「っっ!…ふ、うぅっ!…んっ!んんっ!」


「……噛むなって」


 漏れそうになる高い声を、手の甲をぐっと噛むことでどうにか堪える。後ろからは呆れたような、けれど毎度のことにもう諦めたような、やさしさを滲ませたやわらかい声が聞こえて、月島はふるふるとかぶりを振りながらその顔を枕に強く押し付けた。


「……ふっ!…ぅ、んっ!…っ!」


 根元までモノを咥え込んでいるソコは、黒尾が腰を揺らす度にぐちゅぐちゅと淫猥極まるぬめった音を響かせている。腰だけを高くかかげ、ソコを黒尾へと差し出す体勢になることにももう慣れた。それはきっとケモノの交わりよりも、もっと浅ましくて、ずっと悲しい。どこで捻れてしまったのかはもう思い出すことができなかった。始まりはきっときれいなものだったはずなのに。何周か回って辿り着いた先は出発点から随分と離れたところで、今さらながらそれがいびつで救いようのない円だったのだと思い知る。けれど当時も今も月島にはそうする以外、黒尾の熱に触れる術を持たなかったのだ。


「ったく、素直じゃねえなあ、ツッキーは」


 素直な自分など、そんなものはじめから欠片も期待していないくせに、さも悲しい、寂しいと言いたげな声音が月島をひどく苛つかせた。なのにナカはきゅうっとモノを絞るみたいに蠢く。声は無理矢理に抑えられても、ナカの有りようを意思でどうこうすることはさすがにできるものではなかった。

 ふうっと笑むような空気の揺れを背中に感じたあと、身長の割りには細く、きれいに浮いた腰骨を黒尾の大きな手に掴まれる。そのあたたかさに言いようのない切なさと劣情が募り、モノからとぷりと溢れた蜜は小さな水溜まりとなってシーツを汚した。


「う゛ぅっ!ん、っっ!……んんぅっ!」


 ぬるう、かたちを覚えさせるみたいにゆっくりとモノが引き抜かれ、ぎりぎりのところから再び同じゆるやかさで奥へと押し入ってくる。掴まれた腰をぐっと黒尾に引き寄せられると、モノがより深く、奥の閉じているところにとん、と当たるのがわかった。すると大げさでも何でもなく、打ち上げられた魚みたいに白い背中が大きく跳ね上がる。つと口をついて出たがる悲鳴を堪えるべく、ぎりりと歯を立てた手の甲は、鉄錆の味がした。


「今日はもう一回やる時間ある?あるならそろそろイクわ」


 枕に顔を押し付けたままがくがくと頷き、同時に今すぐ黒尾の名を呼びたいという衝動に駆られる。そして自分の名を呼ばれながら果てたいとも思ってしまった。何ひとつ求めても、悟られてもいけないことくらいわかっているけれど。吐き出したい想いと共にあふれる熱い涙は、目の前の柔らかな白にすうっと吸い込まれていった。





「やっぱ帰んの?泊まっていけよ。身体辛くねえの?」


「別に何ともないですから。そういう紳士ぶった気持ち悪いセリフはか弱いオンナノコにでも言って下さい」


「今日も絶好調だなあ。わかった。気を付けろよ、またな」


「はい……また。お邪魔しました」


 静かに閉まったドアとオートロックの音を確認してから、ずるずるとその場にしゃがみ込む。いつもいつも、一体自分は何をやっているのだろうか。何がしたいのだろうか。甲の噛み痕がじくじくと痛む手で髪をくしゃりと乱してから、そのまま目元を覆う。

 黒尾と身体を重ねたあとは決まりきった流れ作業のように、息が整うのを待ってシャワーを借り、黒尾の淹れてくれた甘いコーヒーを一杯飲んでから帰ることにしていた。社交辞令なのか黒尾は必ず泊まっていけだとか、送ろうかだとかの言葉を口にするけれど、それに頷いたことは一度もない。付き合ってもいない、ただの身体だけの関係なのだから必要ないと言っても、黒尾はいやいや俺優しいからさといつも目を細めて笑っていた。だからこそ、黒尾の部屋で朝を迎えることなど、願ってはいてもできるはずがないのだ。そのやさしさは自分だけのものではない上に、朝になって日常へと引き戻される嫌な感覚を黒尾と同じ空間で味わうことに耐えられそうもなかったから。そうして、我に返った黒尾にもう触れないと言われることが、何よりも怖かったから。


「……ばかみたい」


 消えそうな声で呟き、のろのろと立ち上がる。上着のポケットから眼鏡を取り出し、ゆっくりと重い一歩を踏み出した。エレベーターで下まで降り、無駄に明るいエントランスを通り抜け外に出る。夜明けはまだ遠く星も見えない東京の空は、自分のこころと同じように汚く昏い、黒尾の部屋から帰るときにはこの夜空を見上げ、いつもそう思った。少しの冷たさを含んだ風がふわりと頬を撫でる。


「……ほんと、ばかじゃないの」


 もう一度、冷えたくちびるから漏れた言葉は、夜のしじまに吸い込まれるように消えていった。




 三千世界の鴉を殺し 
 主と朝寝がしてみたい






 


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