09

 どさり。
 目の前に無造作に積まれた山を、私は目を丸くして見守った。それらを運んできたらしい無愛想な同居人が、溜息をつきながら肩を鳴らす。「なにこれ」、と素直に声が零れてしまった。

「服、ないんだろ」
「そうだけど、前買ったよ」
「普段は悪かないが、夜の街じゃ目立つ」

 確かに、庶民的な量販店で買ったものなのでしょうがないのだけれど。頼んでもいないのにこんなことをしてくれるなんて、何か裏があるのではと勘繰ってしまう。何せ相手はあのライだからだ。しかし彼は、どこか鬱陶しそうに髪を払って今一度溜息を零した。
 ――照れ隠しのようには見えない。
 どちらかといえば、最初にズボンを買わされた時のようなうんざりとした雰囲気がある。もしかしたら、これも誰かの指示なのかもしれない。ライはそうは言わなかったものの。

 まあ与えられた物は頂くだけだ。私のポリシーである。
 黒い面積の多い服を一枚ぺろっと手に取った。そして目を瞬く。また一枚、一枚と手に取っていく。私はそのたびにパチンパチンと大きく睫毛の音を鳴らした。

「うわあ〜っ……。めちゃイケてんじゃん……」

 ライのような真っ黒な全身装束かと思ったが、これがまた中々に好みのセンスをしていた。短いヘソ出し丈のパーカーと、ラインの入ったデニム。ピンクブラウンのタイトスカート、レザー素材。トップスは面積の小さくて、体のラインを拾うものが多い。可愛い。アニマル柄のベルトも光沢感のある鞄も、先日買ったものとは真反対だ。

「これ全部ライが選んだの?」

 質問に対する沈黙。恐らく否定の意味だろう。
 誰か――彼に指示をした人物が選んでくれたのだろうか。私の好みなど知らないだろうから、偶々趣味が合ったとしか思えない。鼻歌を歌いながら軽く礼を述べて、早速その中の一つに袖を通した。黒色のTシャツ、袖と裾には白いパイピングが施されている。これもかなり短い丈のものだ。先ほど見掛けたデニムを履いて、黒いアソートバケットを被った。

「かわいい〜! ねえ見てよライ!!」

 ぱたぱたとリビングまで駆けていくと、ライは興味なさげに振り向き、曖昧に相槌を打った。そのグリーンアイが僅かに揺らいでいたのは、欠伸を堪えた所為だろう。何の変哲もないリアクションに、私は少しだけ拗ねた素振りをした。つまらない、と呟くと彼はクシャクシャになった箱を揺らして煙草を一本取り出す。
 この部屋、禁煙じゃなかったのか。
 彼の煙草の香りは中々に特徴的なので、すぐにバレることだろう。後でバーボンに問い詰められても庇ってやらない。ジトっと堂々四人の約束を破る男の立ち姿を睨んだ――そして、私はふと思いつく。少しあざといかもしれないが、ライにはそのくらいストレートなアピールが良いかもしれない。

 私は彼の傍まで駆け寄って、そのポケットに突っ込まれた腕にきゅっとしがみついた。ぴくりと、無関心そうな眉が持ち上がった。

「…………」

 一瞬、ポケットに突っ込まれた先から無機質な音がしたのに、私の表情が固まった。がちゃっと鳴った重々しい音は明らかにコインケースの音ではなかった。内心この腕を振り払いたい衝動に駆られたが、何とか堪えて笑顔を張り付けたまま「ライ〜」と甘えた声で縋った。

「折角可愛い服着たからさ、ちょっと外出ようよ」
「お前、そんなことしてる暇あるのか」
「いつも仕事してんだから、偶には良いでしょ。情報収集だと思って……、飲みにでもいかない?」

 うるせー! これが私にとっての仕事なんだよ!!
 と、叫びたい気持ちは勿論顔にも声にも出すことはない。今の私にとっては数多の女を落としただろう澄んだグリーンアイさえ一千万円の数字にしか見えない。その金額に比べれば、ちょっとやそっと本音を隠すことくらい造作もない。

「ほら、行こうよ!」
「おい」
「ん? どうかし……」

 た。
 最後の文字と共にライの腕を引きながら振り返って、私は再びその表情を固まらせる。笑顔を何とか浮かべたままにできたものの、私の頬が引き攣らなかったかは定かじゃない。
 目の前に、吊りがちな目つきを丸くした男が両手をポケットに突っ込んで立ち竦んでいたからだ。心の奥で「ひえっ」と怯えた声が零れる。

「何だよ、飲みいくのか?」
「あー……そうそう」
「ちょうど良かった。オレも今からフリーなんだよ」

 折角だからバーボンにも連絡を取ってみよう。一人着々と話を進めていくスコッチに、私も何も声を掛けることができなかった。ライは面倒なことになったと言わんがばかりに私を睨んでいる。

「ごめんって」
「酔った拍子にバーボンに刺し殺されたら恨むぜ」
「ふふっ……あ、ごめん! 本当に笑ってごめんなさい!」

 ちらりと此方を見下げてかましたジョークは、どうやら皮肉のつもりだったらしい。私が笑うと彼は隈の濃い目を細くして私のつま先をギュウと踏みつけた。私より一回り――二回りほど大きな足だ。他の部位はそうでもないのに、足の甲だけ病人みたいに骨ばっていた。

「や、ごめん。遅れて来るってさ。……あれ、何か雰囲気違うな」

 バーボンとのメッセージのやり取りを終えると、スコッチは猫みたいにこちらに鼻を近づけた。正しくは顔を近づけたのだけど、その屈んだ仕草が猫っぽくてついそう思った。

「ライが買ってきてくれたの。私の服が全然ないからって」
「へえ。いつもの服も良いけどソレも似合うよ。ヘソが出てるのはライの趣味?」
「キャンティだ」

 キャンティ、と聞き返した。新しい仲間の名前だ。彼らの名前が酒で統一されていることは知っていたが、ワインの名前も有りなのか。――そういえばベルモットもそうだった。バーボン、ライ、スコッチのウィスキー名は日本でも名が通り過ぎているので、そちらの印象が強すぎたのだ。

「じゃあ、お礼言っておいて。そのキャンティに。私この服大好き」
「墓場で言っておいてやる」
「死ぬまで言わないってこと……?」
 
 肩を竦めて、ライは車のキーをスコッチに投げた。「俺は飲む」と、一言ぶっきらぼうに告げて。スコッチは嫌な顔を少しも垣間見せず苦笑いをして頷いた。本当に人の好い男だ。

「ていうか、私乗ろうか。スコッチも飲みたいでしょ」
「気にしなくて良いのに」
「前も送ってもらって申し訳ないし。大丈夫、大きな車は運転慣れてるから」

 車も全部元彼に持っていかれただけで、とは言わなかったが、声色に少しだけ恨みが篭った。感情に敏いスコッチのことだ、恐らくその僅かな変動を見て、気を遣ったように車のキーをこちらに渡した。
 窺い見るような視線に罪悪感を感じなくもないが、また酔い潰されたなんてことになったら目も宛てられない。元々ライと二人で行くときも運転手は買って出るつもりだった。

「気にしないで、ほんとに」

 申し訳なさそうに八の字に垂れた眉を見ていたら放っておけなくて、私は受け取り際にそう呟いた。スコッチは此方を今一度ちらりと見上げるように覗いてから、「分かった」と僅かに口角を持ち上げる。

「まあ、ほら。擦ってもライの車だし」

 へらっと愛想良く笑って告げると、足の甲が再び重たい何かに押された。すぐ踏まれたのだと気づく。この男、自分の体重を分かってやって――いるのか。確信しているに違いない。

「分かった、擦らないから。気を付けるから!」
「傷でもつけてみろ。同じ場所に傷をつくってやる」

 吐き出された言葉に私はまたまた〜と笑っていたけれど、しがみついた腕に違和感のある小さな塊を見つけて再び笑顔を固めていた。