今日も今日とて、愛の重さとやらを思い知る。





「岩泉くん!ちょっといいかな」


「……なに?」


 岩泉の姿を認め駆け寄ってきた相手を、眉間に深い皺を刻んだままのしかめっ面で眺める。特段機嫌が悪いというわけではないのだが、この日は朝からひどい頭痛と悪寒に悩まされていて。子供の頃から健康優良児で身体の丈夫さには自信があり、ここしばらく風邪などひいたことはなかったというのに。

 恐らく一昨日の、何が及川の琴線に触れたのかはわからないけれど、浴室でかぶりつかれ、そのあと濡れたままベッドで意識を失うまで抱かれたことが原因なのだろう。むしろ原因といえばそれしか思い浮かばない。しかし一緒に素っ裸で転がって寝ていたにも関わらず、普段と変わりなくピンピンしている及川は何なのか。何となく腹が立つので馬鹿は風邪をひかないという結論を導きだすことにした。

 薬を飲むために何か腹に入れておこうと構内のカフェテリアへ来てはみたものの、あまり食欲がない。テーブルに肘をついて思案するというか、もうその辺りはどうでもいいから帰って寝ようかなどと思っていたところに、つと声をかけられた。男にしては背の低い、いくつか同じ科目を取っている、確か市川だったか、小動物のような彼は幾分頬を赤らめ落ち着かない様子で岩泉の前に立っている。すぐ近くでは及川が女子に囲まれ楽しげに話をしていて、その嫌でも耳に入る、聞きたくもない女子たちの遠回しの誘い文句にますます眉間の皺は深くなった。

 及川はいつも岩泉を試すようなことをする。岩泉に嫉妬させることを自らに課せられた使命だと称し、毎度飽きもせず何が楽しいのかさっぱりわからない軽薄トークに花を咲かせていた。これは及川の病気のようなものであって、及川自身も岩ちゃんの気を引きたいビョーキだからと言っていたし、本気で女とどうこうなろうとは思っていないことなどわかっている。わかってはいるけれど。目の前で、あわよくば及川をどうにかしてやろうという下心満載の女子と、駆け引きめいた会話を繰り広げている姿を見せつけられることにいい気がしないのも事実なわけで。

 以前、虫の居所が悪かったのも手伝って、一度本気でウザいと切れたことがある。嫉妬なんてものはさせる者よりする者のほうがダメージは大きいに決まっていて、及川のくだらない安定のためにいちいち不安にさせられるこっちの身にもなれと怒鳴ったのだ。これからも変わらないのであれば、いつか自分だって想うことに疲れてしまうかもしれない、とも。そのときの及川を、岩泉は生涯忘れることはない。瞠目したかと思うと刹那、露に濡れたつぼみがゆっくりと開くような、鮮やかですらあるうつくしい笑みを浮かべ、こう言ったのだ。


『やっぱり岩ちゃんは馬鹿なんだね。少ない脳みそでもわかるよね、そんなの、俺が許すわけないじゃん』
『一生、俺のことだけを考えて、俺のことだけで泣いて、俺のことだけで笑うんだよ』
『俺のことでおかしくなる岩ちゃんはね、宇宙一可愛いんだからさ』


 及川の頭は、ネジの一本どころか全部が全部ゆるむわ飛ぶわ、全くもって使い物にならないのではないかと思っている。そもそも好きだから付き合おうと告げられたときの、及川が岩泉に与えた選択肢は「YES」と「OK」だけだったのだから、そのゆるさは本物だ。馬鹿に馬鹿と言われたことよりも、いとも容易く「一生」と言ってのける及川のおかしな執着を、心地よく感じてしまう自分に何よりも腹が立った。どちらが割れた鍋で、それを閉じる蓋なのか。

 及川のよそ行きの声を聞きながらぼんやりしていると、目の前の小動物が意を決したように口を開いた。


「……明日、岩泉くんの誕生日だって聞いて…もしよかったらお祝いに食事でもどうかと思って…」


「…………」


 そう言えば誕生日だったような。随分と前から及川が騒いでいたのだが、昨日からの体調の悪さで頭からすっぽり抜け落ちたように忘れていた。まあ、ずっと昔からその日を共に過ごす相手など決まっている。


「……あー、悪い。明日は無理だ」


「そっか。ごめんね、急に。また誘うよ」


「悪いな」


 玉砕してすっきりしたのか、小動物はにっこり笑うと岩泉に背を向け去っていった。何だったのかよくわからないけれど、名前もあやふやな小動物のことよりも、これを及川が聞いていたのかということのほうが気にかかる。及川の知らぬところで言われて後でそれが露呈するよりもましなのか、どちらにしても心中穏やかではないのだろうなと、岩泉は風邪とは違う悪寒にふるりと身体を震わせた。






 


prev|next
ALICE+