パパ


きな臭くて血なまぐさい日常は、存外表社会にもごろごろと転がっている。
それはもう、ブラックな弊社が生産する産業廃棄物(死体)なんかより、ずっと多く。


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「​───間で人身事故です。諸々止まっちまったんでタクシー拾いました。すぐに戻ります」


表の人間だろうが裏の人間だろうが、組織に属するうえで報連相が大切なことに変わりはない。
現状を簡潔に説明して、首領との電話を切る。通話時間は僅か28秒。業務連絡の鑑のような会話である。座席の背もたれにゆっくり身体を預けながら低い天井を仰ぐ。ため息をついた後、三途はちいさく舌をうった。


そう遠くない駅のホームで、人が死んだ。
とびこみだったらしい。自殺なんてココらじゃ珍しくもなんともなく、特別驚くような話ではなかった。
しかし三途の本日の予定に、「人身事故による遅延に巻き込まれる」なんてものは一文字も書いてはいなかった。日常茶飯事でありながら想定外の事態。そんな矛盾をかかえた三途の、腹の虫の居所は最高に悪い。列車の遅れを知らせる駅の電光掲示板を思いだしただけでも虫唾が走るほどであった。


採算つかない愚行を犯した、見知らぬ死人を思う。
死ぬほど辛かったのなら、一言声をかけてくれたら良かった。商材として、弊社はお前に生きる価値を与えたのに。使い物にならなくなれば、あっという間に産業廃棄物としてこの世から退場させてやったのに。そうすれば、今夜のように、多くの人に迷惑をかけながら死ぬ事なんてなかったのに。

そんな今になってはどうしようも無い、タラレバが脳味噌をぐつぐつと煮つめる最中。ハンドルを握っていた男が、ふいに三途に話しかけた。


「多いですねぇ、人身事故」
「…そうですね」
「酔っ払いや盲目の方がホームに転落することもあるようですが、死因の1番は自殺らしいですよ」
「そうですか」
「…命をなんだと思っているんでしょうかねえ」


その運転手は一見近寄りがたく無愛想に見えたが、よく喋る男だった。まっすぐ前を向く姿を、斜めうしろから盗むように見る。暗くてよく見えないが、そう若くない。おそらく六十代くらいのじいさんだ。


「あのぉ、すみません」
「はい」
「先程のお電話が耳に入ってきてしまって…。お客さん、お急ぎですよね。お時間大丈夫ですか」
「いえ、もう用事は済みましたので」
「そうですか。大変でしたね、ご家族も心配なさっているでしょう」
「構いません、独り身なので」
「ご両親やご兄弟は?」
「いません」
「…あぁ、…そう、ですか」


辿々しく、かすれた声が返ってくる。
表情には出さなかったが、かなり失礼な人間だと思った。被った猫がとれぬよう繕う三途に反して、厚顔無恥な運転手はかまわずズカズカと話をすすめる。



「実はわたし…も、独り身で」
「そうなんですか」
興味ない
「昔は所帯を持っていましたが…色々ありましてねぇ。気が付いたら、わたし一人になっていました」
興味ねえよ
「お客さんと同じくらいの息子もいるんです」
だから興味ねえって
「いなくなっちゃったんですけどねぇ」



はやく着かねぇかな、なんて窓の外にとばしていた視線と意識を運転手に向ける。それもこれも右頬をえぐるような視線を、男から感じとったせいだった。とはいえタクシーは走行中である。運転手はもちろん前を向いていた。


「貴方を見ていると、わたしの息子を思い出します」


そう言った運転手の声は落ち着いていたが、なぜだか胸をチクチクと突いた。ふと、もう顔も覚えてない父親が、もし今どこかで生きていたら、こんな風になっているのだろうかと思った。

三途をのせたタクシーは暗がりをのろのろと進んでいく。その間も、運転手とする会話のようなものは、間を空けることなく続いていた。
そのほとんどが、運転手の身の上話だった。内容なんて覚えちゃいない。まさに下手の長談義である。億劫になった三途は、内心もうここで良いから降ろしてくれないかなとさえ思った。


「……ですがぁ、わたしは」
一寸の間の後、運転手が言った。
「…息子が小さい頃から家を留守がちにしていたせいか、息子のことを何も分かっていなかったんですよ」
三途はだまって話をきいた。妙に身に覚えがある話だった。
「息子にとってわたしは最低な父親だったでしょうね。…いや、わたしは、彼に父親とさえ思われていなかったかもしれない」



そうだろうな、と呟きそうになる。
ろくに家に帰らず、生きていくのに困らないだけの生活費をふりこみ、家族を養った気になっているんじゃあそう思われても仕方ない。
同じパパなら、年中無休で不在のダディより、そばに居てくれるパトロンの方がずっとマシだ。まあそばに居たところで、ろくに面倒も見られないクズなら意味は無いけれど。
男の家族の事情は知らないし、まるで興味もないが、少なくとも似たような環境でそだった自分はそう思う。


「がらんどうになった我が家は、小心者のわたしが住むにはあまりにも広すぎた。息子が帰ってこない家に帰る理由も、あの頃のわたしには見付けられなかった」
「そうですか」
「はは、お客さんクールだねえ」
「すみません」
「ははは…何に謝ったんだい」
「たいした返事が得られなかったでしょう、他の乗客のような」
「いえいえ、そんな事はありません。それに、この話をしたのはお客さんが初めてですよ」



とってつけたような笑い声に、ふと芽生えた疑問。
至極真っ当なものだとおもう。


なぜ?なぜオレだけに話した?




「それは」
三途が言った。
「私を見るとご子息を思い出すからですか」
「…えぇ、そうですね」
「そんなに似ていますか」
「……いいえ、……全く」




全くの、別人です。





運転手は喉仏を震わせて答えた。
振動の根源は怯えのようにも、怒りのようにも思えた。
途端、三途の脳味噌はとある一つの最悪な可能性を考えつく。それが正しいか正しくないかの答えは、恐らく運転手だけが知っている。そしてもし、その考えが正しかった場合。ハンドルを握られている側の自分は、おそらく無傷では済まないことを瞬時に悟る。




「もしかして、」




だが三途は口を開いた。
放っていても、いずれにせよ男の方から話を持ちかけてくる確信があったからだ。



「私とご子息は知り合いですか」
「えぇ。殺されちゃいましたけどね、貴方に」




タクシーが止まる。
指定した場所にたどり着いたらしかったが、扉は開かなかった。三途はすばやく胸元にしのばせているサプレッサー付きの拳銃に手をかける。何かある前に撃つつもりだった。
しかし運転手は前を向いたまま、三途の思考など手に取るように分かるといった様子で、静かにこう続けた。



「…貴方をどうこうする力も資格も、今更わたしにはない。…ただ、父親として知りたいんだ。なぜ、…なぜ息子が殺されなければならなかったのか」



最悪の予感は的中した。
運転手は、三途が過去に殺した裏切り者の父親だったのだ。
しかし、どれだ?どれの父親だ?
三途には皆目見当がつかなかった。ひとつ分かるのは、このまま考えたところで一生分かるはずもないということだけだった。


「…ただ犯人の面を拝みたい一心で生きてきた。警察官を退職した後は、かき集めた情報だけを頼りに、藁にもすがる思いでこの職についてハンドルを握った。あなたと偶然を装い、こうして会話出来る機会をただ求めて…。わたしは…ずっと、この日を待ち焦がれていたんだよ、三途さん」


教えた覚えのない自分の名を、運転手は呼んだ。
愛しい息子の名はひた隠しにしたまま。
その我が子を殺した男の名前を、噛み締めるように呼んだ。


「君には聞きたいことも言いたいことも山のようにあるよ。…でも、もういいんだ。ただ…一つだけ教えてくれ。息子の顔、声、ひととなり、…君の目にはどう見えていた?」




なあ、おいどうしよう
健気な親父さんには悪いが、笑えるくらい本当になにも思い出せない。だってこの手で殺した人間なんて山のようにいて、その全てが今は海の底で眠っている。後頭部を撃ち抜かれた彼らは、人だった面影が少しも残らないほど小さく細かく形を変えられた。顔なんて、覚えていられるはずもない。


「三途春千夜、」



​────ただ、一人の男を除いて。



「息子の名前を、覚えているか」


振り返った男の顔は逆光でかげっているはずなのに、口から覗く真っ赤な舌はよく見えた。


『覚えてねえよ』




そう答えるより一瞬早く視界に入り込んできた、インパネに置かれた運転者証​───そこに刻まれた「武藤」の文字を、三途は確かに、見た。



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