メノウの一撃



「…おぉ」

ポストを開けたら熱烈なファンレターが入っていた。ここ最近直接投函される手紙が目立つようになり、それまではあまり気にせずにいたのだけれど、流石に1日に5通も来るとそうも言ってられない。漸く中身を確認する気になって開封してみたところ、やっぱり熱烈な文字が並んでいた。これが俗にいうストーカーか。全然喜ばしくない。それでもまだ実質的な被害もないし付けられているような気配もないので、そのうち飽きるだろうと放っておいた。何かあれば喫茶店の警察組に相談すればいい、そう思っていたけれど、日に日にストーカーさんは過激になっていく。ベビィドールがポストに入っていた時は流石に背筋が震えた。こんなの誰が着るんだ。サイズ合ってないよ、と思ったけどそうじゃない。今対応すべきは私の後ろで般若を召喚した零さんだ。ぽん、と肩に手を置かれる。

「説明できるな?」

「ごめんなさい!」

部屋に着くなり零さんはソファーに、私は彼の前の床に正座した。近くには私が今までもらったファンレターとかポスティングされていた品物が所狭しと並べられている。最初の方の手紙はシュレッダーにかけた後だったため少ないが、それでも手紙の厚さは結構あったし、手作りと思われるスイーツを始め網タイツからさっきのベビィドールに至るまで贈られたものは様々。念のため物的証拠として取っておいたけど、零さんの怒りを増幅させるのにも役立ったようだ。事のあらましを聞く降谷さんの表情が、目に見えて魔王に変わって行く。明日のお日様を拝めるのか心配。

「それで?なまえはここまでされても俺に何の相談もなしか?」

「あの…もうちょっと過激になったら話そうかなって思ってて…」

「もうちょっと?これだけでも十分過激だ。手紙は1日に何通来る?内容は?こんな物までポストに入れられていたのに、過激じゃないと?」

「う…ごめん、なさい。あんまり刺激してもあれかなって思って…零さんも仕事忙しいし…」

「惚れた女1人守れなくて何が国家だ。何かあれば直ぐに言ってくれ。何かあってからじゃ遅いんだ」

「あ、なんか今すごくいいセリフが聞こえたような…もう一回言ってもらうことって…」

「言うわけないだろ」

ですよね!知ってた!それはさておき、このストーカーさんはきっと無傷では済まされない気がする。なんせ日本の公安内でも重要ポジションを務めてきた期待の星に目をつけられてしまったんだから。私をターゲットにしてしまったストーカーに若干同情する。そして私のこれからの生活にも。

「こいつを捕まえるまで帰宅後は毎日俺に連絡しろ。それから店から一人で帰るな。店も18時以降は閉店すること」

「そんな殺生な…夕方って結構な売り上げなんですよ…」

「俺に黙っていた罰だ。それから萩原と松田、光に連絡しておいた。俺が迎えに行けない日は彼らに送ってもらえ」

「うわ、めっちゃ迷惑かけてる!というかいつの間に?!」

ポストの中身が発覚してからこれまで、誰かに連絡する時間なんてなかったように思うけど、いつの間に連絡したんだ。というかどうしてみんな問題を大事にする上に常連組に周知させるかな、過保護すぎだとは思わないんだろうか。ちょっとやりすぎじゃないかな、なんて言おうと口を開いたけど、零さんの顔を見て言うのを止めた。眉間のしわめっちゃ深い。

「とりあえず明日は非番の萩原がかって出てくれた。ちゃんと彼に連絡しておいてくださいね」

「うっす!」

零さんが敬語になるときは逆らっちゃダメな時。これまでの経験をしっかりと頭に刷り込んでいた私は威圧感に促されるまま大きくうなずいた。

「それにしてもなまえちゃんも学習しないよね。ダメじゃん、降谷君を怒らせたら」

「怒らせてないよ、勝手に怒ってるんだよ」

零さんにストーカーの件がバレてから一日目。閉店までいてくれた萩原さんと家路を辿る。折角のお休みを私の用事に使わせてしまって申し訳ない。お礼は珈琲でいいかな、と聞くと嬉しそうに頷いてくれたので彼のお気に入りの豆を仕入れようと思った。街灯がぼんやりと照らすアスファルトを慣れた足取りで進んでいく。

「…確かにこれは危ないかもな」

「ん?街灯が暗いから?」

「そうだね。この道は役場にちょっと進言した方がいいかもね」

そういいながらついっと視線を後ろに向けるので、私もつられて後ろを向く。何も変なところはない。何を見ていたのか聞いたら、なまえちゃんは心配しなくていいんだよ〜なんて甘やかす以外の何物でもない言葉が返ってきた。萩原さんがそういうならまあいいか。そうして二日目、今日は松田さんらしい。お店の戸締りをして振り返ると、相変わらず闇夜にサングラスをかけた彼が、ヘルメットを小脇に抱えて待っていた。今日はバイクらしい。二人乗りは初めてでテンションが上がる。

「わわ!結構後ろってバランスいるんだね」

「しっかり掴まってろ。手を放して落ちたらシャレにならねえからな」

「合点承知!」

零さん以外に抱き着くってちょっと勇気が要るけど、これはノーカンでいいと思う。だいたい松田さんを寄越したのは他ならぬ零さんだしね。怒んないよね?お邪魔します、とおずおずとたくましい腹筋に腕を回し、猛スピードで走るバイクを体験することになった。確かにこれは誰にもつけられないし追い付かれないしいい案だと思うけど、でもやっぱりね…零さんの座り心地のいい車が恋しい。そして3日目。今度が油井さんが送ってくれるらしい。警察の面々を私情で使えるこの状況って、結構異常だと思う。なんせただの珈琲店店主が国家権力を振り回しているのだ。改めて零さんの人脈とか自分のお店の常連さんってすごいと思った。

「それにしてもなまえも災難だな」

「あ、油井さんもそう思う?私もつくづく自分の引きの悪さにうんざりしてるよ」

「だろうなあ。ゼロも怒ってたぞ。あんまり心配かけてやるなよ?」

「う…善処します。でもさ、どこまで話すべきとか分からないんだよね」

「あー…なまえは甘え下手だからなあ。まあ、何でも相談してみろよ。ゼロは頼られることが喜びみたいなもんだし」

逆に何も言わない方がストレスになるらしい。へえ、勉強になった。男の人は相談されることが苦手であるイメージを勝手に持っていたので、今後のためにも参考にしていこうと思う。しっかりと送ってもらって、零さんにも帰宅メールを打っておいた。というかこの3日間は嫌がらせも止まってるし、ポストには何も入れられてない。かわるがわるイケメンを連れ歩く私に、ストーカーも百年の恋から覚めたのだろうか。何はともあれ平穏な生活を取り戻しつつあることに、私自身が一番気を抜いてしまっていた。4日目は零さんが来てくれることになっていたのだけど、遅れると連絡があったもののコンビニに寄りたいしちょっとくらいなら大丈夫かと暗い夜道に足を踏み出してしまった自分を全力で殴りたい。

「うわ!!」

「あれは誰だ?!君には僕がいるのに…!あいつらは誰なんだよ…!この裏切り者!!毎日毎日僕は君を見ているのに返事の一つだってくれやしない…!」

人通りの全くない道で、後ろから走ってきたやせ型の男に肩をつかまれ押し倒された。よく分からない言葉を投げられた上、何を興奮しているのか、話すたびに口から唾が飛び出し、それが下にいる私にかかるのだからとても嫌な気持になる。相手を蹴り返そうとしてものの、そこは男であるらしい。思った以上に強い力で動きを封じられてしまう。馬乗りされては抵抗のしようもなく、やっぱりよく分からない理由で殴られた。口の中が切れて血の味がする。暴力を振るわれたと思いきや、次の瞬間にはさめざめと泣きながら腫れた頬を冷たくかさついた手で撫でてきた。ぞわぞわと毛が逆立ち、悪寒が走る。

「ごめんね痛かっただろう?でもなまえが悪いんだ…僕以外に色目を使うんだから…悪い子にはお仕置きが必要だよね?」

はあはあ、と荒い息が顔のすぐ近くで感じる。やばい、怖い。頬を温かい何かが滑る。気持ち悪さで吐きそう。こんなことなら零さんの言う通りちゃんと待ってればよかった。喉が震えて、助けを求める声なんてでやしない。抵抗むなしく、捲れ上がったTシャツの裾から無骨な手が忍び込み、声にならない悲鳴を上げる。

「や…!や、だぁ…っ!!」

零さん、とそう心の中で叫んだ瞬間、ふっとお腹に感じていた重さがなくなった。それを認識する前に、ぐえっ!とカエルが潰れたような汚い声が響いたのと同時に、抱き起されて自分以外の体温に包まれる。視界の端に映るのは見慣れた金色。夜でも輝かしいその色を持つ人を、間違えるはずもない。

「…全く、だから待っていろと言ったんだ。間に合ったからいいものの俺が来なかったらどうなっていたか分かるか?」

「…っれい、さん…!」

「もう少し待ってられるな?」

凪いだ海にも似た水色。そんな瞳にじっと見つめられることで漸く冷静さを取り戻した私は小さく頷いた。零さんが頷き、同じく道端に転がるストーカーへ向けて、私へ向けたものとは天と地の差ほどもあるとても寒々しい視線を投げる。すっと腕が上がりお決まりのファイティングポーズが取られた。うん、今日もとてもいいジャブしてる!

「全くよくも人のものに手を出してくれましたね。悪い子にはお仕置き、でしたっけ?」

「ひ、ひぃ!!な、なんだお前は…!」

「おや、彼女のことを調べている割に僕のことはご存知ないんですね?いい機会なのでお教えしましょう」

「…や、止め…!」

「しっかり覚えておいてくださいね」

恋人の安室です、と真っ黒な笑顔とともに出された渾身の右ストレート。白いものがこぼれたように見えたけど、これって傷害事件にならないよね?正当防衛になるのかな。あ、でも零さんだから色々もみ消すのか。気を失ったストーカーを踏みつける零さんの後姿は、私でも背筋が凍るほど怖かった。そうして瞬く間に白い護送車が横に滑り込んできたと思ったら、中から出てきた人たちが物言わぬストーカーを収容し走り去っていた。その間わずか3分。ねえ、絶対近くに待機してたでしょ。

「さて、なまえも随分好き勝手に動いてくれましたね」

「え、えへ…あの…これにはわけが…」

「魔が差した、以外の言い訳ならあとでたっぷり聞きましょう」

じりじりと近寄ってくる彼に冷や汗がダダ漏れ。目に見えて挙動不審な私に溜息を吐いた後、そっと大きすぎる両手で包み込んでくれた。その温もりと安心感にさっきまで麻痺していた恐怖感が戻ってきて、思わず抱き着いて泣きじゃくった。怖かったし、気持ち悪かった。零さん以外の人に触られるなんて死んだ方がましだと思うくらいには、あの男性の視線も何もかも嫌悪感の塊でしかなかった。

「うー…っ!」

「馬鹿ですね。泣くくらいなら何故俺の言うことを聞かなかったんです?」

「…だって、れいさん、来るって言ったからっ…一緒に食べれる、ハーゲンダッツ買っておこうって思って…っ」

「それくらい一緒に買えばいいでしょう」

呆れて溜息を吐きつつ、それでも声にはどこか喜びが含まれていて、彼も一緒にハーゲンダッツ食べたいと思ってくれたんだと私も嬉しくなった。もう泣いてるのか笑ってるのか、ぐちゃぐちゃで分からないけど。鼻をすすって上を見上げる。その先には柔らかく微笑んだ零さんがいて、私の頬もここ最近で一番と思うくらいだらしなくなった。よしよし、このまま泣き落としと笑顔作戦で彼の怒りを収めていこう。そんな思いはバレバレだったらしい。

「でもそれとこれと話が別ですからね?」

「えっ…?」

あかん、この笑顔は黒いやつや。背中を氷塊が滑り落ちるのと同時に、しっかりと低い声で宣言された。明日の朝日が拝めるかは、この後の私の行動にかかっている。

「騙されませんよ。きっちりとお仕置きは受けてもらいます」

もう二度と隠し事も言いつけ破りもするもんか。


titl by ユリ柩