二話

「こはくさま、こはくさま」

 今し方買い物から戻ってきたらしき嫁が、声を弾ませてこはくの名を呼ぶのが微かに耳に届いた。こはくは読んでいた仕事の依頼内容が書かれた手紙を、確認次第嫁に燃してもらうよう頼む事を忘れないよう懐にしまってから、嫁が呼ぶ方へと足を向ける。庭に面している縁側で、嫁が小さく手招きしているのに釣られるように向かえば、庭のよく陽が当たる場所で小さな猫が体を丸くして日向ぼっこしているのが目に映る。

「猫やな」
「猫です」

 見まごう事なき、猫である。どこにでもいる茶トラ柄の猫が人の家の庭を、まるで自身の住処と言わんばかりにめいっぱい使って微睡んでいた。

「最近家の周りでよく見かけるなと思っていたら、こんな所まで入ってくるようになったんですよ」
「へぇ、かわえぇなぁ」

 何気なくこはくがそう言うと、嫁がぱっと笑顔を見せた。

「そうなんです。かわいい猫だからこはくさまにもお見せしたくて」

 彼女は猫が好きだったのか。と思いながらこはくは隣で並んで猫を見つめる嫁を見る。自分は仕事で数日家を空ける事もある。彼女が寂しい思いをしないよう猫を飼うのもいいかもしれない。

「なぁ、うちでも猫飼ってみてもええよ」

 ポツリとそう言うと、嫁は少し驚いた顔をしてから、宙を見て考える素振りを見せた。何かに遠慮して即決しない嫁の背を押すように、こはくは言葉を繋げる。

「猫やなくても、犬でも鳥でもええで。わしは仕事で家におらん事も多い。ぬしはん一人の時間がもし寂しいっち言うんなら」

 嫁の気が飼い猫や飼い犬だけに偏ってしまったら少し寂しくもあるが、それ以上に彼女が寂しい思いをするのは避けたいと思った。しかし嫁は首をゆっくり振る。

「いいえ大丈夫です。寂しくありませんもの」
「さよけ」
「はい。こはくさまが帰ってくるのが分かっているので、私は寂しくありません」

 ニコッというよりヘラっと笑った嫁の顔は年上にしては少し頼りなさげな笑みだったが、こはくの中に温かい何かを残していく。

「あっ、ほらこはくさま。猫が伸びしてます。かわいいですねぇ」
「せやなぁ」

 少しだらしない声が出た自分に驚きながら、こはくは猫よりも彼女の方を見る。すると彼女からすっと手が伸びてきて、こはくの頭をよしよしと優しく撫でた。

「こはくさまも猫ちゃんみたいですから。私にはこはくさまがいればそれでいいです」
「……年下扱いすなや」

 軽くその手を払ってから、そのまま彼女の腰に手を回して引き寄せる。「ふふ、」と笑って躊躇いなく頭を寄せてくれるのは、彼女の年上としての余裕がそうさせるのだろうか。甘えてもらう事で甘えてる自分が少し恥ずかしくて、こはくは遠くであくびをした猫を見入るふりをした。


「あ、せや。これ猫がいなくなったら庭で燃してくれん?」
「かしこまりました」

 こはくの仕事は詰まるところ軍の内外問わない暗殺業だ。足がつかないように依頼された書面は燃やすようにしている。嫁もそれをきちんと理解している。桜河の嫁として教育が行き届いているのである。

「そろそろ焼き芋が美味しい季節ですね〜。ついでにお芋焼いちゃおうかしら」
「……殺しの依頼書かれた手紙で焼いた芋っち、なんや喉に詰まりそうやな」
「そ、そうですね……」

 年上の嫁は、今日もぴよぴよとしている。

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