夜に溶ける。


「…あ」
口からこぼれたのは私と卯川くん同時だった。

日も落ちて真っ暗な夜の外、ある一つの公園の入り口で私と卯川くんはばったり出会い、いたたまれなくなり視線を逸らすとまた、ばっちり目が合う。結局公園のベンチに二人で座ったものの終始無言で冒頭の言葉が今日会ってから最初で最後ってことになる。

いや、そもそも卯川くんと私は全くと言っていいほど親密な関係じゃない。もちろん恋人でもなければ友達でもないし、ましてや幼馴染でも、小学校中学校時代のクラスメイトでもない。ただ、つい先日私が一人で買い物に出かけた際、つまづいて荷物をぶちまけた時たまたま通りかかった男の子達が拾ってくれたのだ。その男の子が卯川くんで、達というのはもう一人、背の高い短髪の少年も一緒だったからである。短髪の男の子は初対面の私にも何の遠慮もなく明るくて活発な子で、そんな男の子に卯川くんはセーブして真面目に荷物を拾ってくれた。地面に転がった林檎に手を伸ばした瞬間、卯川くんの手に触れて、視線を上げると彼とぱちりと目が合って、そこには息が触れそうな程彼の顔が近くにあった。心臓が止まる感じがして、同時に卯川くんの顔ってとてもきれいだなって見惚れた。多分私はその瞬間彼におちたんだと思う。拾い終わった去り際に勇気を振り絞って名前を聞くことができた。
それが彼の名前、卯川昌。

もしかしたらまた会えるかもしれない。そんなうまくまた会えるわけないじゃん。半信半疑の気持ちが渦巻いて葛藤していたけれど結局自分の足はあの公園前に来ていた。そうしたら丁度彼も居て。こんな偶然あるんだって嬉しくて、でもいざ彼に会うと心臓が強く波打って呼吸をするのに精一杯になって言葉が出てこなくなった。何を話せばいいんだろう。こういう時どう言えばいいんだっけ、ていうか私いつもどう声を出してたっけ。沈黙が長ければ長くなるほど話せなくなってしまう。あぁ、もう。ヘタレな自分が嫌になっちゃう。

「あのさ、」
「…!、は、はいっ!」

あ、まずい。変な声出ちゃった。ずっと黙ってたから急に声出すと裏返っちゃった。恥ずかしい。やだやだ絶対変だと思われた。せっかく卯川くんからこの沈黙を破ってくれたのに。

「…ぷっ、何その声」

少し間が空いた後、卯川くんは右手を口元に持っていきクスクスと笑った。それで今までの空気が緩んだ気がして安堵する。卯川くん、笑ってくれた。その横顔を眺める私。卯川くん、こんなふうに笑うんだ。下品でも上品でもない。年相応の明るい笑顔。一通り笑って落ち着いたのか一つ息を吐いてこちらを向く。私がずっと見ていたせいかパチリと目が合った途端心臓が大きく跳ねて顔が熱くなる。

「ちょ、…なに」
「え、あ、…あの」
「なんでそんな見てるのさ」
「あ、の、いや…笑いすぎと思って」
「そっちが変な声出すからじゃん」
「…ごめんなさい」

先程とは打って変わってむっとした顔でこちらを見る卯川くんに耐えきれず私の鼻先は自分の膝の上に置かれている手元へ向けられた。またもや沈黙が流れる。あぁ、もうどうしよう。せっかくまた会えたのにさっきから私はまともに彼と接することが出来てない。これが最後になるかもしれない。私は変な女だと思われて終わるかもしれない。それだけは嫌だ。やっぱり好きな人には良い印象を持ってもらいたい。

「…てか、こんな夜遅くに何してるの」
「…え?…えっと、」

実は卯川くんに会えるかと思って。なんて言えるわけもない。隣の卯川くんは、じっと目をして呆れたように私を見ていた。


「女の子なんだから1人で夜遅くにいたら危ないでしょ」
「…うん」
「全く…もっと危機感持ちなよ。いつもこうなの?」


辛辣な言葉が聞こえてまた、う、と詰まる私。だけど、そこには彼の優しさが込められていることを知っている。これも好きになった弱みというやつなのか。彼が何を言っても都合のいいようにとってしまうのだ。

こうして実際会えたことだって、何があっても嬉しいし、どうしようもなくバカな私の口から零れてしまった。


「…卯川くんに、会いたくて…」


素直に零れ落ちた気持ちに、隣の卯川くんが目を見開いて驚いていたのが分かった。その後に、何度か恥ずかしそうに視線をさ迷わせて、ぽつり、と呟いたのが聞こえた。


「はぁ?!バカじゃないの?」


私だってバカだと思う。1度会っただけの男の子に恋をして、また会えるかどうかも分からないのに、会いに来て。


「…そうだよね、バカなんだ…私。だって、」


結局、こうして会えたことにどうしようもなく嬉しいの。1人でどきどきして、今だって話してるだけで楽しくてしょうがないんだ。
そう言うと卯川くんは、顔を赤くしたまま視線を逸らして前を向いた。私も未だに自分の膝を見るだけで、しばらく沈黙が流れた。


「…卯川くんは、時間大丈夫?」


唯一、彼がなんでここにいたのかは分からない。でも時間も時間だし、気になって、帰る…?と言った。本当は帰りたくなんかない。でも彼だって私との時間が楽しくないかもしれないし、付き合わせるのも申し訳なくなった。
返事がないから、ゆっくりとベンチに立ち上がると、彼が口を開いた。


「…きょ、今日は、買い物してないの」


ほどなくして発せられた言葉に首を傾げる。目は合わせないまま、疑問符をつけられてないような、つんけんした言い方で言われた意味に少し経って理解する。


「うん。今日は私の当番じゃないから」



昨日の出来事のことだ。そういうと、そっか…。とどこか残念そうにした彼。どうして…?と言おうとした私に察したのか、勢いよく立ち上がって。


「べ、別に勘違いしないでよ!また荷物落としてるんじゃないかとか!心配だっただけだから!」


慌てたように言った彼に驚いたけれどしばらくして告げられた言葉が私の頭の中で一つ一つ噛み砕いて支配した。
恥ずかしくなって座っている私は太ももの上で手元を見つめるだけ。赤くなってしまった顔を隠すように下を向くと髪の毛が耳からさらりと落ちた。

「そ、そうなんだ…心配してくれて、ありがとう」
「…あっ」


自分で言って驚いた声が隣から聞こえた。

「ちがっ…心配じゃなくて!ちょっと気になっただけっていうか…!」
「…気になってくれたんだ…」
「…なっ!だ、だから…!」

もう何言っても墓穴を掘るだけだ。思わず可愛くて笑っちゃうと、笑うな!と怒るけどそれも可愛い。隠すために下げた頭もクスクスと肩を揺らせて笑っていると、卯川くんは私の目の前に立って足で違う!って顔を真っ赤にさせて地団駄踏んでいた。本当に兎みたい。可愛い。



夜だから暗くて、近くの街頭と、月の明かりだけが私たちを照らす光だけれど、私の赤くなった頬もバレているのかな。

「…家まで、送る」


しばらくして、ツボにハマった私に諦めたのか、卯川くんは落ち着いてそう言ってくれた。
申し訳ないけど、彼とまだ一緒に居たかった私はお言葉に甘えた。
つんけんした言い方するけれど、さっきみたいに可愛いところも知れば緊張も解れて、いつも通りの自分で接することができた。
質問をすればきちんと答えてくれるし、話題は尽きることなく家まで歩く。
卯川くんはミュージカル俳優になりたくて、綾薙学園という名門ミュージカル学科に通っていて、初めて出会った時にいた男の子も同じチームの同級生らしい。自分の夢を持って突き進む彼がとてもカッコよく思えた。

「卯川くん、綺麗な顔してるし舞台映するオーラあるし、声も透き通ってるからきっと素敵なミュージカルになるんだろうなぁ」
「…え?」


初めて出会った時からそうだった。端正な顔立ち。人とは違ったオーラ。ミュージカル俳優を目指しているって聞いて納得だ。きっと彼ならなれる。純粋にそう思った。同時に、彼が歌って踊るステージが見たくなった。

「卯川くんのステージ、見てみたいなぁ」

自然と零れた本音だった。
星が瞬く夜を見上げながら歩く足が、一つ止まった。驚いて立ち止まった卯川くんを振り向いて見ると、目を丸めてこちらを一瞥した後、大きな瞳を伏せた。
なにかまずいことを言っただろうか。不安になって、卯川くん、?と声をかける。

「…ごめんね、不躾だったよね。私なんかが見に行っても迷惑なだけだし」

本気で夢を追いかける人に、軽く見たいだなんて言うもんじゃなかった。卯川くんは、別に…。と歩き始める。申し訳なくなって、気にしないで。と背中を追いかけるけれど、彼は最後まで何も話さなくなった。早足に歩く卯川くんは顔を見せず、右手の裾で目元を拭っている様だった。そんなに酷いことを言ったかな…。後悔の念が押し寄せてきて泣きたくなった。
とうとう家の前まで着いて、卯川くんに精一杯頭を下げた。

「…ちょ、何してんの」
「…ごめん。本当に。軽率に傷付けて」

顔を上げられなかった。どんな罵声でも浴びる覚悟だったのに、帰ってきたのは温かい手だった。

「違う。…嬉しかった。僕のコンプレックスを褒めてくれて」
「…え?」
「ちょ!頭上げないでよ!」
「いたっ!」

驚いて反射的に顔をあげようとすると乗せられた卯川くんの手で押さえ込まれた。
思ったより力強い…。

「…次の公演会には招待するから、絶対見に来てよ」

やっとのことで頭に置かれた手が離されて前を見れば、卯川くんは背を向けていた。照れてるのだろうか。
ぶっきらぼうにスマホを渡されて連絡先を交換して私の不安は掻き消された。嬉しくてニヤけてると、彼がまた笑うな!って怒るその瞬間やっと顔を向けてくれた。相変わらず顔が赤い。やっぱり可愛いな。
目元もほんのり赤くなっていて、やっぱり彼なりに辛いこともあるんだと感じる。だから、これから私が卯川くんの支えになりたいって思った。

「絶対見に行くからね。楽しみにしてるね」

スマホをギュッと胸に握りしめて笑顔を向けると、卯川くんは目を丸めて、また背を向けた。あ、照れ隠しだ。もう慣れて可愛いしか思わなくなった。

「…頑張るから」

また連絡する。最後までぶっきらぼうにそう呟いて、私も笑って頷いた。
散りばめられた星達がこんなにも綺麗だと思った夜は、これから先も一生忘れない気がする。



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