No.2
クック・ソレイユ

その日は確かに朝から熱っぽかった。でもここ最近食材の仕入れでお店を閉めて居たし、今日の午後こそは開けようとセレブ御用達のビタミン剤と総合感冒薬を飲んでお店に立ったのだが、開店準備をしている時に妙な目眩と発熱を覚え、立って居られなくなった。発熱なんて表現は生ぬるい。内側から焼かれてるような、そんな熱さ。胸を押さえ、耐えきれずその場に蹲る。自分の心臓の鼓動以外耳に入らないし、眼に映るものが大きくなったり小さくなったりして余計に気持ち悪い。何よりも心臓が爆発しそうだ。張り裂けるような痛みとはまさにこの事かと、どこか冷静な判断をする自分がいて、とうとうおかしくなったのかと頭の片隅で笑う。まさか今日が第二の人生最後の日になるとは思っていなかった。こんな事なら赤井さんが隠してた秘蔵のワインを飲んでおくんだった。

「なまえ?!」

果たして私の名前を叫んだのは誰だったか。理解できたのは、誰かが駆け寄って来たという事だけだった。

***

「…」

「…」

「…」

沈黙が痛い。それもその筈。私の目の前には常連さんが所狭しと座っているのだ。流れる沈黙を和らげようと、何ともないよアピールで片手を上げてみたのだが誰も笑顔を返してくれず、怖い顔をした赤井さんが柳眉を片方だけ上げただけだった。辛い。

「それで、これはどういう状況ですか?」

「俺たちにもさっぱりだな。分かるように説明してくれ」

「あのね、あの…」

「なまえ、焦らなくていい。身体は何ともないか?」

上から降谷さん、油井さん、赤井さんの順に声をかけられる。取り敢えず、気を失う前に比べればどこも痛くないし、熱もないから体調もすこぶる良好であるので、首を縦に振っておいた。しかしながら問題はそこじゃあない。ちっちゃくなってしまった自身の両手を見つめて、ぐっぱーを繰り返す。紅葉よりも少し大きい手。幼児特有のむちむち感があるこれが、私の手なんで信じられない。おそらく体感的に4、5歳くらいだと思うけど何故こうなった。溜息の代わりにTシャツが肩からずれ落ちた。それをすかさず直してくれる赤井さん素敵。流石お兄さんだね!

「服は今買いに走らせているからもう少し我慢してくれ」

「赤井、松田達に行かせたのは理由があるんだろう。さっさと話せ」

「あー…俺は何となく分かった。例の組織絡みじゃね?」

「あぁ。似たような症例を聞いたことがある。まあ実際に見たのは初めてだが」

例の組織って何。益々彼らのせいで日常から引き剥がされてるように感じるのは気のせいだろうか。赤井さんの話を聞いた降谷さんの表情が歪み、大きなため息を吐いた。油井さんは目をキラキラさせたかと思ったら、よく出来てんなあとどこか感心しながら私の手を上げ下げしたり、頬をつついたりしている。あんまりにも楽しそうなので、握ってみろと言わんばかりに出された人差し指を、本来曲がる方向とは反対側に曲げてあげた。私で遊ぶのやめてくんない?

「いででで!おい、なまえ、今本気でやったろ?!」

「ざまぁ!」

「なまえさん、その姿で汚い言葉を遣うのはやめなさい。折角の可愛さが台無しですよ」

「ふるやさん、かわいいっていった?!いま、かわいいって…?!」

「訂正します。中身はそのままですね」

「ひどい」

「可愛いかは別にしてこれから如何する。小さいまま1人には出来んだろう」

別にしてってなんだ、別にしてって。赤井さんをギロリと睨んだけど、全く怖く無いとばかりにぽんぽんと頭を撫でられた。完全に子供扱いだ。手馴れてやがる。見上げると3人とも何やら難しい表情をしていた。言いたいことは何となく分かる。幼児化した私が心配ではあるが、皆抜けられない仕事があるに違いない。ちっちゃくたって精神と頭脳は大人なんだからそんなに心配することなんてないのにね。お世話なんてしなくて大丈夫だよ。

「だいじょうぶ。ひとりでできるもん」

「某教育番組じゃ無いんだから無理だろ。どうやって帰んの?」

「それはほら、おくってって?」

「その時点で既に1人で出来ていないが」

「先が思いやられますね…」

「ちょっと、あわれまないで!」

吐き出された3人分の溜息を受け止めきれない。精神的には大人である分、身体的限界との差が大きすぎて困る。頭ではやり方も分かるしイメージもできるのに、如何せんその行動をする身体が追いついていないのだ。すごく不便。皆、苦労をかけてすまんな。

「取り敢えず各々の予定を確認しましょう。光、さっき送ってきた有給申請は却下だ」

「きっびし〜。なまえのためだと思って首を振ってくれればいいのにな」

「だから横に振ったろ。今お前に抜けられたら困る」

「期待されるのは悪いことでは無いぞ、油井」

「おしごとがんばってね、ゆいさん」

「やべえ、その姿のなまえに言われると何だか父親になった気分だ…」

感無量とばかりに目頭を指で抑える油井さん。そんなに感動するシーンだろうか。大丈夫?仕事忙しすぎて疲れてない?隈があるか見てあげようと、油井さんのズボンの裾を引っ張ると、どうしたと破顔してしゃがんでくれた。目元を指で触れてみる。うん、赤井さんほど酷く無いけど隈がいる。なんだか楽しくなってそのまま手を移動させてみた。おお、顎のお髭がチクチクするね。されるがままの油井さん可愛い。

「楽しいか?」

「うん。ふふっ…へんなかおー」

「ゼロ、俺子連れ警官になるわ」

「却下だ」

「なまえもそれくらいにしておけ。喰われるぞ」

「きゃー!」

「喰わねぇよ!」

赤井さんに便乗してふざけてみる。食べられるーと今度は降谷さんの足の後ろに隠れてたのだが、裾を掴まれた彼はびくっと一瞬身体を震わせて眉を下げた。困ったようなはにかんだような、何かを我慢するような表情。そんな表情も出来るんですね、降谷さん。やべえ、この姿めっちゃ楽しい。安室と名乗ってた時は笑顔で子供の相手してたのにな。任務は我慢するけど実は子供嫌いですか?

「…なまえさん、取り敢えず離れましょうか」

「…きらい?」

「っ…いえ、そういうわけでは…」

「何、ゼロ恥ずかしいの?」

「光は黙れ」

「なまえ、降谷君はどうやら恥ずかしいようだ。俺が相手をしよう」

そうか、恥ずかしいのか。降谷さんの表情を崩すのも楽しいけれど、元に戻った時に痛い目見ることは分かっているので、名残惜しいが次は赤井さんで遊ぶことにする。おいでと伸ばされた手に、抱きつくとそのまま抱っこされた。急に地面の感覚が無くなったことにちょっと恐怖を覚えて赤井さんのジャケットを強く握ったけど、慣れてしまえばこちらのものだ。高い高いをされてきゃっきゃと楽しんでしまったけど、これ完全に子供帰りしてるよね。さらに後ろで舌打ちが聞こえた気がしたけど気のせいだろうか。若干空気がピリピリしているような。それはさておき、降谷さんが仕切り直しの咳払いをして各々の空いてる時間を書き出すことになった。身を乗り出せば赤井さんが見やすいように調整してくれた。おお、皆予定びっしりだね。どこぞのブラック企業かと思ったわ。降谷さんなんか空き時間ないじゃん。

「降谷君はここ数日は無理そうだな。今日の夜は松田君と萩原君が空いていれば2人に任せよう」

「明日の昼くらいなら俺が空くから、昼飯くらいなら行けそうか」

「わたし、ナポリタンがたべたい」

「ナポリタンな、了解」

「何勝手に話を進めているんですか。この辺りは風見に振るつもりだったので時間は空きます」

ビャッと半日くらいの予定を線で消した降谷さん。目が本気で怖いよ。憐れ、風見さん。頑張れとしか言いようがない。いつだって降谷さんは赤井さんに対抗心を燃やしているようだ。油井さんはそんな相棒の心持ちなどどうでもいいのか、私が食べたいと言ったナポリタンがあるか近くのお店をスマホで調べてくれている。いいのか、それで。赤井さんはすまし顔のままの割には、私を抱っこする手を緩める気配はない。たかだかお世話係を決めるだけなのにこの殺伐とした感じはなんだろう。私は癒しが欲しいよ。そんなことを思っていると、カランカランと軽快にお店のベルが鳴った。

「なまえちゃんただいまー!可愛い服たくさん買ってきたよ!」

帰るなり私を目掛けて一直線に走ってきた萩原さんを、華麗な足技で退けた赤井さん。顔からソファーに突っ込んだ彼に、いくつかの冷たい視線が向けられたんだが何のその。緩んだ笑顔を崩さない萩原さんのメンタルつっよい。

「趣味分かんねぇから適当だけどな。まあ1週間は持つだろ。降谷のカードだから糸目なく買ってきた」

ちょっと疲れた感じの松田さんが手に持ってきた大きな紙袋を持ち上げる。中には沢山の服があり、しかも殆どスカートかワンピースだった。本当に適当だな。さっきまでの空気を変えるにはグッドタイミングなんだけど、流石にその紙袋の量は買いすぎじゃないかな。ブラックカードって便利。ちらっと降谷さんを見上げると、額というか米神というか思った通り青筋がありありと浮かんでいた。うん、ファイト。降谷さんを応援するようにちっちゃくガッツポーズをしておいた。


title by プラム


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