「あーあ。降ってきちゃった」
ぽつり。と呟いただけだった。片手にビニール袋を持って、買い物を終えたシャルナークはアジトへ戻る前に空から降り出した雨を見上げて小さな息を吐いた。
雲行きが怪しいなと感じていたがここまで早く降り出すとは。買った物は濡れるが仕方ない。生まれ故郷では雨も嵐も凌ぐことなんて当たり前だったし特に何も気にせず足を進めようとした時だった。
パラパラとビニールに跳ね返って響く音が隣で聞こえたと同時に、自分の頭に差し出された柄の部分、細い手と腕を辿れば若い女性がこちらを見上げていた。
「濡れちゃいますよ」
背の高いシャルナークに合わせるように腕を伸ばして傘を差し出す彼女に呆然とするしかなかった。使ってください。という言葉。
別にいらないんだけどな。濡れてもいいし。そんな事を考えて口にはしないけど。
「平気ですよ。すぐ近くなので」
「ダメですよ。風邪ひいちゃいます」
「僕鍛えてるからこの位じゃ体調悪くなりません」
「鍛えてても風邪ひく時はひきますよ」
「大丈夫ですって。それにこれ使ったら君のがなくなるでしょ?」
「私折りたたみあるので」
顔に似合わず頑固な女にシャルナークは困惑するしか無かった。それに見たところ折りたたみなんてない。彼女は片手に買い物したであろう紙袋しか持っていない。
何故か意地になって受け取らないようになってしまった。
「じゃあ君が帰ったら僕も帰る。ほら、折りたたみあるんでしょ。出しなよ」
「……えと、もう少ししたら雨上がるみたいなので待ちます」
「はぁ。……じゃ、僕も上がるの待つ」
嘘だ。この雨は当分は止まない。僅かに匂うその自然の空気に思った。
空を見上げる彼女の横顔をちらりと見る。死と隣り合わせの日々を送っているシャルナークにとってこんな虫をも殺せぬような女にどう接していいかが分からなかった。
貼り付けたような笑顔を見せるが、彼女の笑みはどことなく綺麗で、儚かった。
「今日は何を買われたのですか?」
「え?あー…夕食?友人に頼まれてさ」
「そうなんですね。何作るんですか?」
「作るっていうか缶詰とか、あとお酒」
「缶詰!?それじゃ栄養が足らないですよ」
「そう?便利じゃない?保存期間も長いしお腹にたまるなら何でもいいよ」
実にくだらない話だ。それなのに彼女は笑ったり驚いたり様々な表情を見せてくるから不思議と退屈しなかった。この場を去ろうとは思わなかった。
「だめですよ」
「え?」
「ちゃんと食べないと」
あまりにも真剣な顔で言うものだから、シャルナークは思わず笑ってしまった。
「君、知らない人の食生活まで心配するの?」
「……だって」
「だって?」
「せっかく生きてるんですから、ちゃんと食べたほうがいいじゃないですか」
その言葉に。シャルナークは一瞬だけ、笑顔を止めた。雨音が二人の間を埋める。
――せっかく生きてる。
そんな言葉を、自分に向けられたことなんてなかった。死ぬか、生きるか。その境目なんて、自分にとっては日常の一部だった。今日死んでもおかしくない。明日生きている保証もない。
だからこそ、食事なんて腹が満たされればそれでいいと思っていた。
「……変わってるね、君」
「そうですか?」
「うん。知らない人に傘貸したり、食生活心配したり」
「知らない人だからですよ」
「どういうこと?」
彼女は少しだけ首を傾げて、それから困ったように笑った。
「知ってる人だったら、もっと放っておけないですから」
「……」
「だから、知らない人ならこれくらいです」
そう言って、彼女はまた笑った。その笑顔はやっぱり綺麗だった。けれど。さっきからシャルナークは、その笑顔に妙な違和感を覚えていた。綺麗なのに。どこか寂しい。
「……名前、聞いてもいい?」
何となく。本当に何となく、口から出た。
彼女は少し驚いたように目を瞬かせる。
「私ですか?」
「うん」
「リビです」
「リビちゃん?」
「……ちゃん、ですか?」
「嫌?」
「いえ……」
リビは少しだけ頬を緩めた。
「あなたは?」
「僕?」
「はい」
「シャルナーク」
「シャルナークさん」
「うん」
名前を呼ばれただけなのに。なぜか妙にくすぐったい。そんな感覚に、シャルナーク自身が一番驚いていた。
「じゃあ、リビちゃん」
「はい」
「そろそろ雨、弱くなってきたね」
「あ、本当ですね」
さっきまで強く降っていた雨が、ほんの少しだけ勢いを落としていた。リビは空を見上げる。
「よかった……」
「ね」
「シャルナークさんも帰れますね」
「……そうだね」
そう言いながら、シャルナークはビニール袋を持ち直した。そして、リビに差し出された傘を見る。
「じゃあ、これ返すよ」
「え?」
「ありがとう。助かった」
「でも……」
「大丈夫。もう小雨だし」
「……本当に?」
「本当に」
そう言って傘を閉じようとした時。リビが「あ」と小さく声を漏らした。
「どうしたの?」
「……やっぱり、濡れますよ」
「これくらいなら平気だって」
「でも……」
「心配性だなぁ」
笑いながら、シャルナークは傘をリビの手に戻した。その瞬間。細い指が、ほんの少しだけ彼の手に触れた。
「……」
「……」
二人とも、何故か一瞬黙った。先に手を離したのはリビだった。
「……じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」
「うん」
「風邪ひかないように」
「はいはい」
「本当にですよ?」
「分かったって」
シャルナークは笑った。そして数歩進んでから、ふと振り返る。リビはまだそこにいた。傘を差して。彼を見送っている。目が合う。リビが小さく手を振った。シャルナークも片手を上げる。それだけ。たったそれだけだった。
「……変なの」
歩きながら呟く。名前を聞いた。少し話した。傘を借りた。それだけだ。ただの偶然。雨の日に偶然出会った、ただの一般人。それなのに。なぜか、頭から離れなかった。
*
「遅かったな」
アジトに戻ると、仲間の声が飛んできた。
「雨降ってきたからさ」
「買い物だけで随分かかったじゃねぇか」
「ちょっと雨宿りしてた」
そう答えながら、買ってきたものをテーブルに置く。缶詰。酒。それから適当に買った食料。
「……」
シャルナークは缶詰を一つ手に取る。その瞬間。
『せっかく生きてるんですから、ちゃんと食べたほうがいいじゃないですか』
「……」
何故か、また思い出した。
「……ちゃんと食べろ、か」
自分でもおかしくなって笑う。たった数分話しただけの女の子。名前だって、今日初めて聞いたなのに。
「リビ、ね……」
ぽつり。口に出してから、自分で少し驚いた。
――覚えてる。
当たり前だ。名前くらい覚えている。そう思い直して、シャルナークは缶詰をテーブルに置いた。
「……まあ、いいか」
その日の夜。眠りにつく直前まで。雨音が聞こえていた。そして何故かその音を聞くたびに。あの儚い笑顔が、頭の片隅に浮かんだ。
第二話 また会った
数日後。
シャルナークは、前と同じ道を歩いていた。
別に理由なんてない。
ただ、買い物をするならこの辺りの店の方が品揃えがいい。それだけだ。
――たぶん。
自分でも少しだけ引っかかった。
前に雨宿りをした場所。
あの女の子――リビに会った場所。
「……」
何となく、周囲を見渡す。
いるはずがない。
あの日だって偶然だった。
名前を聞いて、少し話して、それで終わり。
そう思っていた。
「……あ」
聞き覚えのある声がした。
シャルナークが顔を上げる。
少し先。
小さな店の前で、紙袋を抱えたリビが立っていた。
「あの……!」
こちらに気付いたらしい。
ぱっと表情が明るくなる。
「この前の人!」
「……」
シャルナークは一瞬、言葉が出なかった。
――なんで。
なんで、こんなに。
少し嬉しいんだろう。
「こんにちは」
ようやく笑って手を上げる。
「こんにちは、シャルナークさん」
「覚えてたんだ」
「覚えてますよ」
「僕のこと?」
「はい」
あまりにも当たり前に言われて、シャルナークは少しだけ目を細めた。
「そっか」
「今日は雨じゃないですね」
「うん。今日は晴れ」
「よかったです」
「この前は傘、ありがとうね」
「いえいえ」
リビは笑って、それから自分が持っている紙袋を見下ろした。
「……あ」
「ん?」
「そうだ」
何か思い出したように顔を上げる。
「シャルナークさん」
「なに?」
「この前、缶詰とかお酒しか買ってなかったじゃないですか」
「覚えてるの?」
「はい」
「意外と覚えてるね」
「だって、あんなに偏った買い物する人、あんまりいないですから」
「ひどいなぁ」
笑いながら言うシャルナークに、リビもくすくす笑う。
「でも、今日はちゃんと食べてくださいね」
「今日は?」
「はい」
「何かおすすめでもあるの?」
そう聞くと、リビは少し嬉しそうに紙袋を開けた。
「これです」
中から出てきたのは、小さな包み。
「近くのお店のおにぎりなんですけど」
「おにぎり?」
「はい。ここの鮭がすごく美味しくて」
「へえ」
「あと、こっちの梅も美味しいですよ」
「そんなに?」
「はい」
リビは本当に美味しそうに話す。
「お米がもちもちしてて、鮭もちゃんと大きくて。梅も酸っぱすぎなくて……」
「詳しいね」
「好きなんです」
「食べるのが?」
「美味しいものが」
即答だった。
シャルナークは思わず笑う。
「なるほど」
「シャルナークさんは、好きな食べ物ないんですか?」
「んー……」
考える。
好きなもの。
そう聞かれて、すぐに思いつかなかった。
「特にないかも」
「ええ?」
「お腹いっぱいになればいいかなって」
「またそんなこと言ってる」
リビが困ったように眉を下げる。
その顔を見て、シャルナークは少しだけ笑った。
「じゃあ、リビちゃんのおすすめ食べてみようかな」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ……」
リビは自分の持っていた包みから、鮭のおにぎりを一つ取り出した。
「これ」
「……いいの?」
「はい。おすすめなので」
「でも、それリビちゃんのじゃない?」
「私はもう一つ買ってます」
「そう?」
「はい」
シャルナークはおにぎりを受け取った。
小さな包みを開く。
ふわりと米の匂いがする。
「いただきます」
一口。
「……」
「どうですか?」
「……うん」
「美味しい?」
「美味しい」
「でしょう?」
リビが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ている方が、何故かおにぎりより気になった。
「……これ、好きかも」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ、また食べてください」
「また?」
「はい。この辺に来た時は」
「……」
その言葉に、シャルナークは一瞬だけ止まった。
この辺に来た時。
また。
その二つの言葉が妙に耳に残った。
「そうだね」
笑って答える。
「また食べるよ」
「約束ですよ」
「約束?」
「はい」
リビは小さく笑った。
シャルナークはその笑顔を見ながら、ふと思う。
――また来る。
そう思った。
この街に用事があるからじゃない。
おにぎりが食べたいからでもない。
ただ。
もう一度、彼女と話したい。
そんなことを思ってしまった自分に、少しだけ驚いた。
「じゃあ、私そろそろ行きますね」
「あ、うん」
「また会えたらいいですね」
「……うん」
リビが歩き出す。
数歩進んだところで、彼女が振り返った。
「シャルナークさん!」
「ん?」
「ちゃんとご飯食べてくださいね!」
「分かったって」
笑って手を振る。
リビも笑って、今度こそ歩いていった。
その背中が人混みに消えていく。
シャルナークはしばらくその場に立っていた。
「……」
手元には、食べかけのおにぎり。
「……また、か」
小さく呟く。
そして。
自分でも気付かないくらい自然に、リビが歩いていった方向を目で追った。
第二話・続き おすそ分け
アジトへ戻ったシャルナークの手には、いつもの買い物袋とは別に、小さな紙袋があった。
「ただいまー」
「お、帰ってきたか」
声をかけられ、シャルナークは紙袋をテーブルの上に置いた。
「これ、食べる?」
「……何だ、それ」
「おにぎり」
一瞬、沈黙。
「おにぎり?」
「ああ」
シャルナークが紙袋からいくつか取り出す。
鮭、梅、昆布。
「珍しいね、アンタがお土産なんて」
「そう?」
「そうだろ」
「別に。美味しかったからさ」
何でもないことのように答える。
「みんなにもおすそ分け」
「へぇ」
「珍しいこともあるもんだな」
「そんなに?」
「だってアンタ、自分が食べるもん以外ほとんど買わないだろ」
「まあ、そうだけど」
シャルナークは笑いながら、一つずつおにぎりを配っていく。
「はい」
「……鮭か」
「僕のおすすめ」
「お前の?」
「うん」
「急に食に目覚めたのか?」
「失礼だなぁ」
それぞれが包みを開ける。
しばらくして。
「……」
「……」
「……ほんとにうめぇな、これ」
シャルナークが顔を上げる。
「でしょ?」
「米がうめぇ」
「鮭もちゃんとしてる」
「これ、どこのだ?」
「この辺の店」
「へぇ」
シャルナークは自分のおにぎりを一口食べる。
やっぱり美味しい。
けれど。
あの日、リビが嬉しそうに、
『これ、美味しいですよ』
と勧めてくれた時のことを思い出す。
「……」
「シャルナーク?」
「ん?」
「何笑ってんだ?」
「笑ってた?」
「ちょっとな」
「気のせいじゃない?」
そう言って笑う。
そしてまた、おにぎりを一口。
「……美味しいからじゃない?」
「何が?」
「なんでもない」
誰にも言わない。
このおにぎりを教えてくれたのが、誰なのか。
雨の日に出会った、あの女の子のことも。
ただ。
「また食べたい」
そう思った。
おにぎりが。
――なのか。
それとも。
「……」
シャルナークは、自分でもまだ分からないまま笑った。
第二話・続き また会えたら
それから数日。
シャルナークは、いつも通りアジトの外へ出ていた。
特に目的があるわけじゃない。
必要なものを買うため。
それだけ。
……の、はずだった。
気付けば、足は前にリビと出会った通りへ向かっていた。
「……」
自分でも少しだけ可笑しくなる。
別に、会えるなんて思っていない。
あの日も、その前も偶然だった。
そもそも、彼女が毎日この辺りにいるわけでもない。
だから――
「……あ」
いた。
通りの向こう側。
買い物袋を抱えたリビが、店から出てきたところだった。
シャルナークは思わず足を止めた。
リビはまだ気付いていない。
そのまま歩いていく。
「……」
声をかけようとして。
やめる。
なんとなく。
自分から声をかけるのは、少しだけ変な気がした。
けれど。
「シャルナークさん?」
「……」
先に気付かれた。
リビがこちらを見ている。
「やっぱり!」
ぱっと笑顔になる。
「こんにちは」
「こんにちは」
「また会いましたね」
「そうだね」
「この前のおにぎり、美味しかったですか?」
「うん」
「よかった」
「みんなにも買って帰ったよ」
「え?」
「美味しかったから。おすそ分け」
リビは少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ、シャルナークさんもちゃんと食べてるんですね」
「一応ね」
「よかった」
その「よかった」が妙に胸に残る。
「……リビちゃんは?」
「はい?」
「今日は何買ったの?」
「あ、これです」
リビが袋を少し持ち上げる。
「野菜とか、お肉とか」
「ちゃんとしてるね」
「シャルナークさんとは違いますから」
「まだ言う?」
「だって前は缶詰とお酒だけだったじゃないですか」
「覚えてるんだ」
「覚えてますよ」
まただ。
この前も。
そして今日も。
リビは当たり前みたいに、自分のことを覚えている。
シャルナークは小さく笑った。
「じゃあ、今日は僕も何かちゃんと買おうかな」
「何を買うんですか?」
「……分からない」
「じゃあ一緒に選びます?」
「え?」
リビが少しだけ首を傾げる。
「嫌ですか?」
「いや」
シャルナークは笑った。
「お願いしようかな」
二人で並んで歩き出す。
歩幅は自然とリビに合わせられていた。
「シャルナークさん、これどうですか?」
「何それ?」
「果物です」
「……果物?」
「食べたことないんですか?」
「あるよ」
「じゃあ食べてみてください」
「今?」
「今は無理ですよ」
「だよね」
二人で笑う。
そんな些細な会話。
何を買うか。
どの店が美味しいか。
最近少し寒くなったとか。
本当にくだらない話ばかり。
それなのに。
シャルナークは楽しかった。
こんな時間が、自分にあるなんて思っていなかった。
「シャルナークさんって」
「ん?」
「普段、何してるんですか?」
その問いに。
シャルナークは一瞬だけ黙った。
「……仕事」
「どんな?」
「色々」
「色々?」
「うん」
笑って誤魔化す。
リビは少しだけ不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、秘密なんですね」
「そういうこと」
「分かりました」
それだけ。
追及しない。
シャルナークは、少しだけ安心した。
でも同時に。
ほんの少しだけ、寂しかった。
本当のことを話せない。
自分が何者なのか。
何をしているのか。
どんな場所で生きているのか。
何一つ。
それでも。
「また会えたらいいですね」
帰り際、リビがそう言った。
シャルナークは彼女を見る。
「うん」
少しだけ間を置いて。
「また会おう」
自分から、そう言った。
リビは嬉しそうに笑った。
「はい」
その笑顔を見ながら。
シャルナークは思った。
――次は、いつ会えるんだろう。
そして、その瞬間。
自分がもう「偶然会えたらいい」と思っていないことに。
ほんの少しだけ気付いた。
第三話 名前を呼ぶ
それから、また数日が経った。
シャルナークは街を歩いていた。
いつものように、特に目的はない。
……いや。
目的ならある。
食料を買う。
それから――
「……」
自分でも分かっている。
足が向かっているのは、前にリビと出会った通りだった。
「……僕も大概だな」
小さく笑う。
会える保証なんてない。
むしろ、会えない可能性の方が高い。
それでも。
「シャルナークさん!」
「……!」
聞き慣れ始めた声に、シャルナークは振り返った。
リビがこちらへ小走りで近づいてくる。
「こんにちは」
「こんにちは」
「また会いましたね」
「うん」
「最近よく会いますね」
「そうだね」
リビは嬉しそうに笑った。
「不思議」
「何が?」
「だって、シャルナークさんっていつも突然現れるから」
「僕、神出鬼没なんだよ」
「ふふ。なんですか、それ」
笑いながら、リビが隣に並ぶ。
その距離が自然になっていることに、シャルナークは気付いていた。
「今日は?」
「買い物」
「また?」
「うん」
「何を買うんですか?」
「食べ物」
「……」
「何、その顔」
「ちゃんと食べるようになったんですね」
「この前、あれだけ言われたからね」
「私そんなに言いました?」
「言ったよ」
「……すみません」
「なんで謝るの」
二人で笑う。
少し歩いたところで、リビが小さな店を指差した。
「あ、ここ」
「何?」
「パン屋さんです」
「パン?」
「ここのパン、美味しいんですよ」
「またおすすめ?」
「はい」
「リビちゃん、本当に食べ物好きだね」
「好きですよ」
即答。
シャルナークは思わず笑った。
「じゃあ、今日はリビちゃんのおすすめ買おうかな」
「本当ですか?」
「うん」
店に入る。
リビは慣れた様子で棚を見て回り、一つのパンを手に取った。
「これ」
「また名前分からない」
「えっと……」
パンの名前を確認してから、リビが教えてくれる。
「これ、甘すぎなくて美味しいんです」
「じゃあ、それにする」
「もう一つは?」
「え?」
「一つだけじゃ足りないですよ」
「……」
「ちゃんと食べてくださいって言ったでしょう?」
「はいはい」
シャルナークは笑いながら、もう一つパンを取った。
会計を済ませて店を出る。
「そういえば」
リビが隣を歩きながら言った。
「シャルナークさんって、いつもどこから来てるんですか?」
「ん?」
「前に会った時も、その前も、急に現れるから」
「遠くから」
「遠く?」
「うん」
「どこですか?」
「秘密」
「また秘密」
「僕、秘密が多いんだよ」
「そうみたいですね」
リビは笑った。
それ以上、聞かなかった。
シャルナークは横目で彼女を見る。
普通なら、もっと気になるはずだ。
どこに住んでいるのか。
何の仕事をしているのか。
どうしてこんなに突然現れるのか。
けれどリビは、聞いても答えたくないことなら無理に聞かない。
それが、妙に心地よかった。
「リビちゃんは?」
「はい?」
「僕のこと、怖くないの?」
「……?」
「だって、何してるか分からない男だよ?」
少し冗談めかして言う。
リビは考えるように首を傾げた。
「うーん……」
そして、少しだけ笑った。
「シャルナークさんは、怖くないです」
「どうして?」
「優しいから」
「……」
思いがけない言葉だった。
「優しい?」
「はい」
「僕が?」
「はい」
「どこが?」
「ちゃんと私の話を聞いてくれるところとか」
「……」
「あと、ご飯もちゃんと食べるようになったし」
「それはリビちゃんのせいじゃない?」
「ふふ」
シャルナークは黙って前を向いた。
胸の奥が、少しだけ変だった。
嬉しい。
そう思った。
単純に。
この子に優しいと思われていることが。
「……そっか」
「はい」
しばらく歩いて、リビの家が近くなったところで足が止まる。
「じゃあ、私こっちなので」
「ああ」
「パン、食べてみてくださいね」
「うん」
「美味しかったら教えてください」
「分かった」
「また会えたらいいですね」
「……うん」
リビが歩き出す。
その背中を見送る。
少しして。
「シャルナークさん」
振り返ると、リビがこちらを見ていた。
「?」
「またね」
たった一言。
それだけ。
シャルナークは、少しだけ目を細めて笑った。
「うん。またね、リビちゃん」
彼女が去っていく。
シャルナークは手元の紙袋を見下ろした。
パンが二つ。
別に、珍しい買い物じゃない。
それなのに。
今日は妙に大事なものを持っているような気がした。
「……またね、か」
その言葉を、もう一度小さく呟く。
自分が次にここへ来る理由が、また一つ増えてしまった気がした。
第四話 いない日
それからしばらく。
シャルナークとリビは、会えば話すようになっていた。
毎日ではない。
約束をしているわけでもない。
それでも、不思議と街で顔を合わせる。
「こんにちは」
「また会ったね」
「今日は何買ったんですか?」
「秘密」
「またですか?」
そんな他愛もない会話。
時には少し立ち話をして。
時には一緒に店を覗いて。
リビがおすすめの食べ物を教えてくれて。
シャルナークがそれを買って帰る。
そんな関係。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
――ある日までは。
「……あれ?」
いつもの通りを歩いていたリビは、ふと足を止めた。
シャルナークが、いない。
別に。
いつもいるわけではない。
会う日の方が少ないくらいだ。
だから、おかしいことではない。
「……」
なのに。
何となく、周囲を見渡してしまう。
いない。
「……何してるんだろ、私」
自分で可笑しくなって、小さく笑った。
会えると思っていたわけじゃない。
ただ、最近よく会っていたから。
今日は会えるかな。
そんなことを、少しだけ期待していただけ。
それだけ。
*
その頃。
シャルナークは街を離れていた。
仕事だった。
数日で終わるはずの仕事。
いつものことだ。
けれど。
移動中、ふと街の名前を聞いた瞬間。
「あ」
リビの顔が浮かんだ。
「……」
自分でも呆れる。
何をしているんだ。
仕事中だぞ。
そう思いながらも、頭の中には別のことが浮かんでいた。
――今頃、何してるかな。
――ちゃんとご飯食べてるかな。
――またあのパン買ってたりして。
そこまで考えて。
「……」
シャルナークは黙った。
以前なら、こんなことを考えもしなかった。
誰かがどこで何をしているかなんて。
気にしたこともない。
なのに。
今は。
「……会いたいな」
ぽつり。
自分でも聞き逃しそうなほど小さな声だった。
それに気付いて、シャルナークは苦笑する。
「参ったな……」
自覚してしまえば、早かった。
自分はどうやら。
あの子に会うのが、楽しみになっているらしい。
*
数日後。
シャルナークが街へ戻ってきた。
最初に向かったのは、いつもの通りだった。
理由なんてない。
……いや。
ある。
「……」
いた。
店の前。
リビが一人で買い物をしていた。
シャルナークの口元が、自然に緩む。
「リビちゃん」
「……!」
振り返ったリビの目が、大きく開く。
「あ……!」
その顔が。
ぱっと明るくなる。
「シャルナークさん!」
「久しぶり」
「久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「そっか」
「シャルナークさんは?」
「僕も元気」
「……よかった」
その一言が妙に嬉しかった。
リビは少しだけ彼を見つめる。
「しばらく見なかったので」
「うん」
「どこか行ってたんですか?」
「ちょっとね」
「遠く?」
「遠く」
「……そうなんですね」
それ以上は聞かない。
けれど。
少しだけ、寂しそうに笑った。
「また急にいなくなるんですね」
「……」
シャルナークは一瞬だけ黙った。
「寂しかった?」
冗談半分。
軽い調子で言ったつもりだった。
けれど。
「……少し」
返ってきた答えは、あまりにも素直だった。
「……」
シャルナークは目を瞬かせる。
リビ自身も、自分で言ってから恥ずかしくなったのか、少し俯いた。
「すみません……変ですよね」
「いや」
シャルナークは笑った。
いつもの笑顔。
けれど。
その奥には、今までになかった感情があった。
「……嬉しいよ」
「え?」
「僕も、会いたかったから」
リビが顔を上げる。
目が合う。
二人とも、何故か少しだけ黙った。
先に視線を逸らしたのはリビだった。
「……そうなんですね」
「うん」
「じゃあ……」
リビが小さく笑う。
「また会えてよかったです」
「……うん」
シャルナークも笑った。
今度は。
いつもの作った笑顔じゃなかった。
本当に、嬉しかった。