それは実に現実味に欠けて



降谷と付き合っているのか、と聞かれたらすかさず否と答える。誰が!あんな!私を物のように扱う奴と付き合うかってんだ。こっちから願い下げだわ。けれども悲しきかな、恋は盲目とはよく言ったもので、彼女達にとって良く彼の近くにいる私は目の敵になってしまうらしい。想像しているような、色っぽいものも甘酸っぱいものも全くないのに。

「一緒に歩いてたじゃない!!」

「まあ歩いていましたけど…」

「あんたに安室さんは似合わない!!」

よく分からないいちゃもんをつけられた挙句、言い返そうとしたらバチンと頬に痛みが走った。渾身の平手に今までの怒りを乗せ切ったのか、フンと鼻を鳴らしたお姉さま方は去っていく。その後姿を呆然と見送った後、ふつふつと怒りが湧いてきた。なぜこんなことに。それもこれも、私をいいように使うあの上司のせいだ。そうに違いない。これでも我慢してきた方だ。たとえ物を隠されようとポストにごみが詰められようと、できるだけ穏便に、相手を刺激しないように対処してきたつもりだ。でも流石にこれは堪忍袋の尾が切れてもいいだろう。それ以前に警察官が自宅を突き止められるって何事とは思ったもののそれはそれ。私の怒りは収まらない。

「荒れてるな、みょうじ」

「あったり前ですよ。クソ素敵な上司のおかげで朝からとってもいい気分ですね!」

足音荒く出社した私とその腫れた頬を見て、風見さんが眉間にシワを寄せて訝しむ。いやもうね、流石に無理です。これでまた何気無く降谷さんの繋ぎ役としてポアロに行かされたらたまったもんじゃない。恨みの篭った目で見られること必須だ。

「風見さん、私暫く連絡役はやりたくないです」

「喫茶店に怪しまれずに出入り出来るのはみょうじしかいないと、降谷さん直々の命令だ」

「私じゃなくたって全然余裕ですよ。たかが喫茶店、男性客だっていっぱいいます」

「男性が男性を目当てに行ったら目立つだろう」

「そういう世界もあるって、世間は温かい目で見てくれるんじゃないですかね」

「よく言うだろ、木を隠すなら森の中だと」

「その森が針葉樹林の集まりだったら広葉樹なんて一発で見破られて終わりです」

「屁理屈はいい。理由を言え」

「他の女性客から反感を買うのがめんどくさい」

「そうか。引き続き連絡役を頼む」

「聞いてました?!この頬見えてます?!」

何だそんな理由かとばかりにスルーされた。待ってほんとに死活問題なんだよ、風見さん。くるりと背を向けて自分の机に向かう風見さんの腕を引っ張る。ポストを開けた時に中身が生ゴミだった気持ちが君に分かりますか?!と凄い剣幕で言い募ったとき、背広の襟足が後ろから来た何かに引っ張られた。

「ぐえっ!」

「遊んでる暇があったら始末書の一つや二つ、確認しろ」

「お早うございます、降谷さん。今日は此方に?」

「いや、直ぐ出る。理事官に呼び出されただけだ」

「私を吊るし上げながら言う台詞じゃないですよ」

全く首が絞まったら如何してくれるんだ。こちらを見た降谷さんが、目を見開く。ああ、分かります?この頬はあなたが原因ですよ。しかしそれに興味を示したのも一瞬だけで、風見さんと何やらその場で打ち合わせをし始めたため、私も仕事に戻ることにした。そうしてお昼も過ぎる頃、一区切りついた書類を片付け遅めの昼食に出ようと席を立ったタイミングで風見さんが寄って来た。全身で拒否を示すがなんのその。

「これを頼む」

「拒否権を発動します」

「今日の夕方までに届けてくれ」

死刑宣告にも似た指令。こういう大きい組織では下の人間の言葉や主張などあってないようなものらしい。降谷さんに頼まれたという資料を纏めたUSBを渡される。今日中にほしいならメールで送ればいいのに、こういうところは変にアナログなんだよね。これ以上盾突いても私の時間が削られるだけなので、乱暴にそのちっさい記録媒体を受け取ると挨拶もせずその場を後にした。

「いらっしゃいませ、なまえさん。いつものですか?」

「今日はサンドイッチのセットをお願いします」

キラッキラの胡散臭い笑顔で出迎えた上司に、これまた頬が引きつりそうな笑顔を返す。嫌だ嫌だと足を動かしてやって来たのは、上司が隠れ蓑にしている喫茶店ポアロ。太陽のように輝く店員安室さんは今日もお姉様方に大人気らしい。彼に名前を呼ばれた上、イケメンの仕事ぶりが見られるカウンター席に案内されると奥の席から薄ら寒い視線を感じた。これ絶対帰りに何かあるパターンだ。今度何かされたら反撃しようと心に決めて、提供されたサンドイッチを頬張る。これがまたおいしくて涙が出るんだな。トリプルフェイスで仕事もできて料理もうまくてイケメンとかもう次元が違うから、彼は人間を卒業した方がいいと思う。ちょうど片付けに回ってきた安室さんを呼び止めて、空のお皿を差し出す。

「これも一緒にお願いします」

「かしこまりました。追加のコーヒーは如何ですか?」

「大丈夫ですよ〜」

何の気なしの会話。引かれたナプキンの下にあるUSBに気づいた安室さんが、一瞬だけ降谷の瞳に戻り瞬きしたのを確認し、残りのコーヒーを流し込んだ。これで風見さんのお使いは完了。またお越しくださいね、という言葉を背にポアロを出た。歩道橋を渡りながら今日は庁舎に戻って残業コースだなぁと遠い目をした時、背中に走った衝撃。ガクン、と視界がブレる。

「わっ…!」

落ちる、と認識しつつ相手の顔ぐらい見ておくかと首を後ろに向けた。さすがに傷害事件に発展するこれは私の本職をもって相手を指導してもいいだろう。両手を突き出していたのは、男性受けしそうなふんわりゆるふわカールの女性。その瞳は歪んだ恋に満ちている。勘弁してくれ。半ば諦め何も掴むことができずに宙を彷徨っていた私の手を掴んだのは、浅黒い皮膚を持つ男性の手だ。重量に逆らって勢いよく引かれたせいで再度視界がブレたが、全身打撲は免れることができた。これくらい反応しろよ、と黒い笑顔が浮かべられる。こういうことするから余計に私に矛先が向くんですよ。

「大丈夫ですか?」

「あー…有難うございます」

「いいえ。なまえさんに怪我が無くて良かった」

そう言いつつ視線は後ろの女性へ。憧れの人から非難めいた視線を向けられて、涙腺が緩まない女性はいないだろう。案の定、名も知らない彼女は驚きとショックで腰を抜かし、顔も青ざめていた。

「一体どういうつもりです?」

「あの、これは…」

「あー…安室さん、別に怪我がなかったし私は気にしてないです」

「ですか…大事な女性が危険な目に遭わされて黙っているほど、僕は人間はできていないんですよ」

「は…?」

ぽかん、と降谷さんいや安室さんを見上げる。誰が大事な女性ですって?何の話かさっぱり分からない私は完全に置いてけぼりだ。自分の大事な人だと息を吐くように嘘八百を並べる安室さんは、諭すようにけれど有無を言わせない迫力で目の前の女性を説得している。そのうち両目一杯に涙を浮かべたその女性は、蚊の鳴くような声で私に謝罪をした後、そのまま走って人ごみの中に消えていった。何、このB級ドラマみたいな展開は。文句を言う暇も与えられず甲斐甲斐しく手を引かれ、近くの駐車場に止めてあった彼の愛車であるRX-7の助手席に座らされた。どうやらこのまま庁舎に戻るらしい。車を発進させた後、はあ、とひと段落したとばかりにため息を吐いた降谷さん。溜息吐きたいのはこっちのほうである。

「これであの女性が二度と喫茶店に来ることはないな」

「余計に火に油を注がれた気がしてならないんですけど」

「このまま付きまとわれるのも面倒だったらな、お前を当て馬にさせてもらった」

「どうせそんなことだろうと思ってました。あーもう、本当に最悪だったんですからね!」

「すまない。ここまで執拗だとは思わなかった」

もっと沢山今までの恨み嫉みを言ってやろうと思ってたのに、こうも素直に謝られては開いた口を閉じるしかない。不完全燃焼の思いを吐き捨てる代わりに、流れていく景色に視線をやった。心なしか降谷さんもそれなりに反省しているみたいだし、あそこに彼が登場しなくても、あの場で警察手帳を見せて警察官に危害を加えた現行犯でしょっ引こうと思っていたのだ。それにしても大事な人って…よくもまああんなきざなセリフを真顔で言えたものである。私が彼に恋でもしたらどうするつもりだ。

「別に助けていただかなくてもよかったのに」

「少しは可愛げのある対応はできないのか?」

「降谷さんに可愛げ見せてもね…っいた!」

今朝負傷したばかりの頬を急に触られて振り向くと、どこか怒ったような不機嫌そうな色をその瞳に浮かべた降谷さんと目が合った。何その顔。部下とはいえ女の顔に傷が残るようなことをさせてしまったことに憤りでも感じてくれているのか。

「…なんて顔してるんですか。これくらい2,3日で治りますよ」

「…そうだな。みょうじは回復力だけは超人だっだもんな」

「すべてが超人の降谷さんにだけは言われたくない」

そんな冗談を言い合っていると、でも、と急に降谷さんの声に真剣さが戻る。視線は赤く光る信号に向けられたままだ。説教でも始まるのかと身構えた私の耳に滑り込んだのは、思ってもなかった言葉。

「傷が残ったらちゃんと責任とってやるから安心しろ」

「んんん?!」

一体それはどういう意味なのか。聞き返しても彼は自分で考えろというばかりで結局教えてくれなかった。組織壊滅したら特訓してやるとかだったらどうしよう。青ざめる私をよそに、降谷さんは実に楽しそうにハンドルを切っていた。車酔いするから止めてくれ。後日、あの日態々私に記憶媒体を届けさせたのは女性客からの嫌がらせを受けていると知った降谷さんが一肌脱いでくれたのだと知った私が、槍でも降るんじゃないかと風見さんに漏らし、後ろから鉄拳を食らう羽目になるのはまた別の話である。


title by 泣き虫な男爵なのね