一話
武門の名門、朱桜の家を盛り立てる為にはその裏側を担う桜河の家も存続していかねばならなかった。
血を繋いでいくのは、家の存続を考えると最重要事項にあたる。桜河の家の為には、長男であるこはくの婚姻が必須だった。
桜河は朱桜と違い、血統に強いこだわりはいらない。とにかく桜河の事情を深く知っている家で、更に結婚適齢の娘がいればそれで問題ないのだ。
そうして紋付を着たこはくの横で角隠しを被った娘は、こはくより年上の、静かそうな女だった。式の間にぽつりぽつりと話してみたが、女は一つ二つ頷いただけで大した反応は返してこない。
騒がしいよりええやろ。と、こはくは妥協する。もしかしたら女から見たら望まぬ結婚なのかもしれない。ならばここで泣き出さないだけ幾分良いと思いながら、こはくは三三九度を受けたのだ。
「こはくさま、朝食できましたよ〜」
しかし白無垢を脱いだ妻、もといなまえは、想像よりもずっとぴよぴよとしていた。
よく笑うし、ちょこまかとよく動く。祝言の日は衣装が崩れないように胸元をいつも以上に晒しで潰されていたので苦しかった上に、そのせいで食事も取れず空腹だったと後日話していた。
幾分年上のはずのなまえはどうものんびりしている部分も多く、いまいち姉さん女房をもらった気にはあまりならないのがこはくの現状である。
「おはようさん」
「おはようございます」
顔を洗ってきたこはくに丁寧に礼をした妻は食卓に次々と朝食を乗せていく。今日は焼いた魚の干物にご飯に味噌汁、漬物と至って普通の朝食の風景だ。
「……」
「……」
なまえの前に置かれた皿の真っ黒に焦げた干物以外を除いては。
「焦がしてもうたんか……?」
「あ、えっと、申し訳ありません。食材は無駄にせずきちんと頂きますので」
こはくの見る限り、ほぼ炭であるなまえの魚。一方こはくの方に置かれた魚は程よい焦げ目に魚の脂がつやつやと乗った、丁度いい焼き加減である。自分の魚を試しに焼いて失敗し、その後こはくの魚を焼いたのだろう。黙って妻の魚の惨状を見ていると、恥ずかしさが募ったのか嫁がえへへ、と照れ隠しに笑う。
「まだ、その、この家の竈の火具合に慣れなくて……」
「さよけ」
新居の竈は家同様新しいものだ。使い慣れないせいで火具合が上手くいかないというのも納得である。こはくはとりあえず手を合わせて食事を始めると、自分の魚を丁寧に箸で半分に割り、なまえに皿を出すよう手を伸ばして催促した。
「ほら、皿出し。そこまで焦げてんの食うたら体悪うなるで」
「な、なりません!こはくさまはこれからお仕事なのですから、きちんとお食べくださいませ!」
普段はぴよぴよとしているくせに、叱る時だけ妙に凛とする妻の意外な一面に少しだけ驚いてから、こはくはなまえの魚皿を勝手に取り自分の魚を半分分けた。正面から「あぁあ……」という情けない声が聞こえる。
「わしは飯をお代わりするからそれでえぇ。美味いものは一緒に食べた方が美味いやろ」
な?とダメ押しすると、妻は一度しゅん、と俯いてから「ありがとうございますぅ……」と萎んだ声で礼を言った。こはくは一つ頷くと先程から出汁の温かい香りがしている味噌汁の椀を取り、傾けて汁をすする。
「味噌汁、美味い。ぬしはんは料理上手なんやな」
「甘やかさないでくださいませ……」
「わしは思ったこと言うとるだけじゃ」
ありがとうございます。と、今度は嬉しそうになまえが微笑んだ。あまり年上には見えない気の抜けた笑顔だが、こはくから見ればかわいい妻の笑顔である。仕事前にいいものを見た。と、こはくは白米をかきこんだ。
そのまま食事を終え、こはくは仕事に行くべく着替えをする。詰襟の軍服は相変わらず着づらく、嫁が少しして手伝いに来てくれた。
「今日は実働日でございますか?」
袖口のボタンを妻が丁寧に留めてくれる。こはくは少し唸って「せやな」と呟いた。
「かしこまりました。こはくさまならきっとお仕事を完遂してこられるでしょうから、私は美味しいお食事の準備と、返り血洗う準備してお待ちしていますね」
物騒な言葉だが、これが桜河と結婚した妻の仕事の一つである。そしてそれをなまえはよく理解していた。
「お夕飯こそは焦がしないよういたします!楽しみにお帰りくださいね」
「さよけ。楽しみにしとるわ」
家に帰る楽しみが一つ増えた。これで後ろ暗い仕事に溺れきって、自身の輪郭が見えなくならずに済む。と、こはくは結婚の意義を噛み締めた。
「……ボタン、掛け違えとらん?」
「あぁっ!」
やはり年上にはあまり見えない、ぴよぴよとした妻である。
.