改めて言うが、花宮真は潜入捜査官である。
しかし彼は正義の心を持った人間ではない。
ただ、自分が楽しむために生きている。
部活でラフプレーしていたのも、潜入捜査官になったもの、組織の研究をしていたのも、楽しめればそれでよかった。楽しかったからそれでよかった。
けれど、今の状況はどうであろうか?
表の世界では、余計なお節介の所為で危険な研究をしていると警察にバレ、これ以上潜入を続けさせないよう花宮の身柄を回収しようと動き出した。裏の世界では、警察の動きに気づいた組織が松野京介が捕まらないように行動を制限しだした。
全くもって自由じゃなかった。
それが、とてつもなくつまらなかった。
▼ ▼ ▼
その日、花宮真は毒薬を飲んだ。自分が作った毒薬だ。
それは
確かにTTRX630の効果はAPTX4869と"ほぼ"同じだ。
その毒薬を飲んだものは2時間後、苦しむ事なく息を引き取る。当然その成分は体に残らない。そして、その薬は無味無臭である。
APTX4869はたまたま毒薬として生まれたが、花宮は最初からこの効果を狙って作った。
組織はこの毒薬を粉末状で持ち歩き、殺したい人間の食事や飲み物に入れて殺す。すぐに死なないからこそ、組織の関与は疑われにくい。
都合が良いから花宮もたまに使っていた。
この薬とは別の薬の実験をするために、服用した人を回収し、人体実験に転用していたのだ。
いくつか作った薬のうち、このTTRX630が1番のお気に入りだった。
そんなTTRX630を花宮は飲み、2時間後。苦しむ事なく息を止めた。
花宮の遺体を発見したのは、同じ潜入捜査官仲間である、降谷零だった。
すでに遺体は冷たくなっている。
花宮が死んでいたのは、潜入してからすぐの、まだ自由に動けなかったころに生活していた場所だ。
遺体は死を感じさせないくらい綺麗な状態でベッドに横たわっていた。
テーブルには、花宮が書いた遺書が置いてあった。
『どうしてこうなってしまったのか。
死にたくなくて研究を続けていたが、もう無理だ。俺が望んでいたのは、こんな生活じゃなかった。
これ以上、自分の作った薬で人が死ぬのをみていられない。
多くの人を犠牲にしてしまった事をとても申し訳なく思っている。
こんな犯罪者の命だけど、こんな命でもいいのなら、俺は自分の命を持って罪を償います。』
彼は、優秀でもなんでもなかった。
ただ、生きるのに必死なだけであった。
どうして気づけなかったのか。
そういえば、そういえば彼はあの時言っていた。
"この世界にいると人間のクズばっかと出会うから安心します"と。
あれは、自分が犯罪者だと蔑んででた発言だったのか。もっとよく考えれば気づけたはずなのに。誰も、自分も、彼の心の悲鳴に気づけなかった。
降谷は死なせてしまった事を酷く後悔した。
そして、また仲間を失ってしまったと、静かに泣いた。
優秀な潜入捜査官であった花宮真はもういない。
(……せめて、きちんと弔わなければ)
そう思い、遺体の回収をしようとした時、ガチャリと玄関のドアが開いた音がした。
この場所を知っているのは、組織の人間だけ。つまり、今ドアを開けた人物も組織の人間だ。
「……チッ。遅かったか」
ズカズカと入ってきたのは、ジンだった。
実は、花宮は薬を飲む前、2通のメールを送っていたのだ。
1通は降谷宛に"ごめんなさい"というメッセージを、1通はジン宛に"もう従わない"というメッセージを。
内容が自殺を意味する物だと気づいた2人は、急いで向かったが、手遅れだった。
自分にメールが届いていたと降谷は言えるわけがないし、ジンは誰にも言うわけがない。
「念のため聞くが、これはテメェがやったのか?」
「まさか、そんなわけがないでしょう。僕が来た時には彼はもう死んでいました」
「だろうな。……おい」
ジンはウォッカに声をかけると、死体処理の手配をした。
普通なら死んだまま放置でも問題はないが、ここは組織が所有し、管理している物件だった。遺体が見つかったら流石にまずい。
10分もしないうちに、2人組の死体処理班が来た。
手慣れた様子で、かなり大きいスーツケースに花宮を詰めていく。
「海にでも沈めとけ」
「はいはーい」
遺体が回収されてしまうと、もう埋葬することができない。しかし、ここで回収を止めさせるのも変だ。
降谷は大切な同僚がスーツケースに詰め込まれていくのを、ただ見ていることしか出来なかった。
その日、とある埠頭から海にコンクリートの塊が投げ込まれた。
潜入捜査官、花宮真はもういない。
遺体すらもなくなってしまった。
残ったのは、誰も入っていないただの墓石だけである。