幻想を蘇らすのは香りだ。


どうして手も挙げず希望もしてない私がこんな役割になったんだろう。訪れたお店はいろんな柄の生地や何色もの糸や装飾品が置かれている手芸屋。間近に迫った中学校の文化祭では他のクラスは屋台やお化け屋敷などありきたりな出し物をするのにうちのクラスは演劇というやる気に満ちたものに決まり、無駄に目立ちたくない私は裏方にホッとしていたけれど衣装担当という謎の仕事を任せられた。それは有無を言わさない決め方で、正直こういうの苦手なのにと反論しても、大丈夫!何とかなるから!みんな頑張ろう!と盛り上がっていくクラスに何にも言うことが出来なかった。何故だ。何度思い返しても納得いかない。私も普通に屋台のレジとか喫茶店のキッチンとかがよかった。しかし任せられたからには投げ出す訳にもいかず、材料買ってきてと頼まれてやってきた。渡されたメモを見ながら商品を探して、あとは青い毛糸だけ。お店の端に置かれているのを見つけた。あ、残り1個だ。無くなってなくてよかった。手を伸ばせば、もう1つの手と重なった。


「あ」
「あ」


隣を見れば短髪の垂れた目と剃り込みが入った両眉が特徴の男の子。見た感じ同い年くらいだろうか。中学生の男の子が手芸屋なんて珍しい。しかもちょっと怖そうな。


「...あ、ごめんなさい」


私より少し高い背丈から無表情に見下ろされ、思わず手を引っ込めて謝る。何も返事無い。怖い。頭を下げて見えた視界にはダボダボのズボン。世間で言うボンタンでは。やっぱり不良なのだろか。怖い。


「ほら、やるよ」


中学生にしては既に声変わりした低音の声。顔を上げれば彼は毛糸を差し出していて私を見ていた。


「え、い、いいです!私は大丈夫です!」
「いやいいって。お前、そのメモのやつ買って帰らねぇと困るんだろ」
「...え」
「俺は別にただの部活用だし、ストックはまだあるからよ」


そう言った彼は不思議と怖くなかった。寧ろ思わぬ優しさに驚く。片手はダボダボのズボンに突っ込んだままだけれど差し出された手をもう一度私に向ける。


「もらっとけって」
「...ありがとう、ございます」


おずおずと受け取ると、笑って頷いた彼。左耳に付いていたピアスがゆらりと揺れて光ってちょっとだけ目を奪われた。


「何か作んの?」
「え、...はい。文化祭の準備で」
「へー。文化祭か。俺んとこもう終わっちまったからな」
「うちの学校、ちょっと時期遅くて」


自然に声を掛けてくれた彼に知らないうちに最初の恐怖心なんて消え去っていて、会話が弾んでいた。別に男の子と話すのなんて珍しくない。学校だって共学だしクラスとも分け隔てなく仲良くしているつもりだ。だけど見た目は警戒してしまうような身なりでも、思ったより笑ったり、困ったり、表情が豊かで言葉の節々から汲み取れる優しさを持つ彼に私はいとも簡単に恋に落ちた。


「あの、さっき部活用って言ってましたけど...」
「あー、俺手芸部だから」
「...手芸部」


レジを済ませてお店から出る。自覚してしまえばちょろいもので、そういったギャップでさえ心臓が何かに掴まれたみたいにきゅっと締め付けられる。今しかないと思った。分かりやすく胸が熱くなって、体が震えるけれど、この言葉が今の私の精一杯だ。


「わ、私に、お裁縫教えてくれませんか」


彼は優しく、いいよ。と答えた。





これが全ての始まりだ。名前は三ツ谷隆くん。手芸部は聞いていたけどまさかの部長で教えてくれる度に腕はプロ並みだと思う他なかった。学校も違うし家庭の事もあるのに時間を作ってはお裁縫を教えてくれた。教え方も上手だし好きと同時に尊敬の念も増していく。苦手で心底面倒だった衣装作りも上達するのが楽しくて、そして彼と会えるのが嬉しくて仕方がなかった。


「そこ、返し縫い忘れんなよ」
「あ...うん」


それからいつも隣にいる三ツ谷くんからはすごくいい匂いがした。いつだったか友達が言っていた。好きな人の匂いって特別なんだって。部活終わりの汗の匂いだってドキドキするって。あの頃は何とも思わずに、そうなんだと返したけれど、今となって全肯定したいほど共感できる。
私にとっては返っても無い初恋だからだ。けれど時間が経つにつれてこの想いを拗らせた結果何も伝えられずにいる。今の関係を壊したくなくて、踏み出せない。ただ、そばにいれるならと満足していた。


「あ、ちょっとだけ買い物していいか?」
「うん。大丈夫だよ」
「さんきゅ」


今日も三ツ谷くんと会った帰り道、近くのスーパーに寄る。慣れたように野菜とお肉を手に取る彼に黙々と着いていく。買い物ってガチの買い物だった。え、中学生だよね?賞味期限や鮮度をちゃんと確認しながらカゴに入れていく姿はまさしく主婦だ。母親やおばあちゃんでしか見たことないこんな姿。


「悪ぃ。すぐ終わらせるから」
「ううん。気にしないで」


黙ってた私に気を使わせて声をかけた三ツ谷くんは淡々と迷うことなく必要なものを手に取っていってそのまま日用品のコーナーへ進む。そこで手に取ったのは柔軟剤。あぁ、三ツ谷くんのいい匂いの正体はこれか。と場違いに思った。それは高すぎずどこにでもあるものなのに。私にとっては特別に見えてしまう。


「...と、これで全部か。名字は何か買うもんとかねぇの?」
「うん。私は無いかな」
「んじゃレジ行くか」


無いとは言ったもののレジ横に置いてあったお菓子が目にとまる。毎日と言っていいほど食べてるお気に入りのグミだ。どうしよ、買っとこうかな。まだ2つ先のお客さんがお会計しているから買うには間に合うし。私の視線に気付いた三ツ谷くんが声を掛ける。


「グミか?」
「あ...うん。あのレモン味好きなの」
「へー。取ってこいよ。まだ間に合うし」
「いいの?」
「おう。俺並んでっから」


三ツ谷くんのお言葉に甘えて列を抜けて一袋手に取る。そのまま駆けて戻れば次は私達の番だった。


「ん」
「え?」


戻るや否や三ツ谷くんが私のグミを取ってカゴに入れる。え?と思っていれば即座にそれはレジのバーコードに通されてしまった。


「え、ちょ、お、お金!」
「いいって。買い物付き合ってくれた礼」
「そんな...!それ言ったらお裁縫教えてくれるお礼は私がしなくちゃいけないのに!」
「気にすんなって。ほら財布仕舞え」


私が財布を取り出したら片手でそれを制される。思ったより力が強くて空けれない。彼は表情一つ変えず、定員さんに、袋いらないです。と告げてお会計を済まされてしまった。


不貞腐れた私は帰り道も荷物は持つからと譲らなかったら、片手で持てるくらい軽い方を渡され、私を家まで送ってくれている。エコバッグまで使って。どこまで良い男なんだろう。一緒にいればいるほど欠点なんて見つからない。どんどん好きになっていく。


「そういや、お前の文化祭っていつだっけ?」
「えっと...来週の祝日だから...」


考えて言葉が詰まった。そっか。文化祭が終われば、こうして衣装も作ることもなくなるから三ツ谷くんとの関係も終わるのかな。


「あと1週間もねぇのか」
「...そうだね」


寂しいな。慣れてしまっていた。彼とこうして会うこと、そばにいること。いっそ気持ちを伝えてしまおうか。なんて思ったけれどそんな度胸自分には無いくせに。思えば思うほど寂しさと離れなくない独占欲みたいなものがぐるぐる渦巻いて気持ち悪い。


「その文化祭見に行こうかな」
「...え?」


たった一言。それだけでその心を吹き飛ばしてしまうから。私の気持ちなんてきっと気付いてはいないんでしょうね。




それからあっという間に文化祭当日。順調に準備も進み、衣装もクラスみんなに大袈裟なほど褒められた。私は裏方に徹して午前の部が終わり、少しの休憩中、お昼ご飯を買いに屋台へ向かえば、たい焼き屋に学ランを着た数人が目に入る。その中に待ち侘びた男の子。彼らは何故か注目の的になっていて、三ツ谷くんもこちらに気付いて少し困ったように笑った。


「悪ぃ。1人で来ようと思ったらコイツらも来るって聞かなくてさ」


後ろを親指で指すと背の高い人と前髪を上げてる男の子、それから金髪の女の子。ジトリと見られて少し肩が震えてしまう。


「あの人って...東卍のマイキー?」
「...隣のはドラケンだよね?暴走族の」


暴走族。周りから聞こえた言葉にひゅっと息が詰まる。てことはやっぱり、三ツ谷くんも。


「あんま目立たねぇようにすっからさ」


彼らにも聞こえたのか、背の高い人は声がしたと同時に眉間に皺を寄せて辺りを睨み、三ツ谷くんは空気を読んでたい焼きを貪る前髪の男の子に、行くぞ。と声をかける。

不良って怖いって友達は口を揃えてみんな言っていた。うちの中学校はほとんど優等生でそのままエスカレーターで高校にも上がる。真面目な子しかいないから。三ツ谷くん達みたいに学ランを着崩すこともない。だけど私は知ってしまった。優しい不良もいるんだと。かっこいい不良もいるんだと。


「三ツ谷くん、来てくれてありがとう」


周囲の視線なんて何も気にならなかった。こんなこと今までにない。初めてだ。ずっと優等生みたいにレールに引かれた学校生活で平々凡々と生きたかったはずなのに。初めて私は目立っても不思議と怖くないと思った。


「お裁縫教えてくれたおかげで私達の演劇大成功だよ。あとで午後の部もあるから、絶対見に来てね」


みんなが見てる中、大胆にそう言えば三ツ谷くんのお友達も目を見開いた後、ニコリと笑ってくれた。佐野万次郎くんと妹のエマちゃんと龍宮寺堅くん。幼馴染で同じ族らしい。エマちゃんには、よろしくね。と握手されてちょっぴり小恥ずかった。


その後、文化祭が終わってからも万次郎くんやエマちゃん達とも徐々に交流は続いて、流れで武道くんやヒナちゃんとも仲良くなった。ヒナちゃんは不良の武道くんと既に付き合っていて、羨ましいと思うのが正直だった。他人を羨むことなんてのも今まで無かったのに、知らない感情が私をだんだん弱くしていることに気付かない。



それは突然だった。
武道くんと連絡が途絶えたとかヒナちゃんに聞いて私も慌てて三ツ谷くんの元へ駆けた。




私が知らない世界なのは分かっている。
それでも、行かないで。と彼に言えないわけなかった。初めて見る特攻服。本当にそうなんだ。優しかった三ツ谷くんじゃない。知らない三ツ谷くん。でもどんな彼だって、私にとっては特別なんだって。



伝えたい。




「好き」



秋の季節も変わり、夜風は冷たく枯葉を運ぶ。
強く刺繍された文字の背中に飛び付くとあの優しい匂いが私を揺るがす。



「...私、三ツ谷くん、のこと、好き」




静寂に流れる空間。それが一層、私に現実を突きつけるようで、知らず知らずに涙が頬を伝う。あぁ、私ってこんなに弱かったんだ。気付いてももう遅くて、胸が苦しい。堪えようとする目を瞑っていくつもの想いが込められた特攻服を握り締めた。



「悪ぃ。俺じゃお前を幸せに出来ねぇ」




そんなことない。幸せだった。あなたのそばにいられた時間はずっとずっと幸せだった。
それも全部届かなかった。離れていく柔らかな香りも温もりも風とともに消えていく。

彼と過ごした日々が、もう二度と戻らない過去になった。



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