『雪融けて、ひとしずく』

※もんせさまの入浴ショタ岩ちゃんを拝見して滾るままに書き殴った代物。





「あちい」


「洗ってあげるからおいで」


「さみい」


「我が儘言うな」


 ちっとも困ってなどいないのに、困った振りをして笑う及川は、岩泉の両の脇に手を差し込みひょいと抱き上げる。ざぶり、湯を波立たせて一息に、そうして軽々と。首根っこを掴まれないだけましなのだろうけど、小さな猫にするみたいな、抵抗など無に帰する余裕をにじませたさまが何とも腹立たしい。自分は猫は猫でも化け猫だ。生まれた年も日もわからないけれど、ゆうに100年は生きている化け猫なのだ。そのうち身体だってもっと大きくなるはずで。たぶん、きっと、そのうち。だから、少しは誠意と敬意をだな、持って接してもいいのではなかろうか。くそが。

 及川しか入らないというこの風呂場には、木の匂いがする大きめの湯船が据えられている。たっぷりと溢れんばかりの湯は、真冬なので温度が少し高めで。母ちゃん(くそババア)曰く、贅沢極まりないのだけれど、へそを曲げると面倒くさいので好きにさせているとのこと。わかる。面倒なのは全面的に同意する。なのにその我が儘な狐から我が儘だと言われるこの屈辱。どう晴らしてくれようか。


「俺は猫じゃねえし子供でもねえからな!」


「はいはい、わかってるよ、化け猫さん。海老さんいっぱい食べてもっと大きくなりな」


 これは絶対にわかっていない。絶対にだ。尖らせた唇をむに、とつまむ及川の機嫌はいつになくよさそうだった。いつまでも仔猫みたいな扱いをする及川の膝に乗せられ、やわらかな手拭いで身体を洗われる、それはここに来てからの腑抜けた日常のひとつで。絹織の手拭いはごしごしというよりも、するするなめらかに身体をすべってゆく。やさしく撫でられているみたいな洗い方がひどく心地よかった。気付けば膨れていたことなどすっかり意識の隅に追いやり、及川の広い胸にこてんと頭を預ける。頭の上からふうっと笑みを乗せた吐息。それは短い己の髪を少しだけ揺らした。我ながら何と御しやすいのだろうかと思わなくもないけれど、こればかりは仕方がない。及川の手で撫でさすられる気持ちよさを知ってしまえば、力はひとりでに抜けてゆくのだ。ごろごろと喉を鳴らしながら二本の尻尾をご機嫌に揺らしてしまうという、容易ならぬ失態を演じたことも記憶に新しい。この手のひらも指も、全くもって油断がならなかった。自分の中の、確固たる化け猫の定義が揺らいだ瞬間でもある。


「はい終わり。寝たら風邪ひくよ」


「……さみい」


 顔や頭に湯をばしゃばしゃかけられるのは好きではないから、及川は少しずつ、あまり顔に湯がかからぬようゆっくりと洗ってゆく。そうしてうとうととしている間に気の済むまで洗われて、終わると及川に抱かれたまま湯船につかる、これがもうすっかり慣れたいつもの風呂の入り方。少しばかり冷えた身体に薬湯がじんわり染み渡るみたいだった。


「そういえばまっつんがお前にって饅頭買ってきてたよ。出たら食べる?今日は満月だし綺麗に雪も積もってるから雪見饅頭かな」


「……いつ」


「尻尾の中で昼寝してたとき」


「……食う」


 岩泉をとろりとさせるのは手や指だけではない。そう、この狐の尻尾こそが何よりも油断ならない代物なのだ。ふかふかの布団で眠るよりも遥かに気持ちがいいのだから始末に負えない。及川の価値は尻尾にあると言ったときには(尻尾にしかないと言ったかもしれない)、むくれて一日しまいっぱなしで触れさせてもらえず、母ちゃん(くそババア)も驚く派手な喧嘩をした。尻尾の毛繕いも、そのまま埋もれて眠ることも、自分にとってはなくてはならないものなのに。それを取り上げようなど、尻尾の持ち主だとしても許されることではない。


「……おまえ、ほんと性格わりいよな」


 夢うつつのなか浮かんだくだらない喧嘩に、きゅっと眉根を寄せた。


「何の夢をみてるの。俺ほど優しい男はいないと思うけど?現実見ろよ」


 及川の膝の上で無防備に晒している首筋をべろりと舐められ身体が跳ねる。湯が大きな波紋を描いた。そうして及川はどくどく脈打つ血管の上にぎりりと歯を立て、痛むそこをまた舐める。まるで宥めるみたいに。


「っ!い、てえっ……んっ!」


「気持ちがいいの間違いだよね。俺はお前の爪も牙もたまらなく気持ちいいんだけど」


 甘噛みにしては些か強いそれが。首を辿り肩口までをも強く噛んでは舐めすすってゆく。あんなにやさしく繊細な手つきで身体を洗うくせに、可愛くて仕方がないとでも言いたげなやわさで触れるくせに、何なのだこいつは。きっと及川は性格が悪いというより、頭と趣味が悪いに違いない。


「……も、やめっ……ひぁっ!!」


 肩口を噛みながら、長い指が湯に隠れている胸の頂をかりりと引っ掻いた。悲鳴みたいな声と同時に、ぶわり、全身の毛が逆立つ感覚と、その隅々を巡る甘い痺れ。しまっておいた耳と尻尾がぴょこんと顔を出してしまった。


「敏感さんだねえ。尻尾も出てる。上手に出し入れできるようになったんじゃなかった?」


「んんっ!でき、るっ!……うぁっ!」


 れろお、顎から頬までをぬめる舌が這う。及川の舌はざらざらする自分のそれとは違い熱くてなめらかだ。殊更に唾液を纏わせてぬるぬると舐めまわす舌に肌が粟立つ。きゅっとかたくなった乳首は、摘ままれ押し込まれ爪を立てられて。どう触れられたって面白いように身体が跳ね震える。痛くてあまい痺れは腹とも腰とも繋がっていて、重だるくわだかまる熱にじわり、視界がうるんだ。


「あ、ぁ、んっ!おいか…ぁぁっ!」


 ぱしゃん。二本の尻尾が湯を叩く。そうして乳首を弄る及川の腕にくるりとそれは巻き付いた。意識もしていないし本意でもないというのに。けれど黒くて艶やかな長い尾はひとりでにきゅうきゅう絡みつく。それはどこか愛おしいものに縋るみたいで。ふたつの尾の先がぴくぴくと震えていた。


「……岩ちゃん、お前は素直じゃないけど雄弁だね」


「もっ、やぁぁっ!むりっ!……あちい」


 ぽたり、及川の髪を伝ったしずくがひとつ、頬に落ちる。それがつうっと流れてくちびるに触れたとき。渇きのままに舌を伸ばし、ぬるい水玉を舐めとった。

 どうしてか、それは自分だけが知っている、及川の、あじがした。






 


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