待てができない忠犬みたいな、



女子が憧れるという壁ドンというものをしてみんとてするなむ。え?ちょっと古い?まあそこは目を瞑ってもらおう。そんなわけでテレビでやってた壁ドン特集に感化された私は、このお店の常連である二人を呼び止めたわけである。ちょっと最近足りてないときめきをもらおうと思っての些細な興味から始まった行動が、よもやこんなことになるなんてちょっと、いやだいぶ後悔。

「…ちょっと離れてもらってい?」

「どうして?壁ドンしてほしいと言ってきたのはなまえちゃんだよ」

「うわあ。萩原さんすっごく笑顔!」

壁と萩原さんに挟まれている私は、冷や汗とほてりによる汗に格闘していた。壁に肘をついて覗き込んでくる彼に文字通り縮こまる。これ駄目だ、ときめきとか胸キュンどころじゃない。声がより私の耳に響くよう顔の傾き加減に余念はなく、やや熱っぽい流し目なんてされたら、ほとんど免疫がない私には毒そのものである。計画的犯行ですか、逮捕しますよ。ともすれば呼吸が聞こえるくらいの近さまでずいっと近づいてくる彼に、心臓はいつも以上に働いてて、あと少しで破裂しそうだ。にっこりと、私に対して無駄なイケメンオーラを発してくる萩原さんに、膝がやばいのですよ。これはあれだ、使いどころを間違えたイケメンだ。いつもの穏やかさというか砕けた感じの彼は成りを潜め、私を見下ろすその視線には猛禽類にも似た鋭さを感じる。フクロウに睨まれたネズミ状態。萩原さんに睨まれた爆弾の気持ちが分かる気がした。松田さん、呑気に珈琲飲んでないで助けて。

「壁ドンの感想を聞かせてほしいなあ」

「結論、イケメンの壁ドンは心臓に悪い」

「うーん…期待してた答えと違うから却下」

「まじか。ちょっといつもの萩原さんが見えなくてだいぶ感想に困るよ〜」

「それはドキドキしてるって捉えてもいいのかな?」

「うん!なんかすっごく心臓が痛い!だから離れてくれると嬉しいかな!」

だから早くどいて、とやや疲弊した笑顔を向けると、どうしよっかなあ〜ともったいぶった回答を寄越された。その顔も意識的に低くした声もあかん。というかやってもらっておいて早くどけなんて随分自分勝手に思うのだが仕方がない。思った以上にイケメンパワーが強かったのだ。ぐいぐいと肩を押すけどびくともしない。流石は毎日重たい防具を着てるだけあるね!全然嬉しくない!

「萩原、いい加減に離れてやれよ。なまえの顔見てみろ、そのうち茹で上がるぞ」

「あ。ほんとだ。ここまで素直に真っ赤になるのも珍しいね」

「だああああ!もう!どいて!見るな!」

楽しそうに髪に触れて、よしよしされる。やめろおおお!これっぽっちも悪気がない彼らにもてあそばれているのが分かった。耐えきれず両手で顔を覆ってその場にうずくまる。もう無理だ。立ってるのがつらい。生きてるのもつらい。絶対顔というか頭から湯気が出てる自信がある。イケメンはやっぱり毒だ、遠くから見てるだけに限る。

「なまえちゃん?」

「やりすぎだ。完全にショートしてんじゃねえか」

「もうやだ、萩原さん。顔の皮剥いて3枚目にでもなればいいんだ…」

「ごめんごめん。恥ずかしがるなまえちゃんが面白くてさ」

「知ってる?そういうの、悪趣味っていうんだよ」

「うわ、傷ついた」

「自業自得だ」

未だにニヤニヤする萩原さんから距離をとる。今にも腹を抱えて笑い出そうな萩原さんにジト目を向けつつ、すすっと松田さんに近づいて助けを求めたのも間違った選択だと気づいたのは、萩原さんがいじめると泣きついた後だった。忘れてたよ、この二人が似た者同士だってこと。にやりと三日月が浮かんだことに背筋がひやりとしたのも束の間。隣に座らされたと思ったら、肩に頭を乗せられた。これはいわゆる肩ズンなるものですか?え、二人とも私のこと殺す気かよ。

「ま、松田さん?これはどういう…」

「疲れたから借りるわ」

「あ、うん、どうぞ…じゃなくてね?私お店あるんだけど」

「プレートはひっくり返しておいたから大丈夫だよ」

「萩原さん、何余計なことしてくれてんの?」

ちらっとお店の入り口を見ると、成程確かに入り口に掛けられたプレートは、openと書かれた方が店内側を見渡している。いつの間に変えたし。というかお店に来ていた人がこの二人だけでよかった。比較的店長と距離が近いお店だと認識されているけれど、流石にこの密着度はまずい。見た人が回れ右をしそうな雰囲気だってわかってるし、私だって心臓吐きそうなんだ。いっそのこと人工心肺装置に取り変えて心拍を一定に保ちたい。

「…二人とも、仕事はいいのかなあ」

「昼休憩だしな」

「そうそう、とりあえずここで充電しとかないと午後の訓練がつらいんだよねえ」

だからって二人で私の肩に頭を乗せる必要はないんじゃないかな。人の頭って何キロあるか知ってる?両手に花どころか両肩にイケメンだよ、もう横なんて向けないよ。顔を少しでも動かしたら最後、なんかいろいろ私の中で崩壊する気がする。鼻腔をくすぐるのは二人が各々好んで吸っている煙草の香り。それだけで体が熱くなる。普段はふざけてたり優しさを見せる二人が、こんなに色気を出すなんて反則だ。まだ真昼間なんですけど。放送禁止になるんじゃないだろうか。

「おーもーいー」

「俺らのなまえちゃんに対する愛だと思って」

「萩原、そんな寒い台詞よく言えるな。見ろ、鳥肌立った」

「そうそう。そういうのは珈琲店店主じゃなくて、結婚相手に言いなよ」

「なまえちゃん、最近松田に毒されてるよ。前はもっと優しかったのに…」

「そうか?前からこんなもんだろ」

「松田さん、何気に失礼だよ」

態度を変えてるつもりはこれっぽっちもないけど、萩原さんの目には優しい店主として映っていたらしい。見た目に騙されちゃだめだよ。そんな他愛もない話をしていると萩原さんの携帯が鳴った。表示画面を見て顔をしかめた彼は、ちょっと出てくるわとだるそうに席を立つ。右肩がだいぶ軽くなった。

「つーか何で急にときめき探しなんてし出したんだよ」

「んー深い意味はないんだけど、さぞかしモテたであろう松田さんたちと違って、高校生の時そういうの味わったことないからどんなものかなと…単に興味本位」

「へえ?それで分かったのか?ときめきってやつは」

「イケメンを揶揄うと自分に返ってくるってことは身に沁みた」

もう二度としない、そう零した私を松田さんは鼻で笑った。前から思ってたけど、彼は私を小馬鹿にするきらいがあるようだ。イケメンだから許すけれども。深々と溜息を吐いた私に対して、成程と何かに納得した松田さん。次の瞬間、視界が回転した。気づけば背中に感じた冷たい革の感触と、天井と私の間に挟まれた松田さんのニヒルな顔。押し倒されたと思う時点でもう遅い。あ、これ死んだ。

「いい!!サングラス取らなくていいから!!!」

「下向くと下がって来るから邪魔なんだよ」

「向かなきゃいいんじゃないかな?!」

「椅子ドン」

「新しいの開拓しなくていいよ!」

私の体が落ちないよう、ソファーの手前に手を置くというさりげない気遣いは流石です。でも違うんだ。見下ろしてくる視線がやっぱり見たことないような色気と真剣さを醸し出すから、体は麻痺したように動かなくなる。ネクタイとワイシャツの第一ボタンの隙間からちらりと見える肌に絶妙なエロスを感じざるを得ない。意外と肌白いんだね、じゃなくて。止めて、本当に中てられる。というかなんだ、その繊細で器用な指先は。すすすっと耳の輪郭をなぞられて、ぶわあ!っと顔中に熱が集まるのが分かった。

「ハハッ…真っ赤」

「〜っ!当たり前でしょ!」

「萩原が中々どかなかった理由が分かるわ」

「そこはシンクロしなくていいよ!というかお昼間!松田さんたち警察官!」

「なまえのその顔は確かにまずい。気をつけな」

「何に?!というかそう思うならどいてほしいな!萩原さん助けて!食われるー!」

「おーい、松田君、抜け駆けは禁止だったろ?」

渾身の叫びで漸く電話を終えて戻ってきた萩原さんが、松田さんを一瞥する。なにそれずるい、みたいな視線だったのは気のせいだよね?そうだよね?早く止めてほしいな。

「おー早かったな。なんて?」

「午後は新人の解体実習に付き合えってさ。準備のために早めに戻んないとな」

「ちょっと!この体制で話を勧めないで!そして仕事に早く戻りなさい!」

「車飛ばせば10分か。珈琲注文する時間はありそうだな」

「せっかくなまえちゃんと過ごせてたのに。じゃあテイクアウトの珈琲よろしく〜」

松田さんが漸く視界から消えて、代わりに萩原さんが手を引いて起こしてくれた。開店してから数十分しか経ってないのに、もう10時間働いたくらいには心身ともに疲れている。変な汗もたくさんかいた。散々私をもてあそんでいた二人は、ころっといつも通りに戻っている。これ以上揶揄われてたまるかとカウンター内までダッシュしてお湯を沸かした。悪乗り二人組には次回から警戒しようと思う。あんな心臓がいくつあっても足りない体験はもうこりごりだ。恥ずかしさで死ぬくらいなら、ときめきなんていらない。

「なまえちゃんが野良猫みたいに威嚇してくるんだけど…」

「…いじめすぎたか」

カウンター越しに警戒心に満ちた視線を向けていたら、二人は若干反省してくれたらしい。ごめんごめんと謝りながら癖になりつつある頭ポンポンをされそうになったので、慌てて身を引いた。二人がしゅんっ…としようが関係ない。もう今日はもうとにかくお腹いっぱいなのだ。悪戯はお断り!と言いながらタンブラーを手渡し、半ば強制的に二人を見送った。そのすぐ後にお店に来た少年探偵団諸君に、さっきは3人で何してたの?と聞かれて顔面蒼白になるのはまた別の話。もう絶対、軽率な行動はしない。


title by 夜途