たそがれにズラりと並ぶ墓標並木を、ものすごい笑顔で歩いてくる喪服の男。ひょろりと背の高い彼はやはり灰谷蘭だ。
右手に花束をたたえた姿はさながらパリの街道を歩く紳士のようである。つい先月まで同じ裏社会で働いていた仲間であるのに、くたびれたトレンチコート姿の自分とはもう住んでいる世界が違うようだった。
「お前…まだ日本にいたのか」
「今夜の便で発つよ。それより何してんの?明司」
「…ダチの墓参りだ。お前こそこんな所で何してる」
「こんな所、墓参り以外で来るやついねえよ」
たった今自分が投げかけた言葉なんて忘れてしまったかのように蘭がクスクスと笑う。相変わらず癇に障る笑い方だった。
「灰谷蘭と墓地。世界で一番繋がらねぇ点と点だ。オレがセンコーならそんな回答の生徒は減点してる」
「は?センコー?」
「…小学校のテストであったろ。正しい組み合わせを線で結べっつーやつ」
「知らねぇよ。あんな所ほぼ行ってねえし」
サラッと告げられた事実に、武臣は呆れを通り越して感心すらした。よくもまあこれで梵天幹部が務まっていたものである。
武臣はため息をひとつこぼした後、気を取り直して蘭の方に向き直った。
「…んで、小学校すらまともに行ったことねぇやつが墓参りに来やがったのはどういう了見だ」
「言ったろ?今日から楽しい亡命バカンスだ。その前に大将はココから連れていこうと思ってさ」
大将?マイキーに挨拶でもしに来たのか?
そう首をかしげた武臣の横をするりと通り抜け、墓前にしゃがむ。持っていた花を供え、手を合わせてしばらく目を閉じたあと、そのまま手慣れた様子で拝石をあけた。
ギョッとした武臣は声も出せないまま、蘭の背中越しに見えるカロート内…中で眠る八つの骨壷をながめる。
真のじーちゃんに、ばーちゃん。
親父さん、オフクロさん。
真、マイキー、エマ……
そこで、武臣は骨壷がひとつ多いことに気付いた。自分の知らない彼の親族のものだろうか。ひとり悶々と考える。カロート内から骨壷を取り上げる蘭を止めることなんて、すっかり忘れた状態で。
「久しぶり。手荒い真似してごめんな、イザナ」
武臣はふたたびギョッと目をみひらく。全身から血の気が引く思いだった。一つ多い骨壷は、かつての親友がよく面倒を見ていた孤児の遺骨だったのか。
「おい、テメェなにしてやがる」
「ん?…あー、こういうの俗に墓荒らしって言うんだっけ。けどコレは梵天ができた頃に預けたモノを取りに来ただけだぜ。盗みじゃねえよ」
「そういう問題じゃねえ!ここは佐野家の墓だろぉが!誰でも簡単にはいれるような場所じゃねえんだよ」
「アンタのダチ…佐野真一郎は大将のこと弟っつって大事にしてた。イザナも兄貴として慕ってた。ならそれが答えじゃねえの」
「んな口だけの関係に何の意味がある。血の繋がりも無ければ戸籍上だって他人だ。他人を真の家族の墓に入れるんじゃねえ」
蘭がイザナの骨壷を胸に抱き寄せる。
まるで悪いものから守るみたいに。そっと耳を塞いであげるみたいに。
「血の繋がりが全てじゃねえよ。実の弟が行方眩ませてんのに顔色ひとつ変えない兄貴もいれば、血が繋がってない人間の為に命を張れる男だっている。どっちが偉いなんかオレは知らねえし興味もないけど、どうせ生きるんならオレはイザナみたいに生きたい」
「"実の弟が行方くらませても、顔色ひとつかえない"?テメェなんかにオレの何がわかる」
「オマエの事なんて一言も言ってねぇよ。自意識過剰がすぎるぜ。それとも、何?そんな自覚あんの?」
空っぽの拳に力が入る。
手のひらに爪がくい込んでヒリヒリとするのを感じながら、腐りかけの脳裏では、ホラな?顔色一つ変えねぇ非情な兄貴はこんなこと出来ねぇだろ、とどこか勝ち誇っている自分がいた。
この拳に力をいれたものが、弟への想いを軽んじられたことへの怒りではなく、自分という存在を蔑んだことへの憤怒であると、露も知らない自分がいた。
「…春千夜の行方はこれから調べる。ただ今は警察が動いてて表立っては動けねぇ」
「そう。バクテリアに分解される前に見つかるといいね」
ああそうか、コイツはきっと、会話に皮肉をはさまなければ死んでしまう病気なんだ。なんて哀れな人間のなりそこないなんだろう。
そう思い込むことで拳は振り上げずにすんだ。
もう行け、と言わんばかりに背を向け、佐野家の墓石に向き直る。後ろで蘭が大袈裟に息を吐く音が聞こえた。聞こえないふりをして線香をあげようとした自分に
「あ、そうそう」
と悪魔のような男の声がふたたびとどいた。
「…まだ何かあんのか」
「まだ梵天ができて間もない頃、オレと三途で拷問にかけた男がいたんだけどさ。そいつが何してそうなったかは覚えてねえけど、死ぬ前にソイツ、こう言ったんだ。『オレは悪くない。全部弟の責任だ。殺すならアイツを殺せ』って。それ聞いた三途、どうしたと思う?」
「…そんな言葉にいちいち返事しないだろ。アイツならさっさと撃つ」
その答えには笑い声のつかない笑顔が返ってきた。
その通りだという肯定だとも、あるいは全くの的外れだと嘲笑しているようにも見える。つまるところ何も分からない奇妙で意地の悪い笑顔だった。
「…なんだ?」
「別に。相変わらずのクソ兄貴で安心したわ」
あまりにもサラッと流されたその言葉。
それが直球な悪口だと気付くためには少し時間が必要だった。気付いてしまえば、あとは心拍数が跳ね上がっていくだけだ。
「…あの日、弟を身代わりに助かろうとした男を前に三途はフリーズした。ウケんだろ?さっさと撃てっつーのに男を睨んだまま固まっちまうからさ、一緒に引き金引いてやったよ。その後も死体みてえに動かねえし理由聞いても教えねえから、オレ余計気になってさ。オーバードーズさせて色々吐いてもらったんだ」
そしたらアイツ、なんて言ったと思う。
艶やかな笑顔で先生よろしく灰谷蘭が問う。
小学校もろくに通ってない男が出している問題のはずなのに、まるで答えが分からない。
武臣は口を噤んだ。蘭は口の端だけで笑って続ける。
「オレの腹に縋り付いて言ったよ、『お前の腹から産まれたかった。お前の腹から産まれて、アイツみたいに甘やかされて育ってみたかった。』って」
小さな子に言い聞かせるような、やさしくてゆったりとした口調。
そこから感じられる、音にはならない軽蔑や嘲笑の感情。
ひどく頭が痛み、目眩がした。
同時に信じることが出来なかった。あの弟が、たとえ悪夢に溺れていたのだとしても、そんな餓鬼のような寝言をいうようには思えなかったのだ。
「お前って誰だろうな?タケ兄」
カッと目を見開いた武臣に反して、蘭は目を細めてやわく微笑んだ。
全てを分かっている上で武臣に答えを問うている。そんな表情であった。
「まあ、こんな話したところで今更だし。もうやめようぜ。大将にウルセーって怒られちまう」
お前からしはじめたんじゃないか、という言葉は喉元で突っかかって音にならなかった。否、しなかった。これ以上、もう自分が知らない自分の弟の話をききたくなかった。
「もう行くわ。じゃあな明司。また地獄で」
最悪なひと言と心にしこりだけを残して、蘭が墓標並木を去っていったその後も、武臣はひとり墓前で立ち尽くしていた。アスファルトにぽつ、ぽつ、と丸いしみが落ちる。まさか自分は泣いているのか。そう驚いたが、どうやら雨がふりはじめただけのようだった。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。螺旋をえがきながら絡まり出す思考回路に吐き気がする。自分の知らない弟が、弟の中にいた。お前の腹から生まれたかった?アイツみたいに甘やかされて育ってみたかった?…知ったことか。たとえ自分が弟の全てを理解出来ていなかったとしても、三途春千夜という人間が、たくさんの時間と手間をかけて面倒を見た愛すべき弟であることに変わりない。変わりない。変わりない。
「…真、代わってくれないか」
むかし、もう何も変わらないでほしいと願った。
不良の最前線から惜しみなく去っていく親友たちを横目に、何も変わらないままでいてくれと。彼らと築き上げた過去以外何も持ち合わせていない自分の平凡さが恐かった。
墓石の下、腐りかけの脳味噌の中。かつての親友は愛する兄妹と共に変わることなく眠りつづけている。変わり果てた自分は親友どころか無二である兄弟の骨すら掬えなかった。
「オレは、……また…」
その場に崩れ落ちて項垂れた武臣はふと、膝元に散っている数枚の花びらを見た。土に汚れ、雨にうたれながらも春の色を失わない、その小さな蓮の花びらをみた。
ばらばらになった蓮を掬いあげる。武臣は我を忘れて慟哭した。それは弟と同じ色をしている。
それは三途の遺骨に似たものだった。