カラン、と開いたドアに振り向いて、安室ではなくて『降谷』が、なんで、ここに?そう思った。
この店は、ここは、彼女の知らぬ場所。
この店は彼女の行動範囲外のはずだったのに。
でもこんなところまで出てくるなんて…降谷の頭はパンク寸前だった。(古い)
彼女は家族に捨てられた
誘拐されたり、痴漢と変態ととオンパレードにあったこともあるらしい。
そんな彼女は外に出たがらない。
色々なものから精神的なストレスを受け続け、ある日発症したのだ。
病気を患い薬を手放せないこともあり、そして杖を必ず持たねば動けないこともある。
何よりその彼女自身、男性や知らぬ場所に恐怖を覚えているからだ。
誘拐されて、なんとか逃げ出した先は知らぬ場所だったから。
痴漢に変態に、レイプされたこともあるから。
知らぬ場所も、男性も怖いからと外に出るのを嫌だと。怖いのだと言っていた。
そしてそれは、安室にとって都合が良かった。
一応降谷零としても外で見られるのは困る。
バーボンとしてもだが…何よりもちょっと……安室透として、名前と顔が。
ここまで人気が出るのは想定外もいいところでなんでこうなった?
そう思いながら仕事をしつつ、バレないようにバレないように、あの子と暮らしていることも、あの子と付き合っていていずれは結婚、なんて考えてることもバレては困る。
そのあの子が、なぜここにいる!?
その隣にいる毛利さんを見て、ああ……と思った。この間帰った時に、助けてくれた女の子がいたのだと、仲が良くなったとも言っていた、が。
名前を聞くことまではしなかった、と思う。
その彼女が『僕』の声に顔を上げた。
その瞳は大きく見開かれて、びっくりしているのを伝えてくる。
半開きの口が、ようやく言葉を発した。
「………れい、くん?」
ああ、やっぱりそうするよな。やっぱりそう言うよな。
僕はその、君の全てを見透かすそこが好きだ。
たとえどんな姿になろうとも、本人を見てくれる君が好きだ。
だけど。
それに、『安室』は微笑んだ。そう。『安室透』は。
「ふふ、どなたかと見間違えてるんですか?僕は安室透と言います」
そうして口にすれば、みるみるうちにこの子の瞳が悲しみに染まっていく。
泣かないで欲しい。お願いだから。
色んなことが頭の中をくるくると回っているんだろう。
きっと降谷零を嘘だと思っている。あの日々さえも、きっと。
こちらが嘘だと言えたなら。
この子に負担をかけたくなかった。
この子に自分の……降谷零としての仕事を教えてしまえばこの子はきっと心配して心配して眠れない日々がまた増えるだろうし、心因性の発作だって今以上に増えてしまうだろう。寝込む日々もまた増えるだろう。
俺と出会って、少しずつ少しずつゆっくりとだけど改善されていく生活と、病状が幸せで嬉しかった。
それを純粋に喜ぶこの子にまたそうさせる。今度は、自分が。
それだけは嫌だった。俺が、この子に負担をかけたくなかったのだ。
でも話しておけばよかったと今思う。
交換日記で、あの時知らぬ子と仲良くなったと聞いた時に名前を聞くなり風見に調べさせるなりさせるべきだった。
今、そう思う。
ゆらり、ゆらゆら、瞳が揺れて。じわじわと瞳に涙が浮かぶ。
ゆらゆら、ゆらゆら。それに駆け寄りたくなるけれど、安室透は初対面なのだ。
どうしたのか聞く前に、あの子は毛利さんに顔を向けた。
「蘭ちゃん、ごめんね……やっぱり、調子良くないや」
嘘を、つかせた。あの子の嘘をつく時のくせが出ている。
俺は、あの子が気に病む事をさせた。嘘をつくのは苦手なあの子に。
「え!大丈夫ですか?送りますよ!?」
毛利さんがそういうけれど、あの子は首を左右にふって、いつものように困ったように笑った。
「だいじょうぶだよ。おうちにかえるだけだもん。それに、お客さんが全員帰ったらお店に迷惑かけちゃうから」
へにゃん、といつものように微笑んで、口に出す。
その言葉は嘘だ。すぐに分かった。
降谷が帰った時に、この子はいてくれるのか。
背筋に冷たいものが落ちる。
まって、かえらないで。
手を伸ばしたい。
「それなら、ここで休んでいかれては」
どうですか、と続けようとしてから、またこっちを向いてあの子は微笑んだ。
「えっと……動けなくなっちゃったら、困るから……」
ああ、ああ。きっと、この子はもう戻ってこない。
きっと、また俺があのマンションに帰った時にはこの子はいない。
だったら、引き止めるだけなのだ。
安室透としても、降谷零としても。
「大丈夫ですよ。もしも動けなくなってしまったとしても、僕があなたを送っていきますから」
ゆらゆらと悲しみに揺れる瞳に、胸を締め付けられて痛いけれど。
喉が乾いて、仕方ないけれど。
張り付いたような喉を無理矢理動かして、まるで思ったように動かない表情を無理にでも動かして、笑う。
ごめんな、離してあげることなんか出来ないよ
ごめんね、帰してあげることなんか出来ないよ
許して欲しいとは言わないよ。
だって、だってどうしたって
(それでも、きみをあいしてる)
あいしてるんだ。
離すことなんか、できないくらいに。