「っ!……はなせ、くそ」
「やーだね。このまましてみせて」
振り返る若干キレ気味の岩泉に睨めつけられたのだけど、ちっとも怖くなどなかった。酒を飲んだからなのか、それとも別の理由からなのか、赤く染まった目元といつもより水分を多く含む猫目が愛らしくてたまらない。他の人間がどう見るのかは知らないし、こんな岩泉を見せてやる気も更々ないのだけども、猫がフーッと毛を逆立てて怒るみたいなさまは、もしかすると故意に庇護欲や嗜虐欲を煽りにきているのではなかろうか。これが無意識ならば尚質が悪い。もうずっと前にその仮説は結論として断定した。なので、岩泉の否は、是である。
「……おまえ、後始末のことかんがえろ、ばか、くず」
「バスタオルでしょー、毛布でしょー、これだけ洗えばいいんだから大丈夫。パンツは俺が洗ってあげる」
「きたねえだろうが。も、まじでやばいからはなせ」
プレ誕生会はいつも日付が変わる前に解散することにしていた。その理由はと言えば、場所はどこだろうと日をまたぐその瞬間は、二人きりで迎えなければならないからで。そう尊大に言い放ったのは意外なことに、常々我が儘放題な及川ではなくて岩泉。そもそも離れていることのほうが少ないのだけれど、互いの誕生日とあとは年越し、この三つは必ず二人でいるのだと。付き合うようになってから初めて迎えた岩泉の誕生日、そのときの提案ではない通告、いっそ命令じみた話に乗らない手はなかった。言い方はどうあれ、あまりのいとけなさに、健気さに、勃起しそうになったことを覚えている。もちろんその命令もとい約束は、今日に至るまで違えることなく履行され続けてきた。きっとこれからだって、ずっと。
花巻のバーで皆と別れてから、機嫌のよさそうな岩泉をタクシーに突っ込み、二人で住むマンションに帰ったのが少し前。半ば引きずりながら寝室へと連れ込めば、喉が渇いた、トイレに行くと騒ぐものだから、このままここでしろと言ったのがつい今しがた。お開きになる直前まで、中身はほぼ水のグラスにかじりついていた岩泉が、トイレに行っていないことは知っていた。トイレ以外の場所で用を足すなど、当然にべもなく拒否することもわかっていた。けれど、否は是とするものなのだ。
別の用途で置いてあったバスタオルを二枚、片手でベッドに広げる。もう片方の手は逃がさないようにしっかりと岩泉の手首を掴んでいた。しょんべんだしっこだと愚図る岩泉をベッドに転がして、ベルトを外し一息にスラックスまでをも引き抜く。筋肉は落ちても、引き締まってすらりと伸びた脚は、思いの外白くなめらかだ。そうして及川もベッドへと上がり、ベッドヘッドを背にして座ると、岩泉の脇に腕を通しずるずる身体を引き上げた。同じ向きで脚のあいだに座らせ、後ろからぎゅうっと抱き締めながら冒頭の台詞を吐き、今に至る。
「あのさあ、岩ちゃんの身体で汚いとこなんかあるわけないでしょ。何なら飲んであげようか?」
「っ、おまえ、ほんとにきもちわりいな。おれは、んな趣味はねえから」
うなじにすりすり鼻をこすりつけると、くすぐったいのか肩が小さく跳ねた。ふわり、漂う岩泉のにおいに、頭の芯が痺れて腰のあたりはとろりと溶けそうになる。いつまでたっても、どれだけ年を重ねても、このにおいは何ら変わることなく、及川に容易く劣情を抱かせる無二なるもので。その憎たらしいほどの花香をすうっと吸い込み、白い首筋に歯を立てた。
「岩ちゃんの趣味は聞いてません。わかった、じゃあさ、このまま出すのと素っ裸になって風呂場で出すの、どっちでも好きなほう選びなよ」
及川さんてば優しいねーと後ろから眇めた目で横顔を覗き込む。それをちらりと横目で見て、わかりやすく背を強張らせる岩泉は、及川の言葉を正しく理解したようだった。及川が与える選択肢には、第三の文言を付加する項目はなく、まして拒絶など、はなからありはしないのだ。普段のどうでもいい我が儘は、一喝されたうえ、それが叶うことはなくとも特に気にすることはなかった。けれど選択肢を与えたときには、必ず選ばせる。殴って逃げることも、泣いて拒否することも、決して許さなかった。理不尽な選択を迫られ選ばなければゆるされない岩泉が、ほぼ答えは決まっているというのに岩泉自ら選ぶことしかゆるさない及川を。受け入れて、ゆるす。
「……たのしいかよ、そんなのみて」
「もちろん。きっと岩ちゃんも楽しいよ」
シャツの上から胸を撫で、きゅっと乳首を摘まんでやれば、小さくてやわらかな唇から控えめな吐息がこぼれた。時おり引っかけながらくるくる指をすべらせると、それはあっという間に固くなる。俯き気味の横顔は、目元だけでなく頬まで赤く染まっていた。泣かせて捩じ伏せて壊して作り替える、そうしてそれでも変わることのないにおいに満たされて、安穏に落ちてゆく。岩泉を形づくるのは及川なのだけれど、歪んだ欲を叶える及川もまた岩泉によって形づくられているのだ。
「朝勃ちじゃないんだから、ちんこガチガチにしちゃったらおしっこ出ないよ?まだ我慢できるの?」
「わ、かってるなら、さわんな!っ、んんっ!」
「かーわいいなあ。何を期待して大きくしたの?俺のちんこ奥まで突っ込まれること?おしっこしてるとこ見られること?」
根元から裏筋に沿ってふにふにした先端まで、すうっと指で辿る。ゆるく勃ち上がったモノの形を確かめるみたいに。下着はボクサーパンツなので、その形がくっきりと浮かび上がっている。
「も……しっこ……」
「ん、じゃあ、触らないで見ててあげるからね」
モノからも乳首からも手を離して、代わりに腹に腕を回した。何に緊張しているのか、腹筋にぐっと力が入っているのがわかる。
誕生日を共に過ごすと約束したあの日と同じ、岩泉は子供みたいにいとけなくて、ただただ健気で。昏い欲も、たまった澱も、愛おしさだけでは収まりのつかない想いが、蓋を弾き飛ばしてどろりとあふれた。
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