彼らとの共同生活が始まり一週間。
男三人との生活も案外ままなってきたところで、私は一つ思案する。そろそろ、彼らの組織ないしメンバーと接触を図らなければいけない。いや、正直ものすごく接触したくないし、叶うことならこのまま平和なシェアハウスを過ごしたいところだ。しかし私には一千万円の報酬が待っている。
彼らの誰かになするにしろ、本格的に調べるにしろ、どちらにせよ敵を知らなければ行動に移すこともできない。結局私の知る限りの情報網を巡ってみたものの、誰もその組織に関わりたくないというネガティブな情報が一つ手に入ったきりだ。
周囲に聞いて分からないなら、彼ら本人に直接尋ねるしかない。
そうなれば、その懐に入る必要がある。詐欺の常套手段ではあるが、誰しも懐に入れた人間への口の軽さは他人と比べようがないのだ。私は未だマットレスしかない自室に座り込んで、三人の顔を思い浮かべる。
――ライ、バーボン、スコッチ。
私が接触できる組織の人間はこの三人のみ。
さて、誰と仲良くなろうか。思考を巡らせる。難しい問題だ。警戒心が強すぎるのも問題ではあるが、口が軽くても困る。最初に除外されたのはスコッチだった。確かに人当たりは良く、性格も他二人と比べ比較的穏やかではあったが、その穏やかさが胡散臭く底知れなかった。
だって、こんなまずい組織にまともな奴がいるわけがないのに、そんなことを感じさせないくらい穏やかな性格をしている。逆にサイコパスとかなんじゃないかという疑念が湧いてしまう。この間も腰が曲がった老女の荷物を運んでいるのを見掛けた――本当に何を考えているか分からない男だ。
そうなると、残すはバーボンとライだ。
どちらもそれぞれ警戒心はあるものの、会話ややり取りを拒むわけではない。スコッチよりは多少思考も共感できる節が強いが、彼らの仲が悪いのは問題だ。二人同時に取り入ろうとすれば、すぐにボロが出る。やはり一人に狙いを定めたいところである。
「うーん……」
バーボンの猫被りは分かりやすい。
多分素人目に見たとしても丁寧な笑顔は作り物だと分かるし、何を考えているかは分からないけれどその態度で信頼の距離を測ることはできた。ライには警戒心を剥きだした鋭い目つき、私には丁寧に微笑ながらも探るような視線、スコッチには口調こそ崩さないが少しばかり砕けた態度を取る。恐らく、スコッチとはそこそこ仲が良いのだろうと思う。(少なくとも、バーボンから見ては――。)
ライは寡黙ではあるものの、意外にその感情はストレートだ。
苛立ちが募ると煙草を吸う、機嫌が良ければ鼻歌を歌う。水道水の時のように、信頼に値する根拠さえあれば警戒心はない。バーボンがパラメータ式に信頼度を表しているとすれば、この男の信頼はゼロか百か。デッドオアアライブなのだ。
「……ライかな」
普段が寡黙なぶん、考えが読めないのは痛い所だが、今のところスコッチとバーボンどちらとも慣れ合うところは見ていない。この間の態度を見る限り、私のことは信じていないとは言え嫌いな方ではなさそうだ。少なくともあの皮肉屋な態度が多少和らぐところを見れば、ゼロ側ではないはずだ。
「ライが、何だって?」
「ぎゃあっ」
がらっと仕切りを開けられて、私は露骨に肩を跳ねさせた。ギターケースを背負った男は私を一瞥してから、「あ」と気まずそうに零す。
「ごめん、ノックはしたんだけど……」
「マジか。聞こえなかったや」
「邪魔だった?」
私が先ほど読めないと考えていた、へにょっとした人の好さそうな表情が私を見つめる。
――正直、私が彼を選択肢から除外したのにはもう一つ理由があった。
それは、この中で一番彼の顔が好みだということだ。ライもバーボンも世間一般的に見れば大層な美形でありイケメンであり、スタイルだって抜群だろう。ただ、好みの問題でいくとスコッチの顔がかなり好きだ。
涼やかな眼差しも吊った眉も、幅の小さな口元やツンとした鼻先も。元よりアジア系の顔が好みだということもあるが、その表情がへにゃんと笑うと、恐らく二十代の女ならば確実に落ちる。
いつだかクラブで知り合った女が「年下の彼氏が可愛くてさー」と零していたのを思い返した。彼が年下かは定かじゃないが、可愛いと思う気持ちだけは共感できる。
だが、私が惚れてしまっては駄目なのだ。
ミイラ取りがミイラ――そんな諺を二度と使って堪るか。恋で盲目になった己自身がどれほど愚かな行動をしたか。あんな――あんな想い、二度として堪るか!
「ミチルさん?」
ぐっと拳を作っている私を覗き込むようにスコッチが声を掛ける。私は慌てて首を振った。
「ごめん。買い物に付き合ってくれる人探してたの。前ライに連れて行ってもらった家具屋に、欲しいソファがあったからさ」
「そういうことか。確かにこの部屋何もないもんな……」
スコッチは苦笑いを浮かべながら、私がポツンと座るマットレスを一瞥した。ラックは買ってあるものの、特に入れるものすらなかったので放りっぱなしだ。
「――もう裏切り者が分かったのかと思った」
唐突にそう告げられて、私は息を僅かに呑んだ。喉が鳴ることは、必死に耐える。動揺を隠したまま、ゆっくりとスコッチのほうを見上げると、普段は愛想良く笑っている目元が小さく細められる。私の部屋は灯りが乏しく、その暗い瞳に宿る光は備え付けの証明を照り返す物だけだ。その白んだ色が、ギラっと怪しく揺らいだ。
「……分かったとしても、スコッチに言う謂れはないでしょ」
「つれないこと言うなよ。気になるだろ?」
「守秘義務っていうのがあるの。ベルモットに怒られるよ」
はは、と愛想を浮かべて笑ったものの、心臓は未だに五月蠅いままだった。
普段はニコニコとしているから分かりづらいが、その表情は暗さを抱えると一気に大人びる。何を考えているか共感できないと言ったが、やっぱり掴みづらい男である。――恰好いいけど。
「まあ、確かに。こんなことで口を滑らせるような探り屋はいないか」
「スコッチがどーしても知らなきゃいけない理由があるっていうなら考えるけど」
「本当に? そりゃ光栄だよ」
軽口を言い出した彼の表情には、もう先ほどのような怪しさは光っていない。
私のお世辞にも、彼はニコニコとご満悦で頷いている。表情がコロコロとよくもまあ変わるものだ。
「良かったら買い物はオレが付き合うよ。オレも丁度、見たいラックがあったし」
――見え透いた嘘であった。
彼の部屋でもあるリビングにはクローゼットがついているし、タンスや小物入れもそれなりに置かれていたのを知っている。それでも彼の言葉に突っ込むのは些か怖くて、私は口を一度結んでから謝った。
「やっぱりライに連れて行ってもらうよ、私前の家具屋の場所よく分かってないからさ」
「へえ、そうか。記憶力が良い奴だから、きっと見つかるよ」
邪魔したな、と彼はようやく仕切りを閉めた。この部屋、鍵がないのは本当に問題だ。早々に取りつけなければいけないかもしれない。ヒタヒタと裸足の裏がフローリングを歩く音が遠のく。
「……やっぱりスコッチはなしだな」
そんな背中を見送って、私は小さくため息をつく。
いくら顔が好みだろうと、あのプレッシャーの中仕事なんてできる気がしない。まだライに二十四時間睨まれていた方がマシにも思える。
そうと決まれば、私はライの部屋を尋ねに向かう。煙の香りが部屋を擦り抜けて香っているので、きっとまだ部屋にいるはずだろう。