一番星には届かない
2.
神様はなんてことをしてくれるんだろう。
気まぐれだとしても、こんな仕打ちはあんまりだと思う。
普段はさほど信じていない神様を、今日だけは恨んだ。
彼のプリズムショーを見てから、早二週間が経った。
終わらせよう。そう決めたはずなのに、気がつけば私の中には彼がいる。むしろ、プリズムショーを見に行ってから、彼のことを思い出すことが増えている。最後とはなんだったのか。
でも、そんな簡単に忘れられるのなら、こんな数年間も拗らせていないことだけは、確かだった。
*
遊びの予定も、バイトの予定もない休日。普段であれば、家でゴロゴロして一日を無駄にして過ごすだけ。だけど今は、何かで思考を埋めたかった。一人静かな部屋にいると、気がつけば彼のことを考える。漫画を読んでいても、SNSを見ていても、何をしていても。
これじゃダメだ。今の自分の思考を埋めてくれるもの探そうと、宛もなく外へ出た。
電車に乗って賑わう街にでた。それなりの人混みの中をふらふらと目的もなく歩く。ふと、視界の端に映り込んできたのは、大型ビジョン。そこに映るのは今、私の思考を埋める人。別のことを考えたくて外に出たはずなのに。それでも、気がつけば視線はビジョンに釘付けで。足も止まっていた。
どうやら映像は、二週間前に行ったプリズムショーの特集らしい。今まで特にプリズムショー自体に興味はなかった。だけど今、プリズムスタァである彼は、世間から注目を浴びている存在だということは、よく分かる。あんな規模でライブをしていたのだから、当たり前なのだけれど。
彼はこんな街中の大型ビジョンにまで映る人だ。片や私はただの通行人。遠い、あまりにも。昼間に映る大型ビジョンなんて、さほど眩しくないはずなのに、その画面は見ていられないほど眩しかった。
映像はまだ続いている。だけど、このまま見続けていたら、目頭にたまった熱が、外へ出ていきそうだった。釘付けになってしまった視線と、止まった足を無理やり動かす。振り切るように、また目的もなく歩き始めた。
*
「…あれ?…やっぱりそうだ…なまえ!久しぶりじゃん!」
人混みに疲れ、どこかで休もうかと大通りから少し外れた道を歩いていると、目の前に現れたのは、今一番会いたくなかった人。
どうして、と言いたい気持ちをぐっと飲み込み、逃げ出したくなる足をどうにか踏みとどまった。ここで無視をするのも、逃げるのも、あまりにも不自然すぎて。
「……久しぶり」
絞り出した声は、自分の声じゃないみたいで。やけに、自分の声だけが響いた気がした。まるで、チャイムが鳴るみたいに。そのチャイムが、始まりなのか、終わりなのかは分からないけど。
この数年間一度だって会ったことはない。偶然だとしても、あまりにも出来すぎている。どうして、人が終わらせようとやっと決意が固まったこの時に出会ってしまうのだろう。
「なになに〜?超久々なのに素っ気なくない?あ、これから暇だったりする?一緒にカフェでも入ろ〜!」
私が一人、動揺している内に矢継ぎ早にまくし立てられる。 その言葉の速さに、返す間すらなかった。
気づけばあれよあれよという間に手を取られ、一緒にカフェへ。暇なんて、こちらは一言も言っていないのに。彼はこんなに強引な人だったっけ。
またひとつ、私の知らない彼を知る。
それがどうにも、心に深く刺さった。
「ほんと、超久々だよねん!元気してた?」
「まぁ、それなり」
「変わんないね〜その返し方」
目の前のオレンジ色は、何が楽しいのかケラケラと笑う。
変わったよね、アンタは。心の中で呟く。
私の前でそんな軽薄な話し方、したことないくせに。
一瞬、言葉にしてしまおうかとも思った。でもそんなこと、できる訳もなく。代わりに、カップの中のミルクティーを口にする。言いたいことを、聞きたいことを飲み込むように。ミルクティーの甘さだけが、喉に残る。
昔からずっと変わらない、私が好きなミルクティーは、彼に奢られたもの。私もバイトしてるし自分の分は自分で出すよ、そう言ったのに、誘ったのは自分だからと、彼は笑って譲ってはくれなかった。こう言う、律儀なところは変わっていないみたいだ。
結局「何がいい?」と聞かれ、ミルクティーと答える。彼は、目を細めながら小さく笑って、「相変わらず好きだねん」と言った。
その笑顔は、知っているようで、もう知らない人の笑顔だった。
店内奥側にある二人席に座る。どこにでもある全国チェーンのカフェ。ここの店舗だって、何度も来ている。だけど、どこか知らない店のように感じる。
距離感を掴めないまま、当たり障りのない会話をする。どこか、ぎこちない空気を流して。
突然、机の上に無造作に置かれてた彼のスマホのバイブレーションが机を揺らす。
「ねぇ、スマホなってるけど」
「え?あ〜…ごめん、ちょっと待ってて」
彼がスマホを手に取り、画面を確認する。一瞬迷ったあと、片手をひらりと振って席を立つ。多分あれは、仕事の電話だ。
私の知っている彼だったら、仕事の電話なら直ぐに出たはず。だけど、少し迷っているようにも見えた。仕事に真摯に向きあっていた所も変わってしまったのかと、一瞬頭をよぎる。だけど、それだけは違うと、何故か確信を持って思えた。
電話に出るために店外に出た彼の姿は、私が座っている席からでも見える。話している彼は、さっきまで私と雑談していた時とは違う、真剣な表情をしていた。
その顔だけは、私の知っている彼だった。
「ごめんね〜一人にしちゃって」
数分もしないうちに彼が戻ってくる。盗み見していたことがバレないように、咄嗟にミルクティーを飲む振りをする。中身なんて、もうほとんど残っていないのに。
「別にいいよ、仕事でしょ?」
中学生の頃から、家の仕事に関わるようになったのは知っていた。正式に発表がある前に、こっそりと嬉しそうに私に教えてくれたから。
そこからの彼は忙しそうだった。普通の学生業に加えて家の仕事。彼の家は、この日本で暮らしていれば誰だって知っている大企業、十王院ホールディングス。そんな大企業の跡取りの忙しさは、外から見ている私でもわかるぐらいには伝わっていた。
だけど、どれだけ忙しそうでも、彼の顔はずっとキラキラしていて。大変だと口では言っていても、その顔はずっと楽しそうだった。
そんな彼を知っているから、電話で話が中断しようが何も気にはしなかった。むしろ、私が知っている彼の顔を見れたことで、ほんの少しだけ、あの頃に戻れた気がした。張り詰めていた緊張の糸が、少しずつ、解けていく。
「よく仕事ってわかったね?」
「まぁ、何となく」
そんなの、顔を見ればわかる。なんて、言える訳もなく。
「そっか、待っててくれてありがとねん!」
お礼を言われることなんて、何もしていない。ただ、待っていただけ。なのに、そんなことでもお礼を言う彼の律儀さは、変わっていなくて。変わっていない部分を見つけてはまた、糸が解けていく。
「そういえば、バイトしてるんだっけ?」
コーヒーが入ったカップを片手に、彼がふっと笑って聞いてくる。その何気ない仕草がまた、変わらなくて。肩の力が、少し抜ける。
「あぁ、うん。本屋のバイト。結構楽しいよ」
一応、彼の実家の近くに住んでいる身ではある。バイトする必要は正直ない。だけれど、部活もしていなければ何か習い事をしている訳でもない。そんな放課後の時間が虚しく感じ、社会勉強のため、とバイトを始めた。
「本屋か〜」
「やっぱ以外?友達からは以外なところ選んだねって言われたけど」
バイトを始めた頃、友人に遊びに行く!と言われ本屋だから遊びに来てもすることないよ、と伝えると驚いた顔をされたことを思い出す。学校では本を読むことはないし、漫画の話もそんなにしたことは無い。だから、友人からすれば意外なところだったのだろう。
「そう?俺っちからしたら、らしいな〜って思うけど」
「…なんで?」
「だって新刊は発売日に欲しい派じゃん?」
なんで、なんでこの人はこんなにも私のことを覚えているんだろう。
昔から、好きな漫画は発売日に読みたかった。その日は一日がずっと楽しみで。放課後ダッシュで家に帰っては本屋に行っていた。彼と一緒に。
「まぁ、ね。バイト権限で置いておいてもらえるから売り切れる心配もないし」
「あ、それは結構羨ましいかも」
「そっちも言えば置いといて貰えたりするでしょ?」
彼が言えば、なんだって手に入るだろうに。漫画一冊どころか、絶版になってしまった本だって手に入ってしまいそうなのが、彼の立場だ。
「そういうのは自分で買ってこそでしょ」
嬉しそうに、彼が話す。漫画が好きで、オタクちっくなところは変わってないらしい。
変わらない場所を見つける度に、胸の内があたたかくなる。彼といる時は、いつもそうだった。
「そういえば気になってたんだけど」
「何?」
バイトの話から、最近読んでいる漫画の話まで。気がつけば会話は弾んでいて、解けた緊張の糸が、自然と言葉を紡いでいた。いたのに。
「俺っちの名前、全然呼ばないね」
突然の彼の台詞に、解けていた糸がまた張り詰めた。今度は、さっきまでよりも強く。いっそ、凍っているみたいに。
「今日会ってから、俺っちの名前呼んでくれてないじゃん?もしかして忘れちゃった?」
「そんなわけないでしょ。たまたまだって」
「なら、良いんだけど」
そう言って笑う彼の声が、遠くに感じた。
無意味に、手元にあるカップを指先でいじる。彼の顔を見ることが出来ない。
だって、嘘だから。
呼べるわけがなかった。今の彼には名前が二つある。
私が知っているのは十王院一男。だけど、名前を変えてまでプリズムスタァで在ることを選んだ彼だ。きっと彼なりになにかの理由がある。なのに、そんな彼のことを昔のように“一男”と読んでいいのか分からなかった。
そもそも、今私の目の前にいる彼はどちらなのか。十王院一男なのか、十王院カケルなのか。分からない。分からないのに、呼べるわけなんてない。
「お〜い?どったの?急に静かになっちゃって」
「…別に、なんでもないよ」
「そう?」
アンタのせいでしょうが、と言ってしまいたい気持ちをグッと堪え、なんでもない顔を作る。
どうしていきなり名前の話なんて聞いてきたのか、知りたい、聞きたい。彼が何を考えているのかを。だけど、そんな簡単に聞けるなら、こんなにも悩まない。
少しの沈黙が、私たちの間に薄い線を引く。
「プリズムショー、興味あったんだね」
沈黙を破ったのは彼だった。しかも、また突然の話題で。
「は?」
あまりにも突然すぎる話に、思わず出た言葉は可愛げの欠片もなかった。
「この間のプリズムショー、見に来てくれてたでしょ?興味あるなんて知らなかったからさ」
プリズムショーにそこまで興味はなかった。友人が夢中になっているのは知っていたけど、それでも自分も見ようとは思わなかった。あの日見に行ったのだって、彼が出ると知っていたから。だから、自分の気持ちに終わりをつけるために行った。
ステージに立っているはずの彼が、なんであの日私がいた事を知っているのか。あんなに大きな会場で、ステージから遠く離れた端にいたというのに。どうして、
「なんで…」
その先は言えなかった。それでも、何を聞きたいかなんて、彼にはお見通しで、
「わかるよ、なまえのことなら」
思わず、彼を見る。その瞳は、私の知っている色で、知っている温度で。声だって、私の知っている高さで、知っている波長で。
私の知っている彼で。
心臓の音が、耳の奥で響く。
─あぁ、やっぱり変わってないんだ。
そう思った瞬間、ダメだった。
目頭がグッと熱くなる。溢れ出てきそうなものを堪えるように、奥歯を噛み締め下を向く。
言いたいことがあるのに、今口を開けばきっと溢れてしまう。ただ、手元の中身のないカップを両手で握ることしか出来なかった。
「っと、ごめん!時間来ちゃった。これから仕事なんだよねん」
その声が、張り詰めていた糸を切った。それだけで、さっきまでの世界が音を立てて崩れていく。現実へと、引き戻される。
何も言えない私に告げられた突然のタイムアップ。
本当にいいの?このままで。自分で自分に問いかける。良いわけない。まだ、何も話せてない。肝心なこと、何一つ。でも、何を言えば?
「これ、俺の連絡先。前と番号もアドレスも変わってないけど、一応。それから、メッセージのIDも」
未だに何も言えず、ただカップを握り、終わらない思考の波に呑まれることしか出来ない私の目の前に差し出された、一枚の紙切れ。
ぱっと顔を上げると、彼と目が合う。
私の知っている色と、温度をした瞳と。
「次会う時は名前、呼んでね」
それじゃ、とコーヒーの入ったカップを手に彼が席を立つ。
その時の彼の顔は、よく見えなかった。
手元に残された一枚の紙切れ。今の私と彼を繋ぐ唯一。
次…?次なんて私たちにあるの?
数年間、連絡も取らず会いもしなかった私たちに?
私は終わらせるつもりだった。だからこの間のプリズムショーに行った。
なのに、彼は次と言った。
この数年間、溜まりに溜まった、聞きたかったこと、言いたかったことがいっぱいある。
ありすぎて、溢れ出てきそうなのを必死に抑えて。
今だって、
本当はあなたの名前を呼びたかった。
だけど、呼んでしまったら、全部溢れてしまう。きっと、止められない。
そんなの、ただの言い訳でしかないのに。
だけど、今なら、次をあなたが望んでくれるなら。
「か…」
名前を呼ぼうと振り返った時には、彼の姿はもう店内にはなかった。
カラン─
誰かのグラスに入った氷の音が、店内に響く。
その音が、やけに鮮明に聞こえた。
彼が言った“次”が胸の奥に広がる。
じんわりと、溶け込んでいく。
きっと、あの頃にはもう戻れない。
それでも、あの言葉があたたかさをくれた。
だから、私は──
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