絆されシナモンティー・1
街の有力者である朔間の家の、長男である零さんの奥様の故郷。そこが私の嫁ぎ先に選ばれたと聞いた時は単純に「随分遠くに嫁ぐのだなぁ」という印象しか浮かばなかった。年頃になってからはよくお父様の所に縁談の話が舞い込んできていたことはなんとなく知っていた。それこそご近所さんから隣町の人までどこかから噂を聞きつけてはお父様は話し合いの場を設けていたようである。
私は家事や嫁入り道具の布支度の傍らなんとなく遠くからそれを見ているだけだったけれど、一際目立っていたのは結果的にお父様が嫁ぎ先に選んだ家、三毛縞の家だろう。何せ通例ならば父親同士や、諸事情で父親が難しいならば叔父や祖父など親戚の男性が縁談の打診にくるものだが、彼は本人が一人で私のお父様と話しに来た。
零さんとは旧知の中らしく、途中からは街の一番奥にある朔間の家で話を進めると言って出かけていくお父様に、私はその縁談が決まってしまう予感を感じていた。もちろんお父様自身が斑さん本人を気に入ってしまったのもあるが、街の有力者と懇意になれた方がお父様の仕事の都合もいいのだ。
「そろそろあちらは雪の季節だから、その前に暮らしに慣れた方がいいらしいのでな」
そんな一言で、当初の予定より大きく前倒しにされた私と斑さんの結婚式は、彼が「この街で挙げよう」と提案してくれたので花婿側の親類はなく、朔間家の人たちがその役目を果たした。私は急ピッチで仕上げた花嫁衣装を身に纏い、その日初めて真正面から対峙した彼の大きさに驚きながらも、数日間宴の主役としてめいいっぱい祝われた。お母様は少し泣いていたけれど、斑さんが仕事で街に来る時たまに私も連れてくると約束してくれていて、なんて優しい人なのだと私はそこでまず彼に心が少し傾く。
大きな体に華やかな笑顔、見慣れない衣装を纏った斑さんは「これからよろしく頼むぞお」と温かい大きな手で握手を求めてくれた。私に言える事といえば「精一杯努めます」という無難な言葉だけである。
そうして馬で山を一つ、二つと越えて、街よりもかなり空気が冷たくなってきた頃、私がこれから生涯暮らすであろう土地に着いた。見渡す限りの草原に、組み立て式の幕屋を立てて小集団で遊牧をする彼らの生活は、のんびりと街で暮らしていた私から見たら過酷なように見えたが、私はどこかワクワクとしていた。元々好奇心が強いのだ。
「こっちの冬は寒いから」
斑さんは私の分の毛皮を作っておいてくれたようで、それを羽織って同じ小集団の方々に挨拶がてらの簡単な式をこちらでも執り行う。初めて飲んだ馬乳酒は身体を一気に熱くして、目と頭をクラクラと回した。
「しばらくは慣れないかもしれないが、一気に色々と覚えようとしなくていいぞお。時間はあるから、ゆっくりここを好きになってくれ」
式が終わって花嫁衣装のままの私に優しく微笑んだ斑さんは、わざわざ手袋を外してから優しく手を握ってくれた。掠めていく空気は冷たいのに、彼の手は温かくて、ゴツゴツとしていて、少し乾燥していた。この手が私と人生を一緒に歩む人の手なんだと、私はその時強く実感したのである。
草原の夜は早い。日が落ちる頃になるとあっという間に風は刃のように鋭くなり、キンと冷える空気は身を切るほどである。夕食を済ませ、あとは寝るだけとなった私はこの極寒の空気の中眠る事に慣れなければいけないんだなぁなどと少し憂鬱になりつつも、それでも身体はすっかりと疲れていた。基本、まだ出会ってすぐの若い男女といえども夫婦になったのならば、その日から寝室も布団も同じだ。私は少しだけ緊張しながらも、それを上回る疲労のおかげで既にウトウトとしながら、実家から持ってきた寝巻きに着替えて分厚い毛皮で作られた布団に潜り込もうとした。
「待ってくれ。それじゃあだめだ」
しかし斑さんから突如声が掛かり、私は布団に入ろうとしていた身体を止める。斑さんはスタスタ私に近づいてくると、突然私の服に手を掛けた。
「えっ?!えっ?!」
「これ、脱いでくれ」
そう言われて私が即座に思いついたのが、夫婦であることと、それから子作りの事である。結婚したのだから私の家の家長である斑さんに従うのは当然であるし、地域によっては儀式的な意味合いで初めての夜は必ずそういうことをする民族もいると聞いたことがある。けれど私の住んでた街や民族にはそういうことは伝わってなくて、混乱で目を回す。けれどそんな私をよそに、斑さんは私の寝巻きを襟元から開き、脱がせ始めた。
「ひゃああ、」
情けない声を上げながら胸元を隠せば真剣な表情をした斑さんの、若草のような深い緑色と目が合う。人懐こそうだと思った瞳は真剣そうに細められ、私は人知れず心臓を高鳴らせたがあまりにも場違いな反応であるのはわかっていた為、なんとかひた隠しにして彼の行動の真意を問うた。
「あの、これは、どういう……」
私がしどろもどろに疑問を口にする傍らで、今度は斑さんが服を脱いだ。引き締まった身体が目に飛び込んで来て、私は脱げた寝巻きで思わず自分の視界を覆う。耳に飛び込んでくる、服が床に落ちる音だけ聞きながら、こんなに寒い夜だというのに一人身体を熱くしていた。
斑さんが近づいてくる足音。私はぎゅっと目を閉じて何かの覚悟を一つ決めると、隠していた目元を開いた。薄ぼんやりとした灯りの中、斑さんが目の前から消えた。が、気配は消えたのではなく移動しただけだった。布団の中に入った斑さんは裸で、私は目を白黒させる。
「幕屋では服着て寝ると風邪を引くんだ。だからそんな寝巻きを着ていたら風邪を引くぞお。脱いで」
「へっ?」
「ほら、服着てると隙間から空気が入ってくる。こうすれば温かいから、脱ぐんだ。早く」
そう言ってまた真剣な顔で私の寝巻きを全然剥ぎ取ると布団の中に身体を押し込み、モコモコの毛皮の中、私を掻き抱くようにして布団をかぶった。
「今日はゆっくり休むといい。おやすみ」
「あの、あの、」
「なんだあ?」
「き、きき、緊張して眠れません……」
まさか夫といえど出会って日の浅い男の人と裸で眠るなんて考えもしてなくて、私の心臓は早鐘状態だった。そしてそれは、こんなに静かな空気の中、同じ布団にいる斑さんには伝わってしまっていることだろう。斑さんは気づいているはずなのにあえてそこに触れないまま、また私を強く抱きしめた。自分のものではない肌の感触、体温が不思議な感覚だけれど、嫌ではなかった。心地いいとすら、心のどこかでは思っていたかも知れない。
「大丈夫、今日は何もしないから、ゆっくり寝るんだ。明日から慣れない生活が始まるんだからなあ」
「は、はい……」
「あったかいだろう?」
「はい」
「よしよし、俺の奥さんはかわいいなあ。おやすみ」
「お、やすみ、なさい……」
結局、疲労と緊張の頂点だった私は一瞬で眠りについたのだった。これからはこうして、斑さんと体温を分け合って眠るのだろう。それはとっても素敵な事だと、純粋にそう思えた。
翌朝、近くの幕屋のお嫁さん達と一緒に朝ごはんを作った。幕屋で寝ることに慣れないと言えば、遠方から嫁いで来た人も多いお嫁さん達は私の戸惑いに賛同しつつも「慣れるとこの寝方じゃないと気が済まなくなるわよ」とアドバイスをくれた。なんとなく、わかる気がする。
「斑さん斑さん、朝ごはんできましたよ」
「今行くぞお」
今日は狩りに出るらしい斑さんは、朝から長銃の手入れをしていた。その逞しい腕に私から抱きついて眠る日も、そう遠くないのかもしれない。
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