まぶたの裏に滲むのは
1.
きっかけは、正直覚えていない。
それでも、気がつけばいつも一緒に居た。
それが、当たり前だった。
彼、十王院一男との出会いは、幼稚園の頃。朧気な記憶の中にあるのは、初めて彼を見た時のこと。幼いながらに、綺麗な男の子だなぁと思ったことは、はっきり覚えている。
気づけばいつも一緒に遊んでいた。
一番鮮明に残っている古い記憶は、彼と並んでブランコに乗っていた日のこと。
彼はその日、初めてブランコというものを知ったらしく、遊び方を知らなかった。
「それじゃ私が背中押してあげる!」と笑った私に、彼は迷いもなく身を任せた。張り切った私は、ほんの少し、彼の身体を強く押しすぎてしまった。
鎖を掴む彼の指は、簡単に離れてしまい、彼の身体は前へと滑り落ちていった。突き飛ばされた彼の膝と手のひらに滲んだ血が、やけに鮮やかで。
彼から流れる血を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと痛くなって、気づけばわんわんと泣いていた。怪我をしたのは彼のはずなのに、泣いていたのは私だった。
そんな私を見て、彼もまた一緒に泣き出して。二人で声を詰まらせているうちに、先生が駆けつけてきた。手当を受けている彼の横で、しゃくりあげながら謝ったあの日の光景を、今でも、ときどき思い出す。
これが、私の中でいちばん古い、彼との思い出。
*
時が流れ、高校二年生になった。
いつも隣にいたはずの彼は、もう居ない。
彼が、私の隣からいなくなったのは、突然だった。
なんだか最近、彼の様子がおかしい。避けられている?と、感じてはいた。だけど、それを彼に直接聞いてもいいものか迷っている内に、彼は私の隣からいなくなっていた。
彼がどこへ行ってしまったのかを知ったのは、彼がいなくなってから程なくして。
プリズムスタァ候補生が通うエーデルローズ。
どうしていきなりそんなところへ行ったのか。
なぜ、いきなりプリズムショーの世界へ足を踏み入れたのか。その答えを知りたくても、彼はもう私の隣にはいない。
連絡をすればよかったのかもしれない。だけど、そんな勇気なんて、持ち合わせてはいなくて。
連絡をしたところで返って来なかったら、そもそも連絡先自体を変えているかもしれない。そんな事実に直面した時、私はどうなってしまうのだろう。きっと、立ち直れない。連絡先を開いては閉じるを、日々繰り返していた。
我ながら、拗らせている自覚はあった。それでも、彼を忘れることなんて、出来なかった。
*
「ね!なまえ!今度一緒にプリズムショー見に行かない!?」
ある日の放課後。いつものように友人と談笑しながら、帰る準備をしていた時のこと。唐突にその友人から、チケットと共にそんな話を持ちかけられた。
「え、何?いきなり」
「セプテントリオンってユニットのプリズムショーなんだけどさ、ダメ元でチケット応募したら取れたんだよね!…でも一緒に行こって言ってた子が別件で来れなくなっちゃって…だから、一緒にどう!?」
プリズムショー。しかも、彼がいるユニットの。
ずっと、避けていた。だって、見てしまったら分かってしまうかもしれない。彼が魅入られたあの世界のことを。
分かってる。それだけで彼のことが分かるのであれば、こんなにも拗ねらせていないことぐらい。だけど、私なりの意地でもあった。
でも、もういい頃合いかもしれない。彼と合わなくなって何年が経つだろう。いい加減、吹っ切れるべきだ。
「…いいよ、私プリズムショー見たことないんだよね」
「ほんとに!?ありがとう!絶対絶対楽しいから!」
友人が、嬉しそうに笑っている。彼のやっているプリズムショーは、きっとこうして彼女のようなファンを、笑顔にすることなんだろうなと、何処か他人事のように思った。
*
「はい!ペンライト!」
「え?いいの?」
プリズムショーの当日。友人と待ち合わせをして、会場まで向かう。入口でチケットを見せ、会場内に入ると友人から手渡された二本のペンライト。何か持っていくものはあるか、と前日に確認したところ、特に大丈夫、との事だったので必要最低限のものしか持ってきていなかった。
「言ってくれたら、ペンラぐらい持ってきたのに」
「いーのいーの!私が誘ったから」
「それじゃ、遠慮なく」
「楽しもうね!」
隣にいる友人はとても楽しそうで、キラキラと瞳を輝かせていた。
友人に連れられ、席に着く。
「ごめんね、あんまりいい席じゃなくて」
「そう?」
「せっかく初めて見るんだったら、もっといい席で見て欲しかったんだけどさ〜」
「気にしなくていいのに。誘ってくれてありがとね」
チケットに示された場所は、会場の奥。ステージから遠く離れた場所だった。
私としては、むしろ好都合だった。これでステージ近くの席だったら、帰りたくなっていたかもしれない。見届けようと決めたはずなのに、我ながら情けない。
「ペンラ、何色にする?」
「え?」
そうだ。ペンライトを渡されたものの、各メンバーに色がある。だいたい、みんな推しの色を点す。
会場に着くまでの道のり、友人から各メンバーの説明は受けていた。彼のことは知っていたけど、改めてファンからの目線で語られる彼は、やっぱり私の知らない人だった。
「ん〜まぁ、その場に合わせて変えよっかな」
「私は推し被り大歓迎だからね!」
友人は嬉々としてペンライトの色を変えている。行き道も聞いたのに、何色は誰でと説明を交えながら。
会場が暗くなり、いよいよ始まるようだ。友人は隣でソワソワしながら楽しみだね!と笑っている。私も、笑顔で相槌を打つ。ちゃんと、笑顔だったはず。
胸の内にあるのは、妙な緊張感。
大きな音楽が流れ始める。見届けよう、最後まで。
「楽しかった〜!」
何度目かの、同じセリフ。友人は興奮冷めやらぬと言った様子で、嬉しそうに隣を歩いている。
「さっきからずっと言ってんじゃん」
「だってめちゃくちゃ楽しかったんだもん!で、どうだった!?初めてのプリズムショー!」
「楽しかったよ。なんか、色々びっくりしたけど、新鮮だった」
「初めて見たらびっくりするよね〜」
今言った気持ちに、嘘は無い。プリズムショーがどんなものかは知ってはいたけど、実際目の当たりにすると、驚きばかりだった。楽しめた、というのも嘘では無い。純粋に音楽を楽しんでいたし、驚きもありつつもプリズムショー自体は面白かった。
ただ、思考の端に彼がいただけ。
*
友人と別れ、家に着いた。
終わった時間はそれほど遅くはなかったものの、友人とご飯を食べて帰れば遅くなってしまうのは仕方ない。一応、高校生が歩いても補導されない時間帯には帰ってこれた。
真っ直ぐ自室へと戻り、荷物を床へ適当に放り投げ、電気も付けずベッドへと身を沈める。
「はぁ…」
陰鬱なため息が、部屋を覆う。
目を閉じれば、キラキラと輝く彼の姿が見える。
幼なじみだったはずの、十王院一男。
今は、プリズムスタァの、十王院カケル。
ステージの上に立つ一男は、私の知らない、カケルだった。あの場所に立っている彼は、キラキラと輝いていて、眩しくて、遠かった。
それでも、楽しそうな顔をしている彼は、どこか私の知っている彼のまま。でも、あの場所に立っているのは間違いなく十王院カケルで。
「…バカみたい」
そんな分かりきっていることなのに、何故か余計に虚しくなった。
これでもう、充分過ぎるほどに実感した。彼の隣に、私はいない。そんなの、あの時から分かっていたはずなのに。
これで、最後だ。
名前をつけられなかった、この感情に終止符を打つ時。それが、今日。
静かに息を吐く。
「じゃあね」
行く宛てのない雫と独り言は、音のない部屋に溶けていった。
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