アクアリウム・カウントダウン
年度末のミラクル繁忙期を終えたから遊びに来て
と、彼であるレオくんから連絡が来たので、私は有無を言わさず了解してから家を出た。どうやら作曲依頼が年度末の影響か立て込んだというので連絡が取れなくなることを了承して約一か月。久しぶりに彼の家に行く時点で、私は密かに覚悟していた。
仕事を始めてしまうと寝食を忘れ、作曲する得体の知れない生き物になってしまう彼の巣窟は、荒れ果てこれ以上ないほどに淀んでいることだろう。
わかっている。きっと部屋の換気もしてない中ひたすら獲物を貪るように作曲をしているであろう稀代の天才は、自分で連絡しておいて私が来たことにだって気がつがないかもしれない。とりあえず生きていればいい、くらいハードルを下げて合鍵を使って家の中に入る。
「……あれっ?!」
しかしそこには、私が予想してるものから大きく外れた光景が広がっていた。
「き、きれいじゃん……」
なんの遠慮もなしにズカズカと部屋に入り、私はほこりが溜まっていると思われた、しかし実際はピカピカな廊下を歩いて彼のいるであろう部屋を覗く。所謂作曲部屋である仕事部屋で作曲の化け物になっているであろう姿が、ない。
「ん?!レオくん?!」
私は謎の焦りを感じて、リビングへと走った。
廊下はともかく一番汚いことを危惧していた仕事部屋ですら綺麗なのだ。信じられない。
「レオくん!」
「おっ!きた!おかえり!おつかれ!いらっしゃい!」
「……へ?」
何か予想外の事態でも起きたのかと思ってリビングの扉を開けると、キッチンの方からジャージャーと何かを炒めるような音と共に柔らかく料理の匂いがしてきた。
パッと見た感じもちろんリビングは綺麗で、直近で換気もしたのか透き通った空気の中、キッチンからはただただいい匂いが漂ってくる快適空間になっている。
「え、え……?どうしたの、レオくん、お部屋きれいだね?」
「ん?!なに?聞こえないっ!夕飯もう少しかかるから先風呂入ってこいよ!」
「ん?なんで?」
「暇だろ!時間は有効に使えっ!無駄はよくないぞ!有限なものは最大限に利用しろっ!」
全く意味がわからないけれど、確かに現時刻は18時。夕飯に相応しい時間ではある。
そして私は彼の台詞をこう解釈した。買ってきたお風呂用の洗剤の詰め替え用を取り出す。
「あ、はいはいお風呂掃除やっとくね」
「なんでだよ。もうそんなの終わってるよ」
「んん〜〜?!」
緊急事態である。彼の部屋が余すところなく綺麗だ。
「え……っ、レオくんが掃除したの?レオママ?」
「おれに決まってるだろ!いつまでもお母さんに甘えるほどかっこ悪くないし!」
「えぇ〜……」
信じられない。と思いつつ風呂場に行くと、既にお湯が張ってあった。柔らかい湯気が心地よくて、私は気合が空回ったせいで入れていた力を抜いて、とりあえずお風呂を満喫してから再びリビングに戻るとちょうどレオくんが夕飯をダイニングに置いていた。以前は料理なんてからきしだった彼だが、私が根気よく教えた結果一人暮らしの大学生レベルのものは作れるようになったのである。ひとえに私の頑張りのおかげだ。
「す、すご〜い!美味しそう!ありがとう!」
「だろ??いっぱいたべて!」
メニューは炒飯にサラダと中華スープだった。スープと炒飯で卵がダブってる辺りが可愛く思えてしまうのは私が彼に盲目なせいである。
二人でいただきますをして炒飯を食べながら、私はこの信じられない現状を恐る恐る聞いてみることにした。
「ねぇレオくんお仕事いつ終わったの?これだけお掃除するの大変だったんじゃない?」
なんなら私は掃除要員として向かう気満々だったので、驚愕も驚愕だ。基本彼の家事スキルは半人前レベル……だと思っていた。
けれど彼は「ん〜〜」と一度うなってから、炒飯を嚥下してからモゴモゴと呟いた。
「仕事は今日の朝終わったから〜、ちょっと寝て、それから洗濯と掃除しただけ」
「しただけって!すごいよ!あと疲れてるのに頑張ったねぇ」
無理しないでも手伝ったのに。と言うとレオくんはこれまた歯切れが悪そうにモゾモゾしてから、チラ、と私を見た。よく見ると彼ももう風呂を済ませているようで、髪が微かに湿っている。もしかして久しぶりに会うから、一緒にゆっくり出来るように家事を頑張ってくれたのだろうか。ならばとても嬉しい。
「無理してないならいいんだけど、いつでも甘えてね。でもすごい!ありがとうね」
もはやなんのお礼なのかわからないけれどダイニングの椅子に座ったまま、向かいにいる彼の足をつんつんと突けば、ガシッと足を足で挟まれた。
「あはは、食べにくい食べにくい」
単なるじゃれあいだと思ってケラケラ笑う私に反して、だんだんとレオくんの目が鋭くなっていることに気がついた。挟む程度だった足が、だんだん私のふくらはぎを撫でている。
「……」
「はやくたべおわって」
察した。そこで私は全てを察したのである。
「ねぇレオくん」
「なに」
「……えっちしたいの?」
「したい」
あ〜ハイハイ。なるほどなるほど合点がいきました。と、どこか悟りを開きながら私の中の微かに残っていた疑問が全部塵になってどこかへ消えていった。
つまりどうにもこうにもムラムラが止まらないから家事を全て終えておけばさっさと事に及べるだろうと踏んで、有り余る性欲そのままに普段は苦手な家事もこなしたと。つまりはそういうことだ。
「……これだけ出来るなら普段からもっとがんばってよ」
「はやくたべおわって」
既に同じことしか言わなくなってきた。というか律儀に夕飯を食べる余裕をくれる所はよくわからないが流石である。
なんだか心配したり本気で褒めたり労をねぎらった私がちょっと馬鹿みたいで、あとはそのまま彼に流されるのもちょっと癪だと思った私は残り数口の炒飯をひどくゆっくり咀嚼したのである。
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