「げほっ」
咳き込んだのは、私ではない。
顔色を悪くした男二人を車から運び出して、私は腰に手を当てた。飲みに行かないのかと尋ねると、スコッチはシボレーの車体に寄りかかりながら曖昧に頷く。二人とも、案外乗り物酔いが酷い性質なのだろうか。ぐったりとしている彼らを置いていくのもどうかと思ったので、その腕を引いてやった。
ライは私の手を振り払って、顔を上げる。ただでさえ血色の悪い顔は益々血の気を失っていた。
「正気か?」
「……何が?」
顔を顰めて聞き返すと、彼は大きくため息をついて私の手元にあった車のキーを奪い返す。アっと声を上げれば、「運転はバーボンに頼む」と言うではないか。彼の口から頼む、だなんて珍しいことだ。
「免許持ってるんだよな」
「持ってるよ」
一応、偽造だけど。
皆までは言わなかったが、ライもスコッチも全てを察したように互いにアイコンタクトを取ると、よろよろと歩き始めた。二人して生き地獄を見たような素振りだ。まさか本当に霊感があるわけではあるまい。
納得できないまま二人を引き摺るようにして予定していたバーに着くと、どうやらスコッチが伝えていたのだろう、バーボンは既に黒いキャップを深く被って店前に立っていた。いくらキャップで隠しているとは言え、やはり夜の街には不釣り合いなほどよく目立つブロンドだ。
「バーボン」
私が声を掛けると、彼はすかした素振りで振り向き――私たちの姿を捉えると、ギョっと大きな目を更に見開いた。グレーの瞳が泳ぐ。やや大きな独り言が「毒か? いや、まさか……」などと呟いている。
「ううん、車酔いだってさ」
さらっと言い捨てると、バーボンは苦笑いして「まさか」と言う。そうは言っても、彼らの言葉数が少なくなったのは車に乗ってからだ。それまでスコッチがつらつらと言葉を並べていたし、相変わらずライは皮肉ばかり吐いていたというのに、車に乗って十分ほどで会話は途切れてしまった。ちょうど赤信号に苛立ってシボレーで歩道と車道を往来していた時だ。
バーボンの言葉に解せない気持ちになりながらも、まあ良いか、と適当に納得した。帰りはバーボンが運転するとのことだったので(私がすると提案しても鍵を返してもらえなかった)、酔いつぶれない程度に意識を保ちながら楽しむとしよう。
四人だったので、カウンターではなくボックス席に通された。あまり大人数でバーになど来ないので、新鮮だ。ライはオン・ザ・ロックで、バーボンはハイボール、スコッチはマティーニ。
「自分の酒頼めば良いのに」
「別に……名前にされてるだけで好きじゃないよ。ウィスキーばっか飲んでるのなんて、ライくらいだろ」
「へぇ、好きなんだ」
「メシの代わりだ」
ライは肩を竦めてグラスを傾けた。確かに腹は膨れるかもしれないが。ナッツを一つ摘まんで、ジントニックと一緒に流し込む。アルコールの混ざった、熱い息がプハっと零れた。
「それは何?」
「バーボン」
「へぇ〜……」
「ちょっと、意味深に見つめるのやめてください」
バーボンがうんざりしたように私の視界を手のひらで遮った。ウィスキーの名前って、飲み屋だと中々に面白いものがある。飲み会の定番ネタとかにならないんだろうか。裏組織に飲み会などあるかも知らないが、スコッチが「スコッチ一気しまーす!」とか言ったらそれだけでネタになるのに。
「大体、飲みに来なくたってこの位家でも作りますよ」
バーボンは一つため息をついて、グラスの中の氷を揺らす。からっと虚しく氷がぶつかって、涼やかな音が鳴る。私は目を見開いて、えぇ、と声を零した。
「もしかして本職はバーテンだったりする?」
「違いますけど……簡単なものなら幾つか。趣味で覚えたので」
一つ得意げに笑うバーボンの金色の頭を、スコッチがわしゃっと押さえ込んだ。彼は苦笑を浮かべながら口元に人差し指を立てる。
「あのなあ、バーボン。確かにお前は器用だけど、そういうのを店で言うのはマナー違反だよ」
「事実ですから」
「それから、ミチルさんも。バーでバーテンダーをバーテンなんて呼んじゃダメだ」
カクテルグラスをコースターに置いて、スコッチはちらりと私のほうを流し見た。――そういう物なのだろうか。よくは知らないけれど、もしかしたら暗黙のルールのようなものかもしれない。誰に教わったわけでもないし、最初はチャージ料さえ知らなかったので、分からないことがあっても不思議じゃないと思った。
「そういうもんかあ」
「バーテンはバーテンダーの略じゃないんだよ。まあ、こういう所じゃなきゃ気にすることもないさ」
そう笑われて、私は彼の表情をジイと見つめた。くすんだような瞳に、バーのオレンジランプが柔く跳ね返る。普段に輪を掛けて穏やかに見えるのは、酒が入って僅かに血色づいた頬の所為か。
「なんかさ、スコッチ……」
ぽつりとその名前を呼べば、彼は「ん」と顔を持ち上げる。――言うつもりはなかった。なかったのだが、むずむずとした心のままに言葉が口裏を突いてしまった。フロアに流れるジャズミュージックに掻き消されることなく、言葉は温まった空気を震わせる。
「めちゃおじさんっぽいね、そのウンチク」
はぁ、とため息交じりに零すと、ライがふっと肩を震わせた。
本当に言うつもりはなくて(さすがに失礼かと私にも分かったので)、もしかして言ってしまったのか、とハっと頬杖をついていた手から頬を上げた。ライが未だに喉を鳴らしているあたり、言ってしまったのは事実だったようだ。
「うわっ、ごめん! 心に留めておこうって思ったんだよ。ほんと、ほんと」
「ふ、クク……。いや、言ってやったほうが良い。早々に気づけて良かったな、スコッチ」
「……よしてくれ、恥ずかしいから」
スコッチは視線を逸らして空になったカクテルグラスをなぞり、バーテンダーにモスコミュールを注文した。ライもついでにウィスキーベースを変えてロックを一杯頼んでいた。私とバーボンのグラスの空きはトントンくらいで、どうやらバーボンだけは然程酒を嗜むほうでもないように見える。
「……バーボンは、別にお酒好きじゃないの? カクテルとか作るの趣味なのに」
不思議に思い尋ねると、バーボンはこくりとグラスの中を一口流し込み、小さく微笑んだ。
「飲むのと作るのは別でしょう。料理もそうです」
「確かにね〜……。じゃあ、誰かご馳走する人がいたってことだ」
「ううん、ノーコメントで」
顎をすっと擦って、わざとらしく唸りながら答える。容姿も良いし、恐らく良い歳ではあるし、恋人の一人や二人いても可笑しくはない。こんなゲームキャラクターのような男と付き合うのだから、やはり相手もそれなりにファンタジー系なのか。
「見たい! 今度紹介してよ」
「……ですから。その少しした妄想癖、どうにかなりませんか?」
あはは、乾いた笑いを零すバーボンに、違うのかと肩を落とした。なんだ、ファンタジー系のカップルは存在しないのか。もしかしたら銀髪赤目とかのとんでもない美人かもしれないと期待したのに。
兎に角、またご馳走します、などと話題を逸らすように微笑むバーボンを見て、案外この男も色恋の話題には弱いのかもしれないと思った。そう考えると、案外バーボンと仲良くなるのも悪くない。今までの経験が少なければ、騙しやすい部分も多いだろうし。
そこまで過ぎたところで、私はふと気づく。そういえば、バーボンには運転をしてくれと頼んだ覚えはない。ライが一方的にそう言っていただけであり――しかし。私、スコッチ、ライ、バーボン。この場にいる人間は全員飲酒をしているわけだが。
何とかなるか。飲んでしまったものはしょうがないので、私はこのまま放っておくことにした。後日、黙っていたことに関してライからこっぴどく絞られるハメになるのだ。