偏頭痛とデュエット



これの続き


「いいか?こう来たらこうしろ」

「…あのね、赤井さん」

「運動神経が朽ちていたとしてもこれくらいできるだろう。やってみろ」

やってみろ、と言われてやる人間がいたら知りたい。安室さん相手にジークンドーなる武術を見せられたのだけど、赤井さん気付いてる?安室さん、めっちゃ睨んでるんだけど。これ絶対私に対して開催された特別講習後に異種格闘大会開かれるよね。そもそも何が楽しくて、今にも噛み付きそうな安室さんに向けて目つぶしなんて危険な技を繰り出さなくてはならないのか。しかも自分のお店に来てくれるお客様に対しての訓練だと?そんなことしたらジンさんに速攻で消されるわ。急に銃なんかを出して襲って来た時の対処法らしいけど、日本には銃刀法という法律があるから大丈夫だと言っても聞いてくれなかった。寧ろ護身用の銃を持てと勧めて来る始末。赤井さん、貴方はそんなに私を刑務所に入れたいのかな?

「ちょっと待ってってば!」

「もう少し丁寧に教えたらどうですか?FBI」

「安室さん、そういう問題じゃないから」

「本当なら俺が教えてあげたいところですが、ボクシングだとなまえの手が耐えきれない可能性が高い。商売道具である手に怪我をしてもらっては珈琲が飲めなくなりますし」

「あ、その気遣いは嬉しいけどそうじゃないよ!」

「なまえ、これなんてどうだ?ロシアのシステマ。力なくてもできるぞ〜」

「油井さんも話を聞いて!そもそもそんな格闘技いらないし出番ないってば!」

ノートPCをポチポチいじっていると思ったら、別の格闘技を調べていたみたいだ。油井さんにも言った通り、彼らが言うような護身術は今もこれからも必要としてないし、身に着ける予定もないのだ。そもそもただの喫茶店店主がそんな技を身につけてたらおかしいでしょ。どれに対しても私がノーを突きつけるので、赤井さんの眉間のしわがだんだん濃くなってきた。終いには無理やりは好きではないんだが、と言いつつじりじりと近づいてくるではないか。やめて、太陽を背負って立たないで!それだけで怖さは何千倍にも膨れ上がるんだから!そもそもどうしてこんな状況になってるのかというと、それはジンさんが喫茶店の常連さんになりつつあることを油井さんが知ったところまで遡る。彼がその情報をお仲間に横流しした結果、世にも恐ろしい声音の赤井さんから電話をもらい、恐怖に耐えきれずに着信拒否にしたら安室さんを引き連れて家に押し掛けられた。普段は超がつくほど犬猿の仲のくせにこんなところで意気投合しなくていい。全くいらない気遣いである。

「武術身に着けて、私がマッチョになったらどうしてくれんの」

「嫁の貰い手がなくなるな」

「真顔止めて!」

「自分どころか他人も守れて一石二鳥でいいんじゃね?」

「他人事だと思って抵当に返答しないでもらいたいな、油井さん」

「世の中には少しくらい強い女性に惹かれる男性もいるんじゃないですか?」

「貴方たちにご指導賜ったら、少しどころの騒ぎじゃないから。絶対町一つつぶせるくらいになるよ」

何せ公安の若きエースとFBIきっての切れ者直々に伝授してもらえるのだ。え?うらやましい?そう思う人がいるなら私は喜んでこの権利を手放そう。誰か変わってくれまいか。切実に。はあ、と大きなため息を吐くと、ピクリと3人が反応した。その、溜息を吐きたいのは俺たちの方だって顔やめてもらっていいですか?憐みに満ちた瞳が3人分向けられるのはちょっと腹立つ。

「そもそもね?ギンさんたちはのんびり珈琲を楽しみに来てるのに、何で珈琲の代わりに目つぶしお見舞いしないといけないの?」

「ジンがなまえの店に来ていること自体異常だ」

「何で?誰にだって息抜きの時間は必要だよ」

「…油井、なまえの思考回路はどうなっている」

「俺に聞かれてもな…」

「女性ですからね、多少考えが飛んでいるのかもしれません」

安室さんが何気に酷くて泣ける。じーっと物言わぬ視線を向けていたら、油井さんがニコッと笑った。

「…なまえのその楽観的な考え方は確かに長所なんだが、こうも鈍いと一回殴りたくなるなあ」

「油井さん、笑顔が怖いよ」

「ちなみにジンはいつなまえの店に?」

「…その時狙ってくるつもりでしょ?教えません!」

この3人がお店で暴れたら3か月は開店できなさそう。仮に安室さんたちの言葉を信じたとして、ギンさんがまあ危険人物だったとしよう。それでもお店にいるときのギンさんは黒いブツを出すわけでもなく、気に入りの珈琲をただ静かに嗜んでいるのだ。そのどこにも凶暴な片鱗は見えないし、何よりあの、いかにもこの世界が不満だと言わんばかりの彼の表情が、珈琲を飲んだ瞬間にふと緩んで柔らかくなる瞬間をこっそり観察するのが私の楽しみである。視線に敏感なギンさんには見ていたことはすぐにばれてしまうのだけど。それでも、私の淹れた珈琲で彼の緊張感というか張り付けた仮面を脱ぐ瞬間を見れることは、店長として嬉しい時間でもある。何より彼と一緒にお店で過ごす時間を私が一番楽しんでいるし、くつろげる時間を提供できていることは私の最大の喜びでもあるのだ。その時間を壊すことはできればしたくない。

「何回も言うけど、ギンさんは本当に静かに珈琲を飲んでるだけだから、危険なことなんて何にもないよ」

私の我儘とも言える言い訳を大人しく聞いてくれた3人は顔を見合わせ、出口の見えない溜息を吐いた。彼らが万一を考えて心配してくれていることは分かってはいるけど、お客さんとして一対一で向き合っているときのギンさんは、やはり3人から聞いている通りの人には見えない。勿論ベルさんも。彼女にはお店のインテリアなどで意見をもらうことが多いし、懐に入れたものは後生大事にするような気質も見え隠れしていた。なので、気に入られてる間は当分危険に巻き込まれることはないと思う。

「あのジンが大人しく珈琲をねえ…まあなまえの珈琲に絆されたと考えればなくもない話、かあ…」

「今は大人しいとしてもこの先どうなるかは分からない。なまえに何かあってからでは遅いんだ」

「たまには赤井もいいことを言いますね。貴女の言い分は聞きますが、皆なまえを心配しているということは分かってください」

「…うん、それは十分わかってる」

これはいい方へ進んでいる。くすぐったくはあるけれど3人が私の安全を考えてくれていることは十分すぎる程分かってるし、その想いを無下にするつもりもない。何かあれば頼りになる彼らに相談もしようとは思う。まあ基本的に私が危険な状況に巻き込まれるのはウイスキートリオに関わった事案がダントツである。そんな体験を散々してきてはいるので、ちっちゃなことに一々驚いていられないし心臓に毛が生えもするのだが。それに危険センサーは彼らとかかわるようになってから磨いてきたつもりだ。無理はしないし、少しでも不穏な空気を感じたら連絡を入れることを約束すると、漸くかなり無理やりだし嫌々ながらも私の意見を酌んでくれることになった。危なくなったらちゃんと報告することを念書に書かされ、とりあえず一段落。外出禁止にも、店内に数十台のカメラを設置することにもならなくて内心ほっとした。

「だがフィンガージャブは習得してもらうぞ」

「あれ?!今いい方向に収束しかけたよね?!何で蒸し返しちゃったかな?!赤井さん」

「それとこれとは話が別でしょう。さあ、やりますよ、なまえ」

「やりません!油井さんこの二人止めて!」

「これ食べたらなー。今食べないと麺が伸びる」

「自由か!ていうかそれ私の非常食!!何で勝手にキッチン漁ってんの?!」

私の主張はあって無いようなものらしい。うん、知ってた。私がひそかに楽しみにしていた期間限定のカップ麺が油井さんに食されていく光景を見ながら、赤井さんに首根っこをつかまれたら逃げられるはずもなく、爛々と目を輝かせる安室さんの前に立たされた。この人たち、何か決めたら必ず実行する人たちだってこと忘れてた。でもね、何でもかんでも暴力に任せるのはいけないと思うんだ。

「構えが違う。それでは腕を上げた瞬間にバレるぞ」

「鬼教官!スパルタ!」

「ここまで覚えが悪い生徒は初めてだ」

「一般人と捜査官を比べないで!」

安室君の息の根を止めるつもりでやってみろ、と言われて、はい分かりましたなんて言えるはずもない。ほら見てよ、一本また一本と安室さんの額に青筋が立っていくのが見えるでしょう。これ、絶対報復受けるよ。二人の喧嘩に私を巻き込まないでもらいたい。さっきから何で赤井さんは安室さんを怒らせるようなことばっかりするのかな。

「へえ?俺の息の根を止めることなんてできるんですか?」

「俺が教えているのだからそれくらいまでは成長してもらいたいと言ったまでだ」

「その割には全くなまえの成長が見えませんが。貴方の教え方が悪いんじゃないですか?」

「ホー…」

「なまえ、ちょっと離れていてください。続きはあとにしましょう」

ゆらりと振り向いた赤井さんと、絶対零度の笑顔を浮かべる降谷さん。その二人の視線は決して私に向けられたものではないと信じてる。言われなくても離れますとも。もうヤダこの二人。何でこんなにも相手の神経を逆なでするのかな。とりあえず、油井さんの隣に座って行く末を見守ることにする。誰も試合開始の合図はしていないのに、始まった乱闘。お願いだから床に穴開けたりとか部屋のものを壊さないでくれると嬉しい。お前も大変だな、と言ってくれる油井さんに頷きをもって返した。いつも二人の緩衝材として立ち回っている油井さんにも、たくさん苦労はあったんだなと今更ながらに同情した。

「昔からああなの?」

「大体な。互いに気に入らないところがあるんじゃねえの?」

「よく3人で行動できたね…止められる?」

「無理だな!」

「そんなに明るく言わないでほしいな」

赤井ィィイィ!という絶叫を聞きながら遠い目。油井さんは止める気が全くないし、赤井さんと安室さんは私の指導そっちのけで乱闘始めちゃうし踏んだり蹴ったりだ。二人のガードとか身のこなしは流石だけどね。絶対ギンさんたちよりもこの3人の方が危険だと思ったのは言うまでもない。

title by 骨まみれ