あなたが息をしている間、ずっと変わらないことがある

 人間、できることは限られている。



「わあ」

道に連なるようにして生る藤が壮大で、圧倒された。藤だらけだ。花には特に詳しいわけではないが、少なくとも今が季節ではないことだけは知っている。知っていても、実際見てみるとなかなかどうして現実を疑ってしまうのだから、人間不思議なものだ。

「わああ」

というか、思っていたより人間が多い。鬼殺隊の受験者ってこんなにたくさんいるのか。それだけ鬼の被害も大きいのだということなのだろうけど……この人数のおおよそが結局この山で鬼に食われてしまうというのだから、せっかく拾った命を、と思わないこともない。自分じゃない他人に言っても仕方のないことだけど──あれだな、命がもったいない。

(まあ、それを受ける私が言うことじゃないけど)

そっと見渡すと、緊張して硬い顔をしたひとびとが目に入る。腰に手をやれば、師範から借り受けた日輪刀の鍔がカチャリと音を立てる。どれくらいいるんだろう、数えられるだろうか。ひい、ふう、みい、よ──あれ?

(宍色の髪の、こども……)

錆兎。久しぶりだね、元気にしていた?
そう、声を掛けようかと思ったけれど、黒髪の男の子に羽織の裾を引かれ、硬かった面持ちを崩して笑んでいるのを見て、止めた。冨岡義勇だろうか。初めて見る……気がする。どうだろう。まあ、別にどっちでもいいんだけど。それにしても、なんとなく肩に力が入りすぎている気がする。やっぱり声を掛けようか。

「──皆さま、」

動きかけた瞬間、ざわついた緊張で満ちた空気を裂いて、そんな声が飛んだ。入口の前にずっといたのか、音も立てずにいつの間にか女の人がそこに佇んでいた。輝利哉様たち五つ子はまだ生まれていないだろうから、時期的にたぶん、あまね様だろう。なるほど、白樺の妖精とはよく言ったもので、なかば人外じみたうつくしさがあった。……それはそうとして、声を掛け損ねてしまったな。もう選別が始まるのか。説明を受けながら横目で見ると、最初に見たときよりは二人ともリラックスしているように見える。ううむ、どうしたものだろう。

「では、いってらっしゃいませ。ご武運を」

あまね様がそう言い切った途端、わやわやと勇み足、恐る恐るなど各々違った様子で、ひとびとが一斉に山へと踏み入っていく。その先頭であの宍色が駆けていき、黒髪が慌ててそれを追いかけているのを横目に、ひとり残った。聞きたいことがあった。

「あのう、すみません」
「どうか致しましたか」
「ちょっと、質問があって……あの、この選別って、リタイアもできるんですか?」
「リタイヤ、というと……」
「ええと……そうだ、棄権。棄権ってできるんですか?」
「──もちろんです。七日間を過ぎずにこの場所まで戻ってきた方は、その場で棄権することができます」
「選別を棄権しても、隊士になることは?」
「はい、それも可能です。もちろん、再度選別を受けていただくか、何かしらの試練を設けることになりますが──」
「なるほど、そうなんですね。質問は以上です。お答えいただきありがとうございました」
「いいえ、隊士の方々に尽くすのが私の役目ですので。……どうか、ご武運を」
「はい。……はい、ありがとうございます。それでは」

聞きたいことはあらかた聞けた。あとはこの七日間をどう生き残るかどうかだった。しっかと地面を踏みしめ、狂い咲きの藤の森まであと一歩というところで、後方で深々と頭を下げる気配がする。お館様のご内儀に頭を下げられている。みんなはもう行ってしまっている。私ひとりだ。私だけに向けられた丁寧な礼だった。
こんなに光栄なことはなかった。

「ああ、」

噎せ返るような藤の香のなか、あえかなため息のような声が出る。信じられている。それがほんとうかは知らない。そうでなくても別に構わなかった。すくなくとも、それは私の知る誠実のかたちをしているように思えた。

(やろう)

ひとつ、決意した。錆兎は死ぬ。それがいつかは知らないが、わたしの過去の記憶がそう言っている。あの宍色の少年は生き急ぎ野郎だ。それでも、何も今死ぬ必要は無い。あの少年だって大人になれる。何より、見捨ててしまうには情が湧いてしまっていた。

鬼滅の刃の錆兎と、冨岡義勇を殺す。たすけて、その未来を亡す。

のしかかる命の重圧を錯覚する。踏み進めていくうちに羽織に纏わっていった藤の気配が漂って、ゆらゆらと背後に足跡を残した。

*‪ * * * *
//錆兎視点

「やあ」

今しがた斬り捨てた鬼のことなど見えぬように、私と連帯しないかい、と嘯くそいつに、困惑と同時に怒りがわいた。

「桃青」
「うん?」
「何のつもりだ」
「何がかな」

桃青はあくまでもすっとぼけたいのか、俺の顔を見ずに静かに刀を納める。その頭に鱗滝さんの狐面は無かった。

「とぼけるな!」
「いや、別にとぼけてはいないけどね。いったい、きみは何が気に入らないんだ。ちゃんとそこの鬼は斬ったじゃないか」

切ったじゃないか、と言うのに、それ以上の感情は見受けられなかった。いたって平坦な調子だ。狭霧山でのそいつはそうではなかった。

「お前、さっきそこの人を巻き込もうとしただろう!」
「……ああ、そこ?」

冴え冴えとした声だった。それだけでなく、はっきりとわかるほど胡乱な目をしている。

「きみ、履き違えちゃいないか」
「は? 何を言って……」
「この選別を、参加者に求められるものを、だよ。なぜ選別というのか考えたことはあるかい、錆兎。──選別とは、『選びわけること』という意味だ」
「だから、何を……!」
「だからさ──きみがやっていることは、この選別を無価値にしている」
「……何が言いたい、桃青」
「まあ、冷静になりなよ少年。この選別はさ、要は七日間生き残ればいいんだ・・・・・・・・・。わかる? 私たちは生き残ればいいんだよ」
「だから鬼を切っているんだろう!」
「違うよ。きみはがむしゃらに鬼を切って回っているだけだ。わからない? あくまで私たちが求められているのは、生き残る力だよ。鬼は切らなくてもいい。……いや、むしろ、積極的には切らないほうがいいのかな」
「鬼は切るべきだ。人を食べる」
「それはそうだ。ところできみ、刀のこと、ちゃんと見てる?」
「急に何を……」
「──鱗滝さんがさ、刀を大事にしろって言ってたじゃないか。きみ、たぶん選別が始まってからずっと鬼を切っているだろう。刃こぼれはしてなくても、摩耗しているはずだ」
「──!」
「そんなんじゃ死ぬよ。刀はいつか折れる。それが戦ってる最中だったら最悪だ」

もう一度、死ぬよ、と繰り返し言って、それからそいつは笑みを浮かべた。

「だから連帯しよう、錆兎」


 この七日間を生き残れば未来は変わり、それだけで合格なのだから。