続・あいがなければしんじゃうの

「今週、会いに行ってもいい?」
「待ってる」
あの電話から数日経った。今日、日和くんが家に来る。

その間に私も沢山考えて、一つの答えを出してみた。まずは少し、自分の意識を変えてみようと思ったのだ。

まず、『一ヶ月に一度しか来ない』のではなく、あのとても忙しい日和くんが無理矢理スケジュールを空けて『一ヶ月に一度も来てくれていた』と考えるようにした。彼がいつも言う「一ヶ月ぶりだね」という台詞も勝手に恩着せがましく感じていたけれど、もしかしたらここへ来るのを楽しみにしていてくれたがゆえの台詞かもしれないし、いつ来ても私が新しい服を着ていると気が付いてくれた。それは私のことをちゃんと見てくれた証拠なのかもしれない。

そう思えば思うほど、彼なりの気遣いが透けて見えた。子どもだったのは私の方だ。

だから少しだけ私も彼の方を向いて、彼に気持ちを向けてみようと思った。
今日はお母さんにデパートでケーキは買ってこなくていいから代わりに簡単に出来るお菓子の作り方を教えて。と言ってみると、少し驚いたお母さんが混ぜて焼くだけの小さなクッキーを教えてくれた。お菓子作りなんてほとんどしたことのない私が作るのは不安だったけど、一人で頑張ってなんとか形になった。紅茶はいつものように彼が気分で選べるように数種類用意する。先週まで渋々準備していたけれど、紅茶がクッキーの拙さをカバーしてくれればいいな。なんてことを考えながら、ゆっくり冷めていく少しいびつなクッキーを見つめた。

やがて約束の時間ちょうどに、家のインターフォンが鳴った。日和くんに違いないので、条件反射で玄関に行くお母さんを制する。お母さんは何かを察したのか、暫くしたら買い物に行ってくるわ。と笑いながら家の中に戻っていった。親に気を使われるのは少しだけ恥ずかしいけれど、今日は日和くんのことをよく知る事が先決だ。

「はーい」

インターフォンに答えるように軽い足音を立てて玄関に向かう。扉を開ける前に今日の為に買った新しいスカートを軽く払って扉を開ければ、少し驚いた顔をした日和くんがそこに立っていた。背後には彼を送ってきたであろう高級車がドスンと家の前に停まっている。

「なまえちゃん」
「いらっしゃい日和くん。…どうしたの?」
「ううん。なまえちゃんのお母さんが出てくると思ったら…少し、びっくりだね」
「たまには良いでしょ」

うっかり可愛くない風に言ってしまった。素直になるのが下手な自分に既に嫌気が差したけれど、日和くんはにっこりと笑った。

「うんうん!出迎えてくれてありがとう。すごく、嬉しいね…」

最初は元気いっぱいに返事が返ってきたけれど、段々と尻すぼみになった彼の言葉が、心臓に棘でも刺さったかのようにチクリと痛んだ。私はあの日、間違いなく彼を傷つけたのだ。と、改めて実感する。
でも私も同じくらい傷ついた。だからきちんと話をしないと。いつもの元気な日和くんに戻ってもらわないと。と、私の頭の中はそんなことでいっぱいだった。

日和くんが少し気まずそうに靴を脱いで家に上がると、うちで飼っている猫が彼にすりすりと寄っていった。日和くんが「こんにちは」と言って抱きかかえたまま私たちはリビングへと移動する。そんな私たちとすれ違うようにお母さんが買い物へ行くと家から出て行く。お母さんに日和くんが「いってらっしゃい」と声を掛けているのが背後で聞こえた。

シン、としたリビングが気まずい。私はソファに座らずにそのままキッチンへと移動して、お茶の準備をすることにした。

「日和くん、紅茶は何がいい?」

いつもはすぐにあれがいいこれがいいと言う彼が、少し考えた後静かな声で言う。

「なまえちゃんが飲みたい紅茶と同じでいいね」
「えっ…」

そんな台詞、初めて聞いた。私は思わず動揺する。

「日和くんがお客様なんだから、日和くんが決めて。私はなんでもいいよ」

そう言うとようやく彼はじゃあ、と紅茶の銘柄を口にした。前回飲んだものと同じ物だった。
私はカップを温めたり、茶葉を蒸らす時間をきちんと守って紅茶を入れる。いつもは渋々やっていたので、確かに少し適当だったかもしれない。そもそも彼が美味しく飲んでくれるように、なんて思いながら準備したことなんてなかった。いつもいつも、後ろ向きな感情を込めて紅茶を淹れていた。
そんな紅茶が、美味しいわけがないのだ。

紅茶を淹れながらちらっと日和くんの方を見れば、やっぱりうちの猫と遊んでくれている。日和くんの事が大好きなうちの猫は満足そうに彼の膝の上で微睡んでいるから、彼はそんな猫に向かってあまり元気のない声で「よしよし。いい子ちゃんだね」なんて囁いている。
いつもの大きな声で遊んでくれて構わないのにと、なんとなく考えた。

紅茶と一緒に、作ったクッキーをお皿に乗せて持っていく。いつも高いお菓子を食べているであろう日和くんの口に合うわけがないのはわかっているけれど、それでも私はこれで私の気持ちが少しでも伝わることを願った。
美味しいだなんて無理して言ってくれなくてもいい。ただ、私が日和くんの為に作ったという気持ちだけ伝わって欲しかった。

「…おまたせ」
「ありがとう」

紅茶をテーブルに置く。すると日和くんは猫を優しくソファの隣に移動させた。今になって緊張する。だってこんな庶民的なお菓子、彼はきっとほとんど食べたことがないと思う。
けれど。

「あとね…これ、お茶請け。あまり美味しくないだろうから、無理しないでね」

そう言って、クッキーの乗ったお皿をそっとテーブルに置いた。最初彼は私の言葉と目の前のお菓子がリンクしなくて首をひねったけれど、既製品にはない歪さで気が付いたのだろう。一度目を見開いてから私を見た。

「これ、なまえちゃんが作ってくれたの…?」
「う、うん。初めて作ったし日和くんの口には合わないと思うけど…よかったら」

気まずくて目を逸らす。けれどその視界の端で日和くんがお皿に手を伸ばしたのが見えた。つられてそっちを見てしまう。小さなクッキーだから、彼は一口で食べた。

「…美味しくないでしょ。ごめんね。やっぱりケーキ買っとけばよかった」

ひねくれたように言えば、日和くんはもう一枚クッキーを食べてから、紅茶を一口飲む。一息吐いた所で、少し笑って言ってくれた。

「クッキーも紅茶も、すごく美味しいね。ぼくの為に丁寧に淹れてくれたのが伝わるね」
「……っ、」

そう言われて、罪悪感と一緒に色んな感情が溢れた。今まで私がいかに彼をないがしろにしてきたかを実感してしまったのだ。

「今日のスカートも初めて見た。ぼくの為に着てくれたんだね」
「そう、だよ。今日の為に新しく買ったの…似合う?」
「なまえちゃんはそういう色が似合うね。かわいい。ぼくが言うんだから…間違いないね」
「ありがと…」

この台詞、いつも聞いてた。いつも私が新しい服を着ていると気づいてくれて、褒めてくれた。でも私はどうせお世辞だろうって、乾いた返事しかしてなかった。私は日和くんが着ている服を褒めたことなんてないのに。

「日和くんもそういう落ち着いた服、すごく似合うね。その、かっこいいよ」

アイドルにこんな事言うの失礼かもしれないけど、と付け加えれば、日和くんは笑ってから「もちろんだね。ぼくはいつでも完璧だからね」と言った。でもすごく嬉しそうで、私は更に罪悪感を募らせる。

それから二人で暫く黙り込んだまま、シンとした空気の中で紅茶とクッキーを食べた。日和くんに構ってもらえなくなったからか猫はどこかへ行ってしまって、いよいよ二人っきりである。

「なまえちゃん」

先に会話の口火を切ったのは日和くんだった。私は今し方紅茶を飲んだのに、一瞬で喉をひりつかせる。

「この前は…泣かせちゃって、ごめんね。でもぼく、なんできみがあんなに泣いていたのかわからないね…」
「……」
「あの時なまえちゃんが言っていたこともよくわからなくて…自分の事を好きになってくれる人と恋人になりたいって言ってたけど、それはぼくじゃだめなの?ぼくのことは…嫌いになっちゃった?」

それとも、最初から好きじゃなかった?

日和くんの言葉の最後、声が震えている。そんな日和くんは知らない。いつだって自身満々で、なんだって自分が格上、と言った風で、私のことなんてまるで興味がないと思っていたのに。人に嫌われることにこんなに怯えるなんて、予想すら出来なかった。

「なまえちゃんのお父さんから巴家に話があったって聞いて、ぼく、何が悪かったのか考えたけどわからないね。ジュンくんも心配させちゃったし、仕事も失敗しちゃったし…だからちゃんとなまえちゃんの口から話を聞かないといけないって思って。ぼくの事が嫌いになっちゃったんなら、その理由も聞かないと納得出来ないね」

「それは…」

「確かに巴家が勝手に決めた縁だけど、ぼくはなまえちゃんの事だいすき。いつもぼくの為にかわいい服を着て待っててくれて、苦手なのかもしれない紅茶を淹れるのもお母さんに頼まないでなまえちゃんが淹れてくれるのが嬉しかったね」

そんな風に思ってくれていたなんて、知らない。だっていつも日和くんは私の淹れた紅茶を美味しくない、としか言ってくれなかった。
でも必ず、あの日ですら全部残さず飲んでくれていた。

「ぼくは、なまえちゃん以外の恋人なんていらない。なまえちゃんだから忙しいけど時間作って、会うのが楽しみで…単純なジュンくんにも顔がにやけてるって言われて、恥ずかしいね」

知らないうちに私の頬に、ぱたぱたと涙が伝った。こんなに考えてくれていたなんて、私は知らない、知らなかった。無知は、罪だ。

「でも…あの日、なまえちゃんがいっぱい泣いてたのは、ぼくが原因だね…さよならは嫌だけど、なまえちゃんに嫌われる方がもっと辛い…」

ひっく、と思わずしゃくりを上げた。声を上げて泣くのを我慢しているせいで唇が震える。ティッシュやタオルを取りに行く余裕もなくて、私は日和くんが褒めてくれたスカートに大きな涙のシミを沢山作った。
あの日零した涙とは違う涙が、溢れて止まらない。視界が歪んで、日和くんがどんな顔をしているかよく見えない。
すると日和くんがポケットに入れていたハンカチで涙を拭いてくれた。私は思わず顔を背ける。

「だめ、化粧してるから、ハンカチ汚れる…」
「そんなの気にしないね。ごめんね。泣かないで」

張りつめていた感情が、その言葉で一気に吹き出した。私は涙でぐちゃぐちゃな顔のまま、日和くんの方を向いて、崩れ落ちるように言う。

「私が…私がわるいの。日和くん、ごめんなさい…ごめんなさい」
「どうしてなまえちゃんが謝るの?」
「だって、私が勝手に勘違いして、勝手に暴走して、日和くんを傷つけた…!いつも一応の婚約者だから義理で来てくれてるだけなんだって一人でひねくれて、日和くんの本心に全然気づかなかった。本当に忙しい中来てくれているのにそんな事も忘れて最低な事言った。ごめんなさい、ごめんなさい…」
「……」
「いつも服を褒めてくれるのも、紅茶を美味しくない、なんて言っても全部飲んでくれるのも、日和くんが私を大事にしてくれてるのなんていくらでも気が付けたのに。私は全部全部嘘なんだって勝手に思ってた。本当にごめんなさい…!」
「……ぼくのこと、嫌い?」

私は必死に首を横に振った。日和くんが小さな声で「本当に?」と聞いてくる。その言葉には縦に首を振った。私のことを好きになってくれる人と一緒にいたいなんて夢、とっくに叶っていたのだ。すると日和くんが少しだけ躊躇うようにそっと私の背中に手を回してきた。こんな風に触れ合うのは、初めてだ。

「まだ先の話だけど…ぼくはなまえちゃんと結婚したいし、それまで他の女の子とお付き合いなんて絶対にしないね。だからなまえちゃんも他の男と一緒にいたいなんてお願いだから絶対に言わないで。ぼく、やきもちでどうにかなっちゃいそうだね…」

日和くんの背中に、私もすがりつくように手を回す。日和くんが小さく息を飲んだのが聞こえた。

「うん…」

ガラガラの涙声で頷けば、日和くんの腕の力が強くなった。彼の方が私にすがりついているみたいで、胸が締め付けられるような気持ちが全身を包む。

「ありがとう…」

なんで日和くんがお礼なんて言うのって、思った。
私の台詞、なのに。



それからまた一ヶ月後。約束の時間ぴったりにインターフォンが鳴った。

「はーい」

玄関先にいたのはもちろん日和くんだった。いつもの太陽みたいな笑顔で、ひらひらと手を振っている。

「なまえちゃん!一ヶ月ぶりだね!」
「うん、一ヶ月ぶり。忙しいのにありがとう」
「うんうん。わざわざ会いに来たんだから感謝してね!」
「もちろん。お仕事お疲れさま」

お邪魔します。と日和くんがお行儀よく玄関の扉を閉めたので、私は一度後ろを振り返ってお母さんが来ていない事を確認する。よし、いない。

「日和くん、会いたかったよ」

そう言って背の高い彼に抱きついた。する日和くんもぎゅっと抱きしめてくれる。

「ぼくも…」

私から抱きつくと、日和くんはいつも声が小さくなってしまう。それが最近少しだけ面白い。
多分にやけてるのを我慢しているのだ。テレビでは絶対に見れない表情をいつかは見たいけれど、多分それを隠すためにいつも強く抱きしめてくるので、私は今月もまた「来月こそは、」なんて思うのだった。

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