恋する毒婦


郊外の一角、武家屋敷が並ぶ通りで唯一派手な洋館があった。
赤い瓦の白亜の屋敷は庭一面に季節知らずの彼岸花が咲き乱れていた。
館の3階の一角、棟のように突き出た高さのそこが蓮水 緋女はすみ ひめの部屋だった。
屋敷の前の通りを一望できる窓には鉄の柵がはめられ、窓ガラスもはめ殺しになっている。
部屋というよりも瀟洒な牢屋といった風情の部屋で緋女は分厚い窓ガラスに白く華奢な砂糖菓子のように繊細な指をそっと這わせた。
指先には珊瑚を削ったような桜型の小さな爪が上品に載っていて、外からの日差しでつやと輝いていた。
青々とした長い黒髪は床につくほどに長く、雪のように白い緋女の肌の色を引き立てていた。

「ああ、早くこの檻から出してくださればいいのに」

そんなことを呟きながら、緋女は自分の肩を抱きしめた。
生まれてこの方、ほとんどを屋敷の中で暮らしていた。
愛されているから、過保護だから、期待されているから、そんな言葉で自分をごまかしてきたけれど、ほんの1ヶ月前に顔も知らぬ情弱な男を血筋がよいから結婚しろと宛てがわれて、緋女は失望に打ちひしがれたものだった。
20年生きてきて、この籠から出さなかったのは自分が牛馬の如く血を残すためだけの道具に過ぎなかったからなのかと泣いて、泣きはらして、せめてその男に自分を支配してくれるだけの男気を求めた。
けれども返答は

――きみと一緒に歩いていきたい。

なんだそれは。
なんなのだその惰弱は。
女の顔色を伺う程度の分際に過ぎぬ内股軟膏の子を孕めと言われたのか。
その瞬間に、この檻の主は父から緋女へと変わった。

婚約者だと言われた情弱な男は頭を潰して血を抜いた。
自分の誇りを甚だしく傷つけ屈辱を与えた父は首を刎ねて血を抜いた。
通報も止めることもしなかった使用人は1人残らず毒殺して血を抜いた。

こんな檻で20年も過ごした哀れな女を救ってくれる人間がいないことに緋女はまた泣いて、泣いて、泣きながら切なる願いを込めて、かつて先祖が携わったという聖杯へと手を伸ばした。
そうして得たのは、救いではないけれどとても美しい男だった。

「そう嘆くこともない……愚かしくもあるが、士道の作法に乗っ取るようなマスターがこの聖杯戦争には多く参加しているようだ」

烏帽子を被り、太刀を履いた公達姿の男が告げた言葉に涙を湛えながら緋女は振り向いた。
真っ赤な直衣を着たまま、緋女の部屋にある深緑のカウチへと腰掛けて、今しがた戻ってきた赤い蝶を指に止めさせている。
見慣れた自分の部屋に他人が居るというだけで、こうも見慣れないものになるのかと感じながらも緋女はその言葉に興味深そうにして、振袖を揺らしながらカウチへと近寄った。

「その中に殿方はいた?」
「マスターでは2人、とはいえ1人は幼すぎる」
「サーヴァントでは?」
「そちらも2人だ」

先程まで世界が終わるのではとばかりに泣きくれていたと思えない変わり身に女の魔性を実感しながら、男は蝶を通して見たことを伝えてやった。
少し考えるようにしてから、また緋女は袖を顔に当てて憂うように声をこぼした。

「ああ、どうして益荒男がいないのかしら……私はただ、恋をしたいだけなのに。 ねえ、アクラム、貴方にならわかるでしょう」
「無論、よく理解している……お前の宿命から解き放つに足る男がいないことを、私も不憫に思うとも」

男の声は玲瓏として冴えていたが、そこには温情は微塵も存在しなかった。
キャスターにしてみれば、この愚かな女はどこまでも自己中心的で破滅的であり、だからこそ破滅の運命という縁が互いを結びつけたという自覚が存在していた。
目の前の女は20年も生きてきて、自分で何もかも決定できる力があり、その上で支配してくれる――自分を絶対的に受け入れてくれる庇護者などを求めるどうしようもない父性に飢えた餓鬼なのだと、キャスターは感じていた。

「ねえ、アクラム。 貴方が見た中で、益荒男と呼べる方はいた?
 素敵な殿方……見た目は貴方のように整っていなくってもいいの、大切なのは心ですもの」

赤い着物の袖を揺らして緋女は問いかけた。
その表情には悲壮感などまるでなく、寧ろ本心から外に焦がれる乙女のような顔をしていた。

「見目に拘らぬ、というならば1番益荒男と呼べるのはセイバーだろう。
 特段発言をしていたわけでは無いが、あれはただの人間としては異質なものだ」
「まあ……」

自分のサーヴァントからの評価に、とろけたような笑顔を浮かべて緋女はすぐに漆塗りの文台へと向かい、赤い小筆をとった。
そして、巻紙にしていた和紙を一枚抜くと、早速そこへと手紙を書き連ね、うっとりとした表情を浮かべた。
まだ見ぬ益荒男が自分をこの檻から出してくれる、そんな姿を夢見るままに、恋文でも書くかのように筆は紙の上を滑らかに滑った。

「セイバーとそのマスターを招待しましょう!
 ああ、使用人が足りていないから雇い入れないと……それに、宴の準備もしないと」
「さて、来てくれるものかどうか」
「男ならば来てくださるわ! そうでないなら――殺してしまいましょう」

何一つ迷いなく言い切った女の表情に狂気の色は微塵も感じられなかった。
書き上がった手紙を満足そうに見直すと、女は紙を折りたたんで部屋に飾ってあった梅の蕾がついた枝にくくりつけた。
本心から、この屋敷に呼び出すことを恋文として楽しんでいるのだとキャスターは僅かに笑みを浮かべ、陰の気を練り合わせて鳥の形にしてやった。
赤い、赤い、血で描いた羽を持った鳩ほどの大きさの鳥は枝を掴むや、霧のように手紙ごと消えて、次の瞬間にははめ殺しとなった窓の外へと姿を現した。

「ねえ、セイバーってどんなお方だったの?」
「見目は気にしないのではなかったのか」
「恋する相手のことは何だって知りたいの……ねえ、お願いよ。 聞かせてちょうだい」

その白い手の甲に刻みつけられた令呪を使おうともせず、命令でもなく、兄に強請るように緋女は口にした。
彼女にとってキャスターは男ではない。
自分のために仕える存在に性別や、一個の人格など求めていない。
ただ、たまたま話が分かる相手であったこと、彼が自分に理解を示していることは理解していた。
緋女の態度が柔らかいのはひとえに、彼が命令で縛り付けなくとも動いてくれる相手であったからにすぎない。

「背丈は? 貴方と同じくらい高いのかしら」
「ああ、同じほどか、少し前後する程度だろう」
「髪や目の色は? 私と同じように黒いのかしら」
「いいや、私と同じように金色の髪に碧の瞳だ」
「あら、それじゃあ貴方と見た目は似ているの?」
「まるで。 無骨な顔をしている。
 弱者にしか見えないというのに諦めを知らぬ目をしている。」
「まあ……なんて素敵なのかしら」

キャスターは椅子へと腰掛け、文台にもたれるようにして、微笑みを浮かべている緋女を見下ろした。
彼女の出した手紙を受け取り、あの聖堂で凛々しい表情を見せていたセイバーとそのマスターがどのような反応をするものかと考えた。
おそらくは、手紙を受け取った彼女たちは――

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