俺も彼女が欲しい
「で、おまえ今付き合っている女の子いるらしいじゃん」
すっかり好奇心旺盛な、まるで少年の頃のように瞳を悪戯っぽく輝かせた真緒は、その手元におよそ少年とは言い難いウイスキーのロックグラスを片手ににんまりと微笑んだ。凛月は細長いグラスを一度軽く傾けてから、さも何でもないかのように「うん」と呟く。
「いくつの子?」
「同い年」
「へ〜意外だな。おまえって年上と付き合ってとことん甘えそうなのにさ」
「そんなことないよ。おれは元から甘えた分だけ甘えさせてあげる主義だし〜」
「どの口が言ってんだよ本当に…」
バーの店内は静かなジャズが掛かっている以外は、後は自分たちの声しか聞こえない静かな空間だった。凛月の兄である零の知人がやるこのバーは、いわゆる芸能人ご用達の会員制なおかげでこう言った秘密の会話も出来てしまう。そのせいか口の堅い真緒ですらこうしてアイドルにとってはやや鬼門な話すら口から飛び出てしまうのが、凛月にとっては少しくすぐったかった。凛月の近くにはいつも真緒がいて、真緒がいれば他はいらないと思っていた自分がKnightsのメンバーを愛し、一人の女性を愛し、更にその話を真緒にする日が来るなんて驚き意外の何物でもない。
「でさ、どんな子なんだよ」
教えてくれよりっちゃん。などと酒に浮かれた声で強請る真緒に凛月は斜め上を見ながらなまえの事を思い浮かべる。どんな子、どんな子ねぇ。と呟いた凛月が、何かを思い出したように呟いた。
「あ…血がねぇ、すっごいまずい」
「えっ」
予想外の答えに、真緒が呻きに近い疑問符を出した。ちょうど空になったグラスをトンとカウンターへ置く。
「彼女…なまえっていうんだけどね。いわゆるブラック企業で働く社畜だから、何もかもが足りなくて血がまっっずいの…平日の朝ご飯は10秒チャージのやつだし、睡眠も運動も足りないけど接待でお酒とか飲まされるらしいからもうだめだめ…休日だって寝溜めばっかしてるし」
「だ、大丈夫かよその子…血の味うんぬんの前にちゃんと生活出来てるのか…?」
「俺が時間空いた時によくご飯とお菓子作って置いてきてあげてるから
俺と付き合い始めてから食事は少し改善されたんじゃない…?」
えっ、と真緒が再び喫驚の声を上げる。その直後マスターに次を聞かれ、真緒は同じ物を、と告げた。凛月の話に驚かされるあまり、グラスが空のままなのを忘れていたのである。ついでにクラッカーとクリームチーズのディップを頼み、凛月の話の疑問点を拾い上げた。
「ご飯…作ってやってんの?おまえが?作って貰ってるんじゃなくて?」
しかし凛月はそんな言葉など柳に風で、凛月がマスターにカクテルを注文している。「ブラッディメアリね」とマスターに頼んでいるのはきっと、血を飲む感覚がなんとなく恋しいからだろう。彼の兄の好物であるトマトジュースが入っているカクテルを頼むなんて、よっぽどのことだ。
お待たせ致しました。とマスターがカウンターに出したグラスを同時に少しだけ傾けた所で、またこの混沌とした話が再開する。
「そうだよ〜。この俺が料理を覚えて、お菓子は長期保存出来る物をわざわざなまえの家に合い鍵使って入って作ってあげて、クッキーとか焼いてる間に洗濯までしてあげるんだから。とんでもなく尽くす男になっちゃってるよ」
「す、すごいじゃんお前…!ていうか凛月にそこまでさせるその子がすげ〜よ…!」
真緒が何気なくそう言って凛月を見ると、珍しく凛月は拗ねたように唇を尖らせた。
「俺だって好きでやってるわけないでしょ…。眠いし。怠いし。面倒だもの」
「でもやってあげてるんだろ。優しいじゃん」
「だってそうしないといつまでもなまえの血はまずいまんまだから。他は好みど真ん中なの。顔も身体も」
「お、おおう…そうなのか」
あまりにストレートな物言いをする凛月に少し動揺する真緒を見て、仕返しとばかりに凛月は微笑んだ。
「身体の相性は最高なのに、事後にちょっと血をもらおうとするとすっごいまずいからテンションが下がるんだよねぇ…だから休みの日が被ったらセックスして運動させてからぐっすり睡眠とらせて、朝ご飯も作ってあげるんだよ。は〜、俺優しい」
「お、まえ、ちょっとストレート過ぎるだろ…」
「なぁに、ま〜くんてばカマトトぶっちゃって…童貞のフリは流行ってないよ」
「…地味に結構酔っぱらってんだろりっちゃん」
ま〜くんほどじゃないし。と歌うように言うと、凛月は楽しそうにグラスを傾けた。グラスをテーブルに戻すと中身すら楽しそうに揺れている。
未知の事ばかりで眉間に皺を寄せた真緒は、テーブルに頬杖をつきながら恐る恐る聞いてみた。
「なぁ、そんな子とどこで知り合ったんだ?業界の営業の子とか?教えてくれよ」
いつもは自分が優位に立てなくなりそうな発言は上手に回避して自身のペースに持って行く凛月だけれど、今日は何でも喋りそうだと幼なじみの勘で暴いた真緒は「なぁなぁ」と少し甘えるように聞いてみた。
「え〜?俺、ま〜くんのおねだりにはいつも勝てないんだよねぇ…」
「だろ?教えろよ〜」
「仕方ないな〜。ここだよここ。ここで知り合ったの」
「は?ここって…バー?」
指でテーブルを指せば、うん。と凛月は首肯した。そのままマスターに「ね?」と目線を遣り、寡黙そうな中年のマスターは小さな声で「はい」と呟いている。
「まじかよ…ていうことはナンパ?したのか?」
「ま〜くんてばひどぉい…俺がナンパするように見える…?」
「えっじゃあされたのか?!すごいな朔間凛月をナンパする女の子って」
会員制で少人数しか入店させないというバーといえど、大人気アイドルをナンパするなんて、自分によほど自信がないと出来ないことだろう。と真緒は思う。自分もアイドルではあるが、思考はどちらかというと一般人寄りであることは自覚しているのである。
「う〜ん、それもまた違うかなぁ。なんとなくっていうか…まぁ、興味を持ったのは俺が先かな」
「へぇ。隣で飲んでてなんとなく話して…みたいな?」
「半年前さ、すごい豪雨の日あったでしょ?」
そう言われて、真緒は斜め上を無意識に見ながら半年前を思い出す。確か都内でも台風並の豪雨の日があったはずだ。自分はその日たまたま地方でドラマ撮影だったので難を逃れたが、ホテルで見たテレビの中ではニュースキャスターがしきりに豪雨の報道をしていた気がする。
「あぁ。あったなぁそういえば…季節はずれの台風、みたいなやつ」
「そうそう。その日俺ここで一人で飲んでてさ。終電が早く終わっちゃったからもう朝までここにいようって思って飲んでたの。そしたら全身ずぶ濡れのなまえがお店に入ってきたんだよねぇ」
「えっ、彼女ここの会員なのか」
「うん。マスターの姪なんだって。…ね?」
凛月がマスターに話を振るとマスターは小さな声で肯定した。そこで真緒は先ほどの会話を思い出す。こいつ、さっき彼女の叔父の前でセックスがどうのなんて話をしたのか?と背筋が少し冷たくなったが、彼は気にしていないのか黙々とグラスを拭いている。そんな事を気にしてはバーのマスターなど出来ないということだろう。と真緒は思い直し、凛月の話の続きを求めた。
「へ〜。傘壊れちゃって雨宿りとか?」
「そんな所だった気がするねぇ。忘れた。でももう夜の12時過ぎとかだったのに、会社にいたら電車なくなったからここに来たって言っててさ。びっちょびちょのワイシャツにぐっちゃぐちゃのメイクで」
「うわぁ…それは不憫だな」
「それでちょっと喋ってそのままカウンターの隅で爆睡しちゃったの。さすがにマスターがタオル貸してて本人も着替え持ってたけど、髪とか湿気たまんまでさ。なんか色っぽいなって思って」
「…りっちゃん、ちょっとアブノーマルだな。もし俺だったら風邪引かないかどうかとか心配するのに」
真緒は少し苦い顔をしながら隣の幼なじみを見た。少なくとも自分の方が常識的な思考を持っていることは自負しているので、きっと凛月の方が変わっているに違いない。
「甘いなま〜くん。そこで捕食者になれないからいつまでも童貞なんだよ」
「ちょ、やめろよ…ちげ〜し…」
「キレイめワンピースじゃなくてびちょびちょのワイシャツでも俺はムラッときたし、きっちりぱっちりメイクじゃなくて雨でどろどろメイクでも可愛いと思ったから興味持ったの。それで朝連絡先聞いて暫くここで会ったりしてから付き合うようになった」
「へ〜…」
そう言われると、さっきアブノーマルと言った自分の方が間違っているような気がしてくる。要はどんな姿の彼女でも女性らしさを感じたというのなら、それはそれでいい出会いだったのだろう。このマスターの姪というのなら、少なくても身元は知れている。
「でも俺の事甘やかしてくれる時間が少なすぎるのが不満かな〜。今の仕事なんて辞めちゃえばいいのに」
「彼女、好きで今の仕事しているのか?」
「ていうか辞めますって言う暇すら無い、みたいな…」
「ブラックだな…」
芸能界も深夜まで仕事、なんてのはザラだが彼女の会社も中々にひどいようだ。
それにしても実は寂しがりの凛月が、それを我慢してまで一緒にいる女性に、真緒はより興味を抱いた。
「なぁりっちゃん。俺もおまえの彼女に会ってみたい」
「えぇ〜」
「いいだろ〜?別に取ったりしね〜よ」
「う〜ん」
いやに勿体ぶる凛月に、真緒はアルコールの力も手伝ってにやけてくる。彼が自分以外にこんなに独占欲を露わにするのは本当にいいことだからだ。
「こんばんは〜」
真緒がちょうどそんな事を考えていると、深夜12時過ぎにバーの扉が開いた。マスターが「いらっしゃいませ」と呟いた先を思わず見れば、スーツを着て妙に疲れた顔をした女性がそこに立っていた。年齢は自分や凛月とだいたい同じくらいだろうか。パンツスーツがよく似合っている。
「…はい、ま〜くん紹介しま〜す。なまえで〜す」
「えっ!?」
真緒が思わず今来た女性を見ると、女性もびっくりした顔で真緒…ではなく凛月を見た。予想外、という顔をしている。
「あれ?凛月君!?なんでいるの?」
「ま〜くんと飲みにきたの。なまえはまた終電逃したの…?」
「う…、明日の土曜会社の設備点検だから会社に泊まれなくて…」
「そういう事言ってるんじゃないんだけど」
やや怒ったような声を出した凛月が、自分の隣の席の椅子を勧めた。一つ礼を言ったなまえが叔父であるマスターに軽い食事と烏龍茶を頼んでいる。
「まぁちょうどいいや。なまえ、この人がいつも話してる、俺の大事なま〜くんで〜す。よろしくね」
「初めまして。テレビでよく拝見してます」
「あ、はじめまして。ありがとな」
そう言って凛月を挟んで握手をすると彼女はキャアキャアと少女のように恥じらった。
「私TrickStarの中で真緒くんが最推しなんです。うわ、うれしい〜残業頑張ってよかった〜!!」
「あはは…こちらこそよかった」
凛月の話ではあまり人間像が浮かばなかったのだが、明るい女性のようだ。と真緒は無意識にほっとする。やっぱり凛月が妙な女性と付き合っているとしたら心配してしまうのが悲しい幼なじみの性なのである。
マスターが用意したなまえ分の食事と烏龍茶でもう一度乾杯をすれば、彼女は食事を一口二口食べては安心したような声を漏らした。
「は〜今日お昼ご飯も食べられなかったからお腹空いてたんだ〜。美味しい!」
「またぁ?どうせ空きっ腹でコーヒーばっかり飲んだんでしょ」
「だってコーヒー飲むと頭すっきりするから」
「シャツにコーヒー飛んでるし…」
そう言って、凛月が彼女の着ているワイシャツの第二ボタン付近を摘まんだ。真緒の方からは見えないけれど、なまえが「ほんとだ…」とやや絶望気味に呟いたのが聞こえた。
「えぇ…このシャツ記憶形状だからいい値段したのに!落ちないかなぁもう」
「洗ってみないとわかんないんだからまず洗いなよ」
真緒は、なんとなく耳を塞ぎたくなる。勿論彼らの会話はカップルならば普通の会話だろう。けれど事前に聞いた凛月の言葉が耳にこびりついて離れないのだ。
そう、なんとなく。なんとなくだが凛月が言った、捕食者の気分、という物がわかった気がする。彼女の隙はなんとなく、ねこじゃらしのようだ。
「あのねなまえ。ま〜くんにもなまえの血がまっずい事言っちゃったから、これから頑張って美味しくなってね」
「えっ、やだ!衣更真緒くんにそんな事言っちゃったの!?生活習慣がぐちゃぐちゃなのバレちゃうじゃん!」
「いや…体壊さないようにしたほうがいいっスよ〜」
「えっ、ま、真緒くんが言うなら…」
「なんで」
いいな、俺も彼女欲しい。衣更真緒の深夜はどっぷりと更けていく。
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