愛しのアールグレイ・3

「姉妹妻?」
「そう。姉妹妻」

 私はつい先日、世間の奥さんたちが得ている新たな人間関係を耳にした。夫を持つ者同士、子を持つ者同士の妻二人が他の人たちよりも強い絆を結び、どんな時でも側で互いを支えるという普通の友人を超えた間柄が存在するという。勿論夫が大切な存在であることは確かだが、女性同士でしか分かり合えないこと、夫にはなかなか話せない事も話し合える仲というものが、女性には必要だとか。

「どこで知ったの。それ」
「この前行ったお風呂屋さん」
「あ〜、そういえばなまえ気に入ってたね。うちにもお風呂あるのに」

 凛月は朝よりもハッキリとした口調で、けれど視線は何かを思い出すように斜め上をふわりと見ていた。そう、以前夫婦で旅をしているというお客様をおもてなしした時に奥様の希望で街にあるお風呂屋さんに初めて行ったのだけど、その時話した街の奥様たちに色々と教えてもらったのだ。
 街の有力者、朔間の家に嫁いだ者として最初は街の人に敬遠されていたようだったけれど、元々は侍女だった零さんの奥様である義姉さまが間を取り持ってくれた。自分が箱入りなのがよくわかって恥ずかしかったけれど、いつでもどこでも義姉さまは優しい。
 その時姉妹妻を持ちなさいよ!と色んな人に言われてその存在を知ったのだ。義姉さまも故郷はここではないから、初めて知った文化だと言う。

「うちのお風呂も広くて綺麗で大好きだけど、お風呂屋さんは色んな人とお話しできて楽しいの。私、恥ずかしいけどお友達少ないから」
「あんた、なんだかんだ言ってお嬢さまだからねぇ。仕方ないんじゃない?」

 うぅ、と唸ると、凛月がそっと香炉の火を消した。そろそろ眠る合図だ。香っていた、凛月お気に入りの香の香りがゆっくりと淡くなっていく。私は最近趣味になりつつある刺繍の手を止め、道具を片付けると凛月が先に入った布団の中、隣に身体を滑り込ませた。期待半分に凛月の方を向くと、彼はいつものように頭を撫でてから私の髪をいじる。こんな風に私の髪を触る男の人は、後にも先にも凛月だけだ。

「でね、姉妹妻がいると今よりもっと楽しくなるわよ〜って。私義姉さま大好きだし、姉妹妻になってって言ってみようかな」
「……それ、今とほとんど関係変わらないじゃん。正真正銘の姉妹なんだし。義理だけど」
「違うの!そういうものを超えた、大事な大事な存在になるのよ」
「なまえさぁ、あれだけ俺にもう一人妻作るのやめてって言っといて自分は浮気するんだ?いい度胸だねぇ」

 そう言って凛月が布団の中、手探りで私のお腹を探り当てると容赦なくつねった。反射的に「痛い」と言えば、今度は手のひらで丁寧に撫でてくる。
 確かに以前凛月がからかってもう一人妻を作ろうかと言い出して、私は泣いて騒いで大変だったけれど当たり前だ。この辺では妻を平等に扱えるのなら一夫多妻が許されているけれど、そんなものいらない。凛月の奥さんは私一人でいいし私の夫も凛月だけでいいけれど、女性同士の特別な関係というものに少し憧れてしまうのも事実だ。

「違うもん。そういうのじゃないの」
「嘘。姉妹妻ってそういうものに近いよ。なまえが知らないだけ〜……」

 ほら早く寝な。と、今度は身体を抱き込まれた。夜なのに珍しく早く寝付いた凛月に、疲れていたのだろうと推測して私も彼の懐に潜って寝息を立てる。凛月より大事な人なんていないけれど、私も女性同士でしか成立しない特別な関係性に妙な興奮を覚えていた。
 私にだって凛月には相談できない事だってあるし、きっと凛月だって私には言えないことがあるだろう。そういうものを相談出来る存在がいるのは悪いことではないんじゃないかなって思った。けれど凛月が嫌がるのなら無理して欲しいわけでもない私は、それ以降姉妹妻について凛月に聞くことはなくなったのだ。


 しかし翌週、再び義姉さまについて来てもらって訪れたお風呂屋さんで私は再び姉妹妻という特別な絆を目にする。
 お風呂屋さんの待合室に人だかりが出来ていたので何かと思って覗いたら、そこにはベールを被って祈るように手を組む女性二人と、間を取り持つおばあさんが一人。周りはそれを穏やかに見守る姿があった。義姉さまが何をしているのか周囲の人にこっそり聞いてみると、なんと姉妹妻の契りを交わす儀式だという。まさに結婚式、という出立ちのそれに、私は驚きつつもその関係性の特別さに更に興奮した。すごい、こんな風にみんなに祝福される事が結婚以外であるなんて。

「本当は二人で旅行を勧めたい所だけれど、あなたの家の子どもはまだ小さいものね」
「えぇ。だから子どもたちが大きくなったら行きましょう」
「そうね。先は長いから」

 そんなやり取りが当事者の二人から聞こえてくる。まさか新婚旅行までするとは思っていなかったから、開いた口が塞がらない。

「ね?姉妹妻って素敵でしょう?」

 私に姉妹妻という存在を教えてくれた肉屋の奥様が近づいてきて、こっそりと耳打ちしてきた。周囲で二人を祝福する人たちも幸せそうで、私は無意識に「はい」と返事をする。すごい。でも同時に凛月の顔が浮かんだ。
 本来、朔間の家ほど大きな家の次男が妻を一人しか持たないというのは異常な事なのだ。妻が多くいるのは大きな家にとってはステイタスであり、権力の象徴とも言える。世間知らずな私だけれど、それだけはよく知っているのである。朔間の家ほど大きくはないけれど私の実家にも実母以外のお義母さまが2人いたし、腹違いの兄弟や姉妹がいるものだ。子どもを多く持ち、その子があらゆる所で活躍する事で更にその家は大きくなるのだから、妻は多い方がいいに決まっている。
 けれど凛月も、お義兄さんの零さんも妻を複数持つ気はないと公言していて、それがどんなに親戚たちから白眼視されているか知っている。知っているからこそ、二人で交わす誓いを凛月以外の人と立てるのは、違和感しかなかった。

『姉妹妻ってそういうものに近いよ。なまえが知らないだけ』

 その通りだった。確かに凛月にも言えない悩みを分かち合える人は欲しいけれど、私はあらゆる所から非難の目を向けられても私だけを愛してくれる人以外と、共にある誓いを立てる気にはならなかった。一夫多妻が許されている国の人間としては、私だって異質だろう。けれどこれが私なのだ。こんな私だけを愛してくれる凛月だけに立てた誓いは、大切にしたい。


「姉妹妻、欲しいですか?」

 お風呂屋さんから帰り、義姉さまと共用の居間で過ごしていると彼女がポツリと聞いて来た。私は思わず顔を上げる。義姉さまは少しだけ困ったような笑顔で、刺繍針を持っている。もう片方の手には白い布に彩られた鮮やかな花模様があって、色んな青糸を使われたそれは完成が近いようである。

「ううん義姉さま。私新しい事を知って、勘違いしてたみたい。素晴らしい絆だとは思うけれど、私はただそういうものになんとなく憧れただけだったんだわ」

 真っ直ぐ彼女の目を見てそう言うと、義姉さまは今度は安心したように微笑んでから、布に繋がった糸を切った。そしてその布を広げて私に見せてくれる。

「凛月さん、すごく慌てていらっしゃいましたよ。私に俺の奥さん取らないで。なんて言ったりして。普段淡々としているけれど、人一倍好きな人を独り占めしたい人なんです」
「そうだったの……」

 義姉さまは元朔間家の兄弟付き侍女だから、凛月の事もとても詳しい。それに関して嫉妬をすることはないけれど、凛月は義姉さまに少し甘え過ぎな気がする。
 なんて、そんな考えがよぎって慌てて否定した。そんな風に凛月に考えさせたのは自分なのだから、私が悪いのだ。

「ついでに零さんにもなまえさんと姉妹妻の契りを交わすのかって聞かれて、大変でした。あの綺麗な顔が絶望感で真っ青でしたから」
「えぇ、」

 零さんは義姉さまのことが大好きすぎる。

「ね、私たちの旦那さまとても愛おしいですね」

 義姉さまが完成した刺繍を私にくれた。綺麗な青色の花模様は、枕カバーだったようだ。

「うん」
「何か困ったら正真正銘義姉妹の私が力になります。ですから、姉妹妻のことは忘れませんか?」
「そうします。私、凛月を悲しませたくない」 

 義姉さま、ありがとう。と彼女の手を握ると、義姉さまはまた優しく笑ってくれた。零さんが死にもの狂いで親戚を説得して、侍女だった義姉さまを娶った理由がよくわかった気がした。


「凛月、あのね、ごめんね」

 夜、凛月が気に入っている香を焚いた部屋で私はポツリと呟いた。外套を脱いでリラックスした格好になった凛月が目を丸くしている。

「なぁに、どうしたの?」
「私姉妹妻っていうものがよくわかってなかったみたい。知りたての知識に興奮して、世間に詳しくなった気がしてたの。でも違った。それで凛月を傷つけたかなって思って」
「……」

 凛月が私の前にあぐらをかいて座った。私はその太ももにそっと触れながら、彼にしなだれかかる。凛月の白い指がそっと肩を抱いてくれた。

「そうだねぇ。あんたが俺にはなかなか相談できない事を相談する場所があるのはいいと思う。でもそれは、姉妹妻じゃなくても出来るよ」
「うん」
「ごめんね、俺あんまり心が広くないから」
「そんなことないよ。凛月がどれだけ私を大事にしてくれてるか知ってるもん」

 そう言って彼の服をぎゅっと掴むと、凛月が悪戯っぽく囁いた。

「本当かなぁ?俺の愛情わかってる人は簡単に姉妹妻欲しい!なんて直接夫に言わないと思うけど〜?」
「ち、違うの。本当にわかってなかったの。今日ちゃんと知ったわ。義姉さまもいるし、私は大丈夫!」
「ならいいけど。ていうか俺もだけど兄者が面倒な事になってたから、お義姉ちゃんにちゃんと謝っておいた方がいいよ……?あの人本当にお義姉ちゃんのこと大好き過ぎて最近挙動不審だったから」
「ご、ごめんなさいするわ!ちゃんと!」
「うんうん。まずは俺にもっとごめんなさいしてね〜」
 
 そう言って、凛月が私を押し倒した。口先だけの謝罪はいらないという意思表示だろう。

「ごめんなさい……」
「うん」
「大好きなの。本当よ」
「そうだねぇ」

 ありがとう。と囁いてから、そっと凛月の香りが近くなった。こんなに素敵な旦那さまを独り占めしているのだ。私には、身に余る幸福である。


「零さんごめんなさいごめんなさい!義姉さまと姉妹妻になりたいなんてもう言わないです!」
「本当に……?」

 次の日改めて零さんに謝ったら、私よりも凛月よりも消耗した零さんがそこにいた。義姉さまに「ごめんね」て謝られたけれど、義姉さまは何も悪くない。

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