「ねぇ、私に化粧をしてくれない?」
彼女からの第一声はそんな一言だった。
自己紹介もなく、なんの挨拶もなく、唐突に。
その一言に僕は答えることができず、そのまま彼女の顔から目をそらしてしまった。
その様子に何を思ったのか彼女はしばらく僕を見つめていたが、やがて小さく笑って「なんでもない、ごめんね」と言って去っていった。
その言葉にさえ何も返事をすることができない。
ようやくぐっと喉から絞り出せた言葉は自分の耳にも届かないほどの小さな「すみません」という言葉だった。
何のためにこの荘園に来たのか、今はそんなことはどうでもいい。と言っても手紙を代わりに渡すために来たのだが…。
どうしてもこのゲームに勝たなければならない、勝つ必要があるからこのゲームに参加しているのだ。
それはここにいる誰もがそうだろう。
みんなが感じている、それぞれの異質や異様なモノを。恐らくそれは僕も例外ではない。
…彼女だって例外ではないはずだ。特に「自分」のようなものになら尚更。しかし、そんなことは何も考えていないかのように自然と話しかけてきた。まだ来て間もない自分はこの荘園内がどのように成り立っているのかはわからないけれど。
「…」
机に置いていた化粧箱を何気なく開く。そこに入っているのは普通の化粧道具のほかに本来それらに使用する物ではない「なにか」が。これを見ても彼女は同じように「化粧をしてほしい」と言うのだろうか。
「…そんなこと」
できるわけがない。そもそも人と接すること自体が苦手な自分に、対面して話すことすらままならない自分にそんなことできるはずがなかった。
控えめにため息を吐いた時、最初に荘園で出会った少女、エマ・ウッズが来た。彼女には部屋の案内をするからとここで待っているように言われていた。準備ができたのか、手招きをする彼女からそっと目をそらしつつそちらに向かった。
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繰り返される狂ったゲーム。
何のためにここに来たのか忘れてしまいそうないかれた状況に馴染んでしまっている自分に嫌気がさしそうだった。
何度かいただろう、仲間の顔を。何度見届けただろう、仲間の悲鳴と恐怖の顔を。
それでも何度も何度も繰り返す。ゲームの終わりを目指して。
そんな狂った世界の中で、何故か唯一色づいて見えたのが初めての会話以来一切話したことのない「ナマエ」だった。彼女と話すことは一切ない。同じ仲間になることがあってもナマエの小さく抑え込んだ悲鳴が聞こえるか、あるいは脱出ゲートに仲間が最後まで出るの見届けるか…。
僕はゲーム中彼女とすれ違っても、それに「化粧を施す」ことができなった。なんとなく、棺から現れる彼女を見たくなかったのかもしれない。そんな感情をまさか僕が持つなんてと思ったが、持ってしまったのならしょうがない。こんな想いは可笑しいと思えば思うほど心に縫い付けるかのように離れることはない。
いっそのこと、棺から現れるナマエを目の前で見ることができればなんとなくのしかかる想いもどうにかできるのではないかとも考えたが、する勇気がなかった。
ある日のように僕は中央の部屋で一人椅子に腰を掛けていた。今回は誰かを待っているわけでもなかったが、なんとなくここで落ち着きたいと思った。幸い今は誰もいないし、何人かはゲームに呼ばれてそもそも荘園にはいない。
目を伏せ側に置いてある化粧箱を見たその時、扉の開く音が聞こえた。
そっとそちらを見れば、彼女は真っすぐ僕のもとに歩いてきた。
「ねぇ、私に化粧をしてくれない?」
その言葉にぱっと彼女の顔を見る。
今度はお互い見つめあう。一度合わせてしまったからなのか、目がそらせない。彼女もそらすことはないくじっと見つめ返してきた。
まるで我慢大会のようだ。おそらく時間的にはそこまでたっていないだろうが僕にとってはとても長い時間のように感じた。しかし、その我慢大会に見事勝利したのは僕の方だった。
ナマエは僕から目をそらし、いつかのように小さく笑った。
「そんなに見つめられたらさすがの私も恥ずかしいんだけど」
「…ぇ、あ!」
慌ててそらすと、更に彼女は笑い「大丈夫だよ」と言った。
「でも、さっき言ったことは本気なんだ」
「…化粧のこと…ですか?」
「そう、君…カール君ってお化粧上手でしょう?最初から化粧箱持っていたし」
「…でも、これは」
生きている人を化粧するモノではない。
おそらく僕の言いたいことを彼女は理解しているのだろう。そんな僕の様子に気にすることなくあっけらかんと「わかってるよ」と言った。
「それでも、君にしてほしいんだ」
「…どうしてそこまで?」
「え、うーん。…そうだね、なんていえばいいのか、というよりこんなこと言っていいのかわからないんだけど」
そうナマエは微かに迷うようなそぶりを見せたが、直ぐにこちらを見ていつもの調子で笑った。
「君って、なんだか「死の雰囲気」を感じるからかな」
「死…?」
「そう、死!といっても死にそうだとかそんなんじゃあないよ?ハンターみたいに死の香りがする人たちとも違う。君は、そうだな…。「死という概念」を感じるんだ」
何でもないかのように言い放つ彼女に言葉に一瞬ヒヤリとした感覚が襲う。しかし、それと同時に小さく鳴る心臓は、これは期待からなのか。
「私はね、死という概念が何のか見届けたくてここに来たんだ。もちろんそれだけではないのだけれど…。でもね、なんだろう。それをありきたりな姿でありきたりな感情のままで見ていたくはない。ちゃんと綺麗な格好で、大切な行事のように私は見届けたいんだ。うまく言えないんだけど…」
そう言う彼女は今まで見た中で一番「女性らしく」美しかった。
まるで恋に落ちている少女のように、しかしきちんと芯のある想いを遂げようとする一人の女性のように。すらすらと語るその様子にふっと、力が抜けたような気がした。
だから、僕は言ったのだ。
「いいですよ」
その一言でぱっとナマエの言葉は止まり、僕をじっと見つめ嬉しそうに笑った。
「本当?嬉しいな!」
ぱっと僕の手をとり、「早速今から私の部屋に来てほしいな!」と引っ張るナマエの後を慌ててついていく。
扉の前まで来て、ナマエはこちらを振り向くと「ありがとう」と言って微笑んだ。
その姿を見て僕も笑った。
これからナマエを僕の手で綺麗にするんだ、と思いながら僕は部屋の扉を閉めナマエをそっと引き寄せた。
世界で一番美しいその瞬間を、僕は。
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