あいがなければしんじゃうの
遠縁だから大丈夫。何が。
巴財団の御曹司だよ。べつに、お金なんて程々あればいい。
現役アイドルだって。婚約者いていいの?逆に。
巴財団の次男であり、現役の人気アイドル。これでもかってほど属性をつけた私の遠縁であり未来の婚約者とは、本当に気が合わないと思う。
親のことを考えて婚約を承諾したけれど、その時点で私は自分の人生を諦めた。顔がよくてお金があったって、私のことを好きになってくれそうにない人と一生一緒にいなきゃいけないとか、拷問ではないだろうか。
けれど彼は一ヶ月に一度、渋々と言った具合に私の家を訪ねてくるのである。それこそ彼も私同様、親兄弟の為なのだろう。
いつもそれをあえてわからせるような態度なのが、私が彼を苦手な理由の一つだった。
「なまえ。日和さんいらしたわよ」
「は〜い…」
日和くんが来る日はお母さんが部屋まで私を呼びに来る、そのスリッパの音ですら憂鬱だった。私はこの日の為にお母さんに新調するように言われたカジュアルすぎない、でもフォーマルすぎないワンピースを着てリビングへと来れば、彼は既にソファーへと座っていた。私が来たことに気が付くと、人懐っこそうな笑顔でひらひらと手を振ってくる。
「なまえちゃん、おじゃましてるね!一ヶ月ぶりだね!」
「忙しいのにありがとう日和くん。一ヶ月ぶり」
彼は会う度に毎回『一ヶ月ぶり』と言ってくるのだが、少し恩着せがましく聞こえるのが不快で、私も一ヶ月ぶり、と返事をするようになった。忙しい中一ヶ月毎にわざわざ来てやっているんだ。と暗に言っているように聞こえる。
けれど彼はそう言った本音を表情には出さないから、私も精一杯の笑顔で応える。来てくれて嬉しい。と言わんばかりの声音を出すのだ。
「待ってて。紅茶淹れるから」
「ありがとう。ぼくアールグレイの気分だね!」
「わかった」
いつの間にかお母さんはデパートで買ってきた高級ケーキの準備をしているので、私は黙って紅茶の準備をする。うちで飼っている猫が日和くんに近寄っていったのか、「うんうん、今日も元気だね!」と日和くんが一人で話しているような声が聞こえてくる。彼は基本、声が大きい。
「はい。お待たせしました」
「ありがとう」
ケーキと紅茶を運べば、彼は御曹司らしく綺麗な所作でタルトを口にした。それを確認してから、私もロールケーキを口に運ぶ。普段うちでは誕生日でも出てこないような高級ケーキを、彼は特に気にもせずフォークで器用に食べていく。
「うん。やっぱりここのケーキは美味しいね!」
「よかった」
「今着てるワンピース、初めて見た!ぼくに会うから買ったんだね」
「そうだよ」
「その色はすごく似合っててかわいいね」
「ありがとう」
いつの間にか、お母さんは姿を消していた。多分私たちを二人にしようと二階にでも行ったのだ。
「この前、テレビでEveのこと見たよ。相変わらず忙しそうだね」
「忙しいね!でもそんな中なまえちゃんに会いに来ているから是非感謝してね」
「うん。わかってるよ」
巴財団は正直な所、斜陽気味だという話だ。長男である日和くんのお兄さんはどこかのお嬢様と政略結婚をするらしいけれど、それ以上外部の人間と結婚して巴家を乗っ取られては敵わないと、次男の日和くんには遠縁の私があてがわれた。理由なんて、年齢が同い年だから。たったそれだけである。
日和くんも家の為に我慢して、こうして月に一度『一応』婚約者の私にわざわざ会いに来るのだから、彼は他の人が思っているよりも家のことを考えている。その辺は少しだけ尊敬していた。
だって、アイドルなんだからもっと美人な人とお付き合いなんていくらでも出来るだろうに、形だけかもしれなくても私との婚約関係を維持する為に労力を使っているのだ。表向きは、こうして友好的だし。
「う〜ん、なまえちゃんは紅茶を淹れるのがあまり上達しないね!これならジュンくんの方が何倍も上手だね」
「…ならジュンさんと結婚すればいいじゃん…」
「ジュンくんは男の子だもん。男の子に紅茶を淹れる技術で負けるなんて、巴家の嫁になるにはまだまだだよね」
「わかってるね〜…」
だがいくら薄っぺらく彼を褒めたとしても、実情はこれである。まるでお姑さんのように紅茶がまずいと言い出すし、婚約者に会いに来たとは到底思えない態度だ。まるで、そう。休暇中のメイドの家に寄ったかのような態度である。
わざと彼の口癖を真似してため息を吐けば、日和くんは機嫌を損ねたのかぎゅ、と目を細めた。しまった。と私は背筋に冷たいものを走らせる。
「なまえちゃんはこのぼくが一ヶ月に一回なんて頻度でわざわざ家に来てあげることのありがたみが全くわかってないね!今日だって雑誌の撮影のスケジュールをずらして来たし、先月だって仕事の隙間に会いに来ているのに!」
この言葉に、私はありがたみを感じることなんて出来なかった。むしろ目の前がチカッと白く揺れて、怒りの感情がふつふつと湧く。紅茶のカップを少し乱暴に置くと、俯きながら答えた。
「だったら無理して来なくていいよ。日和くんが気を使ってくれてるの、ちゃんと分かってるつもりだし」
「全然わかってないね!もっと感謝すればこそ、そんな顔するなんて…ぼくに対して失礼だよね!」
確かに巴財団の次男と、遠縁といえど一般家庭の私では身分が違うだろう。結婚の話だって、叔父さんがほぼ強制的に持ってきた話だ。
だからって全部全部我慢する人生を送らないといけないのだろうか。確かに周りから見たらアイドルと婚約なんて幸福過ぎるくらい幸福かもしれない。でも私は、そんな幸福よりも私をちゃんと好きになってくれる人と一緒にいたい。その願いは、そんなにお高い願望なのだろうか。
「……っ、」
そう思ったら、涙が止まらなくなった。私のことを好きな人と恋人になりたい。そんな願いはきっと日和くんは一生叶えてくれない。そうなると、私は生涯、自分を愛してくれる人とは一緒にいられないのだ。
「…なまえちゃん」
「日和くんが私に興味ないのは知ってるよ。会う度に私のことどうでもいいって感じだもんね」
「……」
「でも私だってどうでもいいもん。日和くんなんて。もう毎月来てくれなくていいよ。他に恋人作ったって構わない。その代わり、私もそうさせてもらっていい?」
「……え、」
日和くんの形のいい唇から困惑の声が漏れた気がしたけれど、私はそれどころじゃない。先ほどはお母さんがいたから社交辞令として褒められたワンピースの袖でぐいぐい涙を拭ったら、お化粧が袖に移った。あぁこれはクリーニング行きだな。と思いながら、私は止まらない涙もそのままに彼を強く見据えた。
「私、人生で私のこと愛してくれる人とお付き合い出来ないまま日和くんと結婚するなんて嫌だ。一度くらい私のこと好きって言ってくれる人と恋人になりたい」
「い、言っている意味が…わからないね」
「わからないならそれでいいよ。一つだけ理解してってくれれば。もう、ここには来なくていいってことだけ、分かって帰って」
「なまえちゃん!」
「今日はわざわざ忙しいのにありがとう。うちの猫とも遊んでくれて、私の淹れたまずい紅茶を全部飲んでくれてありがとう。暫く、さよなら」
泣きながらそう言って、私は日和くんの背中をぐいぐいと玄関まで押した。珍しく彼はひどく狼狽しているようで、何度も私の名前を呼んでいたけれどそのまま玄関まで押し出すと、私はバタンと扉を閉めた。異様な気配を感じた母が心配して玄関まで来てくれたので、私は我慢できずにお母さんにすがりついて泣いてしまったのだった。
それからお母さんがお父さんに話をしてくれた。彼と結婚するという最低条件は守るし、その間日和くんに自由をあげたのだから、私は自分の提案は必ず通ると信じていた。けれど一週間後、私の元に巴家からその提案は却下するという返事が来たらしい。それが私にはわからなくて、衝動のまま自分で日和くんをあの日家から追い出したのに気が付けば彼のスマホに電話をしていた。
「はいはい、おひいさんのスマホっすよ〜」
電話に出たのは日和くんの相棒であるジュンさんだった。そのイレギュラーぶりに、私はびっくりして言葉を無くしてしまう。
「あ、あの、私」
「知ってますよ。あんた、なまえさんでしょ。おひいさんの婚約者の」
「は、はい」
日和くんはジュンさんに私の愚痴でも言っているのだろうか。だとしたら恥ずかしい。
「おひいさんなら今衣装合わせに行ってますから、また後でかけ直してもらうか伝言貰いましょうかぁ?」
「あ、いえ。かけ直します」
そっスか。と小さく呟いたジュンさんは、なぜか一つため息を吐いて、それから意を決したように息を吸った。
「あのォ、オレが首突っ込むことじゃないと思うんスけど」
「は、はい…」
「おひいさん、先週からベッコベコにへこんでとうとう仕事でもミスするようになってるんですよ。あんたの家に行ってくるって楽しそうに出かけてったと思ったら死にそうな顔して帰ってきた日から、おかしいんスよねぇ」
「え、」
「先週だって自分で無理矢理スケジュール空けてあんたに会いに行ったのに、帰ってきたらブラッディメアリ…犬にずーっとぶつぶつ話しかけてるし、イライラしてていつも以上にオレに八つ当たりしてくるし…喧嘩でもしたんスか。だったら悪いですけど早めに解決してくれませんかねぇ」
「あ、えっと…すみません…」
「いや、オレも愚痴っちまいました。すみません。じゃ、おひいさんにあんたから電話があったことだけ伝えておくんで」
「いえ、その!」
電話はプツン、と切れた。待って!と私が叫ぶ頃にはすっかり通話は切れていて、脳内がぐるぐると混乱する。
日和くんが一週間も元気がない?ありえない。あの唯我独尊な人が、私ごときから嫌われたくらいでそんなにへこむだろうか。
そもそも会う日に楽しそうだったっていうのも信じられない。きっとジュンさんの見間違いだって思った。けど、ジュンさんは私以上に日和くんの事をよく理解している人だ。そんな人が言うのだから、それは本当、かもしれない。
どうしよう、一度ちゃんと考えたい。と、思った矢先、スマホがブルブルと震えた。思わず視線を遣れば、そこには『日和くん』の文字。
待って、考えさせて。私まだ貴方の事、ちゃんと考えていなかったのかもしれない。
そう思うのに、指は自然とその着信に応えていた。そっとスマホを耳に当てる。
「はい、もしもし…」
「…なまえちゃん?」
少し怯えたような、打ちのめされたような声。
今週会いに行ってもいい?と彼らしくない声音で聞かれたので、私は無意識に「待ってる」と答えのだった。
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