沖田くんは一度もお店に来ることは無く、私の元の日常が淡々と過ぎていった。
自惚れていたのかもしれない。優しくされただけで。1回デートに行ったくらいで。ショーケースに入っている黒ごま団子を見つめて思う。私も沖田くんの中ではこんなゴマ粒みたいな存在だったのかな。
「おーい。寝てんの?大丈夫?」
「…あ、銀さん。ごめんなさい。ボーとしてました」
「珍しいね。あれか?沖田くんと喧嘩でもした?」
「そんなことないですよ。…喧嘩するほど、仲良しでもなかったですし」
「…ふーん」
しり込みに声が小さくなった私に銀さんは鼻で返事をした。頼まれた団子大きめあんこ増量―─名付けて宇治銀時団子とお茶を差し出すと生気を感じない死んだ魚のような目をいつもとは別物みたいにキラキラと輝かせてかぶりついている。ふと重なったあの人の面影が脳裏に浮かんで胸が苦しくなった。
「…甘くねェなァ」
「何の話ですか?」
銀さんはもぐもぐしている咀嚼を終えて何かを見透かしたように言った。
「名前ちゃんさァ、ちゃんと誤解は解いた方がいいと思うよ」
思いたある節があるのが気まずい。銀さんはエスパーか何かだろうか。それ以上は何も言っては来なくて、いつもみたいにくだらない話に切り替わったけれど、私は空返事しか返すことができなかった。
「ごめんください」
「はい。…あれ、君は」
「以前はお世話になりました」
出迎えてくれたのは何故か門前でミントンの練習をしていた顔が地味の方、山崎さん。沖田くん達とは少しデザインが違う隊服を着ているが、顔には大きなガーゼやら絆創膏やらが張り巡らされていた。
「いやいや、お世話になったのはこっちなんで!」
「とんでもないです。その傷…どうされたんですか?」
「あー…最近沖田隊長すこぶる機嫌悪くて、毎朝起こしに行くと半殺しにされるんですよ」
困ったように笑って言った山崎さん。いくらなんでも善意で接してくれている人を傷つけるのはどうかと思って姿の見えない沖田くんに少しムッとすれば、あ、でも慣れっこなんで気にしないでください!と慌てて手を横に振られた。とても良い人だ。お手伝いの時は沖田くん起こす係を押し付けてしまって申し訳ない。
「そういえば、何か用ですか?」
「えっと、沖田くん、いますか?」
「沖田隊長が今出てて。もう少しで戻ってくると思うんですけど」
良かったら中で待ちますか?と提案に有難く頷く。おぉ!来てくれたのか!と数日ぶりに出会った近藤さんの笑顔にホッとした。山崎さんが持ってきてくれたお茶を間に挟み近藤さんが眉を下げる。
「…そのー、いろいろ迷惑かけてしまって悪かったなぁ」
「迷惑だなんて思ってませんよ。私もお手伝いさせて頂いていい経験ができました」
「そう言ってくれるのはありがたいんだが…」
近藤さんは頬をかいて、ゆっくり息を吐いた。
「…総悟も、ああ見えて名前ちゃんには心開いてたと思うんだ」
話の矛先が沖田くんに向く。近藤さんも傍で見ていて彼の自由っぷりにはたまに手を焼いていたことで私に申し訳なく謝ってきたけれど、どちらを責めたりはしなかった。
「…でも私、沖田くんの言いなりみたい」
「ははは、確かに度が過ぎて我儘をところがあるが…。アイツ不器用だからよ。愛情表現が下手くそなんだよ」
小さい時に親を亡くして、親代わりだった唯一の姉も失ったから。と近藤さんに聞いた話に、頭が潰されたように重くなって、どっと泣きなくなった。沖田くん、家族いないんだ。いつもはあんな飄々とした人なのに、胸の内にはどれだけ辛い思いをしていたんだろう。私よりも若くて少し世間知らず、流行りも疎いけど好奇心旺盛でやんちゃ坊主な男の子。寂しいとか、全くそんな素振りを見せたこと無かったから知らなかった。でも今思い返せば、他の人には団子作れも、起こしてくれも言わない。全部私にだけ。沖田くんなりに甘えてくれていたのかな。理解した瞬間、罪悪感が津波のように押し寄せてきて私を蝕んだ。次からどういう顔して会えばいいんだろう。そもそも会う資格なんてもうないかもしれないのに。
「…私、大人気ないですね」
「そんなことないぞ。俺もアイツとは長い付き合いだが、あんなに優しい表情してる総悟なんかはじめてみた。嬉しいんだ俺ァ。意地っ張りでひねくれ物のアイツが、人を愛したなんて」
「……」
「君は今のままでいいんだよ。総悟が好きになったのもきっと着飾らない名前ちゃんだからだ」
お妙さんのようにな!と満面の笑みを浮かべて言った近藤さん。私が負い目を感じれば感じるほど、周りの人達は迷うことなく背中を押してくれて、やるべき事は目の前の近藤さんの一言で明白になった。ストーカーということ以外は太陽みたいな人だな。チンピラ警察やなんやら言われている真選組のトップだが、みんなが彼について行く理由が分かった気がする。とても懐の深い人だ。
「私そろそろお暇させていただきますね」
「え、もう行くの?まだゆっくりしてくれてもいいんだよ」
沖田くんは日が暮れた時刻でも帰ってきてなくて、待っててもお邪魔になるのですっと立ち上がって遠慮させてもらう。日を改めてまた来よう。手土産に持ってきた箱を差し出すと近藤さんは目を開いて、総悟も見る目があったなぁ。と涙目になっていた。
「夜も遅いし、ザキに送ってもらってくれ」
「大丈夫です。すぐ近いので」
「でも名前ちゃんに何かあったら…」
近藤さんと山崎さんの厚意に申し訳なくなりながらお断りさせてもらって屯所を後にした。近いは嘘だ。寄りたいところがあったから。そのまま帰る気にもならなくて、一度だけ行った思い出の場所へ迷うことなく足が向かう。大江戸橋。数少ない街頭に照らされて数本の桜が佇んでいる。春も過ぎてあの頃は満開だった桜も今は姿を変えて緑に色を変えていた。少し進んで沖田くんと一緒にお花見した木に近付く。
ピタリと足が止まった。ここ数日見てなかった人がそこにいたからだ。夜風がふわりと吹いた。座って前を向いている沖田くんのサラサラな栗色の髪の毛が風に乗って揺れている。瞬間、泣きなくなった。私はバカだ。傷付けていたのは私の方じゃないか。好きな人を信じなくてどうするんだ。ずっと見てきた。知らないこともたくさんあるけど、知ったこともたくさんある。その中で沖田くんは意味の無いことをする人なんかじゃなかった。自分の気持ちに真っ直ぐな人だった。沖田くんが意味もなく、この場所へ来る人じゃない。
ゆっくり近付けば、絶対気付いてるはずなのに彼は全く反応もしなかった。裾が汚れないように気を付けて隣に座る。
「こんな夜更けに女が1人で何してんでィ」
「沖田くんこそ何してるんですか。近藤さんが心配してましたよ」
「……ジョギング」
「はい。嘘ですね」
「うっせ。アンタも一応若ェんだからさっさと帰った方がいいんじゃないんですかィ」
「一応ってなんですか一応って」
「襲う物好きもいるかもしれやせんぜ」
いつにも増して刺々しい態度をとる沖田くんはよほど虫の居所が悪いらしい。こちらを見ようともしない彼はまるで好きなおもちゃをとられて拗ねている子供のようだ。それが何故か可愛く見えてしまってこれが惚れた弱みなのかなって自嘲する。
「その時は、沖田くんが守ってくれますか」
初めて沖田くんが私を見た。その赤い瞳は微かに驚きの色を宿していて、自分でも戸惑うことなく口に出た言葉にどうしようもなくなった。
川の水音と木の葉が揺れる音だけが私の耳に届く。
「…えと、」
「……」
「……その」
「……」
「……」
徐々に顔に熱が集まるのを感じた。その間も沖田くんはずっと私を見つめたまま。
「何言ってんですかィ」
隣からため息をついたのが聞こえて不安に押し寄せられた。
「…ごめんなさい。調子に乗りました」
耐えられなくなって先に逸らしたのは私の方だった。ひんやりとした草むらに置いていた右手を膝の上に乗せて左手で覆う。震えるその手を隠すように。まただ。また失敗しちゃった。
「ばーか。守るなんて当たり前だろ」
途端に沖田くんは二人の少し開いていた距離をぐっと詰めてきて、私の手をそっと大きな手で重ねた。少し汗ばんでいて、温かい。そして逸らしていた顔を向かせられて、彼の長い指が私の目元に触れた。
「あーあ。ブサイクがさらにブサイクになってら」
「なっ…!」
この男はなんて酷いことを言うんだ。いつも空気関係なく唐突に毒を吐きやがる。確かに私は可愛くないよ。というか先日から泣いて赤くなった目もできるだけ冷やして目立たなくなってるはずなんだけど…!心配した気持ちがアホらしくなって背けようとしたけれどそれは叶わず沖田くんのその毒舌とは裏腹に私の目元を撫でる指は優しかった。
「…すいやせん」
「…え…?」
どうしようもなかった。弱々しい彼に。胸がぎゅっと苦しくなって、目頭が熱くなって、どうしようもなかった。
「…沖田くん?」
「…俺、こういうのてんでダメなんでさァ。アンタみたいに素直になれねぇし、…いや、アンタが素直だからこそ、どうしたらいいのか分かんなくなっちまう」
そのサラサラの髪の毛が彼の顔を覆って、伏し目がちに言葉を発する沖田くん。
「でも、そんなんじゃアンタを傷付けるだけだよな」
ゆっくりと顔を上げる。
「名前さん」
「…はい」
沈黙を破ったのは沖田くんだった。
「好き」
たったの2文字しかない言葉は私の耳に届くには充分だった。低く、心地いい沖田くんの声音がずっと鼓膜を痺れさせる。指先にまでじわじわ熱くなるのが自分でも分かった。それでも沖田くんは手を離さなかった。幾つものマメが潰れて固くなった手のひらの皮。普段はサボっているかもしれない。でもこれは努力の賜物だ。この手でどれほどの人を助けて闘ってきたんだろう。顔には似ても似つかない現実だが、私はそんな彼の側にいたいと心から願っているのも現実だ。
「…わ、私も」
「……うん」
「…すき」
「…ん」
さっきまで鮮明に聞こえていた川の流れる音も、虫のさざめきも、もう何も聞こえなくなった。今だけは、私と沖田くんだけの世界みたい。絶対に真っ赤になっている私の顔が夜闇でバレてなかったらいいのになんて思っていたけれど、月に照らされて一層綺麗に輝く沖田くんの顔が優しく笑っているのが見えたから、潔く諦めた。
「ずっと避けててごめんなさい」
「本当でィ。あー傷付いたなーおれ」
「…すみません」
「Sは打たれ弱いんでさァ」
ガラスの剣なんだと言われて申し訳ないながらも笑ってしまった。ここに来るまでの1人の時間は何とも味気のない道だったけれど、隣に彼がいるだけでこんなにも安心している。
「正式に俺の彼女になったんだから、どこのクソアマに言われてもちゃんと言い返せよ。ラブラブカップルだって」
「…え、なんでそれを」
「別に。たまたま通りかかっただけでさァ」
全部聞かれてたのか分からないけど、沖田くんはふいっと顔を背けた。夜風が冷たくなってきた頃、帰りやすぜ。と手は繋いだまま立ち上がる。
再び頬を撫でた夜風の温度を忘れるくらい、沖田くんとの繋いだ手は温かかった。