわいい……」
思わずそう呟いて、なまえは茨の予約申請を承認したのだった。
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