「これ、やるよ」
ある日の放課後。
スケートショップのカウンターでボードを磨いていた 喜屋武レキ は、店長に突然二枚のチケットを押し付けられた。
「え?」
「水族館のペアチケット。当たったけど俺行かねぇし」
「え、じゃあランガとか……」
「お前さ」
店長がにやっと笑う。
嫌な予感がした。
「李灯ちゃん誘えば?」
「――っ!?」
レキの手からワックスが滑り落ちた。
「な、ななななっ……!?」
「分かりやす〜」
「うるせぇ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶレキに、店長はけらけら笑っている。
「最近ずっと李灯ちゃんの話してるじゃねぇか」
「してねぇ!!」
「“今日笑ってくれた”とか“手ちっちゃかった”とか」
「言うなぁぁぁ!!」
カウンターに突っ伏すレキ。
でも店長は容赦なくチケットをひらひらさせた。
「ほら。デート行ってこい」
「デ、デートじゃねぇし……」
そう言い返す声は、全然勢いがなかった。
その日の帰り道。
レキは何度もスマホを開いては閉じてを繰り返していた。
誘う?
いやでも急すぎるか?
でもせっかくチケットあるし……
頭の中がぐるぐるする。
李灯の顔を思い浮かべるだけで心臓がうるさかった。
『楽しい』
『教えてもらうの好き』
あの言葉を思い出して、耳まで熱くなる。
「……よし」
覚悟を決めてメッセージを打つ。
『今度、水族館行かねぇ?』
送信した瞬間、勢いでスマホを投げそうになった。
「うわぁぁぁ送っちまった!!」
一方その頃。
メッセージを見た李灯は、しばらく画面を見つめたまま固まっていた。
(水族館……レキくんと……?)
胸がどくどく音を立てる。
まるで本当のデートみたいだ。
嬉しくて、自然と頬が緩む。
『行きたい』
そう返すと、すぐに既読がついた。
でも返信はなかなか来ない。
数分後。
『やった!!!』
その一言だけが送られてきて、思わず吹き出した。
(……かわいい)
そして迎えた当日。
待ち合わせ場所で、レキはそわそわ落ち着きなく立っていた。
「やばい……」
今日はいつものラフな格好じゃない。
黒のシャツにシルバーアクセ。
髪もちゃんと整えてきた。
“デートっぽい”と思われたくなくて頑張って平静を装っているのに、内心は限界だった。
そんな時。
「レキくん」
聞き慣れた声に振り返る。
そして、固まった。
「……え」
李灯が、いつもよりずっと女の子らしい格好をしていた。
ふわりと揺れるミルクティーベージュの耳下二つ結び。
淡い色のワンピース。
小さなアクセサリー。
柔らかく笑うその姿が、あまりにも可愛くて。
「……っ」
レキの思考が止まる。
「お、お待たせ」
「いや、え、あの、その……」
語彙が消えた。
李灯は少し照れながら首を傾げる。
「変じゃないかな」
「変なわけあるか!!」
反射的に大声が出た。
周囲がびくっと振り向く。
レキは慌てて口を押さえた。
「わ、悪い……!」
でも顔は真っ赤なままだ。
「……すげぇ可愛い」
ぼそっと漏れた本音に、今度は李灯の方が固まる。
「……っ」
頬が熱い。
今日は頑張ろうと思った。
もっとレキと仲良くなりたい。
もっと近付きたい。
だから、勇気を出しておしゃれした。
その反応を見られただけで、胸がいっぱいになる。
「い、行くか!」
照れ隠しみたいに歩き出すレキの隣へ並ぶ。
するとレキがちらちらこちらを見てきた。
視線が合うたび逸らされる。
でもまた見てくる。
そのたびに、二人とも少し笑ってしまった。
水族館の中は少し薄暗くて、青い光がゆらゆら揺れていた。
大きな水槽の前を歩きながら、 喜屋武レキ は隣をちらちら見てしまう。
今日は本当にやばい。
いつもの李灯なのに、
いつもより近付くたび心臓がうるさい。
「わぁ……」
李灯が水槽を見上げて、小さく声を漏らす。
青い光が横顔を照らして、睫毛が影を落としていた。
綺麗だ、と思った瞬間。
「レキくん?」
「っ!?な、なに!?」
見惚れていたのがバレた気がして、レキが変な声を出す。
李灯はきょとんとしたあと、少し笑った。
「ふふ、驚きすぎ」
「いやだって急に呼ぶから!」
「ごめんね」
柔らかく笑われるだけで、また胸がぎゅっとなる。
(……好きだなぁ)
レキはもうだいぶ自覚していた。
そのまま歩いていると、前から楽しそうなカップルがやって来た。
自然に手を繋いで、
同じ魚を見て笑い合っている。
李灯は思わずその手元を見つめる。
(……いいな)
レキくんと手、繋いでみたい。
そう思ってしまった。
でもすぐに胸の奥がきゅっと苦しくなる。
(……私なんかが)
今だって、レキは優しいから一緒にいてくれるだけかもしれない。
可愛い子なんてきっとたくさんいる。
スケートも下手で、すぐ自信なくなるし。
だから、“もっと近付きたい”なんて思うのは図々しい気がして。
そっと自分の指先を握りしめる。
すると。
「……李灯?」
「え?」
レキが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「疲れたか?」
「ううん、大丈夫」
慌てて笑う。
でもレキは少し眉を下げたままだ。
「無理すんなよ?」
そう言いながら、混み始めた通路で自然に李灯の近くへ寄る。
肩が少し触れた。
それだけでどきっとする。
レキはたぶん無意識だ。
でも李灯は意識してしまう。
(……近い)
顔が熱くなる。
すると次の瞬間、人混みで誰かがぶつかりそうになった。
「危なっ」
ぐい、と腕を引かれる。
「……っ!」
レキの手が、咄嗟に李灯の手首を掴んでいた。
「大丈夫!?」
真っ先に心配そうな声。
掴まれたところが熱い。
「う、うん……」
見上げると、レキが固まった。
「……あ」
繋ぐみたいに触れていることに気付いたらしい。
数秒沈黙。
それからレキの顔が一気に赤くなる。
「わ、悪ぃ!!」
慌てて離される。
でも離れた瞬間、李灯は少しだけ寂しくなってしまった。
その感情に、自分で驚く。
するとレキがしどろもどろに口を開いた。
「いやその、人多かったし!守んなきゃっていうか!」
「……うん」
「嫌じゃなかったか!?」
真剣な顔で聞いてくる。
嫌なわけない。
むしろ嬉しかった。
でもそんなこと言えなくて、李灯は少し俯く。
「……嫌じゃ、ないよ」
小さな声。
それでもレキには十分だった。
「…………」
固まる。
耳まで真っ赤。
「レキくん?」
「……無理」
「え?」
「そんな顔で言われたら無理だって……」
ぼそぼそ呟いて顔を覆う。
その反応が可愛くて、李灯は少しだけ勇気が出た。
(……私なんか、じゃないのかな)
ほんの少しだけ。
レキくんにとって、特別になれている気がした。
「次どこ行く?」
クラゲの水槽を抜けたあと、レキがパンフレットを広げながら聞いてくる。
「ペンギン……見たい」
「お、いいじゃん!」
レキはすぐ嬉しそうに笑った。
“李灯が行きたい場所”を一緒に回れることが、普通に嬉しいらしい。
その顔を見るたび、胸がじんわり温かくなる。
ペンギンエリアは子供連れやカップルで賑わっていた。
「うわ、近っ!」
水槽の前を泳いだペンギンにレキが目を輝かせる。
「かわいい……」
李灯も思わず笑ってしまう。
するとレキがふとこっちを見た。
「……李灯ってさ」
「?」
「笑うとめちゃくちゃ雰囲気変わるよな」
「えっ」
突然そんなことを言われて固まる。
レキは言ったあとで自分でも恥ずかしくなったのか、「いや今の変な意味じゃなくて!!」と慌て始めた。
「なんかその……いつも大人しいから、笑ってると安心するっていうか……」
しどろもどろになりながらも、一生懸命言葉を探してくれる。
その優しさが嬉しくて。
「……レキくんの前だと、楽しいから」
ぽつりとそう言うと、レキがまた停止した。
「…………」
「……レキくん?」
「待って今ちょっと無理」
顔を押さえてしゃがみ込む。
「そういうの急に言うの反則だって……」
耳まで真っ赤なレキに、李灯もつられて顔が熱くなる。
そのあと二人は、お土産コーナーへ寄った。
「これランガっぽくね?」
「ふふ、確かに」
サメのぬいぐるみを見ながら笑い合う。
すると李灯の視線が、小さなキーホルダーで止まった。
スケートボードを持ったペンギンのマスコット。
赤いヘアバンドまで付いていて、なんだかレキみたいだ。
「……かわいい」
思わず手に取る。
その瞬間、後ろから声がした。
「それ好き?」
「っ!」
近かった。
レキが後ろから覗き込むみたいに立っている。
肩が触れそうな距離。
「こ、これ……レキくんっぽいなって」
そう言った瞬間、レキが固まった。
「……俺?」
「うん。なんか元気で可愛い」
「か、かわ……!?」
レキが盛大にむせる。
「お、俺が!?」
「え、変だった?」
「いや違っ……そういうこと普通に言うのずるくね!?」
顔を真っ赤にしながら頭を抱えるレキ。
李灯は何がそんなに恥ずかしいのか分からず首を傾げる。
でも。
そんなに反応してくれるのが、少し嬉しかった。
気付けば外は夕暮れだった。
水族館を出ると、海沿いの道がオレンジ色に染まっている。
「……もうこんな時間か」
レキが少し寂しそうに呟く。
その声に、李灯の胸もきゅっとなる。
もっと一緒にいたい。
でもそんなこと、言えるわけなくて。
二人並んで静かに歩く。
その時。
「……あ」
人混みで肩がぶつかりそうになる。
咄嗟にレキが李灯の手を掴んだ。
今度は手首じゃない。
ちゃんと、手。
「っ……!」
お互い同時に固まる。
でもレキは、少しだけ迷ったあと。
ぎこちなく、そのまま繋いだ。
「……はぐれると危ねぇし」
真っ赤な顔で前を向いたまま。
声が少し震えている。
李灯の心臓がうるさい。
(……手、繋いでる)
夢みたいだった。
でも嬉しい反面、不安も込み上げる。
(私なんかが……)
こんな幸せ、似合わない気がする。
だから握り返す勇気が出なくて、そっと俯いた。
するとレキが不安そうにこっちを見る。
「……嫌だった?」
その顔が、少し傷付いたみたいで。
李灯は慌てて首を振った。
「ち、違うの……!」
「……?」
「嬉しくて……びっくりしただけ」
その言葉に、レキが目を見開く。
数秒後。
「……よかった」
本当に安心したみたいに笑った。
その笑顔が優しすぎて、李灯は泣きそうになる。
するとレキが少しだけ勇気を出すみたいに、小さく指を絡めた。
「……もっと繋ぎたいって思ってた」
「っ……」
「俺、李灯とは特別に一緒いたいから」
真っ直ぐな言葉。
胸がいっぱいになって、李灯はぎゅっと小さく握り返した。
その瞬間、レキがまた真っ赤になる。
「……やば」
「え?」
「今握り返されたの、普通に心臓止まるかと思った……」
本気で言っている顔がおかしくて。
李灯は少し照れながら、でも幸せそうに笑った。
水族館を出たあとも、二人はなんとなくゆっくり歩いていた。
夕暮れの空は茜色で、
海がきらきら光っている。
隣を歩く 喜屋武レキ は、どこかそわそわしていた。
楽しかった。
楽しすぎた。
だからこそ、駅が近付くたび胸が苦しくなる。
(……帰りたくないな)
でもそんなこと、言えるわけない。
李灯は俯きながら、小さく自分の指を握る。
すると前を歩いていたレキが振り返った。
「ん?どうした?」
「……」
言葉が出ない。
帰りたくないなんて重いかな、とか。
迷惑かな、とか。
そんなことばかり考えてしまう。
でも、離れたくなかった。
気付けば、李灯はそっとレキの服の裾を掴んでいた。
「……っ」
レキがぴたりと止まる。
振り返った顔が、一瞬で赤くなった。
「ど、どうした!?」
「……」
「つ、疲れたか?」
心配そうに覗き込まれる。
李灯は少し迷ったあと、小さく首を振った。
「……ううん」
「?」
「少し、海の方歩きたい」
その声があまりにも控えめで。
でも、“まだ一緒にいたい”って伝わってきて。
レキの心臓がどくん、と大きく跳ねた。
「……っ、お、おう!」
声が裏返る。
李灯は少し恥ずかしそうに笑って、裾からそっと手を離した。
そして二人は、静かな海沿いの道を並んで歩き始める。
波の音だけが聞こえる。
さっきまで普通に話せていたのに、
今はお互い変に意識してしまって沈黙が続いていた。
でも嫌じゃない。
むしろ、その静けささえ心地いい。
やがて李灯が、小さく息を飲んだ。
(……今なら)
勇気を出したかった。
レキくんはいつも、ちゃんと気持ちを伝えてくれるから。
だから私も、少しだけ。
そっと。
指先が、レキの手に触れる。
「……!」
レキの肩が跳ねた。
びっくりしたみたいに目を見開いて、李灯を見る。
李灯の方も顔が熱かった。
逃げたくなるくらい恥ずかしい。
でも。
「……いい?」
震える声で、そう聞く。
“手、繋いでもいい?”
その言葉を、全部込めて。
レキは数秒固まったまま動かなかった。
耳まで真っ赤だ。
それから、ぎこちなく、でも大事そうに李灯の手を握り返す。
「……っ」
「……っ」
触れた瞬間、お互いの心臓が一気に跳ねた。
熱い。
レキの手、大きい。
李灯の手、小さい。
そんなことばかり意識してしまう。
「……やばい」
レキがぼそっと呟く。
「し、心臓うるせぇ……」
「……私も」
そう答えると、レキがさらに真っ赤になる。
でも手は離さなかった。
むしろ少しだけ、指先に力がこもる。
「……帰したくなくなるから反則」
「え?」
「いやなんでもねぇ!!」
顔を逸らすレキがおかしくて、李灯は少し笑う。
その笑顔を見て、レキも照れたように笑った。
夕暮れの海沿い。
繋いだ手はまだぎこちない。
でも、離したくない気持ちだけは、お互い同じだった。
海沿いの道を、二人はゆっくり歩いていた。
繋いだ手はまだぎこちない。
でも離す理由もなくて、
お互い少し照れながら、そのまま歩幅を合わせる。
波の音。
潮風。
夕暮れの匂い。
全部が優しくて、夢みたいだった。
「……」
隣を見ると、 喜屋武レキ はずっと前を向いたままだ。
でも耳が真っ赤で。
握った手にも少し力が入っている。
(……レキくんも緊張してる)
そう思うと、胸が少し温かくなる。
するとレキが突然ぼそっと呟いた。
「今日、めちゃくちゃ楽しかった」
「……うん」
「なんかさ」
レキは少し照れたように笑う。
「李灯といると時間早ぇ」
その言葉に心臓が跳ねる。
李灯は思わず俯いた。
嬉しい。
でも同時に、不安もある。
こんなふうに優しくされるたび、
期待してしまう自分が怖かった。
「……レキくん」
「ん?」
「どうして、そんなに優しいの」
ぽつりと零れた言葉。
レキはきょとんとしたあと、不思議そうに首を傾げた。
「え、普通じゃね?」
「……普通じゃないよ」
だってこんなふうに大事にされたこと、あまりないから。
自分なんかよりもっと可愛い子がいるのに、
どうして私なんだろうって思ってしまう。
繋いだ手を見つめながら、李灯は小さく笑った。
「私、あんまり自信ないから……」
「……」
「レキくんといると、時々夢みたいで」
離されたらどうしよう。
そんな言葉は飲み込む。
すると隣で足が止まった。
「李灯」
名前を呼ばれて顔を上げる。
レキは真っ直ぐこっちを見ていた。
夕焼けの色が瞳に映っている。
「俺、李灯だから一緒いたいんだけど」
「……え」
「他とか関係ねぇし」
照れてるはずなのに、
こういう時だけ真っ直ぐだ。
「笑うと可愛いし、優しいし、頑張り屋だし」
「っ……」
「あと普通にめちゃくちゃドキドキする」
言い切ったあとで、自分でも恥ずかしくなったのかレキが顔を覆う。
「うわ無理!!なんか今日めっちゃ言っちまう!!」
耳まで真っ赤だ。
李灯は呆然としたままレキを見る。
そんなふうに思われてたなんて、知らなかった。
胸がいっぱいになる。
するとレキが指先を少し絡めてきた。
ぎこちない恋人繋ぎみたいな形。
「……まだ帰りたくねぇ」
小さな声。
でもちゃんと聞こえた。
李灯は少しだけ目を丸くしたあと、ふわりと笑う。
「……私も」
その瞬間、レキの顔がまた一気に赤くなる。
「李灯さぁ……」
「?」
「そういう顔でそういうこと言うの、本当に反則」
困ったみたいに笑うレキがおかしくて、
李灯もつられて笑ってしまう。
そして二人はまたゆっくり歩き出す。
繋いだ手を、今度はどちらも離さないまま。
海沿いを歩いているうちに、空はすっかり夜に近付いていた。
街灯がぽつぽつ灯り始めて、
波の音が昼より静かに聞こえる。
それでも二人は、まだ手を繋いだままだった。
最初はぎこちなかった指先も、
少しずつ馴染んでいく。
でも慣れたわけじゃない。
触れるたび、まだちゃんとどきどきする。
「……」
李灯は繋いだ手をそっと見下ろした。
大きい手。
あったかい。
こんなの、本当に夢みたいだ。
すると隣でレキが小さく息を吐いた。
「……やべぇ」
「え?」
「未だに信じらんねぇ」
「……?」
レキは照れくさそうに笑う。
「李灯と手繋いで歩いてんの」
「っ……」
その言葉だけでまた顔が熱くなる。
レキは本当に、思ったこと全部顔に出る。
「俺さ」
「うん」
「今日ずっと心臓おかしい」
「……私も」
反射みたいに答えてしまって、李灯は慌てて俯く。
でもレキは一瞬固まったあと、耳まで赤くして笑った。
「……嬉しい」
その声が優しくて、胸がぎゅっとなる。
しばらく歩くと、小さなベンチを見つけた。
「ちょっと座る?」
「うん」
並んで腰掛けても、手は離さないまま。
そのことに気付いた瞬間、
二人ともまた少し照れる。
「……なんか変な感じだな」
「変?」
「いや、嬉しい方!」
慌てて言い直すレキに、李灯はくすっと笑った。
するとレキがまた見惚れたみたいに固まる。
「……レキくん?」
「李灯ってさ」
「うん?」
「自分で思ってるより、ずっと可愛い」
「っ……!」
真っ直ぐ言われて、心臓が跳ねる。
李灯は耐えきれず顔を隠した。
「そ、そういうこと急に言うのずるい……」
「え!?だ、だって本当だし!」
レキまで真っ赤になる。
「今日ずっと可愛くて無理だった……」
ぼそぼそ呟く声に、李灯の胸がいっぱいになる。
こんなふうに見てもらえるなんて思ってなかった。
自分なんか、って思っていたのに。
するとレキが少しだけ不安そうに視線を揺らした。
「……嫌じゃねぇ?」
「え?」
「その、俺……李灯にめちゃくちゃ特別扱いしてる自覚あるから……」
照れながらもちゃんと伝えようとしてくれる。
その不器用な優しさが愛しくて。
李灯は小さく首を振った。
「……嫌じゃない」
「……!」
「むしろ、嬉しい」
そう言った瞬間、レキが完全に固まった。
数秒後。
「……もう好きになるだろこんなん……」
「え?」
「いやなんでもねぇ!!」
勢いよく顔を逸らす。
でも繋いだ手だけは、ぎゅっと離さなかった。
その力が嬉しくて、
李灯もそっと握り返す。
夜の海風が優しく吹く。
帰る時間は近付いているのに、
まだもう少しだけ一緒にいたかった。
その日の夜。
家に帰ってお風呂に入っても、
ベッドに寝転んでも。
李灯の頭の中にはずっと今日のことが残っていた。
繋いだ手。
夕暮れの海。
レキの真っ赤な顔。
思い出すたび胸が熱くなる。
スマホを見る。
(……送っても、いいかな)
迷いながらメッセージ画面を開いたその時。
ぶるっ、と通知が震えた。
相手はもちろん、 喜屋武レキ 。
李灯は慌てて開く。
『今日はありがとな!!』
その一文だけなのに、
レキらしくて少し笑ってしまう。
するとすぐ次が届いた。
『めちゃくちゃ楽しかった』
『あと……手、嬉しかった』
最後の一文に、心臓が跳ねた。
画面を見つめたまま顔が熱くなる。
李灯は指先をぎゅっと握ってから、小さく返信を打った。
『私も楽しかった』
『誘ってくれてありがとう』
送信すると、すぐ既読がつく。
でも返信が来ない。
(……変だったかな)
不安になり始めた頃。
『かわい』
「……え!?」
思わず声が出た。
その直後。
『まって今の忘れて!!』
『打ち間違い!!』
『いや打ち間違いではねぇけど!!』
『うわぁぁぁ!!!』
慌てっぷりが伝わってきて、李灯はとうとう吹き出した。
こんなに分かりやすい人、いるんだ。
でもその不器用さが愛しくて、
胸がじんわり温かくなる。
その数日後。
李灯は朝からキッチンに立っていた。
「……うまく出来るかな」
オーブンを覗き込みながら、小さく呟く。
レキが誘ってくれたお礼をしたかった。
だから、慣れないながらも頑張ってお菓子を作っている。
焼き上がったクッキーを見て、
李灯はほっと息を吐いた。
少し形は不揃いだけど、ちゃんと出来てる。
可愛くラッピングもして、
胸の前でそっと抱きしめる。
(……喜んでくれるかな)
その日の夕方。
スケートショップへ顔を出すと、レキがいつものようにカウンター越しに手を振った。
「李灯!」
ぱっと明るくなる顔に、胸が高鳴る。
「今日来るって聞いてねぇ!」
「ふふ、びっくりさせたかったから」
そう言うと、レキが一瞬固まる。
「……最近ほんと心臓に悪い」
「え?」
「なんでもねぇ!」
顔を赤くして視線を逸らすレキに、李灯は少し笑った。
そして鞄から小さな包みを取り出す。
「あの……これ」
「?」
「この前のお礼」
レキが目を瞬かせる。
「……俺に?」
「うん。誘ってくれたから」
包みを受け取ったレキは、しばらく固まっていた。
それから恐る恐る中を見る。
「……手作り?」
「っ、へ、変じゃないかな」
急に不安になる。
重かったかもしれない。
迷惑だったかもしれない。
すると次の瞬間。
「めちゃくちゃ嬉しい!!!!」
店中に響く声だった。
「うわっ」
「え、やば、ほんとに!?俺に!?」
目をきらきらさせながら見てくるレキに、李灯は目を丸くする。
「……嫌じゃないの?」
「嫌なわけあるか!!」
即答だった。
レキは大事そうに包みを抱える。
「これ一生自慢できる」
「食べて……?」
「食う!!でももったいねぇ!!」
本気で悩み始めたレキがおかしくて、李灯はくすくす笑った。
するとレキがまた顔を赤くする。
「……ほんと好きになるって、その笑顔」
「え?」
「うわ聞かなかったことにして!!」
勢いよく頭を抱えるレキに、奥で聞いていた店長たちが爆笑していた。
その日の夜。
レキは自分の部屋で、机の上にクッキーを並べていた。
「……やばい」
一人で呟く。
本当にやばい。
好きな子から手作りお菓子をもらった。
しかも李灯が。
あの李灯が。
「やばい……」
さっきからそれしか言っていない。
そしてスマホを取り出して写真を撮る。
一枚。
二枚。
三枚。
「待て、これ自慢したい」
その瞬間。
ブーブーッ。
タイミング良くグループチャットが動いた。
『レキ今なにしてんの』
ミアだった。
レキは迷わず写真を送った。
『見ろ』
数秒後。
『は?』
『は?』
『は?』
みんなの反応が同じだった。
『李灯から』
さらに沈黙。
そして。
『付き合ってんの?』
『まだ』
『まだってなんだよ』
『まだってなんだよ』
『まだってなんだよ』
レキは顔を真っ赤にしてスマホを伏せた。
「うるせぇぇ……」
でも口元は緩んでいる。
結局その日は、一番綺麗なクッキーを最後まで残していた。
翌日。
李灯は少しだけ緊張しながらショップへ向かっていた。
(美味しかったかな……)
やっぱり心配になる。
手作りなんて重かったかもしれない。
迷惑だったかもしれない。
そう考えながら扉を開く。
カラン。
「あ。」
声がした。
レキだ。
そして目が合った瞬間。
ぱあっと顔が明るくなる。
犬みたい。
本当に。
「李灯!」
嬉しそうに駆け寄ってくる。
それだけで胸が温かくなる。
「昨日のやつ!」
「う、うん……」
「めちゃくちゃ美味かった!!」
即答だった。
「ほんと?」
「ほんと!!」
レキは本気で力強く頷く。
「マジで店で売れる!」
「それは言いすぎ……」
「言いすぎじゃねぇ!」
真剣だった。
李灯は思わず笑ってしまう。
するとレキがまた固まる。
「……」
「レキくん?」
「いや」
耳が赤い。
「最近ほんと可愛いなって思って」
「っ」
今度は李灯が固まった。
レキも言ったあとで自爆したことに気付く。
「違う違う!!」
「違わないんじゃん」
後ろから店長が即ツッコミを入れた。
「うるせぇ!!」
レキが真っ赤になる。
店長はニヤニヤしている。
「今度はお前がどっか連れてけよ」
「へ?」
「水族館行ったんだろ?」
レキが固まる。
李灯も固まる。
店長だけ楽しそうだ。
「次は映画か?」
「いやいやいや!」
「動物園?」
「やめろって!」
「遊園地?」
「だから!!」
大騒ぎするレキ。
でもその途中で。
ふと。
李灯の方を見る。
「……あのさ」
「?」
「もし嫌じゃなかったらだけど」
言いながら耳がどんどん赤くなる。
「また、どっか行かねぇ?」
その言葉に。
李灯の胸がどくんと鳴った。
一回きりじゃない。
また。
ちゃんと“次”がある。
それが嬉しくて。
「……行きたい」
小さく答える。
するとレキは一瞬固まって。
それから、とても嬉しそうに笑った。
まるで初めて会った船の上の時みたいな。
真っ直ぐで、眩しい笑顔だった。
水族館デートのあと。
レキはもらったクッキーを大事に食べていて、李灯もレキとのメッセージを何度も読み返している。
まだ付き合ってない。
でも確実に特別。
そんな空気。
⸻
ショップで。
「今度の映画、土曜日でいい?」
レキがカレンダーを見ながら聞く。
「うん」
李灯が嬉しそうに頷く。
それだけでレキも嬉しくなる。
⸻
「恋愛映画らしいけどな」
店長がニヤニヤ。
「だからなんだよ!」
「デート頑張れよ」
「違ぇって!」
⸻
でもその夜。
ベッドで一人になると。
⸻
恋愛映画。
李灯。
二人きり。
⸻
想像してしまう。
⸻
「うわぁ……」
⸻
枕に顔を埋める。
数日後。
レキはジョーの店にいる。
⸻
「また李灯の話か」
「してねぇ!」
⸻
している。
ずっと。
⸻
ジョーは笑う。
⸻
「好きなんだろ」
⸻
レキは否定できない。
⸻
「……」
⸻
だって。
⸻
一緒にいると楽しい。
会いたい。
声聞きたい。
笑ってほしい。
⸻
ジョーはそんな顔を見て言う。
⸻
「ならそのうち付き合いてぇって思うぞ」
⸻
付き合う。
その言葉が胸に残る。
⸻
少しずつ変わるレキ
そこから。
レキは街でカップルを見るようになる。
⸻
手を繋いでいる二人。
⸻
海辺を歩く二人。
⸻
学校帰りに寄り添う二人。
⸻
そのたび。
⸻
(俺もいつか)
⸻
考えてしまう。
⸻
李灯と。
⸻
そして自分で照れる。
⸻
その頃。
李灯も。一方。
李灯も悩んでいた。
⸻
映画の日。
何かプレゼントしたい。
⸻
レキくん喜ぶかな。
⸻
でも。
⸻
レキくんってどんな子が好きなんだろう。
⸻
私は全然可愛くないし。
⸻
もっと女の子らしい方がいいのかな。
⸻
そんな不安が消えない。
⸻
そこで。
相談相手になるのがランガ。
⸻
「レキのタイプ?」
⸻
ランガは首を傾げる。
⸻
「優しい人」
⸻
「あと頑張る人」
⸻
「あとレキは多分、自分のことより人のこと考える人好き」
⸻
李灯は真剣。
ランガも真剣。
⸻
完全に友達同士。
⸻
でも。
⸻
それをレキは知らない。
クローゼットを開けて悩んでいる。
⸻
(何着ていこう)
⸻
レキくんに可愛いと思われたい。
でも気合い入れすぎも恥ずかしい。
そんな自分に気付いて顔が熱くなる。
映画デートまで、あと一週間。
本当なら楽しみで仕方ないはずだった。
なのに最近の李灯は、少しだけ不安だった。
⸻
「レキくん!」
⸻
放課後。
ショップへ顔を出すと、いつものようにレキがいる。
でも。
⸻
「おう」
⸻
笑ってはくれる。
優しい。
でもどこか違う。
⸻
前なら、
「李灯来た!」
って感じだったのに。
最近は少し距離がある。
⸻
(気のせいかな)
⸻
そう思おうとする。
でも。
⸻
「今日滑る?」
⸻
聞くと。
⸻
「悪ぃ、今日はちょっと」
⸻
また断られる。
⸻
それが三回続いた。
⸻
一方レキ。
⸻
(避けてるわけじゃねぇ)
⸻
自分に言い聞かせる。
⸻
(避けてるわけじゃねぇけど)
⸻
苦しい。
⸻
ショップの前。
⸻
「ランガ!」
⸻
李灯が笑う。
⸻
ランガも笑う。
⸻
仲良さそう。
⸻
胸が痛い。
⸻
見たくない。
⸻
だから。
⸻
「ちょっと滑ってくる」
⸻
逃げる。
⸻
ボードを持って。
⸻
ひたすら滑る。
⸻
風を切る。
⸻
考えなくて済むから。
⸻
でも。
⸻
ガッ
⸻
着地を失敗した。
⸻
「っ!」
⸻
肘を強く擦る。
⸻
血が滲む。
⸻
それでも立つ。
⸻
もう一回。
⸻
もう一回。
⸻
考えたくない。
⸻
その頃。
⸻
李灯はランガと歩いていた。
⸻
「最近レキ変じゃない?」
⸻
ぽつり。
⸻
ランガは首を傾げる。
⸻
「変?」
⸻
「うん……」
⸻
少し寂しそうに笑う。
⸻
「避けられてる気がして」
⸻
ランガは少し考える。
⸻
でも本当に理由が分からない。
⸻
「レキはそういうことするタイプじゃない」
⸻
「……だよね」
⸻
だから余計に不安だった。
⸻
嫌われたのかな。
⸻
何かしたかな。
⸻
映画、迷惑だったかな。
⸻
そんなことばかり考える。
⸻
数日後。
⸻
レキがショップの裏でボードを整備していた。
⸻
そこへ。
⸻
「レキくん」
⸻
振り返る。
⸻
李灯だった。
⸻
その瞬間。
⸻
胸が苦しくなる。
⸻
会いたかった。
⸻
ずっと。
⸻
でも。
⸻
近付いたら。
⸻
余計に苦しくなる。
⸻
「……どうした?」
⸻
平静を装う。
⸻
すると李灯が小さな眉を下げた。
⸻
「怪我、増えてる」
⸻
レキの手。
⸻
肘。
⸻
膝。
⸻
新しい傷ばかりだった。
⸻
「別に」
⸻
「別によくないよ」
⸻
少しだけ強い声。
⸻
レキは目を逸らす。
⸻
「レキくん」
⸻
心配そうな声。
⸻
「ちゃんと休んでる?」
⸻
「休んでる」
⸻
嘘だ。
⸻
「嘘」
⸻
見抜かれる。
⸻
李灯はそっと傷だらけの手を見つめる。
⸻
胸が痛い。
⸻
自分が知らないところで。
⸻
こんなになるまで。
⸻
「無理しないで」
⸻
声が震える。
⸻
「お願いだから」
⸻
その顔を見た瞬間。
⸻
レキは言葉を失った。
⸻
そんな顔させたいわけじゃない。
⸻
泣きそうな顔。
⸻
俺のせいで。
⸻
本当は。
⸻
笑ってほしい。
⸻
水族館の時みたいに。
⸻
海で手を繋いだ時みたいに。
⸻
なのに。
⸻
今の自分は。
⸻
近付くほど傷付けてる気がする。
⸻
「……悪い」
⸻
小さく呟く。
⸻
「レキくん?」
⸻
呼ばれる。
⸻
でも。
⸻
振り向けない。
⸻
「また今度な」
⸻
そのまま歩き出す。
⸻
残された李灯は。
⸻
何も言えなかった。
⸻
ただ。
⸻
握りしめたままの小さな袋を見る。
⸻
映画の日に渡そうと思っていたプレゼント。
⸻
レキが好きそうなスケートボードのキーホルダー。
⸻
「……どうしたらいいの」
⸻
夕暮れの風に消えそうな声だった。
映画デートの前日。
李灯は机の上に置いた小さな箱を見つめていた。
レキのために選んだプレゼント。
スケートボードのチャームが付いたキーホルダー。
何度もお店を回って選んだ。
「……喜んでくれるかな」
呟いてみる。
でも最近のレキを思い出してしまう。
避けられている気がする。
前みたいに笑ってくれない。
メッセージもどこかぎこちない。
⸻
『明日楽しみだな!』
⸻
送られてくる。
でも。
⸻
どこか無理している気がする。
⸻
そんな気がしてしまう。
⸻
一方その頃。
レキは眠れなかった。
ベッドの上で何度も寝返りを打つ。
⸻
(ランガと仲良いよな)
⸻
考えたくない。
でも考えてしまう。
⸻
(俺なんかより)
⸻
ランガは優しい。
頭もいい。
スノボもすごい。
かっこいい。
⸻
(そりゃ好きになるよな)
⸻
胸が痛む。
⸻
でも。
⸻
映画には行きたい。
⸻
会いたい。
⸻
笑ってほしい。
⸻
だから余計に苦しい。
⸻
翌日。
⸻
レキは朝からスケートをしていた。
映画は午後から。
まだ時間がある。
⸻
考えないように。
⸻
滑る。
⸻
跳ぶ。
⸻
着地。
⸻
もう一回。
⸻
そして。
⸻
ガッ
⸻
「っ!!」
⸻
着地を失敗する。
⸻
思い切り転んだ。
⸻
地面に手をつく。
⸻
嫌な音がした。
⸻
「いっ……」
⸻
手首。
⸻
ズキズキする。
⸻
動く。
でも痛い。
⸻
レキは歯を食いしばる。
⸻
(最悪だ)
⸻
時間を見る。
⸻
映画まであと数時間。
⸻
もし悪化したら。
⸻
もし滑れなくなったら。
⸻
もし李灯に心配させたら。
⸻
頭がぐちゃぐちゃになる。
⸻
その頃。
⸻
李灯は待ち合わせに向かう準備をしていた。
⸻
スマホが震える。
⸻
レキからだった。
⸻
『悪い』
⸻
心臓が嫌な音を立てる。
⸻
『今日』
⸻
画面を見つめる。
⸻
『行けなくなるかもしれねぇ』
⸻
世界が止まった気がした。
⸻
「……え」
⸻
指先が震える。
⸻
『ちょっと怪我して』
⸻
『まだ分かんねぇけど』
⸻
『本当に悪い』
⸻
そこから先が読めない。
⸻
李灯はその場に立ち尽くした。
⸻
行けなくなる。
⸻
その言葉だけが頭の中で繰り返される。
⸻
嫌われたのかな。
⸻
迷惑だったのかな。
⸻
やっぱり私なんか。
⸻
最近のレキの態度が全部繋がってしまう。
⸻
胸が苦しい。
⸻
泣きそうになる。
⸻
でも。
⸻
違う。
⸻
レキはそんな人じゃない。
⸻
自分に言い聞かせる。
⸻
なのに。
⸻
気付けば。
⸻
『大丈夫?』
⸻
と送っていた。
⸻
『怪我したの?』
⸻
『今どこ?』
⸻
返信はすぐ来ない。
⸻
それが余計に不安だった。
⸻
一方レキは。
⸻
スマホを握りしめていた。
⸻
李灯からの通知。
⸻
『大丈夫?』
⸻
『怪我したの?』
⸻
『今どこ?』
⸻
そこに自分への心配しかなくて。
⸻
胸がぎゅっとなる。
⸻
怒ってない。
⸻
責めてもいない。
⸻
自分のことを心配している。
⸻
それなのに。
⸻
(俺なにやってんだよ)
⸻
自己嫌悪でいっぱいになる。
⸻
ランガのことなんて確認もしてない。
⸻
勝手に傷付いて。
⸻
勝手に距離を置いて。
⸻
李灯を不安にさせた。
⸻
その時。
⸻
後ろから声がした。
⸻
「レキ」
⸻
ランガだった。
⸻
「映画行かないの?」
⸻
レキは目を逸らす。
⸻
「怪我した」
⸻
「知ってる」
⸻
ランガは少し黙る。
⸻
それから。
⸻
「李灯泣きそうだった」
⸻
レキの呼吸が止まる。
⸻
「え」
⸻
「ずっとレキのこと心配してた」
⸻
静かな声。
⸻
「最近も」
⸻
「……」
⸻
「避けられてる気がするって」
⸻
レキは何も言えなくなる。
⸻
そしてランガは不思議そうに首を傾げる。
⸻
「なんで避けてたの?」
⸻
その質問に。
⸻
レキは初めて気付く。
⸻
本当に苦しかったのは。
⸻
ランガが李灯を好きだからじゃない。
⸻
李灯を誰かに取られるのが怖かったからだと。
⸻
そして。
⸻
その時。
⸻
ランガが何気なく言う。
⸻
「あとあれ」
⸻
「?」
⸻
「李灯、レキのプレゼント選ぶために俺に相談してただけだよ」
⸻
「…………は?」
⸻
レキ、完全停止。
ランガの言葉を聞いた瞬間、レキの思考は完全に止まった。
「……プレゼント?」
思わず聞き返す。
ランガは不思議そうに頷いた。
「うん。映画の日に渡したいって」
「……俺に?」
「レキ以外に誰がいるの」
当然みたいに言われて、レキは言葉を失った。
頭の中で今までの光景が次々に蘇る。
放課後、ランガと話していた李灯。
一緒に買い物をしていた李灯。
楽しそうに笑っていた李灯。
全部、自分のためだった。
なのに。
「俺……」
自分は何をしていたんだろう。
勝手に勘違いして。
勝手に傷付いて。
勝手に距離を置いて。
李灯を不安にさせた。
ランガはそんなレキを見て小さくため息を吐いた。
「レキってたまにすごくバカ」
「うるせぇ……」
反論できない。
本当にその通りだった。
⸻
スマホを開く。
画面には李灯からのメッセージ。
『大丈夫?』
『怪我したの?』
『今どこ?』
短い文章なのに、心配してくれているのが伝わってくる。
胸が苦しくなった。
最近ずっと避けていたのに。
冷たくしてしまったのに。
それでも李灯は自分を心配してくれている。
レキはぎゅっとスマホを握り締めた。
⸻
『怪我は大丈夫』
⸻
文字を打つ。
でもそれだけじゃ足りない。
送信しようとして、手が止まる。
違う。
本当に言いたいことはそんなことじゃない。
⸻
会いたい。
⸻
その気持ちだけだった。
⸻
「レキ?」
ランガが呼ぶ。
レキは立ち上がった。
痛みはまだ残っている。
でもそんなことどうでもよかった。
「行ってくる」
「怪我してるよ」
「知ってる」
「映画間に合うかな」
レキは少しだけ笑った。
「間に合わせる」
⸻
その頃。
李灯は映画館近くのベンチに座っていた。
周りには楽しそうな人たちがいる。
カップル。
友達同士。
家族連れ。
みんな笑っているのに、自分だけ時間が止まっているようだった。
膝の上には小さな紙袋。
レキへのプレゼント。
何度も見ては閉じる。
胸が苦しい。
怪我が心配だった。
でもそれと同じくらい。
最近のレキとの距離が苦しかった。
嫌われたわけじゃない。
そう思いたい。
でも自信がない。
元々そういう性格だった。
自分なんか。
どうしてもそう思ってしまう。
⸻
「……李灯!」
⸻
聞き慣れた声に顔を上げた。
夕陽の中を走ってくる人影。
赤い髪。
見間違えるはずがない。
レキだった。
⸻
「レキくん……!?」
⸻
息を切らしている。
明らかに走ってきたのが分かる。
しかも。
右手首には包帯。
⸻
「なんで走ってるの……!」
⸻
思わず立ち上がる。
レキは肩で息をしながら、それでも笑った。
「間に合った……」
「怪我してるのに!」
「いや、その……」
珍しく言葉に詰まる。
視線が泳ぐ。
何か言いたそうなのに、上手く言えない。
いつものレキだ。
でもどこか必死だった。
⸻
「最近、ごめん」
⸻
ぽつりと落ちた言葉。
李灯が目を見開く。
レキは視線を逸らしたまま続けた。
「避けてるみたいになって」
「……」
「そういうつもりじゃなかった」
本当はもっと色々言いたい。
勘違いしていたことも。
嫉妬していたことも。
全部。
でも今はまだ言えない。
恥ずかしいし、自分でも整理がついていない。
⸻
李灯はしばらく黙っていた。
それから小さく笑う。
少し泣きそうな顔で。
⸻
「嫌われたのかと思った」
⸻
その一言に。
レキの胸がぎゅっと締め付けられた。
⸻
「そんなわけあるか」
⸻
思わず出た言葉だった。
即答だった。
⸻
李灯が驚いたように瞬きをする。
レキも言ってから顔が熱くなる。
でももう止まらなかった。
⸻
「嫌いになるわけないだろ」
⸻
むしろ逆だ。
会うたび好きになって困っているくらいなのに。
もちろんそんなことは言えない。
言えないけれど。
その声だけは嘘じゃなかった。
⸻
李灯の瞳が少し潤む。
それを見たレキは焦った。
「えっ!?なんで泣くんだ!?」
「泣いてない……」
「いや泣きそう!」
「泣いてないもん……」
「ごめんって!!」
⸻
二人とも少しだけ笑ってしまう。
張り詰めていた空気が、少しだけほどけた。
まだ全部解決したわけじゃない。
レキは勘違いしていた理由を言えていないし、李灯も自分に自信がないまま。
それでも。
離れかけた距離は、確かに少しだけ元に戻っていた。
そしてレキはまだ知らない。
映画が終わったあと、李灯が勇気を出してプレゼントを渡そうとしていることを。
「嫌われたのかと思った」
李灯の声は小さかった。
責めるつもりなんてない。
でもずっと不安だった。
最近のレキはどこか遠くて。
話しかけても前みたいじゃなくて。
映画も行けなくなるかもしれないと言われて。
胸が苦しくて仕方なかった。
「そんなわけあるか」
レキは反射みたいに答えた。
即答だった。
迷いなんて一秒もない。
「俺が李灯を嫌いになるわけないだろ」
真っ直ぐな言葉に、李灯の瞳が揺れる。
安心した途端。
張り詰めていたものが少しだけほどけてしまった。
「……っ」
涙が零れそうになる。
慌てて俯く。
泣きたくない。
困らせたくない。
でも。
怖かった。
本当に。
そんな李灯を見て、レキの胸がぎゅっと痛んだ。
(俺のせいだ)
勝手に勘違いして。
勝手に距離を取って。
こんな顔をさせた。
本当は笑ってほしかったのに。
レキの手が少し動く。
でも止まる。
抱きしめたい。
そう思った。
けれど。
(いや待て)
頭の中で警報が鳴る。
抱きしめるって何だ。
急にそんなことしたら嫌がられるかもしれない。
困らせるかもしれない。
そもそも俺たち付き合ってないし。
レキの手が空中で止まる。
震える。
どうしたらいいか分からない。
でも。
目の前の李灯は今にも泣きそうだった。
それを見ていたら。
もう考えられなくなった。
「……ごめん」
掠れた声が零れる。
次の瞬間。
レキはそっと李灯を抱き寄せていた。
「……っ」
李灯が息を飲む。
レキの心臓は今にも飛び出しそうだった。
近い。
柔らかい。
いい匂いがする。
全部意識してしまう。
それでも離せなかった。
「ごめんな」
小さく呟く。
「不安にさせて」
肩越しに聞こえる声は少し震えていた。
李灯は驚いたまま動けない。
レキがこんなことをするなんて思わなかった。
でも。
腕は優しかった。
苦しいくらい。
大事なものを抱えるみたいに。
「……レキくん」
名前を呼ぶ。
すると抱きしめる力が少しだけ弱くなった。
嫌だったかもしれない。
そう思ったのかもしれない。
だから李灯はそっとレキの服を掴む。
そして。
恐る恐る。
背中へ腕を回した。
「……!」
今度はレキが固まる番だった。
抱きしめ返された。
理解した瞬間。
顔が一気に熱くなる。
でも。
嬉しくて。
どうしようもなくて。
「……やばい」
思わず漏れた声に、李灯が少し笑った。
「何が?」
「……心臓」
正直すぎる返事だった。
その言葉に李灯も少しだけ頬を染める。
夕暮れの風が静かに吹く。
しばらく二人とも離れられなかった。
離れたくなかった。
ただそれだけだった。
しばらくの間、二人とも何も言わなかった。
波の音だけが静かに聞こえる。
レキの腕の中は思ったより温かくて、李灯は少しだけ目を閉じた。
不安だった。
嫌われたのかと思った。
避けられている気がして苦しかった。
でも今は違う。
レキの心臓の音が聞こえる。
自分と同じくらい速い。
それだけで少し安心した。
すると。
「……あ」
レキが小さく声を漏らした。
我に返ったらしい。
途端に身体が硬直する。
(やばい)
頭の中で警報が鳴る。
(俺今何してる)
抱きしめてる。
李灯を。
好きな子を。
めちゃくちゃ自然に。
(うわぁぁぁぁぁぁ!!)
内心大パニックだった。
でも今さら離れるのも変だ。
だから固まる。
結果、二人とも固まる。
妙な沈黙が流れた。
そして先に動いたのは李灯だった。
少しだけ顔を上げる。
「……レキくん」
「っ!」
近い。
顔が近い。
レキの顔が一瞬で赤くなる。
「な、なんだ!?」
声まで裏返った。
李灯は思わず小さく笑う。
その笑顔を見た瞬間、レキの心臓がまた跳ねた。
本当にどうしようもない。
「……ありがとう」
「え?」
「来てくれて」
小さな声だった。
でもちゃんと届く。
レキは目を丸くした。
自分は謝ることしか考えていなかった。
なのに李灯はお礼を言う。
そんなところが好きなんだよな、と無意識に思ってしまって慌てる。
「そ、それは……」
何とか言葉を探す。
「会いたかったし」
ぽろっと本音が出た。
数秒後。
レキが自分で固まる。
李灯も固まる。
会いたかった。
今、そう言った。
「いや違っ!」
「えっ」
「違わないけど!!」
「う、うん……」
「違わないけど今のそういう意味じゃなくて!!」
どっちだ。
李灯は困ったように笑う。
レキは頭を抱えた。
もう全部だめだ。
好きな子の前だと全然かっこよく決まらない。
⸻
結局、二人は少し離れて並んで歩き始めた。
さっきまで抱きしめていたのに、今度は距離が近いだけで緊張する。
変な感じだった。
でも嫌じゃない。
むしろ心地いい。
夕焼けが街をオレンジ色に染めている。
映画館へ向かう道。
ふと李灯が小さな紙袋を見つめた。
ずっと抱えていたもの。
本当は今日渡すつもりだった。
でも今渡していいのかな。
迷っていると。
「それ」
レキが気付いた。
「ん?」
「さっきから持ってるやつ」
李灯の肩がぴくっと揺れる。
「あ……」
隠すみたいに抱える。
その反応でレキは少し首を傾げた。
「大事なもん?」
その言葉に李灯は少しだけ視線を泳がせる。
本当は。
レキのためのもの。
でも恥ずかしい。
それに今渡したら重いかな、なんて考えてしまう。
「……そのうち」
「?」
「そのうち渡すね」
そう言って笑う。
レキは不思議そうだったけれど、それ以上は聞かなかった。
ただ。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
そのうち渡す。
つまり自分に関係あるものなんじゃないか。
そんな期待が勝手に膨らむ。
⸻
そして映画館へ向かう途中。
二人の肩がふと触れた。
「っ」
同時に離れる。
また少し沈黙。
その後。
お互い顔を見合わせて。
同時に吹き出した。
さっき抱きしめていたくせに。
肩が触れただけでこんなに照れている。
そんな自分たちがおかしくて。
久しぶりに、二人とも心から笑った。
映画館に着く頃には、さっきまでのぎこちない空気も少し落ち着いていた。
それでも。
落ち着いただけで、緊張がなくなったわけじゃない。
むしろ別の意味でまずかった。
レキはチケットを受け取りながら横目で李灯を見る。
今日はいつもより少しだけおしゃれをしている。
柔らかい色の服。
揺れる耳下の二つ結び。
笑うとふわっと細くなる目。
そしてさっき。
自分の腕の中にいた。
「…………」
「レキくん?」
「な、なんでもねぇ!」
危なかった。
思い出した瞬間に顔が熱くなる。
李灯は不思議そうに首を傾げる。
その仕草も可愛い。
本当にどうしよう。
⸻
上映までは少し時間があった。
二人は売店へ向かう。
「ポップコーンどうする?」
「私はどっちでも」
「じゃあ買うか!」
勢いよく言ったものの。
数分後。
レキはトレーを持ちながら固まっていた。
Lサイズのポップコーン。
ドリンク二つ。
そして。
共有。
共有である。
「……」
「……?」
「いや」
「うん?」
「なんでもねぇ」
絶対なんかある。
でも李灯には分からない。
⸻
上映が始まる。
館内が暗くなる。
二人は並んで座った。
恋愛映画らしく、最初から雰囲気が甘い。
レキはスクリーンを見ながら思う。
(なんで恋愛映画選んだんだ俺)
心臓に悪い。
周りもカップルばかり。
前の席も。
隣の席も。
その空気に当てられてしまう。
しかも。
隣には李灯がいる。
⸻
しばらくして。
ポップコーンへ手を伸ばす。
すると。
同じタイミングで李灯も手を伸ばした。
指先が触れる。
ほんの一瞬。
それだけ。
それだけなのに。
「っ!」
二人同時に引っ込めた。
⸻
沈黙。
⸻
映画の音だけが流れる。
⸻
数秒後。
李灯が小さな声で言った。
「ご、ごめん」
「いやいや!!俺もだから!」
声を潜めながら慌てるレキ。
周りから見たら完全に変な二人だった。
⸻
その後も。
何度か同じことが起きる。
ポップコーンを取ろうとして。
ぶつかる。
引っ込める。
謝る。
また照れる。
映画よりそっちの方が印象に残りそうだった。
⸻
そして物語は終盤へ。
主人公の男の子が勇気を出して好きな子を追いかけるシーン。
スクリーンの中で。
「好きだからだ!」
という声が響く。
レキの肩がびくっと跳ねた。
心臓が変な音を立てる。
⸻
好きだから。
⸻
その言葉が妙に頭に残る。
隣を見る。
李灯は真剣に映画を見ていた。
横顔が綺麗だった。
優しくて。
頑張り屋で。
誰かを大切にする人。
そして。
自分が好きな人。
⸻
(あー……)
⸻
認めた瞬間だった。
⸻
(俺、ほんとに好きなんだな)
⸻
今まで何となく分かっていた。
でも。
今はもう誤魔化せない。
⸻
好きだ。
⸻
すごく。
⸻
映画が終わる。
館内が明るくなる。
みんな立ち上がる。
でもレキは少しだけ動けなかった。
「レキくん?」
李灯が振り返る。
「ん?」
「映画どうだった?」
そう聞かれて。
レキは少し困ったように笑った。
「……途中からあんま覚えてねぇ」
「えっ!?」
「いや違う!」
慌てる。
「面白かったんだけど!」
「けど?」
レキは言葉に詰まる。
まさか。
隣の君が気になりすぎて集中できなかったなんて言えない。
⸻
李灯はくすっと笑った。
「変なの」
その笑顔を見て。
レキの胸がまた苦しくなる。
嬉しい苦しさだった。
⸻
そして映画館を出て。
夕方の街を歩き始めた時。
李灯の鞄の中で。
ずっと渡せなかったプレゼントが小さく揺れた。
本当は今日。
渡したい。
でも。
まだ少し勇気が出ない。
そんな李灯の気持ちを知らないまま。
レキは隣を歩きながら思っていた。
⸻
(今日終わってほしくねぇな)
⸻
もう少しだけ。
あと少しだけ。
李灯と一緒にいたかった。
映画館を出ると、夕暮れは少しずつ夜へ変わり始めていた。
空は群青色に染まり、街の灯りがぽつぽつと輝き始める。
人通りの多い道を並んで歩きながら、二人は映画の感想を話していた。
「最後よかったよね」
李灯がそう言うと、レキは頷いた。
「おう」
でも少し反応が遅い。
「レキくん?」
「ん?」
「本当にちゃんと見てた?」
「見てたって!」
即答だった。
けれど目が泳いでいる。
李灯は思わず笑ってしまう。
その笑顔を見てレキの心臓が跳ねた。
映画が終わっても全然落ち着かない。
むしろさっきの抱擁のことを思い出してしまって余計にだめだった。
あの時の温もりも。
服を掴んでくれた手も。
全部覚えている。
忘れられそうにない。
⸻
「そういえば」
レキが話題を変えるように口を開いた。
「まだ時間あるよな」
「うん」
「帰るには早いし」
その言葉に李灯の胸が少しだけ高鳴る。
帰りたくない。
実は同じことを思っていた。
「海、行く?」
レキが少し照れたように聞く。
李灯は嬉しそうに微笑んだ。
「うん」
⸻
海へ向かう道は少し静かだった。
昼間とは違う夜の潮風が頬を撫でる。
隣を歩くレキとの距離は近い。
でも手は繋いでいない。
映画館の前なら出来たかもしれない。
けれど今は逆に意識しすぎてしまう。
お互い何度も言葉を探しては飲み込んでいた。
⸻
やがて海沿いの遊歩道へ着く。
波が静かに寄せては返す。
夜風は少し冷たかった。
「寒くないか?」
レキが聞く。
「大丈夫」
そう答える。
でも本当は少しだけ寒い。
すると。
「……」
レキが自分のパーカーの袖を見た。
貸そうか。
そう思う。
でも。
それって。
なんか。
すごく。
彼氏みたいじゃないか。
一瞬で顔が熱くなる。
結局何も言えない。
そんな自分にレキは内心で頭を抱えていた。
⸻
李灯は鞄をぎゅっと抱えた。
中にはプレゼント。
ずっと渡したかったもの。
でも勇気が出ない。
もし迷惑だったら。
もし重かったら。
そんな不安ばかり浮かぶ。
⸻
(渡したいな)
⸻
でも。
⸻
(私なんかが)
⸻
いつもの癖だった。
⸻
その時。
「李灯」
レキが名前を呼ぶ。
優しい声だった。
「ん?」
「今日」
少しだけ視線を逸らす。
そして。
「来てくれてありがとな」
その言葉に李灯は目を丸くした。
レキの方こそ怪我していたのに。
走って来てくれたのに。
「私の方こそ」
そう返す。
「映画、一緒に見れて嬉しかった」
素直な言葉だった。
すると。
レキが固まる。
本当に。
分かりやすいくらい固まった。
⸻
嬉しかった。
⸻
その一言が。
⸻
胸の奥に真っ直ぐ刺さる。
⸻
「……レキくん?」
「いや」
レキは耳まで赤くなりながら笑う。
「その一言で今日来た価値あった」
⸻
李灯の顔も一気に熱くなった。
⸻
お互い照れてしまう。
⸻
沈黙。
⸻
波の音だけが聞こえる。
⸻
その空気に耐えられなくなったのか。
李灯は思わず鞄へ手を伸ばした。
⸻
今だ。
⸻
そう思った。
⸻
「レキくん」
「ん?」
⸻
小さな紙袋を差し出す。
⸻
「これ」
⸻
レキが目を瞬く。
⸻
「え?」
⸻
「その……」
⸻
李灯の頬が赤くなる。
⸻
「映画のお礼と……」
⸻
「レキくん、いつも優しいから」
⸻
「受け取ってほしくて」
⸻
差し出された紙袋を見つめる。
⸻
数秒。
⸻
レキは動かなかった。
⸻
まるで時間が止まったみたいに。
⸻
「……俺に?」
⸻
「うん」
⸻
「マジで?」
⸻
「うん」
⸻
レキはそっと受け取る。
まるで壊れ物みたいに。
⸻
中を開ける。
⸻
スケートボードの小さなチャームが付いたキーホルダー。
⸻
その瞬間。
⸻
レキは言葉を失った。
⸻
嬉しい。
⸻
めちゃくちゃ嬉しい。
⸻
どうしようもないくらい。
⸻
「……やばい」
⸻
思わず呟く。
⸻
「えっ」
⸻
「めちゃくちゃ嬉しい」
⸻
真っ直ぐな声だった。
⸻
「ほんと?」
⸻
「ほんと」
⸻
レキはキーホルダーを握りしめる。
⸻
「これ絶対ボードバッグにつける」
⸻
李灯の表情がぱっと明るくなる。
⸻
その笑顔を見た瞬間。
⸻
レキは思った。
⸻
(好きだ)
⸻
もう隠せないくらい。
⸻
でもまだ言えない。
⸻
言ったら。
⸻
今の関係が変わってしまいそうで。
⸻
だから代わりに。
⸻
「大事にする」
⸻
そう約束する。
⸻
李灯は嬉しそうに頷いた。
⸻
夜の海。
⸻
波の音。
⸻
少し近くなった二人の距離。
⸻
そしてレキはまだ気付いていない。
この後、帰り道で李灯が少し足を滑らせて、反射的に手を掴んだまま離せなくなることに――
夜の海は昼間とはまるで違っていた。
遠くに見える街の灯りが水面に映り、波が寄せるたびにきらきらと揺れる。昼間は賑やかだった海辺も、今はどこか静かで落ち着いていて、聞こえるのは波音と潮風の音くらいだった。
李灯はレキの隣を歩きながら、胸の前で鞄を抱きしめる。
プレゼントを渡せた。
それだけなのに、胸の奥がふわふわと温かい。
レキが本当に嬉しそうな顔をしてくれたから。
何度も「嬉しい」と言ってくれたから。
自分なんかが渡したものなのに、そんなふうに喜んでもらえたことが信じられなかった。
ふと横を見る。
レキはもらったキーホルダーを時々見つめては、また照れたように視線を逸らしていた。
その姿が少し可愛くて、思わず笑みが零れる。
「そんなに気に入ったの?」
そう聞くと、レキは一瞬だけ目を丸くした。
「え?」
「ずっと見てる」
指摘された途端、レキの耳が真っ赤になる。
「み、見てねぇし!」
「見てたよ」
「見てねぇ!」
完全に見ていた。
李灯がくすくすと笑うと、レキは困ったように頭を掻く。
「だって嬉しいんだから仕方ねぇだろ……」
小さく呟かれたその言葉に、今度は李灯の頬が熱くなった。
どうしてこの人は、こんなに真っ直ぐなんだろう。
恥ずかしいことも、照れることも、全部正直に顔に出てしまう。
そんなところが好きだな、と胸の奥で思った。
もちろん口には出せないけれど。
⸻
しばらく歩いていると、少し足元の悪い場所へ出た。
海沿いの石畳は潮風で少し湿っている。
李灯は何気なく歩いていたが、その瞬間。
「あっ……」
靴底が滑った。
体がぐらりと傾く。
転ぶ。
そう思った次の瞬間だった。
強い力で腕を引かれる。
「危ねぇ!」
気付けばレキの腕の中にいた。
ほんの一瞬。
でも近かった。
近すぎた。
李灯は驚いて目を見開く。
目の前にはレキの顔。
驚いたような瞳。
そして耳まで真っ赤になっている顔。
レキも同じだった。
反射で掴んだだけだった。
でも。
掴んだ手を離せない。
離した方がいいのは分かっている。
なのに。
指が動かない。
⸻
「だ、大丈夫か?」
ようやく絞り出した声は少し掠れていた。
「う、うん……」
李灯も上手く声が出ない。
心臓がうるさい。
近い。
近すぎる。
レキの顔が。
吐息が。
全部。
⸻
しばらくしてから、ようやくレキは我に返ったように手を離した。
けれど完全には離れない。
今度は手首を支えるようにそっと掴んだままだった。
まるでまた転ばないように守るみたいに。
⸻
「ごめん……」
李灯が小さく呟く。
「なんで謝るんだよ」
レキは少し眉を下げて笑った。
「怪我したらどうすんだ」
その言葉に李灯は胸がきゅっとなる。
自分のことみたいに心配してくれる。
いつもそうだ。
優しくて。
真っ直ぐで。
だから好きになった。
⸻
するとレキは少しだけ視線を逸らした。
「その……」
珍しく言葉を探している。
何か言いたそうなのに、上手く言えない顔だった。
「今日さ」
「うん」
「映画も楽しかったし」
少し間が空く。
潮風が二人の間を通り抜ける。
レキは照れたように笑った。
「海も来れて良かった」
その言葉に李灯はふわりと微笑んだ。
「私も」
それだけで十分だった。
レキの胸がまた大きく鳴る。
最近気付いてしまったのだ。
李灯に「私も」と言われるだけで嬉しいことに。
自分が思っていた以上に、李灯が特別な存在になっていることに。
⸻
夜の海を並んで歩く。
二人の距離は近い。
手は繋いでいない。
でもさっきから何度も指先が触れそうになっていた。
そのたびにお互い少しだけ意識してしまう。
そしてレキは気付いていない。
隣を歩く李灯が、何度もその手を見ていることに。
本当は触れたい。
繋ぎたい。
でも自分なんかが、と思ってしまうことに。
一方レキも同じだった。
本当は手を繋ぎたい。
でももし嫌がられたら。
そう考えてしまう。
だから二人とも何もできない。
ただ隣を歩くだけ。
それなのに。
どうしてこんなに幸せなんだろうと思いながら、二人はゆっくりと夜の海を歩いていた。
夜風は少し冷たかった。
けれど不思議と寒くはない。
隣に李灯がいるからだろうか、とレキはぼんやり考える。
海沿いの遊歩道をゆっくり歩きながら、二人は時々言葉を交わしては、また静かな時間を共有していた。
沈黙なのに気まずくない。
むしろ心地いい。
そんな時間だった。
ふと前を見ると、少し先を若いカップルが歩いているのが見えた。
女の子が笑いながら何かを話していて、その隣を歩く男が自然に手を差し出す。
女の子は当たり前みたいにその手を取った。
繋がれた手。
寄り添う背中。
楽しそうな笑い声。
レキは無意識にその光景を目で追っていた。
そして。
頭の中に、あの日のジョーの声が蘇る。
『付き合いてぇの?』
『ならそのうち、お前から行かなきゃなんねぇぞ』
『好きなだけじゃ伝わんねぇからな』
「……」
レキは小さく息を吐いた。
あの時は誤魔化した。
でも今なら分かる。
自分は李灯ともっと一緒にいたい。
もっと近付きたい。
もっと特別になりたい。
そんなことばかり考えている。
隣を歩く李灯を見る。
潮風に揺れるミルクティーベージュの髪。
柔らかい横顔。
優しい笑顔。
今日だって。
プレゼントをくれた。
泣きそうな顔で自分を心配してくれた。
抱きしめ返してくれた。
思い出した瞬間、心臓がまた跳ねる。
「っ……」
やばい。
意識したら余計に無理だ。
でも。
だからこそ思う。
男の俺から。
そうしなきゃ駄目なんじゃないか。
⸻
李灯はそんなレキの葛藤を知らず、波の音に耳を傾けていた。
今日は色んなことがあった。
映画も見た。
仲直りもできた。
プレゼントも渡せた。
夢みたいな一日だった。
でも。
終わりが近付いている。
駅へ向かう道が少しずつ近付いている。
そう思うと胸が寂しくなる。
もう少しだけ一緒にいたい。
でもそんなわがまま言えない。
そう思っていた時だった。
隣で歩いていたレキが、急に静かになった。
「レキくん?」
呼ぶと、びくっと肩が跳ねる。
「お、おう!」
反応が変だ。
李灯は少し首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……」
レキが言葉に詰まる。
顔が赤い。
耳も赤い。
何か言いたそうなのに言えない顔。
その様子が少し可愛くて、李灯は小さく笑った。
「?」
「ふふ」
「なんだよ」
「なんでもない」
余計に気になる。
レキはますます落ち着かなくなった。
⸻
手を繋ぎたい。
ただそれだけなのに。
スケートならもっと高いところから飛べる。
危険なコースだって滑れる。
なのに。
今はその何倍も緊張していた。
右手が熱い。
心臓がうるさい。
断られたらどうしよう。
嫌だったらどうしよう。
でも。
何もしないまま後悔するのはもっと嫌だった。
ジョーなら何て言うだろう。
きっと笑う。
『さっさと行け』
って。
⸻
レキはぎゅっと拳を握った。
それから意を決するように息を吸う。
「李灯」
「うん?」
名前を呼ぶ。
それだけで緊張する。
李灯が振り向く。
優しい瞳が自分を見る。
逃げたくなる。
でも逃げない。
今日は。
ちゃんと。
自分から。
⸻
「そのさ……」
声が少し掠れる。
「ん?」
李灯が待ってくれる。
急かさずに。
いつもみたいに。
だからレキも勇気を出せた。
⸻
「転ぶと危ねぇし」
⸻
意味不明だった。
言った本人も分かっている。
何言ってんだ俺。
⸻
「え?」
⸻
案の定、李灯も分かっていない。
⸻
レキは真っ赤になりながら視線を逸らした。
そして。
震える手を少しだけ差し出す。
⸻
「だから……その……」
⸻
もう限界だった。
⸻
「手、繋ぐか?」
⸻
言った。
言ってしまった。
⸻
その瞬間。
レキの心臓は本気で止まりそうだった。
⸻
李灯は目を見開く。
差し出された手を見る。
それから。
真っ赤になっているレキを見る。
⸻
自分から。
⸻
レキが。
⸻
胸がいっぱいになった。
⸻
「……うん」
⸻
小さく頷く。
⸻
そして。
恐る恐る。
その手に自分の手を重ねた。
⸻
指先が触れる。
温かい。
⸻
レキは息を呑んだ。
⸻
握り返された。
⸻
嫌じゃなかった。
⸻
それだけで胸がいっぱいになる。
⸻
ぎこちなく。
でも大切に。
⸻
二人は手を繋いだまま歩き出す。
⸻
さっきまでと同じ夜の海なのに。
世界が少し違って見えた。
⸻
レキは前を向いたまま必死に平静を装っている。
でも耳は真っ赤だった。
⸻
そして李灯は。
繋がれた手を見つめながら。
胸の奥でそっと思う。
⸻
今日、終わらないでほしいな。
レキの手は温かかった。
少し大きくて。
少しだけ硬くて。
スケートばかりしている人の手だ。
李灯は繋がれた手を見つめながら歩いていた。
心臓がずっと落ち着かない。
嬉しい。
恥ずかしい。
夢みたい。
色んな感情が胸の中をぐるぐる回っている。
隣のレキも同じだった。
平静を装っているけれど、本当は全然余裕なんてない。
右手から伝わる温もりだけで頭がおかしくなりそうだった。
(手ぇちっちゃ……)
思わずそんなことを考えてしまう。
柔らかい。
温かい。
可愛い。
やばい。
考えるな。
余計意識する。
⸻
しばらく二人は黙ったまま歩いていた。
でも不思議と気まずくない。
むしろ。
言葉がなくても幸せだった。
⸻
「……レキくん」
小さな声が聞こえる。
「ん?」
振り向く。
すると李灯が少しだけ俯いていた。
頬が赤い。
耳まで赤い。
それでも勇気を出したように口を開く。
「手」
「お、おう」
「温かいね」
⸻
その瞬間。
⸻
レキの心臓が爆発した。
⸻
「っ!!」
⸻
なんだその感想。
可愛すぎるだろ。
⸻
「そ、そうか?」
⸻
声が裏返る。
⸻
李灯は恥ずかしそうに笑った。
「うん」
⸻
駄目だ。
⸻
可愛い。
⸻
レキは視線を逸らした。
夜で本当に良かった。
顔が真っ赤になっている自信がある。
⸻
その時。
海沿いのベンチが見えた。
もう少しだけ。
本当に少しだけ。
一緒にいたい。
帰りたくない。
でも言うのは恥ずかしい。
レキが悩んでいると。
⸻
「少し座る?」
⸻
李灯が先に言った。
⸻
レキは一瞬固まる。
⸻
それ。
⸻
俺も思ってた。
⸻
「お、おう!」
⸻
少し大きな声が出た。
⸻
二人は顔を見合わせて笑う。
⸻
ベンチへ腰掛ける。
⸻
けれど。
⸻
ここで問題が起きる。
⸻
ベンチ。
思ったより狭い。
⸻
肩が近い。
⸻
近すぎる。
⸻
二人とも少しだけ端へ寄る。
⸻
でも。
⸻
さっきまで手を繋いでいた。
⸻
そのせいで余計意識する。
⸻
「……」
⸻
「……」
⸻
沈黙。
⸻
波の音だけ。
⸻
すると。
⸻
李灯のお腹が鳴った。
⸻
「ぴぃ……」
⸻
静かな海に響く。
⸻
数秒。
⸻
完全な静寂。
⸻
李灯の顔が真っ赤になる。
⸻
「ち、違うの!」
⸻
「何が!?」
⸻
レキも吹き出しそうになる。
⸻
「映画館でポップコーンあんまり食べてなくて……!」
⸻
「だって手ぶつかるたびに引っ込めてたからだろ!」
⸻
言った瞬間。
⸻
二人とも固まる。
⸻
思い出した。
⸻
ポップコーン事件。
⸻
指が触れたやつ。
⸻
「……」
⸻
「……」
⸻
また赤くなる。
⸻
もうだめだった。
⸻
先に吹き出したのはレキだった。
⸻
「ははっ!」
⸻
珍しく声を上げて笑う。
⸻
李灯もつられて笑う。
⸻
さっきまで泣きそうだったのに。
⸻
今はこんなに笑っている。
⸻
レキはその横顔を見つめた。
⸻
(よかった)
⸻
心の底から思う。
⸻
最近ずっと曇らせてしまった。
⸻
でも今は笑っている。
⸻
それだけで嬉しかった。
⸻
そして。
⸻
レキは気付いてしまう。
⸻
今日。
⸻
水族館の時より。
⸻
もっと好きになってる。
⸻
映画の前より。
⸻
もっと。
⸻
抱きしめた時より。
⸻
もっと。
⸻
好きだ。
⸻
だから少しだけ怖い。
⸻
このまま好きになり続けたら。
⸻
いつか本当に。
⸻
「付き合ってほしい」
⸻
そう言いたくなってしまうから。
⸻
その頃の李灯は。
⸻
隣でそんなことを考えているとは知らず。
⸻
「次は何の映画観る?」
⸻
なんて聞いていた。
⸻
レキは一瞬だけ目を丸くして。
⸻
それから嬉しそうに笑った。
⸻
「次も行ってくれんの?」
⸻
「……行きたい」
⸻
その返事を聞いた瞬間。
⸻
レキの顔が緩む。
⸻
どうしようもないくらい。
⸻
嬉しそうに。