「今日何食べたい?」
毎度のことながら、勝手に居間でくつろいでいた油井さんに声をかける。夕食を余分に作るのには慣れたもので、最近ではリクエストを聞いてあげる余裕まで出てきた。ぜんぜん嬉しくない。油井さんはんーと唸った後、冷麺が食べたいと言い出した。そんなの家に置いてないよ。言えば何でも出てくると思ってる?残念だったな!
「じゃあ買い物行かなきゃ。暑いしさっぱり系の冷麺に1票」
「買い物なら俺も行ってやるよ」
「当たり前じゃん。むしろたまには作ってくれてもいいんだよ」
「俺の手料理食いたい?」
「食べられるものなら」
そんな会話をしながら数分もすれば、油井さんがいつも出歩くときの変装が完了する。少し襟足長めのウィッグとロック系の服と小物、背中には見たことのあるギターケース。顔がいいからどんな格好しても似合っていて悔しい。いつ見ても思うけど、そうやってギターケース背負ってると売れないミュージシャンに見えなくもない。なんなの、公安の潜入捜査官は何でも似合うようにできてるのだろうか。まあ、ケースの中身は絶対ギターなんて平和的なものじゃないらしいけど。物騒なものは持ち歩かないで欲しいと思うけど、彼の職業上仕方ないことらしい。本当かよ。
「いつも思うけど、出歩くのにそのギターケース要るの?」
「ああ、まあな」
「もしそのギターケース検めさせてくれって言われたらどうするの?」
「俺の相棒は恥ずかしがり屋なんだ。見せるわけにはいかない」
「はい、怪しさMax!アウトー!」
どこの中二病だよ。まさか油井さんからそんなセリフが出てくるとは思っておらず、思わず笑ってしまった。2人で連れ立って近くのスーパーへ向かい、カートを押しながら今日の夕飯に必要な食材を見繕っていく。これって、はたから見たらただのヒモ彼氏じゃないだろうか。まあ気にしないけど。冷麺だと麺とお出汁とハムがいるかな。あとは適当に旬の野菜を入れよう。
「オクラ大丈夫だっけ?」
「あぁ。きゅうりも入れてー」
「はいはい。私はトマトも欲しい。取ってー」
「ミニじゃない方?」
「うん、ミニじゃない方。あ、お豆腐も買おう」
「俺、豆腐は絹派だから」
「え、何で今宣言したの?」
「木綿に手が伸びたろ」
「よく見ていらっしゃる。こっちの方が安かったから、つい」
「なまえが木綿派だったら全面戦争だな」
「そんなキ〇コの山とタ〇ノコの里みたいな争いは嫌だよ」
それなりに真剣な油井さんを見て何だか笑えてきた。というか家主の選択に口出してくるとかどれだけ横暴なんだ。まあ、条件反射で相手に合わせてしまう私も私だけど。木綿にはあまりいい思い出がないらしい彼に言われて、絹ごし豆腐に手を伸ばす。ポンポンとカゴに入れられる食品達。あれは嫌だこれが食べたい、なんて言いながら食品売り場を回る。いいよな、食うだけの人は、と少しだけ飲食店の気持ちが分かるような気がした。本当は簡単に食べられる市販のやつか外食でもよかったんだけど、なぜかここで拘りを発揮した油井さんは市販の出来上がったものは嫌だと言い、さらには外食も控えたいと言い出した。立場上目立つ行動や誰かに見られることは避けたいのは分かるけど、市販のやつは嫌だって、ただの我儘だからね。
「私1人で作るのは時間かかるから、油井さんも手伝ってね」
「キュウリの皮むきならやってやるよ」
「キュウリの皮むきは必要ないです。それなりに器用なのにほんと料理に関してはポンコツだよね」
「自炊の必要はなかったからな」
「全部インスタント?」
「あぁ、それか親友の手作りか出前」
どや顔で言われたけど、それって胸張って言うことじゃないと思うな、油井さん。そんな軽口を讃えているうちに冷麺に必要な材料は粗方揃ったので会計をと思ったんだけど、押していたカートの進行方向がぐいんと変えられた。この方向はお酒のコーナーしかない。ジト目を向けると、新商品があるから買いたいと、これからおやつを買ってもらう子供のような表情で言われてしまう。仕方ない、家の戸棚にも彼が中途半端に飲み残しているものはあるので、1本までと制限をつけると、目を彷徨わせてから曖昧に頷いた。おい、複数買う気だろ。
「ちゃんと全部飲んで帰るから大丈夫だって〜」
「おかしいなあ、そのセリフ前にも聞いた気がする」
押していたカートを奪われているので先にお会計というわけにもいかないし、仕方なく彼の後ろをついていくとお酒コーナーには先客がいた。うん、黒いニット帽に見慣れた革のジャケット。この出で立ちは一人しか思い浮かばない。申し合わせてたのかな、君たち。ガラガラというカートの音で私たちに気づいた赤井さんは、手に取り眺めていたバーボンを棚に戻した。
「珍しいな、二人で買い物か?」
「あぁ。暑いから冷麺食べたくなったんだ。なまえが作ってくれるんだと」
「ホー…羨ましいな」
「油井さん、あなたも手伝うんだからね?」
「え、マジか。なまえが腕によりをかけるって言ってたから手伝わない方がいいかと」
おい、いつ誰が腕によりをかけると言ったんだ。半ば無理やりリクエストしたくせに。なまえも大変だな、みたいな目を赤井さんに向けられたけど、あなたも私の頭を悩ませてる1人だってこと忘れないでね。相変わらずの奔放さに溜息を吐いたのだけど、誰も聞いていなかった。悲しい。似た者同士の二人は新しく出ていたお酒の話で盛り上がっている。そして私は気づいた。さりげなく、かごの中のお酒が増えていることに。
「ちょっと油井さん!1本にしてってさっき言った!」
「いいじゃねえか酒くらい」
「金が足りないなら出してやる」
「赤井さん、そういうことじゃないんだよ。部屋に酒瓶が増えるのが嫌なんだよ…片付けるの私ってこと知ってる?」
「中身の消費なら心配すんな!赤井も来たらすぐ飲み終わるって!」
「だからね、そういうことじゃ…んんんん?ちょっと待って、呼ばせないよ?!」
「近々山があってな。家を借りる」
「ふざけろ!」
しれっと言ってるけど、反論する暇もなく決定してるよね、それ。何で家主への報告が一番最後なの。全くもって頭が痛い問題だ。だがしかし、お酒は諦めてもらう!かごに入れられたお酒は丁寧に棚にお返しすると、それをまた油井さんがかごに入れる、というよく分からない作業がエンドレスに繰り返されることになった。物を増やしたくない私と、どうしてもお酒を飲みたい油井さん。どちらも譲る気はない。ああ言えばこう言う。ちょっと待って、油井さん。貴方絶対2本以上手があるでしょ。私の作業の手をかいくぐってお酒が増えるってどういうこと。棚に戻すスピードが追いつかないよ。そんなやり取りをしばらく眺めていた赤井さんが、ぼそりと呟いた。
「…まるで夫婦漫才だな」
「おい、失礼だろ赤井。俺にも選ぶ権利くらいある」
「それ私のセリフだし、あんたが一番失礼だわ。ってちょっと!赤井さんまでどさくさに紛れて何してんの?!」
「酒をかごに入れているが?」
「見ればわかるよ、そんなこと!!」
私が言っているのは、なぜ赤井さんがかごへお酒を投入しているのか、だ。自分の手元に買い物かごあるじゃん。なにそのついで感。この手癖の悪さ、何とかしてほしい。意識を油井さんからそらされたかと思ったら、さっきまで赤井さんが眺めていたバーボンの瓶が冷麺の材料と仲良くかごの中に並んでいた。おかしいでしょ。馬鹿なの?なんなの?
「そろそろなくなるかと思ってな。なまえもたまに飲んでるだろう?」
「何で知ってるの…怖い。って油井さんんん!待って、ストップ!はい、容量オーバーだから全部棚に戻して!」
「各種一本しか入れてないだろ?」
「何でその言い訳でいけると思ったの?馬鹿なの?」
「何だかんだなまえは優しいからなあ」
「はい、甘い言葉で騙せるのは3回までです!」
「チッ…」
噛み付くように言えば、やれやれと肩を竦めた油井さんは、大人しく棚に戻し始めた。ケチだなあと呟かれたけど無視だ無視。甘やかしていたら私の家はBARが開けるくらいお酒で溢れてしまう。全く飲み終わってから新しいものを買ったって遅くないだろうに。ガミガミと言う私に、赤井さんは顎に手を当てて考えた後、大変失礼な言葉を発した。
「…恐妻になりそうだな」
「赤井さん?」
「確かに…俺としては三歩下がって三つ指つくみたいな嫁が理想だなあ」
「寝言は寝てから言うものだよ」
睨みつけるように言えば男性二人は肩をすくめた。こっちがやれやれだわ。私があまりに厳しく言うので、油井さんは飲みたいお酒を赤井さんが持っていたかごへ入れていた。何も言わずにそれを許している赤井さん。私に対してもそれくらい寛大でいてほしいんだけどな。買い物が終わった後、何気なく後ろをついてきた赤井さんが、私の家で夕食をとっていったことは言うまでもない。お酒?勿論増えた。
title by 骨まみれ