生まれてからずっと爪は研いである

 禰豆子が眠りから覚めなくなって半年ほどが経った。鱗滝さんは「もう教えることはない」と言って、岩を斬ることを最終選別への切符として俺に課した。ちょっと訳が分からない。

(岩って、斬れるものだっけ?)

単純な疑問で、渡された真剣を試しに振りかざしてみても、どうしても斬れるビジョンが浮かばない。そうこうしているうちに、内なる鱗滝さんが「刀を折ったら、おまえの骨も折るからな」と何度も低めに脅してくるので、とにかくこれまで鱗滝さんに習ったことを毎日嫌というほど反復してみることにした。禰豆子にとっては面白くないだろうけど、息止めや柔軟など基礎的なことも日記に書いておいて良かったと思った。
俺は頑張ることしかできない男だ。禰豆子を人間に戻すためならなんでもやる。そのためには、鬼殺隊に入らないうちから諦めるわけにはいかなかった。


 そうして、また半年が経った。
俺は焦る。まだ鍛錬が足りないのだろうか。半年も、これだけやって何が足りないのだろう。鱗滝さんは何も教えてはくれない。これではただ無為に時間を過ごすだけだ。

(俺、だめなのかな? 禰豆子はあのまま死ぬのか?)

あのまま、眠ったままで何も食べず、人間にも戻れずに──?

(わ──────っくじけそう!! 負けそう!!)

「頑張れ俺!! 頑張れ!!!」

ガン、と岩には負けない頭に任せて頭突きをする。

「うるさい!! 男が喚くな、見苦しい」

(!? いつの間に!!)

気がつくと大岩の上には男の子が座っていた。

(匂いがしない。狐の面…)

どうして、とそればかりが前に出る。誰にだってどんなに小さくとも匂いがあるはずなのに、その男の子からはまったくそれがしなかった。

「どんな苦しみにも黙って耐えろ。お前が男なら、男に生まれたなら!」

それからその男の子──錆兎は襲いかかってきて、俺はボコボコにされて気絶した。俺は真剣で、錆兎は木刀だったのに。錆兎は俺が何も身につけておらず、何も自分のものにしていないと言い、そして鱗滝さんのことを知っていた。それにあの時「岩を斬った」とも言っていた。
どういうことだろう、あれは誰だろう、と思っていながら目覚めると、傍にはこれまた狐面をした女の子がいて、あの少年は“錆兎”だと教えてくれた。さらに女の子は俺の悪いところを指摘してくれた。無駄な動きをしているところや癖がついているのを治してくれる。なぜそうしてくれるのか、どこから来たのか。聞いても教えてくれない。女の子の名前もしばらく経つまで分からなくて、ずっと“君”と呼びかけていた。

「あの子たちはみんな、鱗滝さんが大好きなんだ」

この言葉は彼女の口癖だった。その後に決まって「錆兎もね」と笑って付け足す。自分たちを語るにはあまりにも他人事のようで、君はどうなんだ、と言いたくて仕方がなかったけれどなんだか悲しそうに見えて、どうしても言えなかった。
二人は兄妹ではない。孤児だったのを鱗滝さんが育てたそうだ。そして、彼女はまたその後に「錆兎は」と付け足した。どういうことだろう。彼女は違うのだろうか。

「子供たちは他にもまだいるんだ。いつも炭治郎を見ているよ」

彼女自身は地に足のついたような考え方をしているように見えるのに、ときどきふわふわとした物言いをする。でも、なんだかそれが顔の見えない彼女の雰囲気とは合っているように思えて、不思議と特別変だとは感じなかった。

不思議、と云うと。彼女は何故か錆兎と遭うことを避けているようで、錆兎は彼女の存在を知らなかった。俺を錆兎以外の誰かが指導している、ということは分かっていても、それが誰かは知らないのだという。どうしてだろう、と幾度となく思っている。二人とも模様こそ違うけれど同じ狐面をしていて、顔を見せてはくれなくて、匂いがしない。こんなにも似ているのに、二人ともがお互いに会おうとはしなかったし、たぶん思ってもいなかった。

「錆兎はたぶん自覚が今は無くて、それでいてわたしのことをそれまでの誰かだと考えているんだろうね」

錆兎が──に会っても何もならないだろうから、と言って彼女は笑った。鱗滝一門は総じて天然、脳筋の気がある、と。それはいつもの儚いまでの笑みと違って、清々しかった。もちろん、面で顔が見えず、匂いもしないから、雰囲気から俺が感じただけだったけれど。

腕が、足が、千切れそうな程。肺が、心臓が、破れそうな程刀を振った。それでも。
それでも、錆兎には勝てなかった──半年経つまでは。