アクアリウム・マイハニー!
大学という広い場所だと、色々な人がいるものだ。
ねぇねぇ、と声を掛けられて振り向けば、同じゼミの男の子がぎこちない笑顔で立っていた。彼は賑やかなグループにいるタイプの人だけど、対して私は交友関係がそこまで広い方ではない。男の子の友人なんて仁兎くんくらいなのに、一体なんの用事だろう。
「どうかした?」
思考の隅で少し緊張を抱えながら彼を見れば、やはり少しぎこちない様子で何か言いたげに立っている。
「あ、のさ。もしよかったら、連絡先とか、教えてくれない?」
「え?」
なんで?と思わず首を傾げてしまった。別に課題を一緒にしているわけでもないし、彼に特別な用なんてない。
「嫌ならいいんだけど…」
そう言われてしまうと、べつに嫌じゃない私は彼の言葉を否定するしかない。何も言われてないのに彼氏がいることを伝えることもなんだか自意識過剰な感じで恥ずかしい。
「そ、そんなことないよ」
「本当?よかった」
はい。とサクサク連絡先を交換すると、彼は特に何をするわけでもなく、「よろしく」と言うとどこかへ行ってしまった。
「…どうしたんだろ…」
大学の食堂で、一人ぽつんと取り残された私はその時の行動を、ほんの少しだけ後悔することになる。
レオくんの家で夕飯を済ませた後、私のスマホが二度鳴ったのに気がついたのは私よりレオくんの方が先だった。キッチンで洗い物を済ませた私に「なんかスマホ鳴ったぞ」と律儀に教えてから、彼はリビングでノートパソコンを再び操り始める。軽く曲のチェックがしたいらしい。
「ん、あ、うん」
彼に促されてスマホを見てみると、例のゼミメイトから連絡が来ている。
ここ数日頻繁に連絡が来ているのだが、彼はいつものように取り留めもなく『今何してる?』とメッセージを送ってきたので、私はこれまたいつも通り簡素に『食器洗い終えたよ〜』と返事をする。彼氏の家にいると言ってもよかったが、根掘り葉掘り聞かれて彼がゼミの面々にそれを話すのはいただけないと思ったのだ。
『まじで?家事とかするタイプなんだ!意外〜』
意外ってなんだ。と私はちょっとムッとする。確かに実家暮らしだからほとんど家事はしないが、それでもレオくんの家にくれば一生懸命料理もするし洗い物もするしなんだったら徹夜明けで言動が幼児のようになる彼氏の世話だってするのに。そんなプライドを、きゅっと袋の口を閉じるように締めて、私は対して仲良くないのに随分と図々しい人だなぁなんて思いながら、私は無難に『たまにだけどね』と返事をした。
「な〜なまえ。今日泊まってく?」
そんな折、レオくんが何気なく聞いてきた。その言葉を受けて私が時計を見れば、時刻は20時半といった具合だ。余裕で帰れる時間だけれど、同時にちょっと面倒になる時間である。けれど最近レオくんの家に泊まることが多い気がして、お父さんがいい顔をしてないことにも気がついていた。今日は帰ろうかな。ということを告げるべく、彼の方を向くと随分と寂しそうな顔をしていた。その顔、妹のルカちゃんには絶対に見せないだろうな…と頭の片隅で思いつつ、彼の千尋の谷に突き放すべく私は自分の鞄を探す。
「今日は帰ろうかな…」
「え〜っ、帰っちゃうのか?!おれ、もう仕事終わるのに!」
「お父さんから最近無言の圧力を感じるから…何も言わないけど」
お父さんを話題に出すとさすがに我が儘を言えなくなるのか、レオくんはしゅん、と長い前髪越しに眉を下げた。
「そっかぁ…おれもルカたんが彼氏の家に泊まってばっかだと多分一言言うしなぁ…う〜ん、わかった。家まで送る」
多分一言じゃ済まないんだろうなぁ、という率直な感想は言わないでおいた。多分ルカちゃんに彼氏ができた時点で一度は噛みつくはずだ。
「え、いいよいいよ。仕事あるでしょ」」
「いいの!ほら!寂しくなるから早く準備しろっ」
「そんな優しくしてくれると余計好きになっちゃうね〜」
「もっと好きになってくれていいぞ!わはは!」
そんな茶番を繰り返しつつ、私たちはレオくんの愛車に乗り込んだ。するとまたポケットの中のスマホがまた数度メッセージの着信を知らせてくる。シートベルトをした時点でスマホを確認すれば、先ほどのゼミメイトだ。
『料理も出来るの?!じゃあ今度弁当作ってきて見せてよ。一緒に昼飯しない?』
何故だ。イヤだ。何故レオくん以外の男の人にそんな手間をかけてやらなければならない。突然連絡先を聞いてきて、急に馴れ馴れしいにも程がある。
「ん〜…」
エンジンをかけようとしているレオくんが、私のうなり声に気がついた。
「なに?どうした?」
「あ、ごめんなんでもない」
とは言ったものの、これ以上面倒なことになるのも嫌だった私は、率直にレオくんに彼とのメッセージ履歴を見せた。ゼミメイトの彼がお喋りだからあまり彼氏がいると言いたくなかったことと、浮気ではないことと、正直面倒なのだがどうしたらいいかわからないことも伝えた。
伝えたが、やはりレオくんはじろりとこちら睨むように見つめてきた。
「おまえ、この前おれに無意識でも浮気はだめって言ったのに!これ同じじゃん!!」
「う、うそ〜。そんな気全然無かったんだってば…ごめんね…」
ついこの間、レオくんが仕事先の女の子に無意識に「愛してるよ!」というのはどうなんだ。と言ったばかりだったのに、私も私で同じ事をしてしまっていたようだ。
「こいつ、どう見てもなまえに気があるだろ!こういうのに疎いおれでもわかるのに!なんでわかんないのっ」
「だって彼に興味なさ過ぎて…なんか特に意味のないメッセージばっかり送ってくるし…」
私の彼氏の出来方があまりに特殊だったせいか、普通の感覚が抜け落ちているようである。それについては彼にも原因はあるけれど、今回は私が悪い。素直にごめんね…と言えば、レオくんが暫し考え込んだ後、首をゆるゆると振った。
「ううん。おまえがおれを守ろうとして大学の人に詳しく言ってないことは分かってるよ」
「レオくん…」
「でもそれはそれ!おれは気に入らない!!というわけで明日何時に学校終わる!?」
唐突なことを言い始めたので、私は若干あっけに取られながらも明日は4限までだ。と伝えた。ちょうどゼミの講義のなので、それも伝える。
「ふーん。ちょうどいいや。ナズにも会いたいし」
「え…ちょっと待ってレオくん」
「さ、帰ろ」
そう言って彼はシートベルトをしてエンジンをかけた。それ以降なにやら一人で歌い始めてしまったので、私はそれを聞きながら明日の予測が出来てしまった憂鬱ぶりに一人ため息を吐いたのだった。
そして、私の予測は当たる。彼は大学に入り込み私を迎えに来た。しかも、ゼミの教室まで。
「なまえ〜」
しかも名前まで呼んで教室をのぞきに来た。もう教授が去った後とはいえ、生徒はまだだらだらとしているくらいの時間である。全員が全員、聞き慣れないレオくんの声に一気に集中した。彼は眼鏡を掛けている程度の変装しかしていないから、その気になればすぐバレてしまうくらいの緩さ加減である。
「れ、レオく…」
「えっ!?レオちん!?」
私より先に仁兎くんが素早く反応し、席を立った。
「お〜ナズ!!久しぶりっ!と言ってもなまえから話よく聞くからあんまり久々な感じしないけどっ!」
「会うのは卒業以来らろ!久しぶりりゃな!!」
「わはは!相変わらず噛んでる!!ナズだ!!」
そんな風に顔のいい人たちがふざけ合っているのを、女子たちがひそひそとやり始めた。私の背筋に冷たい汗が伝う。
「ちょ、仁兎くん、レオく…」
「なまえ〜!帰ろっ!今日デートの予定だろっ!」
「えっうそ、」
「ナズも途中まで一緒に帰ろっ!送ってやる」
「え、デートなんらろ!いいよ!」
「だから途中までだってば!」
「あ、もしかしてレオちん車?」
「うん」
「へへへ、じゃあ駅まで頼む!やった〜」
まるでレオくんと仁兎くんが恋人同士の会話だが、私に緊張が走るのも当然である。私は誰かに助けを求めるように周囲を見回した。見回してしまった。案の定、ほぼ全員の目が私に向いている。冷や汗が背筋だけじゃなく全身から滲み出てくる。もちろん最近連絡をしてくる彼もぽかんとした顔でこちらを見ていた。なんだか申し訳ない。
とにかくレオくんがこれ以上冷や汗ものの発言をしないように、と私はカバンの中をさっさと整理すると友人に挨拶を告げて足早に講堂の扉をくぐる。
「じゃあな〜お疲れっ!」
するとだめ押し!とばかりにレオくんが講堂に向かって手を振る。多分、過去の産物である通称アイドルスマイルで牽制した。どれか分からないから全体に向かって。私に連絡をしてくるゼミメイトを、確実に。
「ちょっと…なんできたの?」
「だってこうでもしないとなまえにちょっかいかけてくるやつ退治出来ないだろ。なまえ自身はすっとぼけてるし」
「え〜!?ひどい!!」
大学近くのコインパーキングまで行くのに、仁兎くん、私、レオくんと三人揃って歩いていると、仁兎くんが小さくため息を吐いた。
「あ〜あ、これで明日なまえちんは質問責めだな」
「う…」
「いいだろ!質問は全部ちゃんと答えろ!なまえの恋人はおれだ!月永レオさまだってな!あはは!!」
「…なまえちん。もしその場におれがいたら助けてやるからな」
「ありがとう仁兎くん」
きっともうあのゼミメイトから連絡は来ないし、なんなら恋人がいること言えよって憎まれるかもしれないし、友人からは質問の嵐だろう。けれどもう構わないかな。と思う自分もいる。
だって彼の言う通り、私が月永レオの恋人であることは疑いようのない真実なのだから。
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