No.1
君の声が聞こえる場所で

「は?!同棲?!」

「しーっ!!由美、声大きい!」

慌てて彼女の口を手で押さえたのだが、邪魔だとばかりに剥がされて逆に迫られる。最近どうなの、と女子会という暴露大会に強制参加させられ追求を受けたと思ったらこれだ。だから言いたくなかったのに。ズイズイと迫る由美は珍しく鼻息を荒くし、私を捉える瞳も爛々としている。肉食系女子超怖い。

「展開急すぎでしょ?!あんた達付き合って何ヶ月目よ!」

「だって松田君が…」

「きいいいい!これだから勝ち組は…!」

「勝ち組だなんてそんな…」

「お黙り!なまえ、今日は隅々まで吐いてもらうわよ?!逃げられると思わないことね!」

びしっと指をさしながら、ワインをラッパ飲みする由美はだいぶ出来上がっている。よかった、彼女の家で宅飲みしてて。これがお店だったら店員さんや他のお客さんにかなりの迷惑をかけていたに違いない。私なんていい男もいなければ出会いもないのに!と泣き出した由美を慰めながら、ふと自分を省みる。ひょんな事から合コンで再会し、そのままの流れて晴れて松田くんと恋人同士になることができた。それはそれで確かに喜ばしかったし嬉しさもあったけれど、やっぱり原作を変えてしまったという怖さとか後ろめたさがどこかにあって、本当にこれで良かったのか今でもそんな思いが薄らと私と彼の間に横たわっている。私が勝手に感じてるだけかもしれないけど。どうしても遠慮がちになってしまう私と、逆に今まで抑えていたものを解放するようにぐいぐいくる松田君。破れ鍋に綴じ蓋ってこんな感じなんだろうか。同棲の話だって降って湧いたようなタイミングだったのだ。なかなか思ったように時間を合わせられないね、なんて話をしてたら、じゃあ一緒に住むか、とそんな軽いノリ。それも手かもね、なんて冗談で返した次の日には色んな物件を紹介されてた。松田くん、こういうところ手が早い。

「ニヤニヤしちゃって…!私にも幸せ分けなさい!」

「ニヤニヤしてないし、ほら、由美たんベッドに行こうね〜」

朝まで飲むんだと駄々をこねる彼女をあやしながら何とか寝落ちに持ち込む。朝までって貴女明日仕事でしょ。ベッドに寝かせ布団をかけたところでタイミング良くスマホが鳴った。

「終わったか?」

「うん。タイミングばっちり。松田くんも終わったの?」

「ああ。宮本の家だろ?迎えにいくから待ってろ」

「え、タクシーで帰るしだいじょ…って切れてるし」

疲れてるのに態々迎えに来てもらうのがしのびなくて断ろうとしたのだけど、そんな暇は与えないとばかりに通話が切られる。遠慮すんなと言ってくれるのはいいんだけど何だかなあ。頃合いを見ながら簡単に片付けをして部屋を出る。松田くんはまだ来ていないようで、アパート前のガードレールにもたれながら彼を待った。1人になると、余計にこのまま彼と付き合ってていいのだろうかと弱気な考えが出て来てしまう。物語は進んでいるけれど私が知るものとだいぶ異なっている。何処から狂ってしまったのだろうか。遡っていくといつもたどり着くのは高校生のあの日。図書室で、松田君に見透かされそうになったあの日だ。あの時、どう返答したら正解だったのだろうか。はあ、と溜息を吐き出したところで頭に軽い衝撃を受けた。撫りながら振り返ればやや不機嫌そうな顔をした松田くんがいて、無言でヘルメットを渡される。

「ばーか。何で外にいんだよ」

「すぐ来るかなって思ったから?」

「態々暗い中待ってんな。襲われたら如何すんだ。自覚しろ」

「ふふっ…そんな物好き松田くんくらいだよ」

よいしょと慣れた手つきでバイクの後ろに跨る。しっかりとヘルメットを被ってから目の前にある背中に抱きつけば、物言いたげな視線を向けられた。態とらしく首をかしげるとしっかり掴まってろとやや硬い声が落ちてくる。そうしてけたたましい音を立ててバイクが走り出した。この体勢は好きだ。顔を見られる心配もないし、スピードのせいにして思いっきり彼にしがみつけるから。それにしてもいつも遠慮なくスピードを出されるので、振り落とされないか気が気じゃないのも本当。警察官がスピードこんなに出していいのだろうか。メーター見たことないけど体感70キロは出てるよね?ちょっとはスピード緩めてほしい。信号で止まった時に言ってみたけど鼻で笑われただけだった。

「寄り道すんぞ」

「なんか買って帰る?」

「まだ食い気か?美味そうだよな、この頬肉」

むにっと痛くない強さでほっぺたを摘まれた。ちょっと、何するの。言い返そうと口を開けば、魔の悪いことに信号が青になる。舌噛むぞと脅されて慌てて口を閉じるしかなかった。絶対タイミング分かってやってたと思う。そうして走ること数十分。少し都心から離れた、街を見下ろせる小高い丘へと到着した。バイクを降りるとスタスタと先に行ってしまうので、ヘルメットを取りつつ追いかける。開けた展望台からはネオンで彩られた米花町が見下ろせて、宝石箱のような光景に思わず息を吐いた。

「綺麗だね」

「あぁ。酔い覚ましには丁度いいだろ」

「松田くんの荒い運転でだいぶ覚めてるけどね」

「そりゃどーも」

「褒めてないってば」

隣に立って街を眺める。ごく自然な動作で手が触れ合って、指を絡めた。ゆっくりとしっかりと絡んだ互いの手。悪戯にきゅっと握ってみると、ややあって松田くんも同じくらいの強さで握り返してくれる。握り返すその動作にも普段は見えない優しさを感じ取れて、自分でやっておいて恥ずかしさがこみ上げてきた。暗くてよかったと思う。じゃないと朱に染まる頬を見られて揶揄われてたはずだ。

「なまえ、お前さぁ…」

「んー?」

「いつまで迷ってんの」

ピシッと空気が固まる。弾かれるように顔を上げると存外に真剣な目を向けられていて、冗談めかした返答何て出来る感じじゃなくて、一度開きかけた口は意志を失ったように閉じた。やっぱり見透かされてるのだ。私がこのままの関係でいるべきか悩んでいることも、それが原因で一緒にいるのに疎外感を感じていることも。私が別の世界の人間ということを正直に話した方がいいのだろうか。貴方は漫画の中のキャラクターで、本当は3年前に死ぬはずだったなんて、言うべきなんだろうか。そんなことを正直に話したところで何かが変わるとも思えない。結局私は、彼に異端だと知られることが怖いのだ。全てを知られてこのままでいられるはずはない。何も言わずに距離を置かれて別れるか、この場で気持ち悪がられて別れるか、そのどちらかだ。そんなの本当は嫌だ。別れたくないと、嫌われたくないと思うくらいにはすっかり気持ちが傾いている。心の内の葛藤をしている間、何も言わない松田くんは私の答えを待っているようだった。

「…松田くんはさ、なんで私だったの?」

「あ?」

「何で私を選んだのかなって…」

「好きだから。それ以外に理由なんていんの?」

「…ふふっ…松田くんらしい答えだね」

口は悪いけど臆面もなくストレートに自分の思いを伝えることができるのは、松田くんのいいところであるしそんな所が私も好きである。だからこそそんな正直者の彼に対して隠し事がある自分自身が嫌になるのだ。繋いでない方の手をギュッと握る。言おうか止めようか、そんなことばかり悩んでいた私は、不意に強まった力に引き寄せられた。気付けばむせ返るような煙草の香り。普段は思わず顔をしかめてしまうそれに、何故だか今は安心感を感じていた。

「何に悩んでんのか知らねぇけど、別に俺はなまえに秘密があったって気にしねぇよ」

「…」

「隠してぇことがあんなら無理に聞かねぇし、言わなくていい。どっか浮世離れしたお前だったから目が離せなくなったのも事実だしな」

「…なに、言って…」

「分かんねえ?秘密丸ごとあんたを好きになったんだよ。悪いか」

だから安心して愛されてろ、だなんて、松田くんは私を殺す気なんだろうか。一気に身体中の血液が沸騰する。驚いて彼から離れようとすればきつく抱きしめられて顔を見ることすら叶わない。それでももぞもぞと顔を動かしたときに視界に映った形の良い耳は、今の私と同じくらい真っ赤になっていた。それを見てさらに熱が上がるのだから、こんなことってない。抱きしめる力が強くなるほど、原作がどうとかこのままで良いのかとかそんな迷いは、すごく些細なことに思えてくるから不思議だ。松田くんの腕の中はきっと、思考を遮断する電波が出ているに違いない。

「ふふっ…馬鹿みたい」

「違いねぇ…ったく、くだらねえことで悩みやがって良い加減にしろ」

「…うん、そうする」

原作を変えることも、この世界に馴染みきってしまうことも怖かった。だから彼に好意を寄せられても恋人になっても素直に受け止める事ができなかったし、覚悟も持てなかった。それなのに嫌われたくないだなんて随分我儘だ。だから決めた。どちらかしか選べないなら、私は全部丸ごと受け止めてくれる松田くんを選ぶ。彼のそばでならきっと、どの世界だって生きていける。そんな意味も込めて煙草臭いジャケットに顔を埋めると、でたらめに頭を撫でられた。

「んで?なまえの答えは決まったわけ?」

「…松田くんに愛されることにする」

「言っとくが見返りは貰うぜ?やった分以上にな」

「無償の愛を希望します」

「言ってろ」

顔を上げるとはにかんだような顔の松田くんがいて、思わずその薄い唇に自分のそれを近づけた。触れるだけのキスは今までの許しを請うようなものだったけど、彼を驚かせることは十分にできたらしい。鳩が豆鉄砲を食らったみたいにきょとんとした松田くんは、次の瞬間私の肩に額を当てて顔を隠してしまった。溜息と、服越しに慌てたような心臓の拍動が聞こえる。自分からは結構迫るくせに、私から迫られるのは滅法弱いらしい。してやったりな気分になり必死に笑いを堪えていると、抗議するかのようにぐぐっと体重をかけてきた。そんな重みも何だか心地良くて、緩む頬が止められない。ああ、こんなにも想われてたんだなあ。

「…なまえ、テメー覚えてろよ」

「何を?」

「とっとと帰ろうぜ」

「あ、ちょっと!」

嫌な予感。結局何を覚えておけば良いのかわからない。さくさくも草を踏みしめてバイクへ戻る松田くんを必死に追いかけて、隣に並びながら顔を覗き込んだら軽く頭を叩かれた。照れ隠しがバイオレンスすぎて困る。その後、お返しとばかりに恥ずかしさで死ねるくらい松田くんから不意打ちのキスをもらう事が増えるのだけど、この時の私はそんな事は考えもしなかった。まずは一つ、バイクに乗ったときに噛みつくようなキスをもらう。

「んう!」

「…一生かけて返してもらうから覚悟しとけ」

温度が離れる間際、強い光が灯る瞳に射抜かれる。吐息が、声が鼓膜を震わせ、向けられた言葉に含まれた意味をゆっくりと理解して両手で顔を覆った。嬉しさと、驚きと色んな感情が入り乱れてぐちゃぐちゃだ。もう本当に、どうにかなりそう。

「じゃあ予定決めねえとな」

「何の?!」

「なまえの応えは決まってんだろ?肯定しか受け取らねえしな」

「わわっ…ちょっと…!」

「舌噛まねえように口閉じてろよ!」

グイっと顔から手をはがされて、問答無用で松田君の腰に回される。私の手がしっかりと服を握ったのを確かめるや否や、来た時以上のスピードでバイクが発進した。強引すぎる。真っ赤になった顔を隠すものがなくなったので、せめてもの抵抗にとそこにあった広い背中にぐりぐりと頭を押し付けたんだけど、更にスピードが上がったことから察するに私の行動はただ彼を喜ばせただけだったらしい。でもきっと、何度迷ってもこうやって松田君が強引に導いてくれるのだろう。それも悪くないと、与えられる温もりを感じながら思った。


title by 夜途


- -

*前次#


BACK TO LIST