私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
太宰治
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受け取った写真の一枚目をみてまず思ったのは、どんな罪を犯した人間であろうが、小さな頃は皆生きているだけで可愛いものなんだということ。
それから、あのさらさらロングヘアーな彼は、昔はいがぐりみたいなツンツン頭だったんだ、てこと。
その二つだ。
「……これ、誰ですか」
縁側で笑う四人の少年少女の写真。
その左端に映る坊主頭の男を指差しながら、ボクは馬鹿みたいな質問を馬鹿みたいな顔して聞いた。よくもまあこれで警察官になれたもんだと笑われそうな程、それはそれは間抜けた顔だった。
「いやあね、刑事さん。春ちゃんよ。明司春千夜くん」
「あ、いや、そうですよね。すみません変なこと言って…。ただ、ボクが知っている彼とあまりにも様子が違っていたので」
「ふふ、可愛いでしょう。暑くて邪魔だからって、この頃はいつも坊主だったのよ」
女が頬に手を当てて、かるく微笑む。髪型どころの話では無いのですが…というボクの言葉を封じるように、彼女は「そうそう」と微笑みながら写真にうつる人物を指さしていく。
「この真ん中の子が佐野万次郎くん。いちばん右の子が場地圭介くん。かなり昔に亡くなったんだけどね。…それで、春ちゃんの隣にくっついてるのが妹の千壽ちゃん。皆いつも一緒になって遊んでたのよ」
「この写真はいつ誰の家で撮られたものですか?」
「これは明司さんとこのお家ね。わたしがこの日たまたま用事でおじゃましていたから、一枚撮らせてもらったの。日付は…ちょっと貸してね。えっと、2000年4月って書いてあるわ」
「そうですか…ありがとうございます」
手元に戻ってきたその写真を、ボクは穴が空くほど見つめ直した。褪せた写真のなかで健やかに笑う少年と目が合う。なんだか知らない子どもの遺影を見ているみたいで、酷く気分が落ち込んだ。
この子は一体誰なんだろう?
梵天のしっぽを掴むヒントになればと思い、三途春千夜の過去を知る人物にコンタクトをとって、こうして彼の思い出話や写真を頂戴している真っ最中にも関わらず、ボクはそう思う。
先日調査資料として目にした現在の三途春千夜の容貌と、この幼年期の彼を脳内で照らし合わせる。本当にあの春千夜と同一人物なのだろうか。良くも悪くも人目をひく見た目から感じた彼の残酷非道さを、少なくともボクの目は、この写真の少年から感じとることはなかった。
「…あ、れ?」
しかし1枚目の写真を3枚目の裏に差し込んで、2枚目の写真を目にした時、ボクは思わず小さく声を洩らした。
違和感があった。
具体的になにがと問われると説明できないのだけれど、その写真を見ていると妙に胸がざわつくのだ。まだ誰にも触られたことがない身体の内側を撫でられるような、何とも言えない気分になる。
二枚目に見た三途春千夜の写真は、そんな気味の悪い写真だった。
「…これは?」
「小学校の卒業式の写真ね」
「ということは、1枚目を撮ってから約2年後に取られた写真ってことですね」
「ええ。…この時期、春ちゃんのお兄さんがちょっと大変なことになっててね。卒業式に来れなくて、代わりに私と明司さんで卒業式にいったの」
「お兄さん?」
「明司武臣くん。春ちゃんの10歳上のお兄さんよ」
記憶してきた情報と合点がいく。
梵天の組織員、おそらく幹部。
佐野万次郎とよく行動をともにしている男だ。
「やっぱり兄弟だったのか…」
「春ちゃん、武臣くんによくこっぴどく叱られてたなぁ…」
「そうなんですか」
「叱るって言っても、勿論長男から弟への教育としてよ。武臣くんだって春ちゃんのこと大好きだったと思うし」
女は写真の中の三途を、人差し指でキスをするように優しく撫でた。
「強い男の子に育ってくれるのは頼もしい。でも教育には鞭ばかりじゃなく、飴だって必要じゃない?だから春ちゃんの傍に万次郎くんたちがいてくれて本当に良かったって思うの。とっても仲が良かったんだから、あの子達」
あの子達、と呼ばれた三人に目を落とす。
右から場地圭介、
佐野万次郎、
卒業おめでとうの看板を挟んで
三途春千夜。
誇らしげにピースをたたえた彼らは皆笑顔だ。
「この、…一枚目の時期にはなかった口の傷は?」
「ああそれねぇ、万次郎くんがつけたんですって」
「えっ、佐野万次郎が?何故!?」
「え、ええ…。理由は詳しく教えてくれなかったから分からないの。ただ私が話を聞いてる間も春ちゃんはずっと笑顔だったし、万次郎くんを避けている様子でもなかったから、すぐに仲直りしたんでしょうねって」
ボクは女の話を聞きながら、佐野と三途の間を隔てる空間が異様に引き伸ばされていくような、ありもしない錯覚をおぼえた。
思い出の中で微動だにしない三途をよく観察する。
スーツ姿で、口角を精一杯つりあげ、目はそのままに、いたく醜く笑っている。一枚目には無かった口の端にある傷が、彼の笑顔をより機械的かつ猟奇的なものにしていて、人間らしさが希薄化した印象を抱く。
『猿だ。猿の笑顔だ。』
この時ボクは太宰治の「人間失格」に、そんな一節があったことを思い出した。主人公の「私」が、大庭葉蔵という男の写真をみて抱いた底知れぬ不愉快さを著した文だ。
ボクのこの気持ちは、それにとてもよく似ている。
『どだい、それは笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。』
『血の重さ、とでも言おうか、生命の渋さ、とでも言おうか。そのような充実感は少しも無く、』
あれは、三途のことをうたった言葉なのだろうか?
そう疑わずにはいられないほど、太宰が紡いだあの言葉一つ一つが、写真の中の少年に、パズルピースをはめるが如く綺麗に吸い込まれていく。そうして完成した彼の笑顔は、やはり笑顔と呼ぶには歪んでいる場所にある。
ああ、笑わされているんだな。
そんな印象を抱いてしまうような痛々しい笑みだ。
人を不安にさせることに長けた、随分と奇妙で卑しい表情。
ボクはこれまで、こんな不思議な表情の子どもを見た事が、いちども無かった。
そんな写真を一枚目の裏に回し、ボクは最後の写真を見る。
途端、一枚目や二枚目とは明らかに違う写真にふと手が止まった。その様子を見た女が、しわくちゃな手で口元を隠しながらクスクスと笑う。
「あの…これもしかして」
「うふふ、バレた?こっそり撮ったの」
「……こっそりって…」
「あら、悪いとは思ってるわ。でも久しぶりに春ちゃんを見かけて、嬉しくて舞い上がっちゃったのよ。この時期には、春ちゃんが家を出て、もうまともに会えてなかったから」
「話しかけることは出来なかったけどね」と言って眩しそうに細められた瞳が映すのは、三枚目の写真───今はなき東京卍會の特攻服を着た三途春千夜の姿だった。
俗に言う盗撮である。
警察官になんてもの見せてくれてんだ。
やや遠くから撮られた三途の横顔は、すっかり伸びたミルク色の髪に隠されてハッキリとは見えない。おまけに、2枚目までにはなかった黒マスクをつけているから顔なんてほぼ見えなかった。
写真が撮られたのは2005年。三途が15歳になる春だった。
「随分変わりましたね」
「あら、春ちゃんはずっと可愛いままよ」
「ははは。隣にいる男は東京卍會のメンバーですかね」
「さあ、そうなんじゃない」
女はあからさまに不機嫌な様子で写真を睨んだ。
視線の標的は三途の隣に立っている大男だ。身体が大きく、全体的に筋肉質で厚い。決してひ弱ではない三途が華奢に見えるくらいだ。
「春ちゃん…最近全く見ないな、と思ってたら暴走族に入っていたなんて、驚いたわ」
「彼が家に帰らなくなったのはいつ頃ですか?」
「さあ、詳しくは…。いつの日からかピタりと姿を見なくなってね?気付いた頃にはもう…」
「姿をくらませる前、彼の様子になにか変化はありましたか?」
「変化?」
「小さなことでも構いません。人が変わったとまではいかなくても、何かありませんか。声をかけても無視をするようになった、とか警察に補導されるようになった、とか」
「ふふふふっ。そんな馬鹿げた真似、春ちゃんがするはずないじゃない」
そんな馬鹿げた真似以上のことをしているから今ボクはここに居るんです、とは言えなかった。
ボクが提示する例やその可能性は、億に一つもありえない。ありえるはずがない。そんな表情で女が笑っていたからだ。
「先日電話でも仰られていたけど、春ちゃんが犯罪組織に関わってるかもしれないなんて、そんなもの馬鹿げたデマ情報よ。踊らされてはダメ」
「可能性が完全に否定できない限り、調べる意味はあるとボクは思います」
「春ちゃんはそんな人じゃないわ」
「証明できる証拠がない」
「証拠なんていらないのよ。春ちゃんはそんな子じゃない」
ボクは持ちうる極秘情報を突き出したい気持ちをグッとこらえて彼女を睨んだ。口内に生臭い鉄の味が広がる。知らぬ間にボクは舌を噛んでいた。このまま舌を噛み切って死んでしまうのではないかと思うほど、自分でも引くくらい強い力で舌を噛んで耐えていた。
「十代という時期は貴女が思っているよりずっと多感な時期だ。家庭環境や交友関係の変化に伴い道を踏みはずす子どもは沢山いる。彼だって例外じゃない」
「……本当に春ちゃんのこと何も分かっていないのね、刑事さん」
女は相変わらず余裕そうに笑う。哀愁さえ感じる笑み。濁った水晶体の奥にある「春ちゃん」を見つめながら、本当に他人事みたいに笑う。
「春ちゃんは、明司春千夜は、そんな子じゃない。あんな野蛮な場所が春ちゃんの居場所になるなんて、あるはずないもの。…そうよ、そうだわ。全部あの不良達がいけないのよ」
「っ…」
女はうっとりとした目で、崇めるように写真の中の少年を見た。
「私たちの知っている春ちゃんはね、本当の春ちゃんはね、いつもニコニコ笑っていて、お兄ちゃんに怒られても言い返すことさえしない…優しくて聞き分けの良い、神様みたいないい子なんだから」