No.7
見つめていく

松田の通う喫茶店店主のオーナーは基本自由人である。好きな時に店を開け、好きなように運営し、ともすれば思い立ったように店を閉めて好みの豆を探しに行ってしまうような人間でもあった。自分勝手に生きているように見えるが彼女にも色々あるらしい。しかし年の割にはしっかりと自分の意思を持って地に足をつけて生きている。ただその生き方は本人は全くもって気づいていないが、少し危うさが含まれるため、周りの人間はそれなりにヒヤヒヤして生きていた。

「松田さん?元気ないねー…寝不足?」

「あ?どっかの誰かがまた連絡もせずにブラジルに行ってたら、そりゃあ心配で夜も眠れなくなるわな」

「おおう…まさかの私のせいだった!ごめん」

本当に反省しているのか、へらっと笑って軽く謝る姿はもう慣れたもの。松田が眉間にシワを寄せたまま、その小さく珈琲のことしか考えていない頭に手刀をお見舞いする。大袈裟に痛がる姿に少しだけ溜飲が下がった。何処かに行くときは連絡くらいしろと言っているのに、なまえの耳や記憶は機能していないらしい。まだ子供のうちに親を亡くしたせいなのか、人に頼らず自分一人でこなそうとする上、経験も相まって大概はこなせてしまうので彼女の人に頼らない癖はますます悪化してしまうのだ。そのことに内心溜息しか出ない。

「そんな松田さんにブラジル土産をあげるよ!ちょっと待ってて!」

「また変なもんじゃねぇだろうな?」

「またって失礼な…まあネタとして買ってきてるだけだから有用性辺りは目を瞑ってほしい」

「んなこったろーと思ったぜ」

「まあまあ。今回は呪いの人形をモチーフに作られたキーホルダーだよ、どう?キモくない?良かったら使ってね!」

黒塗りの木彫りの人形に妙に生々しい表情がペイントされている。確かにネタというだけあって、こんな気持ち悪い代物を使う人間はいないだろう。こいつ頭大丈夫か、と内心本気で心配してしまった。一方のなまえは松田に目的の物を渡せて満足なのか、にこにことお湯を沸かし始める。ちらっと時計を見れば既に20時半を回っており、普段なら店仕舞いする時間だが彼女を見る限りそんなそぶりは一向に見られなかった。

「つーか、お前こんな夜に店開けてるの珍しいな。普通なら閉店時間だろ」

「ん〜…そうなんだけど…今日開けたの夕方だったし松田さんもまだいるし、多分もう1人来るからさ」

「もう1人?」

「そそ。その人も常連さんなんだけど、来てくれるのいっつも夜だから開けられるときは開けてるの」


その顔に笑顔は絶えない。まるでその人物の為だけに店を夜まで開けていると言っているように聞こえてしまい、何だか面白くない。そう思ってしまうのは単に松田が、なまえに対して手の掛かる妹以上の気持ちを抱いているからだろう。出会った時は互いにまだ若いのもあってか単なる悪友のような感覚だったが、日が経つにつれ友人から妹へ、妹から女を見るようなそれに変わっていった。間に妹が挟まるのもおかしい話だが、それは置いておくとする。

「男か?」

「ん?そうだよ〜結構無口な人だし極悪人面だけどいい人だから安心して!」

安心の基準がてんで不明だが常連なのだから彼女に危害を加えたりはしないだろう。そう思い直して再度運ばれて来た珈琲を楽しんでいると、チリンと来客を知らせるベルが鳴る。ギンさん、いらっしゃーいと嬉しそうな声が店内に響いたことから、どうやら話に上がった常連が来たようだ。何の気なしにその人物の方へ視線を向けたが、次の瞬間、松田はなまえを睨んでいた。何処が安心できるって?そんな心の声が聞こえて来そうである。銀色の長髪に目深に被った帽子、全身黒に身を包んだどう見ても堅気には見えない服装。何も安心できる要素はなかった。

「随分長旅だったみてぇだなァ?」

「そうでもないよ、軽く1週間くらいだし。でもあれだ、台風とか来てお店閉めてたからギンさんとは1ヶ月ぶりくらい?」

「不定期に店開けるのそろそろ何とかしろ。来にくくてしかたねェ」

「いたい」

ベジッとチョップを貰っていたが彼女は変わらず笑っていた。まあ、似たような戯れは松田もよくやるので何ら不思議はないが、他人がやっているのを見るのは余りいい気分ではない。常連や客に可愛がられるのはなまえの性格故であり、そのマスターの取っ付きやすさから珈琲ではなく彼女との会話を目的に店を訪れる客も少なくない。あの銀髪野郎はどちらだろうか。じっと見過ぎていたのか、流石に松田の視線に気付いたのだろう。人を殺しそうな視線を向けられる。が、直ぐに視線はなまえへと戻された。まあ、彼女がひっきりなしに言葉を発しているからだろうが。

「ギンさん、いつものやつでいい?趣向変える?」

「いつもの寄越せ」

「おけおけ!あ、あとね、ギンさんにもブラジル土産あるんだ」

「いらねェ」

「せめて見てから言ってよ。グラさんにあげてもいいからさ」

そう言って手渡したのはやっぱり呪いの人形キーホルダーである。ちゃんとその辺りの気は利かせたのか、首に巻かれた紐の色が松田がもらったものとは異なっているものの、何が悲しくて見ず知らずの、それも男と色違いのものを持たなければならないのか。松田のそんな思いなど露程も知らない彼女は、一度カウンターの下へ引っ込み、慣れた動作で冷めてしまったお湯に火をかける。お通しとばかりに珈琲請を皿に乗せ、序でに突き返された呪いの人形も一緒に乗せその客の前に置いた。置かれた本人は心底迷惑そうな顔をしているがいいのだろうか。その間松田は放置というほどでもないが、2人の仲の良さを見せつけられてやっぱりどことなく機嫌が悪くなっていた。しかしなまえ、と声をかければ彼女は銀髪の男との話を切り上げ、パタパタと変わらない笑顔で寄ってくる。

「ごめんごめん。お代わり?」

「ああ。つかあの客本当に大丈夫なのか?」

「あはは!松田さん心配しすぎ!大丈夫だよー。色々待って来てくれるし、お店で使ってるサイフォンだってギンさんのプレゼントなんだから」

「貢がれてんじゃねぇか」

いつものノリで目の前にある小さな頭を掴んでしまったが、なまえは痛いと言いながらもケラケラ笑っている。いくら常連でも身元が分からない奴は信頼すんな、と注意したところで横から刺すような視線を感じた。考えずともあの銀髪の男だ。負けじと松田も睨み返す。睨み合っていることに気付いたなまえは松田と銀髪の男を不思議そうに交互に見遣り、思い付いたようにパチンと指を鳴らした。

「二人とも仲良くなりたい感じ?相席準備するね!」

「いらん」

「余計なことすんな」

「えー…なら何で見つめ合ってたよ」

「誤解を招きそうな言い方だな、おい」

「そっか、松田さんは萩原さんじゃないと駄目かー」

「なまえ、その口閉じられたいか?」

片手で頬を挟み蛸のようにしてやると、バタバタと暴れる。お湯が湧いたところで漸く放してやれば、頬っぺた痛い〜と言いながらも2人分の珈琲をあっという間に淹れ、それぞれの前に運んだ。なまえは少し赤くなった頬を銀髪の常連に見せていたが、自業自得だと切って捨てられ相手にもされず、ずこずこと引き下がった。店内に2人分の珈琲を飲む音と、かちゃかちゃと食器を片付ける音が響き、ゆっくりとした時間が流れていく。先に席を立ったのは銀髪の男であった。

「あれ、ギンさんもう帰るの?」

「あァ。今日は落ち着いて飲めねェからなァ」

「私煩かった?次来るときはもうちょっと静かにするね」

その言葉に何も言わなかったが、彼女の頭をぐしゃりと撫でた男は無言のまま帰っていった。気安く触んな、とも思ったが、素知らぬ顔をして残りの珈琲を煽る。有難うございました〜という間抜けななまえの声がその背中を追う。松田のもとに戻ってきた顔はどことなくしょんぼりとして見えた。

「…何?あの客のこと好きなわけ?」

「そりゃあ珈琲理解してくれるお客さんだし好きだよ」

「…ふーん」

「でもギンさん気難しいからなあ…機嫌悪かったみたいだし、次来てくれるかどうか…」

別に来なくていいじゃねえの、という言葉が喉まで出かかったが、それを言ってしまえば益々なまえの元気がなくなってしまうだろう。それでもやっぱり、自分の知らないところで自分の知らない客を心待ちにしていると思うと、どうしたって面白くない。自分ならもっと頻繁に飲みに来てやれるし、話し相手にだってなれる。別に松田とて珈琲だけを目的に来ているわけではないのだ。

「…まあ、あいつが来なくなったらその分俺が来てやるよ」

「あははっ!松田さん、これ以上通い詰めたらカフェイン中毒になっちゃうよ?でも嬉しー!当分は松田さんで我慢するよ」

「我慢とは聞き捨てならねーな」

ああ言えばこう言う。口が減らない女である。それでも嬉しそうに笑うから、今回ばかりはそれで勘弁してやるかと、松田もそろそろ帰ることにした。

「なまえ、勘定」

「はいはーい!」

お会計をしたものの、そのままカウンターに戻っていった松田を、なまえは不思議そうに見ている。忘れ物かと声を掛けようとしたところで彼が呆れたように振り返った。

「何してんだ、早く片付けろ」

「え?え?」

「いつもより遅いからな。送ってってやる」

「ほんと?!すぐ準備するね〜!」

時間はすでに22時を回っている。送っていくくらいの我儘と、彼女の時間を貰うくらい許されるだろう。萩原に帰寮の時間が23時以降になることをメールで伝えながら、パタパタと慌ただしく片づけ始めたなまえを待つことにした。


後日、いつものようにブルーマウンテンを頼んだ松田の横にはニヤニヤと普段から締まりのない顔をさらに緩めた萩原と、油井、偶然を装ったように店に入ってきた赤井と降谷がいた。みな、ニヨニヨと松田を見ている。居心地が悪い事この上ない。なぜこんなことになっているのか。それはもう、一番の原因であるこの男、萩原のせいであるとしか言えない。なまえはこのメンツが揃うのは珍しいと言いながらも、普段より多い客を捌くのに必死でこちらの様子など見えていないようである。

「んで、あの日は送ってっただけか?」

「萩原、離れろ。暑苦しい」

「松田は意外に奥手だよなあ…降谷と赤井に聞いてみろ。出会って3秒で持ち帰るぞ」

「油井、お前は俺に何回投げられれば気が済むんだ?」

「女を持ち帰るなんて向こうでは日常茶飯事だ。何も恥ずかしがることはないぞ、降谷君」

「黙れ、赤井」

揶揄いに来たのか応援に来たのか分からない悪友たちに溜息しか出ない。できることならそっとしておいてほしいと思う松田であったが、こんな楽しい事に参加しない手はないと言いたげな4人を誰も止められはしなかった。同期思いにもほどがある。誰も頼んじゃいないが。

「相変わらず仲いいねえ、5人は」

「おかえり〜なまえちゃん!この前松田に送ってもらったんでしょ?襲われなかった?」

「おい、馬鹿なこと言うなっ!」

「松田さんは見かけによらず紳士だからそんなことしないよ〜」

「へえ…随分松田を信頼していますね」

「まあ…常連さんだし男気あるし…?」

「なまえ、俺が言うのも何だなこいつ中々の優良物件だぞ?どうだ?」

「そりゃ油井さんに比べたらねえ…」

おいこら、どういう意味だと油井が突っかかったところで別のテーブルから注文が入る。なまえが向かおうとすれば、注文を運び終えたアルバイトが気を利かせてか、さっと注文を取りに行った。なまえはというと積みあがった注文票を睨みながら湯を沸かし使い終わった食器を食洗器にかけている。そうして一段落したのか、再び松田たちの前に戻ってきた。

「なまえ、そろそろ身を固めたらどうだ」

「赤井さんまでどうしたの?てか誰一人固めてないのに私に言えるとか吃驚だわ」

「行き遅れるぞ」

「油井さん、黙って」

「俺が貰ってあげよっか?」

「え?萩原さんが?松田さんなら喜んで返事するけどチャラ男はちょっと…」

「…は?」

「…おい、なまえお前まさか…?!」

「…嘘に決まってるじゃーん。さ、仕事仕事」

「なまえ!逃がしませんよ!こら!!」

追求しようとした5人を裂くように、店長、注文入りました〜というアルバイトの声が響く。逃げるようにカウンターの奥に引っ込んだなまえの表情は見えない。油井、赤井、萩原、降谷の4人分の視線が、松田へ集中する。いつもは不機嫌そうに悪態をつく彼も流石にポーカーフェイスを保てなかったのか、片手で顔を覆って固まっていた。今夜はうまい酒が飲めそうである。そう、松田を除く4人の心が一致した。

その後、なまえと松田が二人で出かける姿がちらほらと目撃されるのはまだそう遠くない未来の話である。




title by 夜途




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