08

君が夏を連れてきた
 風呂上り。リビングのソファに足を上げて携帯を弄っていると、桜からのメールが入った。さきほど、ボーリングの件と萩原のメールをコピーして貼り付けて送ったばかりである。彼女らしい絵文字がたっぷりのメールには、素直に嬉しそうな感情が乗っていて私まで頬を緩めてしまった。彼女のメールを返していたら、萩原からのメールが届く。授業後にも何度かメールをくれたらしい。先ほど大丈夫かと心配するメールに返信したばかりだ。

【反省文かあ、よそ見させちゃってゴメンね】
【気にしないで〜! 明日のボーリング、桜はいけないって】
【あらら。ザンネン。舞川さん一人でも大丈夫?】
【うーん、まあ大丈夫!】

 もとより人見知りはあまりしない方だったし、陣平も来ると思うし。なんとかなるだろうと明るく返せば、萩原からも何やら動くデコ文字で【オッケー】と送られてきた。こんなの、男の子も使うんだと、ちょっとだけ驚いてしまう。
 鼻歌混じりにメールを打っていると、母親がため息をつきながら早く寝ろと追い立てた。

「ええ、まだ観たいテレビあるのに」
「何言ってんの、駄目よ駄目。今日先生から電話あったんだからね」
「げっ……親に電話行くんだ」
「早く寝なさい。携帯ばっか弄ってないで」

 母親に適当な返事をして、口を尖らせた。まだ夜の十時前、観たいドラマは今から始まるというのに。不満ではあったが、あまり文句を言うと携帯を取り上げられかねない(過去に取り上げられた経験がある――。)ここは素直に従っておくことにする。

 テレビの電源を消そうとリモコンを手に取った時、最近話題になっていたアーティストが夏の恋愛ソングを歌っていた。透明感のある声。女性ボーカルのよく響く声が、片思いの切なさをメロディに乗せていた。じんわりと聞いていたら母親に頭をはたかれた。少し不貞腐れながら、私は自室に足を向ける。ブツン、とモニターを落とした。



「え、陣平くん来ないの!」

 ぎょっと声を上げたら、萩原は軽く頭を掻いて笑った。
「うん。アレ、来るって言ったっけ?」
「……言ってない。クラスの集まりって言ってたし、二人仲良いからさ……」
「ああ〜……そっかあ、ごめんね」
 太い眉が下がって、申し訳なさそうにする萩原に、私は慌てて首を振る。別に萩原が悪いわけではない。私が勝手に妄想して思い込んでいただけである。今日はやめておくかと尋ねる彼に、笑いながらもう一度首を振った。

「ううん、さすがに悪いし行くよ。予約とかしてくれたんでしょ」
「そうだけど……無理しないでね。良い奴らばっかだから、大丈夫だと思うけど」
「もし無理そうだったらちゃんと言うから。楽しみにしてる」

 ぐっと拳を作って笑って見せれば、萩原も少しだけ頬を緩やかにした。それから、何かを考えるように顎に手を当てて、ちょいちょいと私を手招く。廊下で向かい合っていたところなので、今の時点でもそんなに距離は空いていないのだが。
 そう思いながらも、拒否することもないかと手招かれるままに顔を近づけた。長い前髪をくくったポンパが、その眉の動きを目立たせる。片眉をピンっと吊り上げて、いじわるそうに萩原が声を潜めた。

「もしかして、陣平ちゃんのこと気になってる?」
「え! ああーっと……違くって……」

 ドキリと心臓が跳ねて、しどろもどろに返す。確かに気になっているといえば気になっている――が、好きというわけでもなくて。こんな風に人に言うようなことでもないし、第一萩原に言ったら陣平まで筒抜けになるかもしれないし。それは、少し恥ずかしいというか。

「オススメよ〜。今フリーだし、どうどう?」
「そんな売り物みたいに?」

 お茶らけた言い方をするものだから、けらけらと肩を揺らしながら笑う。叩き売りされている陣平の身になってほしいものである。一通り揶揄うように陣平の魅力を紹介したあと、萩原は私の表情を見て、先ほどよりも柔らかい笑みを浮かべた。幅の広い唇が、柔く綺麗な弧を描く。

「……まあ、本気だったら応援するよ。良い奴だからね」

 穏やかな微笑みに、一瞬気を取られた。
 高校生というにはあまりに大人びていて――容姿だけでなく、彼のその微笑んだ時の雰囲気が――思わず言葉に詰まり、見惚れた。彼の眼差しの穏やかさや、トーンを落とした声の柔らかさに、萩原の陣平に対する感情が滲んでいる。
 
「……良い友達なんだね」
「友達ィ? そう呼ばれるとちょっとなあ……」
「あはは、違うの?」
「うーん。腐れ縁っていうか……」

 それ、陣平も同じこと言ってたよ。笑いながら指摘したら、萩原はその頬を僅かに色づかせて頭を掻いていた。その表情を見ると、彼もまた私たちと同い年なのだなあと実感する。
 今日の待ち合わせ場所と時間を聞いて、自分のクラスへ踵を返す。ふと、扉の陰に友人の姿を見とめて、ニヤっと口角を持ち上げながら肩を叩いた。

「なに〜、話しかけにこれば良かったのに!」
「今日の萩原くん、髪型超かわいい……。最高……」
「駄目だ、聞いてない……」

 桜はぽーっと熱を持った視線を、後姿の萩原へと向けたままである。
 私が苦笑いしながらその視線の先を見遣れば、熱烈な視線を感じたのか偶然なのか、萩原がちらっとこちらを振り返った。桜の姿を見つけたのだろう、大きな手がヒラヒラと調子よく振られる。ぱっと彼女の白い頬が色を持った。

「ひえぇ……無理……」
「よしよし。いっぱい写真撮ってきてあげるからね」
「絶対だよ、保存するから……」

 もうすぐ大会だという彼女へのエールのためである。友人として一肌脱ごう。萩原なら、写真を撮ろうと言えば二つ返事で了承してくれそうだ。彼女と一緒に教室へ戻り、小さく欠伸を零した。昼休憩後の授業は、眠たくてしょうがない。

 ――……そうかあ、陣平くんこないのか。

 もはや知り合いが少ないことへのショックよりも、彼が来ないことへのショックのほうが大きいことに、自分でも驚いていた。思いのほか、彼と遊べることを楽しみにしていたようだ。少しだけモヤモヤする。萩原は彼女はいないと言っていたけれど、じゃあ今日は何の用事があるのだろう。他の子に誘われたのかも。

 小さくため息をつく。まあ、たった三回会っただけの他クラスの女子に心の中とは言えここまで束縛される謂れもないだろう。確かに子どもっぽいところはあるが、顔も整っているし――私は少し沈んだ気持ちに言い訳を残した。

 放課後に彼のクラスに顔を出すと、クラスメイトらしい男子数人から声を掛けられた。どうやら先に話を通しておいてくれたらしい。私のクラスから参加するのは私と、もう一人都築という男子生徒だけだったので、やたらと歓迎されたものだ。

 萩原の言う通り気の良い子たちばかりで、案外早い段階で人見知りはなくなった。
 ここの高校は二年生からクラス替えがないということは知っていたけれど、彼らも気心が知れた仲のようだ。男子が多くはあったが、萩原の言う通り女子も数名混ざっていた。少し派手な雰囲気で、見るからに都会っ子といった風貌だ。

 学校から一駅離れたボーリング場は、平日の午後だというのにずいぶんと賑わっていて、そこにも田舎と都会の差を感じる。バッシュを借りてローファーから履き替える。紐の締め具合のせいか、サイズは合っているはずだが少しだけ大きい。

 きゅっと靴ひもを結い終えると、一人の男子生徒が声を掛けてきた。
 明るそうな雰囲気の、先ほども中心になってよく話を振ってくれた青年だ。かわいらしいストラップのついた携帯をカコカコと弄りながら、私にニヒっと笑みを浮かべた。
 先ほど、ペアでスコアを競おうという話になった。じゃんけんで彼と組むことになったので、話しかけに来てくれたのだろう。私もニコと口角を持ち上げた。

「えーっと、ひなちゃん! よろしく」
「うん。私ボーリングあんまり上手くないんだけど……」
「任せとけって、俺プロ並み」

 そんな軽口に笑いながらボールの重さを選ぶ。ガコン、という小気味良い音に合わせて、黄色い歓声が背後から響いた。振り返ると萩原が高スコアを出したようで、声を上げたのは隣のレーンで遊んでいた他校の子たちだ。
 
「調子乗るな萩原ー!」
「ニヤニヤしてんなキモいから」

 同じクラスの数人の女子は、思いのほか萩原に対して特別視はないようで、中々厳しい野次を飛ばしている。そういえば、彼氏がいるとか他の子たちから聞いたので、好みのタイプではないのかもしれない。そんな野次を萩原はいつものヘラっとした笑顔で躱した。
 しかしスポーツ神経は良いようで、スコアはぶっちぎりで萩原の組んだペアが伸びている。対抗して私のペアを組んだ男子が張りきったものの、中々思うように点数が伸びなかった。

「ごめん……! 俺超だせー」
「良いよ〜。ナイスナイス!」

 レディース向けの球を持って、のろのろとレーンへ足を向ける。
 仮にガーターでも責められはしないだろうけど、少しだけ不安だ。案の定投げたボールはへろへろと妙な線を描きながら、ピンを日本だけ掠めていった。後ろから「ドンマイー」と励ます声を聞きつつ、もう一球を手に取る。靴の踵がカパカパと外れて、皮膚に擦れるのが気を散らす。

 なんとなくもう片方の足先で踵の位置を直しながら、私はもう一球をピンに向かって投げ――たのだが、指がボールの穴に嵌ってしまった。そのまま遠心力でバランスを崩してしまい、ボールをごんっと足もとに落とす。

「いたっ」

 思い切り投げつけたわけではないので、本当に少しつま先に沈んだ程度だった。――しかし、そんな私の手をぐっと取る人がいた。

 熱い体温だ。
 触れた場所は私の手首で、指先と殆ど変わらない体温だと思うのに、すごく熱かった。触れた場所から伝わる温度と、皮膚の柔らかさが妙にリアルで、体が言うことを聞かないまま固まってしまう。

「大丈夫か?」

 別に、何てことない一言だった。
 そりゃあ、今「痛い」と言った友達だもの。大丈夫か、平気か、と世辞でも心配するのは当然のことであっただろう。しかし、淡々とした口調に、やけに体が強張った。陣平が私を近くの椅子まで手を引いて、ややこしいバッシュの紐をしゅるしゅると解いていく。
「お前、靴のサイズ合ってないだろ。なんでこのままにしてんの」
「や、別にイケるかなって……。陣平くんも、なんでいるの?」

 シューズを足からするっと抜くと、彼は私の足に怪我がないことを確認するように見まわした。それからスタスタとフロントに向かい、シューズをワンサイズ下げた物を平然とした顔で持ってきた。

 カチコチに固まった足先に、彼が靴を履かせていく。
 たったそれだけの所作であるのに、彼の指先はひどく美しかった。




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