02.狂った願い

 街を抜け、森の方へ来てみた。とても静かで空気も美味しい。寂れているという点を除けば、この街もそこまで悪くないかもしれない。
「何やってるんだ」
 振り返ると、ボーがいた。ユラはその場を走り去ろうとしたが、ボーに腕を強くつかまれてしまった。
「いたっ……」
「お喋りくらいいいだろ?」
「……」
 ユラはボーを睨みつけた。やっぱりこんな街、大嫌いだ。
「そんな細い目で睨まれたら怖くてたまんねえな」
 ボーは笑いながらそういう。
「放っておいて」
「なんでだよ。幼馴染だろ?」
「私の幼馴染はヴィンセントだけよ」
 その言葉に腹が立ったのか、ボーはユラの頬を殴った。口内が切れ、鉄の味がした。
「ふざけんな!」
 数年前からボーはおかしくなっていたが、最近はさらにひどくなっていた。突然怒り出すのは昔から変わらないけれど。きっと、母親のことで不安定になっているのだろう。
「なんでおまえは……クソっ! 昔からムカつくヤツだぜ」
 ボーはそう言って掴んでいたユラの腕を離した。その隙にユラは走り去った。これでボーに殴られたのは3度目だった。もうこれ以上殴られたくない。
 街に出ると、ユラはショーウィンドウのガラスに映る自分の顔に驚いた。酷いものだ。レスターもヴィンセントもよくボーに殴られると言っていたっけ。ボーが自分の兄でなくて本当に良かったと心から思った。

 あれからさらに数年が経ち、シンクレア夫妻は亡くなった。夫人は病気で、残された夫は自ら命を絶った。不幸は続くもので、そのすぐ後にモール夫妻が亡くなった。シンクレア夫人はこの世を去り、もう面倒をみる必要はなくなった。アンブローズに残る必要もない。モール夫妻は引っ越し先を探しに行った帰り道、大きな事故に遭い、そのまま帰らぬ人となった。
「ユラ、この街を出よう」
 グレッグが言った。
「でも……あぁ、兄さん。私まだ立ち直れてないの。だって、お母さんとお父さんが……。荷造りなんてできないわ……なんだか身体がだるいのよ」
 ユラは、モール夫妻が亡くなってからふさぎ込み、なにもやる気の起きない日がもう何日も続いていた。シンクレア兄弟もそうらしく、最近姿を見ない。ハッキリ言ってボーに会えないことを淋しいとは思わないが、ヴィンセントとレスターがどうしているかは気になっていた。
「だからこそ、だよ。新しい土地に行けば、気分も良くなるよ」
 たしかにそうかもしれない。
「考えておくわ……」
 そう言って、ユラはだらりとソファに凭れかかった。
「ユラー」
 ドアがノックされ、ヴィンセントの声がした。ユラはけだるい身体をなんとか立ち上がらせ、ドアを開けた。
「ヴィンセント……久しぶり」
「久しぶり。キミに、見せたいものがあるんだ。きっと、見れば元気が出るよ」
「そう……、兄さん、私少し出かけてくるわ」
 グレッグは「その方がいいだろう。最近ずっと家にこもりっぱなしだったからな」と言った。

「ヴィンセント、私に見せたいものって?」
「ふふ。それは内緒」
 歩きながらそんなやり取りをする。
 ユラは久しぶりにシンクレア家に足を踏み入れた。まだシンクレア夫人が生きていて元気だったころは、何度か誕生日パーティーに招待してもらったものだ。シンクレア夫妻が亡くなってから家は荒れ放題になってしまっただろうと思っていたが、きちんと掃除もしているらしい。思いのほか、室内は荒れていなかった。
「こっち。こっち」
 そう言うと、ヴィンセントは床につけられた扉を開けた。下には階段が見える。
「地下室?」
「そう。さあ、早く」
 ユラはヴィンセントの後に続いて地下への階段を下っていった。

「僕ね、母さんによく褒められてたんだ。おまえは才能があるって……」
「ええ、私もあなたには才能があると思うわ、ヴィンセント」
 ヴィンセントに案内された部屋の中央に置かれた大きなテーブルに、シンクレア夫人……もといトルーディ・シンクレアが横たわっていた。
「ヴィンセント、お母さんを埋葬してあげなかったの?!」
「お墓なんかよりもずっといい状態にしてあげたんだ。もう少ししたら、兄さんが戻ってくるから一緒に教会まで運ぼうと思う」
「神父様に怒られるわ」
「神父様はもう教会に“置いた”んだ」
 置いた……?
「ヴィンセント、それはいったいどういう……」
「ユラもこれを見れば協力してくれると思うんだ。こっちに来て」
 ユラはまた別の部屋に連れていかれた。その部屋には見たこともない大きな器具が置かれていた。それが何に使うものなのかは分からなかったが、作業場であることは雰囲気からわかった。
「まだ表面を綺麗にするつもりなんだけどね、ひと段落着いたからユラに見せてあげようと思って」
 ヴィンセントが指さす方には……。
「うそよ……ひどい有様だったはず……それに、埋葬したのに……」
 ブラックスーツを着た男性と赤いドレスを着た人が楽し気に微笑みながら、ダンスを踊っている。しかし、彼らはぴくりとも動かない。時が切り取られたような光景だった。そこにあったのは、蝋人形となったモール夫妻だった。
「勝手にお父さんとお母さんのお墓を掘り返したりしてごめんなさい。でも……お墓なんて何の意味もない。生前の姿で目の前にいてくれた方がうれしい。でしょ?」
 ユラは何も言わずモール夫妻を見ていた。
「う……ユラ、怒ったの? 勝手にお墓掘り返したから……お父さんとお母さんを蝋人形にしたから……ごめんなさい。でも、ユラが喜んでくれると思って僕……」
「ありがとう、ヴィンセント」
 その言葉にヴィンセントはにこりと笑った。モール夫妻が埋葬される日、すでに棺桶は閉じられていた。お葬式の時もそうだ。事故のせいで遺体の損傷が激しかったらしい。グレッグは身元確認のために遺体を見たが、ユラは見ないほうがいいと言っていた。
 けれど今、モール夫妻は生きていたころのような姿で嬉しそうにしている。ユラは大切なものを取り戻せたような気分になった。
「ヴィンセント、お母さんを運ぶの手伝うわ。それに、他のことも……手伝うわ」
 ヴィンセントは一瞬、ユラの言っている意味がわからなかった。流石に、ユラがそこまでのことを言い出すとは思っていなかったようだ。ボーとヴィンセントが人間を蝋人形にして、ママの願いを叶えようと言い出した時、レスターでさえ苦笑いをした。そして二人に「正気かい?」と尋ねた。それでも二人が本気だとわかると、最後には協力するとレスターも言ったのだ。
 ユラが協力的なことに驚きながらも、ヴィンセントは喜んだ。
「頑張ろうね、ユラ」
 ユラはぞっとするくらい完ぺきな笑顔を見せた。